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【定義】

「没した後に僧と作す」と訓じる。仏教徒であれば誰しも、成仏への縁をつなぐために受戒し、出家しなくてはならず、亡くなる直前に出家受戒する作法が行われていた時代もあった。ところが、それがされなくなると、時代的な流れで徐々に、在家者が没してから後に、受戒をして出家させることによって、成仏への縁をつなぐようになった。それが没後作僧である。現在の曹洞宗の葬儀では、必ず受戒をし、戒名を授けることになっているが、それは以上の理由があるためである。なお、中世にはこの方法が成立していたことを示す切紙もある。また、臨済宗の『諸回向清規』には亡者剃髪偈・亡者授戒法などの偈文回向文が見えるが、これが「作僧」なのかどうかは慎重な判断を要する。
戒律為先の言、すでにまさしく正法眼蔵なり。成仏作祖、かならず正法眼蔵を伝持するによれり。正法眼蔵を正伝する祖師、かならず仏戒を受持するなり。仏戒を受持せざる仏祖、あるべからざるなり。 『正法眼蔵』「受戒」巻

このように、仏祖となるためには、仏戒(菩薩戒)を受持しなくてはならない。そして、次のようにも説かれている。
聖教のなかに、在家成仏の説あれど、正伝にあらず、女身成仏の説あれど、またこれ正伝にあらず、仏祖正伝するは、出家成仏なり。 『正法眼蔵』「出家功徳」巻

「出家成仏」をこそ正伝とされているが、ここから死後であっても、受戒し作僧する必要が教義的に確立されることになった。
しかあればすなはち、たとひ国王・大臣なりとも、たとひ梵天・釈天なりとも、未作僧のともがら、きたりて亡僧の事例を請せんに、さらに聴許することなかれ。出家受戒し大僧となりてきたるべし、と答すべし。三界業報愛惜して、三宝尊位願求せざらんともがら、たとひ千枚の死皮袋を拈来して亡僧の事例をけがし、やぶるとも、さらにこれ、をかしのはなはだしきなり、功徳となるべからず。もし仏法の功徳を結良縁せんとおもはば、すみやかに仏法によりて出家受戒し、大僧となるべし。 『正法眼蔵』「大修行」巻

特に、近代以降で議論された「没後作僧」については、道元禅師が示した上記一節の影響も見ておくべきである。道元禅師は「百丈野狐話」の解釈において、前百丈の野狐が亡僧での葬儀を希望したことについて、野狐は亡僧ではないことを理由に、上記の通りの批判を述べた。そして、近代以降の議論では「没後作僧」が望ましいとの結論に至っているが、曹洞宗の歴代の仏祖が同様であったのかは記録上不明な点が残る。

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