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【定義】

六波羅蜜の一、四摂法の一、檀波羅蜜。音訳すると檀那、檀。出家修行者や仏教教団や貧窮者などに財物などを施し与えることを布施という。

【内容】

布施は、施す物の内容によって、衣食などの物資を与える財施、教えを説き与える法施(これら2つは『阿含経』などに出る)、恐れを取り除く無畏施などに分けられ、これを三施という(これら3つは『大智度論』巻14などに出る)。

通仏教的には、四摂法の一であり、また大乗仏教では、菩薩が行うべき6つの実践徳目(六波羅蜜布施持戒忍辱精進禅定智慧)の1つである。また、施す者も、施される者も、施された物も、本来的に空である(三輪体空・三輪清浄・三輪空寂)とされ、執着の心を離れてなされるべきものだとされた(『金剛般若経』など)。

なお、現在では僧侶に対して施し与えられる金品を意味し、本来の漢語としての「布施」も、人にものを施し与えることとされている。
その布施といふは、不貪なり。不貪といふは、むさぼらざるなり。むさぼらずといふは、よのなかにいふへつらはざるなり。たとひ四洲を統領すれども、正道の教化をほどこすには、かならず不貪なるのみなり。〈中略〉財のたからにまかせらるるとき、財かならず布施となるなり。自を自にほどこし、他を他にほどこすなり。この布施の因縁力、とほく天上人間までも通じ、証果賢聖までも通ずるなり。そのゆゑは、布施の能受となりて、すでに縁をむすぶがゆゑに。 『正法眼蔵』「菩提薩埵四摂法」巻

布施の量に目安はない。目安がないから、高ければ良い、安ければ良い、これらは全て議論をすることが出来ない。地域によって、様々な場合で目安を定めている場合もないわけではないが、それらは本来の仏教のあり方に契わない。弔いの気持ち、供養の気持ち、それらを正しく持っていれば、自ずと布施の量も定まる。「心が籠もっていれば、布施は安くても良い」というのは、仏道ではない。ただの吝嗇であり、これを貪りという。

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