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【定義】

江戸時代の学僧。号は万仭、名は道坦。三休庵とも号した。『正法眼蔵』及び「嗣法」「禅戒」の参究精進され、大きな功績を残した。

生没年:元禄11年(1698)〜安永4年(1775)
俗 姓:池田氏
出身地:肥前国(現在の佐賀県)

【内容】

肥前の池田家に生まれた万仭師は、出家した後長じて、大乗寺の大機行休の法を嗣いだ。大機は卍山道白師の法嗣であり、万仭師は卍山師の法孫に当たる。その後、備中の東光寺に首先住職すると、同国内の吉祥寺、三河長円寺、肥前泰智寺、上野宝積寺などに住した。また、自身としては、三河の額田に万福寺を創建するなどしている。

安永4年6月9日、その万福寺で遷化世寿78。『万仭道坦語録?』(1巻)が残る。

万仭師は、大変に多くの著作を残し、江戸時代中期にさしかかって当時の宗学研究が集大成されていく様子を伝えている。特記すべきは『正法眼蔵』の参究、そして宗門に於ける「嗣法」「禅戒」の参究である。『正法眼蔵』については、『正法眼蔵御抄』の参究などを経て、『正法眼蔵諫蠹録?』『正法眼蔵補闕録?』などを編み、また嗣法との関係で『正法眼蔵面授巻弁?』を編んだ。

「嗣法」については、『洞上伝法弁?』『室内三物秘弁』を著し、これらの見解は未だに宗門の室中行持に絶大なる影響を与え、また「宗統復古運動」で問題になった伽藍相続については『洞上伽藍相続弁』を著した。

禅戒」については、『洞上伝戒弁』『仏祖正伝禅戒鈔』を著し、いわゆる「禅戒一如」説の完成、敷衍に尽力されている。

清規」については、泰智寺の住持であった寛延2年(1749)に『永渓山典座寮指南記』を著したとされる。

また、面白いところでは、同じく学僧であった面山瑞方師(1683〜1769)と万仭師、両者老境にあって(85歳と70歳だった)、宗門大事について、南禅寺金龍軒内で問答した『金龍軒問答』が残されている。

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