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【定義】

道元禅師の禅師号として伝わるものだが、天皇から下賜された事実はなく、『建撕記』にその名の経緯を示すものである。
開山大和尚之御名、数多あり。一道元、二希玄、三義元、四仏法禅師と申す。由来は日本天台宗四教五時の名目を記したる文み、一本あり、其中に、天竺震旦日本仏法興起之次第ヲ記取したる中に云、大唐曹洞宗僅に存すと云々。其次に云、吾国中、越前永平寺開山大和尚仏法禅師、入宋伝之、稟承曹洞宗、帰朝之後、立永平寺安置之、等令門派相続云々。委細可尋者也。 『建撕記

これを読む限りでは、日本天台宗の教理に関する文言を記した文章の中に、曹洞宗のことが示され、そこで道元禅師を「仏法禅師」と呼んだものを引用していることが分かる。他宗派によって呼ばれている例だが、凝然大徳の『浄土法門源流章』にも出る。
天台にて学研し、三観法を伝え、住心大徳に随って、止観等を学ぶ。俊芿法師に謁して、また止観を習い、仏法禅師に値って、久しく禅学を経る。 「長西上人」項

これらを総合すると、道元禅師は自著文献では自称されなかったが、他の者からは「仏法房」や「仏法上人」と呼ばれていたことが分かっているので、この禅師号についても、禅宗の人という意味での用法かと思われる。

なお、1673年に刊行された『永平開山道元和尚行録』では、「賜紫衣」と関連して次の様に指摘する。
後嵯峨院、師の道誉を聞き、紫方袍を賜り仏法禅師と号す。再三辞するも許さず、卒に之を受けて衣せず。偈を作って上り、謝して曰く「永平山浅しといえども、勅命重きこと重重。却って猿鶴に笑わる、紫衣の一老翁」と。 『永平開山道元和尚行録?』「賜紫衣謝偈

ただし、このエピソードは、同文献以前の伝記には一切見ることが出来ず、紫衣の下賜、禅師号の下賜、ともに虚構である可能性が高い。

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