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【定義】

永平寺の祖廟であり、初祖道元禅師・二祖懐奘禅師・三祖義介禅師・四祖義演禅師・五祖義雲禅師の五大尊の尊像を安置し、更に歴代住持の位牌や開基である波多野義重公の木像や、道元禅師の生家である久我家の位牌などを祀っている。道元禅師の大師号である承陽大師は、ここから付いたとされている。

【内容】

現在の「承陽殿」は、明治14年に再建されたものであり、それ以前は道元禅師の霊骨を祀る廟堂と、拝殿から成り立っていたとされており、名前も「承陽庵」であったとされる。ただし、「承陽庵」成立には諸説有り、『宝慶寺由緒記』では、道元禅師が興聖寺と永平寺に建てた、如浄禅師の祖堂を指すとしており、その塔主には寂円禅師が命じられたという。

しかし、同じ寂円派の建撕禅師(永平寺14世)によって書かれた『建撕記』では、道元禅師が亡くなった後に、永平寺の西の隅に葬られ、そこに建てられた塔が承陽庵であるとしており、やや見解が相違する。

また、道元禅師や懐奘禅師の伝記として最古の部類になる『三祖行業記』や『伝光録』では、道元禅師が葬られた塔の名前は確立されていない。前者では、懐奘禅師の言葉として、道元禅師の塔を「元師の塔」と呼称したことのみ記録されているからである。

更には、祇陀大智禅師の『大智禅師偈頌』にも、「永平の塔を礼す」と題された偈頌が二首収録されているが、具体的な名称を表記しない。したがって、道元禅師滅後の最初には塔の名前がなく、室町期に到るまでに「承陽庵」になったものと拝察される。

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