【定義】
六頭首の一役職として、
禅宗寺院の第一位を勤める者を「首座(しゅそ)」という。現在、
本山僧堂・
専門僧堂ではない一般的な
寺院の場合には、九旬
安居一会の期間中、随喜衆の中で第一位を勤める者であり、「
第一座」とも呼ばれる。
【内容】
別に、禅頭・首衆・
上座・
座元・
立僧・
第一座・
第一頭などと呼ばれ、古来禅宗寺院が巨大なものだったときには、前堂首座・
後堂首座・
立僧首座・名徳首座の区別があった。
現在では、本山僧堂・専門僧堂(尼僧堂含む)における「首座」の位置付けは、伝統的な状況と大差無い。しかし、各地の寺院で行われる結制の場合は、本来の首座の意味ほど強くはなく、実質的には、
法戦式を行って
立職した者を指す呼称という印象である。
また、古くは、あくまでも大衆の中から選ばれる者であり、特定の僧侶でなくてはならないというものではなかった。
頭首という指導者、
西堂や他の優れた僧侶の中から、特に修行に優れ、知識がある人を篤く拝請して、法を説いてくれるように頼むことを立僧といい、それで選ばれた者が首座となった。
道元禅師は叢林での首座進退について『
正法眼蔵』「
安居」巻で詳しく述べられて、まさに
大衆の
第一座として進退する状況を示している。
また、
道元禅師は自ら開いた修行道場である
興聖寺最初の首座に、弟子の
懐弉禅師を任じており、『
永平広録』などの記述からは、
懐弉禅師の他に以下の首座がいたことが知られる。
・
僧海(巻1・
興聖寺、『
御遺言記録』)
・
懐鑑(巻3・
永平寺)
・
義信(『
三祖行業記』)
なお、首座については、配役上の首座と、
戒臘牌に於ける首座とあったようで、それが
語録に於ける修行僧の呼び名でどのように使い分けされていたかは、その都度考える必要がある。
かの牓、かく式あり。知事・頭首によらず、戒臘のままにかくなり。諸方にして頭首・知事をへたらんは、おのおの首座・鑑寺とかくなり。数職をつとめたらんなかには、そのうちにつとめておほきならん職をかくべし。かつて住持をへたらんは、某甲西堂とかく。 『正法眼蔵』「安居」巻