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【 ペークミー 】 [00454] ⇒ 奥間之名*卷五の十一:名目上の奥間村の地頭になること。名島(ナジマ)である。名島は収入上の実質を伴わない。名島を頂戴して位階は親雲上(ペークミー)を称する。 〔○‥『角・語』〕【 ペークミー 】 [00455] ⇒ 黄冠*巻三の二:親雲上(ペークミー)位の冠。→原文編「解説」〈位階称号〉〔 ○ ‥『角・語』〕
【 ペーチン 】 [00456] ⇒ 親雲上(ペーチン)*1:奉行ノ親雲上ハ地頭衆ノ門閥家ニシテ、普通ノ親雲上ト同一視スベカラズ。 〔 ○ ‥『三一』P.159〕
【 ペーチン 】 [00457] ⇒ 親雲上(ペーチン)*6・若里之子(ワカサトヌシ)*7・筑登之(ツクドン)*8:以上ハ何ツレモ官等ニシテ、一定ノ年齢ニ到達スレハ皆ソノ官位ヲ得。但シ家格身分ニ依リ任官ニ年齢ノ遅速アリト知ルベシ。 〔『三一』ペー77〕
【 ペーチン 】 [00458] ⇒ 親雲上(ペーチン)*6:正六品官。 〔 ○ ‥『三一』P.116〕
【 ベッテルハイム 】 [00459] ⇒ 上届丙午*附巻四の十六:道光二十六年(弘化三年)。ベッテルハイム来る。〔○‥『角・語』〕
【 ベッテルハイム 】 [00460] ⇒ 泊徳令(ベッテルハイム)*巻二十二の三:ベッテルハイム・一八四六年四月英国の琉球海軍伝道会から選ばれて、那覇に来て、一八五四年七月まで、約八年間、波上の護国寺に置かれた。その間、いろいろの方法で布教に努めたが、当時の情勢からはほとんど結実をみなかった。けれどもその間に、琉球語文典楷梯・馬太・馬可・約翰・路可の福音書を琉訳した。〔 ○ ‥『角・語』〕
【 ペルリ 】 [00461] ⇒ 大美殿*巻六の六:大美御殿である。首里城御内原附属の別寮で、城外、中城御殿(現在の首里高校)隣接の地にあった。張学礼来琉時の冊封式典やペルリ来琉の時総理官私邸と称して彼等を接待した所はこの殿である。 〔○‥『角・語』〕
2007年01月03日(水) 00:03:23 Modified by tutenze