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タグ検索で父幼は3件見つかりました。
永祖略録蛇足
記載であり、現在では天桂四世の法孫・[[父幼]]老卵の撰述であると推定されている。 『永平略録』註釈書の中でも、平易懇切さでは、群を抜くという評価がある(『[[曹洞宗全書]]』「解題」参照)。また、現在では、『曹洞宗全書』「[[注解三]]」巻にて見ることが出来る。…
https://seesaawiki.jp/w/turatura/d/%b1%ca%c1%c4%ce... - 2015年03月02日更新
父幼
){''【内容】''} 羽前で生まれた父幼は、10歳で鶴岡総穏寺の石門の下で出家し、諸方で参学した後に、天桂伝尊の法嗣である、鶴岡破鏡庵無画鉄文に参じて、嗣法した。その後は、大山の祐性院に住し、天明7年(1787)には周防の洞泉寺に転住した。 岩国藩主の吉川経倫は、父幼の徳を慕って同地の善住寺を復興して父幼を開山に迎えた。 そして、翌年には[[興聖寺]]に請せられて[[住持]]として入るが、『正法眼蔵』開版を巡って幕府に咎められたとも言われており、鶴岡破鏡庵に戻っている。 文化2年11月2日に[[…
https://seesaawiki.jp/w/turatura/d/%c9%e3%cd%c4... - 2007年01月27日更新
那一宝
戸期の曹洞宗が輩出した[[学僧]]・[[父幼]]老卵による『[[正法眼蔵]]』の註釈書。なお、父幼は天桂派であり、『那一宝』は[[天桂]]の『[[弁註]]』を継承しながら、『[[御抄]]』などの解釈とのすりあわせを行っていることがその特徴である。 &color(blue){''【内容】''} 父幼は天桂の法孫として、その天桂に負けないほど[[道元]]禅師を追慕し、その念によって『[[正法眼蔵]]』を註釈した。ただ、『那一宝』は撰述時期や開版時期については不明な点が多い。 本来『弁註』は60巻本を中心…
https://seesaawiki.jp/w/turatura/d/%c6%e1%b0%ec%ca... - 2007年01月05日更新