【定義】
「開闢当山沙門希玄」という自署がされた文書であり、宝治3年(1249)正月1日に永平寺方丈を始め、多くの場所に十六羅漢が現れたことを記録したものである。なお、道元禅師はこのように羅漢が現れたのは、大宋国の台州・天台山の石橋のみであったとし、他では聞いたことがないことであるから、永平寺に羅漢が現れたというのは、特筆すべきことであるとしている。
「開闢当山沙門希玄」という自署がされた文書であり、宝治3年(1249)正月1日に永平寺方丈を始め、多くの場所に十六羅漢が現れたことを記録したものである。なお、道元禅師はこのように羅漢が現れたのは、大宋国の台州・天台山の石橋のみであったとし、他では聞いたことがないことであるから、永平寺に羅漢が現れたというのは、特筆すべきことであるとしている。
宝治三年正月一日、羅漢供之法会あり。此時供養を受け給へき為に、生羅漢達放光、山の奥より法会道場ゑ降臨あり。寺中木像画像の羅漢又諸仏、相共に放光、供養を受け給う。大唐には天台山に五百の生羅漢まします。吾朝には此山中ならでは生羅漢の在所はなしと開山和尚之御自筆にて書し給う。此正本は檀那の重書箱あり。 古写本『建撕記』
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