【定義】
上乗というのは、大乗の異名であり、いわば三乗十二分教以外に、それら経論の元となる絶対なる一心を、上乗一心という。
【内容】
禅宗ではこの一心を悟ることに重きを置き、経論や文字を否定したけれども、道元禅師は、そのような経論を軽視する傾向を批判した。
道元禅師の批判は、本当にこの一心が絶対であるならば、三乗十二分教の「外」であることなどあり得ず、内外を絶して、まさに三乗十二分教そのものが上乗一心であると主張するのである。
上乗というのは、大乗の異名であり、いわば三乗十二分教以外に、それら経論の元となる絶対なる一心を、上乗一心という。
【内容】
禅宗ではこの一心を悟ることに重きを置き、経論や文字を否定したけれども、道元禅師は、そのような経論を軽視する傾向を批判した。
ある漢いはく、釈迦老漢、かつて一代の教典を宣説するほかに、さらに上乗一心の法を摩訶迦葉に正伝す、嫡嫡相承しきたれり。しかあれば、教は赴機の戯論なり、心は理性の真実なり。この正伝せる一心を、教外別伝といふ。三乗十二分教の所談にひとしかるべきにあらず。一心上乗なるゆえに、直指人心、見性成仏なり、といふ。 『正法眼蔵』「仏教」巻
道元禅師の批判は、本当にこの一心が絶対であるならば、三乗十二分教の「外」であることなどあり得ず、内外を絶して、まさに三乗十二分教そのものが上乗一心であると主張するのである。
仏正法眼蔵を単伝する仏祖、いかでか仏教を単伝せざらん。いはんや釈迦老漢、なにとしてか、仏家の家業にあるべからざらん教法?を、施設することあらん。釈迦老漢、すでに単伝の教法をあらしめん、いづれの仏祖かなからしめん。このゆえに、上乗一心といふは、三乗十二分教これなり、大蔵・小蔵これなり。 「仏教」巻
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