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【定義】

道元禅師に関わる物語の一。なお、道元禅師生誕800年を記念して、人間国宝である大蔵流狂言師の茂山千作氏が、平成11年(1999)に新作狂言 「椎茸典座」 を発表している。

【内容】

この物語とは、道元禅師が中国に渡ってすぐのこと、2人の老典座から、仏道修行の大事さを教えられた故事に基づくものである。この故事自体は、道元禅師の著作である『典座教訓』に見えることであり、史実であろうが、「椎茸典座」として、「椎茸」を媒介に、1つの話にしてしまっていることはフィクションである。

そもそも、この話とは、以下のようなものである。
山僧、天童に在りし時、本府の用典座、職に充てらる。予、斎罷るに因り、東廊を過ぎて超然斎に赴けるの路次、典座は仏殿の前に在りて苔を晒す。手に竹杖を携え、頭には片笠も無し。天日は熱く、地甎も熱きも、汗流して徘徊し、力を励して苔を晒し、稍々苦辛するを見る。背骨弓の如く、龍眉鶴に似たり。山僧近前して、便ち典座の法寿を問う。座云く、六十八歳。山僧云く、如何ぞ行者人工を使わざる。座云く、他は是れ吾にあらず。山僧云く、老人家如法なり、天日且つ恁のごとく熱す、如何ぞ恁地なる。座云く、更に何の時をか待たん、と。山僧、便ち休す。廊を歩する脚下、潜にこの職の機要なることを覚ゆ。 『典座教訓』下線は管理人
又、嘉定十六年、癸未五月の中、慶元の舶裏に在りて、倭使の頭と説話する次、有る一老僧来る。年は六十許の載なり。一直に便ち舶裏に到り、和客に問い倭椹を討め買う山僧、他を請きて茶を喫せしめ、他の所在を問えば、便ち阿育王山の典座なり。他云う、吾れは是れ西蜀の人なり。郷を離れて四十年を得、今、年是れ六十一歳なり。向来、粗諸方の叢林を歴たり。先年、権孤雲の住裏に、育王を討ねて掛搭し、胡乱に過ぐ。然るに去年、解夏し了りて、本寺典座に充てらる。明日は五の日なれば、一たび供せんとするも渾て好喫なるもの無し。麺汁を作らんと要むるも、未だ椹有らざる在り。仍りて特特として来り、椹を討め買い、十方の雲衲に供養せんとするなり。〈以下略〉 同上、下線は管理人

ここで、フィクションの土台になるのは、「苔」或いは「倭椹」というものである。これが同じ椎茸を意味していると解釈したところから、この物語が「椎茸典座」として結集したのである。それには、色々と理由があるようだが、古い註釈を集めている安藤文英著『永平大清規通解』では次のような註がある。
苔を晒す。苔は恐らく椎茸の類ならん。〔補云:苔は隠花植物の一類、外観はほぼ蘚(こけ)と同じである。エトロフでは高山植物、がんこらんをコケと呼んでいる。椎茸のような上等な物でなく木の子の群がって生えている下等な雑の木の子の類を指すか〕きのこを仏殿前の敷石の上に干して居たのであろうか。 『通解』55〜56頁

さて、どうやらここで慎重に読んでみると、苔=椎茸とするのは、「恐らく」というあいまいな表現によってであることが分かる。それもそのはずで、江戸時代に刊行された穏達の『永平元禅師清規』(1794年)では江戸時代に面山瑞方が「苔」を庭の草を指すと解釈していた例を挙げており、同時に瞎道本光が「菌」を指すとも言っている。穏達は、理由は不明だが、瞎道説を採って「菌=きのこ」としたようである。そして、それはその後長い間曹洞宗の伝統的な解釈者に受け継がれたものと考えられる。

一方の倭椹についても、これまた以前から様々な問題点がある。まずは安藤先生の註釈から見てみよう。
倭椹。博物志に「大樹の断倒せるもの、春夏を歴て菌を生ずる。これを椹という」とある。これは日本産の椎茸であろう。天童育王では今も客を遇する時盛んに菌類を用い、その椎茸は日本九州産の物だといわれて居る。九州産の椎茸はその肉は薄いが、価が安いため、支那に輸出するもの甚だ多いという。是れ恐らくは可なり古くから輸出されていたものと思われる。そして寧波(慶元府)はこれら物資の輸入港であったことは、古も尚お今のようであったらしい。 『通解』59頁

ここでは、張華『博物志』という書名が出ていくるが、これは中国の辞典であり、どうやらここから引用して「椹=菌」だと断定しながら、椎茸だとしているようである。しかし、これもまたあいまいな部分が残る。理由としては、穏達が刊行した『永平元禅師清規』には「椹」について「桑の実」だという説と、「菌」という説と両方挙げているからである。そして、理由は分からないが穏達は「菌」説を採っている。例えば、原文を見ると「麺汁」を作るためだという一文が見えるので、ここで汁のダシを取るために、敢えて「椹=菌」だと発想した可能性もある。

以上の見解は、あくまでも江戸時代以降の註釈的見解であり、今現在の、様々な実証的研究の上では、どのように考えられるべきだろうか。昨今「苔」と聞くと、「海苔」などが思い付くわけであり、「倭椹」というのは、なかなか想像が難しい。だが、この問題を研究発表された東隆眞氏は、漢語としての「苔」が「コケ」を指すとはあっても、きのこや椎茸などは意味せず、しかも、中国料理のプロやその研究家に聞く限りでは、海藻ではないかという結論に達している。また、「倭椹」は「桑の実」を意味しても一向に差し支えなく、当時は桑の実を食用にしたり、多く生活の現場で用いられていたという。
諸椹は桑の実のこと。昔しは日本よりこれを以て、唐へ売にいったことあり。開山の入宋船がこれなり。 面山瑞方『宝慶記聞解(巻上)』

江戸時代の面山は、以上のように「椹」を「桑の実」と断定している。これは、栄西禅師の『喫茶養生記』からも知ることが出来る。よって「麺汁に使うため=菌(きのこ)」では理由にならない。そこで、以下のような註釈が、妥当なのであろう。
苔:海藻の一種で、水ごけ、青海苔の類。干して保存し、乾苔ともいう。寧波附近は海辺にあって海産物が多く、ここの人々は古くから海藻を好んで食していた。 『典座教訓赴粥飯法』72頁
倭椹:椹は桑椹、桑の実。乾かして食用にし、また従来は椎茸などの意に解されているが、椹にその意味はなく、また麺汁を作るということから推測するなら、小麦粉を用いイースト菌の作用を利用した食物とも見られる。 同上、81〜82頁

【参考文献】

・東隆真「『典座教訓』に見られる苔と倭椹について」『宗学研究』26・昭和59年
・中村璋八・石川力山等『典座教訓赴粥飯法』講談社学術文庫

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