ここは某巨大掲示板のSS職人であるチョ ゲバラのエロSSの保管庫です。現在、君の名は、ソードアート・オンライン、ラブプラス、けいおん、とある魔術の禁書目録、ペルソナ4、To LOVEる とらぶるのエロ小説が保管されています。

episode2 「東郷ターン」


「うわッ!」
 奇妙な夢に悩まされていた俺――乃木涼介は、軽い悲鳴と共にベットから跳ね起きた。
「はぁはぁ……はぁ……、夢か……」
 部屋は真っ暗。まだ深夜だろう。パジャマの中はしっとりと汗で濡れていて少し気持ち悪かった。
「そうだよな……そんな馬鹿なことあるわけないよな……」
 本当におかしな夢だった。
 こともあろうに、実の妹と主従関係を結んでしまうというトンデモナイ夢を見てしまったのだ。俺がご主人様で妹の真帆奈が奴隷。もうなんと言っていいのやら。いくらなんでもアホすぎるわな。ハハハ……。いやいや、兄としてこんな夢を見てしまって本当に情けないよ。でも、もの凄くリアリティーのある夢だったような気がしたんだけどな……。
「う〜……。どうしたの、お兄ちゃん……?」
「あっ、ごめんな。起こしちゃったか? いやー、なんか変な夢見ちゃってさ」
「怖い夢だったの……?」
「うーん、怖いと言えばある意味一番怖い夢だったのかもしれないな」
「だいじょーぶだよ。お兄ちゃんのそばには、ずーっと真帆奈がついててあげるからね。来て、お兄ちゃん。真帆奈がぎゅーってしてあげる」
「そっか、ありがとな。でも大丈夫だよ。たんなる夢の話だからな」
「だめだよー。怖い思いをしたお兄ちゃんを慰めるのは妹の努めなんだから、ちゃんとぎゅーってしないとだめなの」
「つーか、本当はお前が単に甘えたいだけなんじゃないのか?」
「エヘヘ……ばれたか。でもでもお兄ちゃんを慰めてあげたいのはほんとだよ。それでお兄ちゃんも真帆奈も幸せになれるんだから一石二鳥だよ。だからぎゅーってしないとだめなの」
「まったく、しょうがない奴だな。ちょっとだけだぞ」
「やったー。だからお兄ちゃん好き〜」
 真帆奈は俺の首に両腕を回し、ぎゅーっと身体を密着させてきた。
「こらっ、そんなにくっついたら寝られないよ」
「このくらいでは真帆奈のお兄ちゃんへの愛情はまったく表せないのだ。うにゃ〜、お兄ちゃ〜ん……お兄ちゃ〜ん……だい好きだよ〜……」
「いつまで経ってもお前は甘えん坊だな。さぁ、明日は学校だしもう寝よう。起こして悪かったな」
「お兄ちゃんだったら真帆奈はなにをされても許しちゃうんだから平気だよ」
「大げさな奴だな」
「大げさじゃないよ。真帆奈は本気なんだよ。だからお兄ちゃんも真帆奈に遠慮なんかしたらだめなんだからね」
「はいはい、わかったわかった。じゃぁおやすみ」
「うん。…………ねー、お兄ちゃ〜ん」
「んー?」
「おやすみなさいのキスは?」
「馬鹿なこと言ってないでさっさと寝なさい」
「うー、いつもはブチューってしてくれるのに……」
「そんなことした覚えないよ。全部お前の妄想だから。つーか、もうホントに寝ようよ。明日起きられないぞ」
「うー、わかった……。おやすみなさい、お兄ちゃん。だい好きだよ」
「はいはい、おやすみ……」
 明日というか今日は、早く起きて弁当を作らないといけないからな。さっさと寝ることにしよう……。
「――って、おいッ!!」
 俺は勢いよく布団から跳ね起き電気を付けた。
「なんでお前が俺のベットで寝てるんだよ!?」
「くー……」
「こらっ、寝るな! 起きろッ!」
 隣でもう熟睡状態に入ろうとしている妹を起こす。
「な、なんなのお兄ちゃん? 寝ろとか寝るなとか、真帆奈はいったいどうすればいいのかわかんないよ?」
「なんでお前がここで寝てるのかって聞いてるんだよ!」
 寝ぼけていたせいで、無駄に長いノリツッコミをしてしまったじゃないか。
「なんでって……? お兄ちゃんはもう真帆奈のご主人様になったんだから、一緒に寝るのなんて当たり前じゃない」
 俺の実の妹――乃木真帆奈は、こんなの初歩の初歩だよ、と呟きながら再び船を漕ぎ始めている。
 つーか、あの夢は現実だったのかよ! どおりで生々しい夢だって思ったよ……。 
 実はここだけの話だが、俺は妹との真帆奈と主従関係を結んでいる。
 いや、正確には結ばされたと言った方が正しいだろう。
 内容も分からない書類に軽々しくサインをしてしまい、それが奴隷契約書なるものだったのだからさぁ大変。ダルマ蔵相で有名な高橋是清も若い頃に騙されて奴隷契約書にサインをしてしまい、誰も知る人がいない海外で相当な苦労をしたらしいのだが、俺の場合は少し違う。
 騙されてサインをした俺の方がご主人様で、騙した真帆奈が奴隷というなんとも奇妙な契約だったのだから。
 世にも不思議な話があったもんだろ。
「兄妹で一緒に寝るのは当たり前のことじゃないの。わかったらさっさと自分の部屋に戻りなさい」
「えー、なんでなんでー? 妹だからだめだって、そんなの人種差別なんだよ。人類に対する犯罪だって怒られちゃうよ。だいたい真帆奈はお兄ちゃんの妹である前に忠実な下僕なんだから、いつなんどきでもお兄ちゃんのそばにいなくっちゃっいけないのだ」
 かなり眠いらしく、真帆奈は目をゴシゴシさせながら持論を力説する。
 その姿をよく見たら、お腹のあたりがスケスケになったらフリフリのキャミソールにタップパンツという、ちょっとというかかなりエッチないでたちだった。
「ちょっ、なんなのそのパジャマは!」
「お兄ちゃんのために通販で買ったんだよ。可愛いでしょう。エヘヘ…‥」
 どうだー、とばかりにベットの上で自分の姿を兄に見せつけてくる真帆奈さん。
 確かに、まぁなんというか……その、よく似合ってはいた。
 新雪のような白い柔肌、愛らしく整った顔立ち、小柄で華奢な体格。そして、シーツの上に扇のように拡がった黒絹のような長い髪。
 実の兄である俺が言うのもなんなのだが、こいつは相当な美少女なのだ。
「今なら出血大サービスで、先着一名様にもれなく真帆奈を独り占めだよ」
 早く早く、と真帆奈は両手を拡げて兄を誘惑してくる。
 ヒョイッ、ポイッ、バタン。
「うにゃー!」
 真夜中にこれ以上無為な時間を費やさないためにも、とっとと実力行使に出た。 
「うー! なんでこんな酷いことするの! たとえお兄ちゃんでも、こんな人道に反する行為は許されないんだよ!」
 扉の向こうで真帆奈が騒ぐ。
 去れ!
「はっ!! わ、わかったよ、お兄ちゃん! これは放置プレイなんだね? 放置プレイの一環なんだね!?」
「真夜中にわけのわからないことを叫ぶと近所迷惑ですから! もういいからさっさと自分の部屋に戻って寝る!」
「こんなのないよー! 詐欺だよー! インチキだよー!」
 暫くの間、真帆奈はギャーギャーと喚きながらドアノブをガチャガチャやっていたが、すぐに俺の断固たる意志を悟ったらしく、
「うー! お兄ちゃんのバカーッ!」
 と、捨て台詞を残して自分の巣に逃げ帰った。
 真夜中に余計な体力を使ったせいですっかり目が冴えてしまった。
 時間を確認してみると深夜二時過ぎ。
 俺はしみじみと嘆息してから、自分のベットに潜り込んだ。ベットの中には、まだ真帆奈の甘い体臭の香りが残っていた。


 欠伸を噛み殺しながら駅のホームで電車を待っていた。
 周囲を見渡すと、経済新聞を読んでいるサラリーマンや、携帯電話を見ながら忙しなく指を動かしている女子高生などがまばらにいた。この時間帯は、ちょうど人が少ない穴場時間なのだ。次の電車あたりから一気に人が増え始める。だから、俺はいつも早めに家を出るようにしているのだ。少し早起きしてでも快適な通学ライフを送りたいからな。しかし、そんな小市民のささやかな計画の邪魔をしようとする人物が我が家には約一名存在する。もちろん妹の真帆奈のことだ。昨晩に引き続いてまた早朝からごねやがった。
 真帆奈曰く、
「お兄ちゃんは、ご主人様としての自覚をもっと持たなくっちゃだめだよ!」
 だそうだ。
 朝起こしに行くと夜中に部屋から追い出された鬱憤が溜まっていたらしく、真帆奈はかなりご機嫌ななめだった。その他にも、「一人で寝るのは寂しかった……」とか「これなら下僕としての責務が果たせないよ……」などとグチグチ言っていたが、真面目に相手をするほど俺は暇を持て余しているわけではないので、「まだ話は終わってないんだよーっ!」と憤る真帆奈を振り切って家を出てきた。
 で、俺の哀れな携帯電話に先程から執拗に愚痴メールが入ってくるというわけだ。
 噂をすれば再び携帯電話がブルルと振動した。
 メールを確認する。
『今日学校に穿いていくパンツのことなんだけど、お兄ちゃんは青と白の縞々とピンクのハート柄のどっちがいいと思う?』
『どっちでもいいよ! そんなことでいちいちメールしてこないでよ!』
 と、すぐさま返信した。
『お兄ちゃんが真帆奈のお話をちゃんと聞かないで学校へ行っちゃうのが悪いんだよ。どっちがいいのか早く決めて』
 兄はそこまで妹の面倒を見ないといけないものなのだろうか? つーか、家で洗濯しているのは俺なわけで、真帆奈がどのパンツのことを言っているのかある程度わかってしまうのがなんだかもの凄く嫌だった。
「まもなく二番線に電車が参ります。危険ですからホームの内側までお下がりください。二番線に電車が――」
 ホームに独特の口調のアナウンスが聞こえてくる。
『縞々にでもしときなさい』
 と、メールを送信してから携帯電話の電源を切った。
 電車に乗る時はいつもそうするようにしている。こういうことは、一人一人のマナーが大切なのだ。
 スピードを落としてホームへと侵入してきた電車がゆっくりと停車し、俺の目の前でドアが開いた。
 べつに深い意味はないのだが、俺はいつも先頭車両に乗ることにしている。それで、いつもと同じ席に座り本を読むのがちょっとしたマイブーム。
 が、その日はいつもと違った。
 車内に乗り込み指定席に向かって歩を進めると、そこで意外な人物に遭遇したのだ。
 緩やかにエアウェーブした長い黒髪、造形美の頂点を極めた秀麗な顔立ち、スーパーモデルのような抜群のプロポーション。もちろん眼鏡属性も忘れてはならない。
 高千穂学園が誇る不動のナンバー1アイドル、東郷綾香その人だった。
 頭脳明晰、運動神経抜群という文武両道の才女で、これでオマケに俺のようなクラスのモブキャラにでも優しく接してくれるマザーテレサのような博愛精神の持ち主なのだから始末に負えない。人間なにか一つくらいは欠点があるものだが、彼女からそれを見つけることは不可能であった。
 さて、俺はどうするべきだろうか。どうやら東郷さんは本を読むのに熱中していて、こちらにはまったく気付いてない様子。やはりクラスメイトとしては、挨拶くらいはしておかないといけないだろう。
 ……ヤ、ヤバイ、緊張してきた。ちょ、ちょっと落ち着けって俺。なんでこんなにドキドキする必要があるんだ? ちょこっと行ってちょこっとクラスメイトに挨拶するだけじゃないか。よ、よしっ……まずは深呼吸をしてから、自然にさりげなく行こうじゃないか。
「と、東郷さん、おおお、おはよう!」
 うわっ! 完璧に声が裏返った。最悪だ……。
「……乃木くん?」
 不審者から声を掛けられたのかと思ったのか、東郷さんは一瞬だけ怪訝な表情をして目をパチクリとさせていたが、すぐに俺だと気付くと微笑んで、
「おはよう、乃木くん」
 と、挨拶を返してくれた。
 それだけで俺の体温は、二、三度ほど急上昇してしまう。
「え、えっと、奇遇だね。東郷さんもこの電車だったんだ?」
「いつもはもっと遅い電車なんだけどね。私、今日は日直だから早く家を出てきたのよ」
 なるほど。どおりで今まで一度も会わなかったわけだ。日直グッジョブ。
「乃木くんは、いつもこんなに早いの?」
「うん。電車混むのいやだからね。やっぱり朝は座って学校に行きたいし」
「そうなのよね。この時間って本当に人が少ないのよね。吃驚しちゃった。これならいつも早起きすればいいんだけど、私は朝が苦手で……」
 どうやら東郷さんにも意外な弱点があったようだ。
 身近に似たような人がいるから一気に親近感が湧いてくるな。
「うちの妹と同じだね」
「乃木くんの妹さん?」
「そっ。うちの妹も朝が苦手でね、俺が起こさないと絶対に自分では起きないんだから。休みの日なんかは、お腹が空くまでずっと寝っぱなしだよ。ホント、冬眠中のクマみたいな奴なんだから」
「ふふっ、そんなこと言ったら妹さんがかわいそうよ」
 東郷さんは、クスクスと楽しそうに笑っている。
「ところで乃木くん」
「なに?」
「席も空いてるんだし座ったらどうかしら」
「えっと……横に座っていいの?」
「どうぞ」
 ニッコリ。
 朝からそんな笑顔を見せられたら惚れてまうやろーっっ!!
「じゃぁ、お言葉に甘えて失礼します……」
 俺は失礼がないように、一人分ほどの空間を開けて東郷さんの隣の席に座った。
 同時に静かに電車が発車する。
 車両の窓から長閑な田園風景が走馬灯のように流れていくのが見えた。電車は並走する乗用車を追い越しながら徐々に加速し、一路都心へと向かうのだ。
「乃木くんの妹さんって、きっと可愛いいんでしょうね」
「可愛い? そ、そんなことないよ。普通だよ普通」
「でも、乃木くんに似てるんでしょう」
 俺にはあんまりというか、全然似てないような気がするな。あいつは完全に母親似で、俺はどちらかというと父親似だからな。つーか、俺に似てたら可愛いのか?
「まぁ、あいつは外見よりも中身の方に問題があるからね。最近なにを考えてるのかよくわかんないし……」
 鬼畜系エロゲーの趣味があったりとか、奴隷契約書にサインをさせられたりとか、夜中にベットに忍び込んできたりとか、ここ最近は兄の理解の範疇を軽く突破している。
「妹さんはお幾つなの?」
「十三歳だよ。来月で十四歳になるね」
「その年頃の女の子って、凄く多感で繊細な時期なのよ。私がその時の頃を思い出すわ。乃木くんも色々戸惑うことがあるかもしれないけど、できるだけ優しく接してあげて欲しいな」
 あれでも繊細というのだろうか? かなり図太いようにも思えるのだが。まぁ、うちの妹は特質系の能力者だから、一般論はまったく当て嵌らないような気がする。ましてや東郷さんと比べるなんて恐れ多すぎるっつーか。
「色々気は使ってるよ。なんせ今は俺しか保護者がいないからね」
「ご両親はいないの?」
「うん。親父が転勤になったから母親も一緒について行ったんだよ」
「そうなんだ」
 東郷さんは、得心いったように静かに頷いた。
「それだとなにかと大変ね。ご飯とかは妹さんが作ってるのかしら?」
「いや、俺が作ってるよ」
「乃木くん、料理できるんだ」
「まぁ人並みにはできるよ。その他の掃除や洗濯も全部俺がやってる。真帆奈はなーんもできないからね」
「そっか、偉いんだね」
 東郷さんに褒められた。
 なんだか背中のあたりが無性にムズムズしてくるな。
「べ、べつに偉いとかじゃなくて、俺しかやる人間がいないから仕方なくやってるだけだよ。真帆奈も少しは料理くらいできるようになってくれればいいんだけどね。あいつの将来が本当に心配だよ」
「ふふっ。乃木くんって、妹さんのことが好きなのね」
 やや揶揄する口調で東郷さんが言った。
「えっ!? そんな……や、藪から棒になに言ってるのさ。こっちは毎日、苦労させられてるんだから」
「だって妹さんの話しをしている時の乃木くんって、凄く嬉しそうな顔をしてるんですもの」
 マジデ! 
 俺ってそんな恥ずかしい顔して真帆奈のことをペラペラと話してたのか!?
「変なこと言わないでよ、東郷さん。そ、そんなこと全然ないんだからね!」
「ふふっ、ごめんなさいね」
 東郷さん、クスクスと楽しそうに笑っている。
 やべ、マジで可愛いな。クソッ。
「でも、嬉しそうな顔をしてるのは本当のことよ。乃木くんの妹さんが羨ましわ。私は一人っ子だから兄妹とか憧れちゃうな」
 まったく。誰でもかれでも俺のことをシスコン扱いするんだから。俺はシスコンじゃないっつーの。とにかくこの話題はちょっとマズイな。早急に会話を逸らさなければならないぞ。
「と、東郷さんは兄妹とかいないんだ?」
「そうよ。だから乃木くんみたいな優しいお兄さんが欲しかったわ」
 あうっ、強烈なカウンターが入った。
「もうっ、あんまりからかうのはやめてよ」
「からかっているつもりは全然ないわよ。全部本当のことですもの。ふふっ」
 つーか、たった今気付いたんだけど、俺と東郷さんって結構雰囲気よくね? 周りから見たら絶対にいいよね。もしかするとフラグ立ってるんじゃないかな。
 さっきから対面の男子高校生らしき人物が、しきりにこちらをチラチラと見ている。きっと内心では、そんな可愛い子と朝からイチャイチャしやがって、と歯ぎしりの一つでもしていることだろう。もしも立場が逆だったら、俺だってそう思うはずだから絶対に間違いない。なんだか軽い優越感が湧いてくるな。
 とはいえ、これ以上真帆奈の話をするのはよろしくない。なにかいい話題はないものだろうか。……あっ、そうだ。
「そういえば東郷さん、さっき小説読んでたけどなに読んでたの?」
「えっ、さっきの小説……えっと……」
 妙な反応だな。もしかして聞いたらまずかったのかな。
「いや、べつに言いたくないんだったら無理して言わなくてもいいんだけど」
「そんなことないのよ。実はこれなんだけど……」
 東郷さんは、鞄の中にしまっていた先程の小説を渡してくれた。
 小説にはカバーがしてあったので、中を開いて確認してみるとあら吃驚。
 なんとライトノベルだった。
『烙印の紋章』
 中世ヨーロッパ風のファンタジーで、主人公の若い奴隷剣闘士が魔法によってその国の王子と瓜二つに整形され、クーデターを企む貴族達に利用される。が、主人公は頭が切れ、オマケに戦争の天賦の才まで持っていたため、逆に貴族たちを利用し本物の王子として成り上がっていくというお話だ。
 俺もゴゾゴゾと自分の鞄をあさり、一冊の本を取り出して東郷さんに見せた。
「ジャーン!」
「あっ!」
 まったく同じ本――『烙印の紋章』の新刊だった。
「ふふっ……」
「アハハ……」
 奇しくも同じ本を読んでいた俺達は、顔を見合わせて一緒に吹き出してしまった。
「東郷さんがこういう本を読んでるなんて意外だね」
 てっきり東郷さんなら、もっとお固い純文学なんかを読んでいるのかと思ってたよ。
「乃木くんも読んでたんだね。よかった。子供っぽいって笑われちゃうかもって思ったから――あっ、べ、べつに乃木くんが子供っぽいってことじゃないのよ」
 失礼なことを言ってしまったと思ったらしく、東郷さんは慌てて訂正する。
「わかってるから大丈夫だよ。だいたい俺は読んでなかったとしても人の趣味を笑ったりはしないよ。小説なんて面白ければなに読んだっていいんだから」
「……そうよね。ありがとう、乃木くん」
「い、いいんだよべつに」
 メガネの奥の彼女の瞳は優しく澄み切っており、見詰められてしまうとかなり恥ずかしかった。
「東郷さんは、他にどんな本を読むの?」
「私、本が好きだから、あまりジャンルにこだわらないで読むのよ。最近読んだのは、ジェイムズ・ジョイスの『フィネガンズ・ウェイク』とか、塩野七生の『わが友マキアヴェッリ』とか、『ラブクラフト全集』とか、『ゼロの使い魔』とかかしら」
 本当にこだわりがないようだ。
 本人にそのつもりはないのだろうが、みごとに最後でオチている。一度、東郷さんの家の本棚を見てみたいものだ。もの凄く混沌のような気がする。
「俺も『ゼロの使い魔』だけは読んでるよ。あれ面白いよね」
 デルフも生き返ったしな。
 つーか、最初の本は聞いたことすらないよ。
「でもそんなに色々読んでるのって凄いね。もしかして自分でも小説とか書いたりする人だったりして」
「えええっ!!」
 吃驚した。
 なにげなく聞いただけなのに、東郷さんの驚き方はハンパなかった。車内の人達も不審な目でこちらを見ている。まるで俺がおかしなことでもしたかのように……。
「あっ、ごめんなさい……」
「えっと……なにかあったの?」
「な、なんでもないのよ。気にしないで。急に大きな声を出してごめんなさいね」
 東郷さんがなぜあんなに驚いたのか少し気になったが、そんなことよりも恥ずかしそうに頬を染めている彼女が可愛すぎてもうそれどころではなかった。
「い、いや、なにも気にしてないから。ハハハ……」
 思えば東郷さんとこんなに会話をするのはあの日以来だった。それ以降は、ほとんど挨拶か、よくて二、三言くらい会話をするだけだった。できることなら、このまま電車が環状線になって永遠に回り続けてくれればいいのに、と思わずにはいられなかった。
 が、もちろんそんなことが起こるはずもなく、無常にも電車は数分の遅れもなく目的の駅へと到着するのだった。


『今日のお弁当も美味しいよー。お兄ちゃんの愛情がいっぱいだよー』
 昼休みになると早速、真帆奈からメールが来た。
 添付されていたファイルを開けると、麗ちゃんと一緒に弁当を食べている画像だった。
 とうとう恐れていた真帆奈のメール病が再発してしまった。
 このメールで本日もう二十通目だ。
 以前にあんまりしつこくメールをしてくると着信拒否にするぞ、と忠告してから少しは減っていたのだが、先日の一件でどうやら箍が外れてしまったらしい。緊急時に備えて本当に着信拒否にするわけにもいかず、また無視して返信しなければもの凄い勢いで拗ねるので後々めんどくさいのだ。
「なんだ。また愛しの真帆奈ちゃんからラブメールか?」
 サンドイッチを齧りながら悪友の黒木貴史が言った。
 まるでメールの内容を知っているかのような口振りだった。
「アホか。そんなんじゃねーよ」
「じゃぁ誰からのメールなんだよ?」
「……」
「ほら見ろ。やっぱり真帆奈ちゃんからじゃねーか」
「だ、だから、ラブメールとかそういうんじゃないって言ってるんだよ」
「だったらメールを見せろよ」
「それは断固として断る!」
 とても人に読ませることができる内容ではないので、俺は激しく拒否した。
「お前は我々の聖天使、真帆奈ちゃんを独り占めする気か! なんと罪深い男だ! お前なんかメギドの雷に撃たれてショック死してしまえ!」
 我々ってどこのどいつらのことだよ。もしかして真帆奈関係でおかしな団体でも作りやがったのか? この男も色々と正体不明なところがあるからな。
 実は先日、こいつと一緒に聖地巡礼に行った時にこんなことがあった。

「やぁ藤井くん。しばらく」
「これはこれは黒木閣下ではございませんか! いらっしゃるのならば一言ご連絡下されれば、こちらからお迎えに参上つかまつりましたのに!」
「いやいや、気にしないでいいから」
「すぐにVIPルームをご用意いたしますので、暫くお待ちいただけますでしょうか」
「いや、今日はちょっと友人と買い物に来ただけだから、楽にしいて構わないよ」
「そうでございましたか。どうぞごゆっくりお楽しみ下さいませ。それで、こちらの方は同志の一員でございますでしょうか……?」
「ああ、彼は将来の幹部候補だ」
「そうでございましたか! 乃木様でいらっしゃいますか。わたくしコミックと○のあな秋葉原店の店長をやっております藤井と申します。マイスターには日頃からそれはもう大変お世話になっております。むさ苦しいところではございますが、どうかごゆるりとお寛ぎ下さいませ。もしなにかございましたら、この不肖藤井めに遠慮なくお申し付け下さい。ラトゥ、プライ、ヴェルヘル……」

 と、だいたいこんな感じだった。
 普段あんまり聞かない単語やあやしげな呪文まで飛び出す始末で、「いいかげんにしろ!」と喉仏辺りまでツッコミが出かかっていたのだが、もうあえて我慢した。つーか、勝手に俺を同志とやらの一員にするのだけは金輪際やめてもらいたい。
 で、またメールが来た。
 ややうんざりしながら確認すると、当然ながら真帆奈からだった。
『学校だとお兄ちゃんに会えなくて寂しいよー。早くお兄ちゃんに会いたいよー。学校が終わったら寄り道しないで、一刻も早く真帆奈とお兄ちゃんの愛の巣に帰ってきてね』
 そんないかがわしい巣を作った覚えは一切ない。
 黒木の冷たい視線が身体に染みる。
「と、ところで黒木よ。お前はゴールデンウィークの予定は決まっているのか?」
「ああ、旅行に行くことになっている」
「へー、どこに行くんだよ」
「熱海だ」
 なるほど。
 彼女と仲良く熱海旅行イベントというわけだ。
「なんだったらお前も一緒に来るか? ダブルデートということでもべつに構わんぞ。もちろん泊まる部屋は別々になるがな」
「いや、遠慮しとくよ。邪魔しちゃ悪いからな。二人っきりで仲良く行ってくれ」
 ぐっと涙を堪えながら俺は言った。
「そうか、気を使わせて悪いな」
「いや、いいんだよ。俺もその時は旅行に行くかもしれんからな」
 そろそろ五月会の行き先をちゃんと決めないといけないよな。週末に色々あったからすっかり忘れてたよ。ちなみに五月会の説明を簡単にしておくと、うちの近所の五月生まれのみんなで一緒に遊びに行く会のことだ。今年は暫定的に温泉に行くと決定している。果たして今からでも宿は取れるのだろうか?
 で、またまたメールだ。
『言い忘れてたけど、今日はお兄ちゃんのだい好きな縞々にしたからね♡』
 添付ファイルを開けるとさぁ大変。
 たくし上げたスカートから丸見えになった、真帆奈の縞々パンティー画像だった。
「ブーーッ」
 お茶吹いた。
「お前はなにをやってるんだ?」
「ゴホッ、ゴホッ、す、すまん……」
 女の子がこんないやらしいメールを送ってきて! もうっ、ダメなんだからね! 家に帰ったら絶対に説教してやるんだから!
 と思ってたら、今度は麗ちゃんからメールだった。
『おにーさんは縞々が好きだったんですね。それならそうともっと早く言ってくれればよかったのに。私も幾つか持ってますから、今度、ドッキリ縞々画像を送っちゃいますね♡』
 麗ちゃん、頼むから真帆奈が馬鹿なことしてたらすぐに止めてよ!
「お前はいいご身分だな」
「だ、だから、そんなんじゃねーってばよ!」
 俺の悲痛な叫び声が教室に木霊した。

 
「もうっ、そんなにくっついたらご飯作れないよ」
「えー、いいじゃない。真帆奈は、ちゃんとお兄ちゃん分を充電しておかないと生きていけないのだ。エヘヘ……」
 後ろからギューっと出っ張りのない胸を押し付けてくる真帆奈。
 お前はコアラか。
 はっきり言って邪魔で仕方がない。
「もうそのお兄ちゃん分とやらは、充分に充電できたんじゃないのか?」
 家に帰ってきたら真帆奈はずっとこんな感じで、カルガモの雛のように俺の後ろにくっついて離れてくれないのだ。まぁ、べつに嫌ってわけじゃないんだけど、兄妹でここまで肉体的スキンシップを取るのは流石にやり過ぎだと思う。
「こんなんじゃ全然足りないんだよー。お兄ちゃんは真帆奈のことを甘く見過ぎなんだからね」
「……」
「これだとまだ10お兄ちゃんポイントしか充電できてないんだよ。満タンまで溜めるには後990お兄ちゃんポイントも残ってるんだからね」
「1000ポイントで満タンなの!?」
 もう夕方からずっとこんな状態なのに、まだ10ポイントしか溜まってないとか遅すぎだろ。
「それは接触の問題なんだよ。直接に素肌と素肌をムニムニ〜とさせて、粘膜と粘膜をムチュチュ〜ってすると、もーっと充電が速くなるんだけどなー」
 粘膜と粘膜をムチュチュ〜って、いったいなにをするのさ?
「これでいいです……」
「えー、なんでなんでー。ムチュチュ〜ってすればいいのにー」
 妹の意味不明な発言は無視して、俺は夕方から煮込んでいるデミグラスソースの味見をしてみた。
 うん、美味い。
 デミグラスソースは奥が深い。手間をかければかけるほど美味しくなるし、具材を変えることによって自分ごのみの味に仕上げることができるのだ。もっともその微妙なさじ加減が難しいのだが。
「いい匂い〜。真帆奈も味見するー」
 アーンと雛鳥のようにお口を開けて餌を待つ真帆奈。
「はいはい。ほれっ」
「はむっ……んんっ! 美味しいーっ! お店で食べるのよりも美味しいよー」
「うん。今日のデミは我ながらいいできだな」
 飴色になるまで炒めたタマネギと隠し味にコーヒを入れてみたのがよかったようだ。デミから程良い甘さとコクが滲み出ている。レシピに書き足しておこう。
 それではソースもできたことですし、そろそろ夕飯作りに取りかかることにしよう。
 本日の夕飯のメニューは、ふわとろオムライスだ。
 フライパンにオリーブオイルをたっぷりと垂らしたら、みじん切りしたタマネギとピーマンとコーンと鶏肉を入れて炒める。ある程度火が通ったら白ワインを入れてからケチャップ。ご飯を投入する前にケチャップを入れるのがポイントなのだ。こうするとできあがり時にべちゃっとならない。後は塩と胡椒で味を整えたら、チキンライスのできあがりだ。
 さて、次はオムライスの魂ともいうべき卵だ。大胆に四個使う。熱したフライパンにバターを入れて溶かし、すぐに卵を加えて一気に掻き混ぜる。そして半熟のうちに上手く形を整え、ふわふわのオムレツを作るのだ。
「真帆奈、お皿出してー」
「はぁ〜い」
 お皿に盛ったチキンライスの上にオムレツを乗せ、真ん中からぱかりと割ってふんわりと開き、先程のデミグラスソースをたっぷりとかけたら、特製ふわとろオムライスの完成で〜す。
「はうー、美味しそ〜〜う!!」
 涎を垂らさんばかりに大興奮の真帆奈。
 こいつはオムライス好きだもんな。つーか、真帆奈が好きなものばかり作ってるんだけどね。いつも美味しそうに食べてくれるから作りがいもあるよ。
「食べていい。食べていい」
「待って。スープ用意するから」
 野菜たっぷりのコンソメスープも用意しておいた。
 ちゃんと栄養にも気を使っておかないとな。
「はい。じゃあいただきます」
「いただきま〜す!」
 俺達兄妹は、光の速さでオムライスを胃袋の中へと収めた。
 で、食後はゆっくりと紅茶の時間。
 俺は砂糖を少々、真帆奈は太らない体質をいいことに、砂糖とミルクをたっぷりと入れて味わっている。
 真帆奈はかなりの健啖家のくせに、華奢でほっそりとした体型を維持している。なにか特別な運動をしているわけではないんだけどな。帰宅部だし。摂取したカロリーは、いったいどこに行くのだろうか? 少なくとも胸でないのだけは確だ。
「ところでお兄ちゃん、あのゲームやった?」
「……あのゲームって?」
「えー、昨日貸してあげたじゃない」
 やっぱりアレか……。
 これは神ゲーだからお兄ちゃんにもして欲しいの! ということで、鬼畜エロゲー『レイプ!&レイプ!&レイプ!』を真帆奈から無理矢理に借りさせられたのだ。妹から鬼畜ゲームを借りる兄の気持ちなんて、皆さんにはわかってもらえないだろうな。
「うん……まぁ、少しはやったけどな……」
「お兄ちゃんはあのゲームをやって、ご主人様のなんたるかを勉強したほうがいいと思うの」
 いったい俺になんの勉強をさせたいというのだろうか? タイトルのとおり主人公が永遠に女の子達を乱暴していく内容だというのに。
 ぶっちゃけていうと、はやり俺の肌には鬼畜ゲーは合わないようだ。シナリオライターの中の人は、いったいなにを考えて書いてるのだろうか。常人には想像もつかないようなありとあらゆるレイプのバリエーションの数々に、呆れるよりもむしろ感心してしまったよ。某批評空間を見てみると、最近デビューした新進気鋭のエロゲーライターが書いたらしく、名前はサモ・ハン・きんもーっ☆とかいうふざけたペンネームだった。しかし、エロゲーファン達からはかなりの高評価を得ているようで、そちらの業界でも将来を期待されているらしい。
「お前はあのゲームをクリアーしたんだよな……?」
「もちろんしたに決まってるよ! 神ゲーだったよね。えっとねー、ザビエール正岡がね――」
「い、いやっ、説明はいいよ! 自分でやる時の楽しみにしとくよ」
 熱くエロゲー論を語り始めようとする真帆奈を危うく制した。
 黒木とならばともかく、実の妹とエロゲー談義なんてしたくないよ。
「そっか〜。他にもお兄ちゃんが好きそうなゲームがいっぱいあるから、やりたくなったらいつでも真帆奈に言ってね」
 いったいこいつは兄をどんな属性持ちだと思っているのだろうか? 
 俺は、鬼畜ゲームが好きだーっ! などと一度もカミングアウトしたことはないのだがな。
「う、うん。わかったよ……」
「どこに行くの?」
「トイレだよ」
 一緒に居づらいのでトイレにでも一時避難しよう、と俺は席を立った。
 真帆奈は例の一件以来、完全に開き直ってしまい、エロゲー趣味を隠そうともしなくなった。できればそういことは隠れてこそこそとやって欲しいんだけどね。なにがあってもお前の味方だ! と公言した手前、今更そんなゲームはやめろとも言い辛い。かといって、子供の頃からあんな過激なゲームばかりをさせるのは、やはり情操教育的にもまずいと思う。つーか、十八禁だからな。本来はしたら駄目なんだよね。さて、いったいどうしたもんだろうか……。
「……ところでなんだけど、なんで一緒に入ってくるの?」
 俺が席を立ったら真帆奈が黙って後ろから付いて来たので、てっきりそのまま自分の部屋に戻るのかと思っていたのだが、一緒にトイレの中にまで入ってきやがった。
 で、トンデモナイことをおっしゃいました。
「えっ、だって……真帆奈にオシッコを飲ませるんじゃないの?」
「飲ませないよそんな物!!」
 いったいなにを言い出すの、この妹は!!
「えっ、飲ませないの? なんで?」
 小首を傾げて可愛らしい天使のようにキョトンの真帆奈。
 とても今、オシッコを飲むと発言した少女には見えない。
「なんでじゃないでしょう! そんなもんを妹に飲ませる兄がいったいどこの世界にいるのよ!? だいたいオシッコなんか飲めないでしょう!」
「そんなことないよ! お兄ちゃんのオシッコだったらがんばれば真帆奈はきっと飲めるよ! だから清水の舞台から飛び降りるつもりでもうチャレンジしてみるよ!」
「そんな馬鹿なことをチャレンジしなくていいよ! もうっ! 絶対にオシッコなんか飲ませないんだからねっ!!」
 老廃物が濾過された物なんだから! 興味本位で飲んだりしたら絶対に身体に悪いんだから!
「もうっ、早く出ていって!」
「えー、なんでなんでー!? 真帆奈はお兄ちゃんのおトイレのお世話をするのー!」
 真帆奈は、便器にしがみついてテコでも動こうとしない。
 汚いからやめなさい。
「いいからさっさと出る!」
「いやー、お兄ちゃんのオシッコ飲むー!」
 無理矢理便器から引っペがし、変態妹をトイレの外に放り出して鍵をかけた。
「うー! なんでお兄ちゃんはそうやって真帆奈のお仕事の邪魔ばっかりするのー! こんなの悪質な職務妨害なんだよー!」
「そんなブラックすぎる仕事は今すぐに辞めなさい!」
 未成年女子にエロゲーをやらせると、精神衛生上、悪影響を及ぼすことが立証されてしまった。ごめん。親父、お袋……俺の責任だ……。
 真帆奈は外からドアノブをガチャガチャやって大騒ぎしている。
 そんな落ち着かない中で、俺は便器に座り用を足すことにした。できればトイレくらいは、静かな環境で行いたいものだった。


「うーん。やっぱり宿がないな……」
 五月会での行き先を具体的に決めるべく、ネットを駆使して片っ端から温泉旅館やホテルを探してみたのだが、やはりゴールデンウィークはどこも予約でいっぱいのようだった。
 さて、どうしたものだろうか。みんな結構乗り気だったし今更中止もないよな。うーん、とりあえず雫にでも相談してみるか。
 で、要件を書いて雫にメール送信。
 すぐに返信が来た。
『さすがに時期が悪いと私も思ってたのよ。で、どうすんのよ?』
 真向かいに住んでいる幼なじみ件腐れ縁の児玉雫のメールは、いつも簡潔な内容で絵文字もなにもなく、女の子からのメールとは思えない代物だった。その理由は実に簡単で、絵文字の使い方を知らないからだったりする。要するにこいつはトコトン機械オンチなのだ。俺が一週間に渡ってレクチャーしてやったおかげで、なんとかメールと電話だけはなんとかできるようになったのである。
『日帰りだったら行けると思うけど?』
『温泉、日帰りね。私は別に構わないけど、ちょっと忙しいわよね』
『そうだよなー。どこか別の場所に遊びに行くか?』
『私達だけで勝手に決めるのもどうかしらね』
『なら今度俺の家にみんなで集まって決めるか?』
『そうしましょう。都合がいい日を探しておくわ』
『おk』
 こうして色気も味気もないメールのやり取りが終わった。
 話が早いのは楽でいいのだが、もう少しなにかないもんかなとか思ったりもする。世間一般的な幼馴染って、みんなこんなもんなのだろうか。
 時計を確認してみると、午後九時になるところだった。そろそろ真帆奈が風呂から出てくる時間だ。かれこれもう一時間以上の長風呂になる。真帆奈は昔から風呂が好きなのだ。温泉に行くのも楽しみにしてたんだろうなと思うと、ちょっとかわいそうな気がしてきた。
「お兄ちゃん、お風呂空いたよー」
 予想通り風呂から上がった真帆奈が、いつも通りノックをしないで俺の部屋に入って来た。
「ブーッ! ま、またそんな格好して!」
 真帆奈は、バスタオルを身体に巻いただけのあられもない格好をしていた。
 茹だってピンク色に上気した乙女の柔肌はピチピチと健康的で、濡れた黒髪がその華奢な身体を覆うようにしっとりと張り付いていた。
「真帆奈はお風呂上りなんだから仕方ないよ」
「パジャマを着てから脱衣所から出てくればいいじゃない!」
「ぷぷっ、もうお兄ちゃんったら、そんなに照れちゃって。ホントに可愛いんだから」
 真帆奈の口角が妖しく釣り上がる。
「真帆奈はね、お風呂に入りながら一人でじっくりと考えたんだよ。そして気付いたんだよ。真帆奈とお兄ちゃんの間には、あまりにも刺激がなさすぎるって」
「いやいや、充分に刺激はあるだろ」
 お釣りが出るくらいのスリルとサスペンスだよ。
「お兄ちゃんはもっと正直になるべきだよ。その心の中に溜め込んでいるドス黒い欲望の塊を我慢しないで、一度、真帆奈に思う存分ぶつけてみるべきだよ。妹は兄の欲望を受け止めるために存在してるんだからね」
 それは全国の妹から抗議が来る発言だぞ。
「そんな塊はないですから。お前はいったい俺をなんだと思ってるんだ?」
「もっと刺激さえあれば、お兄ちゃんだって飢えた狼のように赤ずきんちゃんをぱくーりと食べちゃうに決まってるんだよ」
 真帆奈の繊手が、ほんのささやかに隆起する胸元のバスタオルの端を掴んだ。
 いつでもどぱぁーっといけますよ的な体勢だ。
 もちろん俺の取る行動は至極簡単。
「いいかげんにしなさい」
 真帆奈の両頬をムギューと抓り上げた。
「いひゃい、いひゃい、にゃんれそんらころするろぉーっ!」
「お前の色気もおっぱいもなんにもない裸なんか見たくもなんともないんだよ」
「ひ、ひろい! にゃ、にゃんれひろいこというろーっ!」
「いつまでもそんな格好してると風邪を引くから、さっさと部屋に戻って服を着る」
 バスタオル姿の妹を部屋から放り出してドアを閉めた。
「う〜〜!! お、お、お兄ちゃんのばかぁーっ! ワ〜ン!!」
 真帆奈は、泣きながら自分の部屋に退散した。
 べ、べつに風呂上りの妹の生肌を見てドキドキなんてしてないんだからね! そんなの兄として許されないんだから! まったく、もうっ! 今晩は不審者が室内に忍び込めないように、ドアにバリケードを敷いて寝ることにしよう。あー、めんどくさ。
  

 本日、天気晴朗なれど風強し。
 随分と気温が上がってきたとはいえ、北東から吹きつける早朝の風は、まだ身を切るように冷たかった。向かいのホームの女子高生の短すぎるスカートがその悪戯で空を舞う。中身の可憐な純白を網膜カメラですかさず激写した。
 カシャッ、カシャッ。
 脳内ハードディスクに保管完了。
 風の強い日はこんな思いもかけない幸運が起きたりするので、常に索敵を密にする必要があるのだ。と、そんな益体もないこと考えながら、俺はいつもの時間にいつもの電車を待っていた。
 そういえば、昨日は東郷さんとばったり電車の中で会ったんだよな。東郷さんの意外な一面を知ることができたりして、退屈な登校時間が一転して有意義な時間になったものだった。噂に聞く学園の東郷ファンクラブの連中が聞けば、血の涙を流しながらさぞかし羨ましがることだろう。まぁ、今日はもう会わないだろうけどな。昨日は東郷さんが日直だったから、たまたま早く登校してただけだし。
 やたらと声のいい駅員のアナウンスから少し間を置いて、電車がホームにゆっくりと侵入してきた。目の前で車両が停車し自動ドアが開く。俺はいつも通り先頭車両に乗り込み指定席に座ろうと歩を進めたところで、ある人物から声を掛けられた。
「おはよう、乃木くん」
「あれっ? 東郷さん!?」
 なぜか昨日と同じく東郷さんと出会ってしまった。
「えっと……今日は日直じゃないよね? なんでいるの?」
「私がいたら迷惑だったかしら?」
「そ、そんなことは決してまったく全然ないです!」
「ふふっ、ごめんなさい。少し意地悪な言い方だったね」
 東郷さんは微笑しながら、手に持っている高級そうなシステム手帳を鞄の中に仕舞った。
「私も乃木くんみたいに早起きするのもいいかなって思ったのよ。だから昨日はずっと早く寝ちゃった」
 ペロっと悪戯っ子みたいに舌を出す東郷さん。
 その仕草は、ちょっと我を失ってしまいそうになるほど可愛かった。
「そ、そうなんだ……」
 ちょっと待てよ。ということはもしかして、これから毎日ここで会ったりして一緒に学校に行っちゃったりとかするのか。ちょっ、ほ、本当にいいのか? 朝からJKの純白を拝めたり、今日も東郷さんと一緒に学校に行けたりで、もう一生分の幸福を使い果たしそうな勢いだぞ。
「乃木くん」
「は、はいっ」
「とりあえず座ったら」
「うん、ありがとう……」
 半人分の空間を空けて、俺は東郷さんの隣の席に腰を降ろした。
 出発進行の笛の音がホームに響く。
 ドアが閉まると、電車は静かにホームを離れた。
 さて、いったいなんの話をしたらいいのだろうか? よくよく考えてみると、俺は今時のJKを歓ばせるようなウィットに富んだ会話術なんぞ持ち合わせてないぞ。ヤバイよ、ヤバイよ、俺。無言のまま気まずい時間を過ごすのだけは勘弁だ。早急になにか気の利いた話題を探さなければならない。
「えっと……きょ、今日はいい天気だね」
「そうね。いい天気ね」
 終了。
 うーん、困ったな……。
「乃木くんは、私達が初めて会った日のことを覚えてる?」
 ありがたいことに、東郷さんの方から話を振ってくれた。
「えっ、う、うん。覚えてるよ。軍神広瀬中佐を拾った時のことだよね?」
「そっか……覚えてくれてたんだね」
「そりゃ覚えてるよ。結局、自己紹介もなにもしないままだったけどね。ほらっ、東郷さんは有名人だから」
 一度、東郷さんを見て忘れる人間など極少数派だろう。それほど印象に残るというよりも、脳裏に焼き付いてしまうのだ。
「ふふっ。軍神広瀬中佐って、いつ聞いてもすごい名前よね」
「そうだね。凄いネーミングセンスだよね」
 俺達は、昔を懐かしむように共に笑った。
 軍神広瀬中佐。
 いったい誰のことだよ! とポカーンだったろうが、実はこれは犬の名前だ。
 いい機会だから、俺と東郷さんの初めての出会いを少し語ってみよう。

 その日は雪が降っていてとても寒い日だった。
 学校が終わって駅に向かっている途中で、俺は雪の上にうずくまっている一匹の子犬と出会った。首輪をしていたので飼い犬とすぐにわかったのだが、飼い主が見当たらない。どうやら迷子のようだ。よく観察してみると、どうも元気がない。このまま放って帰りもしものことが起きたらかわいそうなので、飼い主が捜しに来るまでその子犬を見ててやることにした。
 暫く待ってみたが、いつまで経っても飼い主は現れない。
 子犬はクゥーンと悲しそうな声を出し、どんどん元気がなくなっていくように見えた。
 寒いのだろうかと思い、俺はその子犬を拾って温めてあげることにした。
 その時だった。
「その子、どうかしたの?」
 心配そうに子犬を見詰める美少女が一人。
 東郷さんだった。
 同じ学年にもの凄い美人がいると噂では知っていたのだが、その当時はクラスが違うので俺達はまったく面識がなかった。
 こんな綺麗な女の子に突然に声を掛けられ、俺はドギマギしながら子犬を拾った経緯を説明した。
「もしかして、お腹が空いてるんじゃないかしら?」
 東郷さんは言った。
 なるほど!
 こんな簡単なことに、なぜ今まで気づかなかったのだろうか?
 東郷さんに暫くの間だけ子犬の面倒を任せると、俺は近くのコンビニにダッシュ。すぐに戻り購入したドッグフードをその子犬に与えると、そいつはものすご勢いで食べ始めた。どうやら本当に空腹だったようだ。お腹がいっぱいになった子犬は、先程までとは見違えて元気になり、「アンッ! アンッ!」と尻尾を振って俺にじゃれついてくる。実に可愛らしい。
 元気になってよかった、と俺と東郷さんは二人で歓んだのだが、肝心の飼い主が一向に現れる気配がなかった。このまま待っていても埒があかないので、いったん家に連れて帰ろうと思ったところで、
「軍神! 軍神!」
 と、奇抜なゴスロリの格好をした少女が叫んでいるのを発見した。
 もちろんこの時は、まさか子犬の名前を読んでいるとは夢にも思わなかった。大変な人がいるなー、と俺と東郷さんは無言で目を見合わせ、あまり関わらないでおこうとその少女から距離を空けようとした。
 が、そのゴスロリ少女はこちらを目ざとく見つけると、
「軍神! こんなところにいたの!! ああっ、軍神! 軍神!」
 と、弾丸のように走りこんで来、ひしっと涙ながらに子犬を抱きしめた。
「えっ、もしかして君の犬?」
「はいっ! この子は私の軍神です! 軍神広瀬中佐ですぅーっ!!」
 軍神広瀬中佐の飼い主であるゴスロリ少女の名前は、野津愛恋。
 後にわかったのことだが、彼女はうちの学園の生徒でなんと同じ学年だった。
 なんでも軍神は昨晩から行方不明だったそうで、野津さんは学校を休んでずっと軍神を探していたらしい。彼女は雪の積もった地面に額を擦り付けんばかりに礼をしてから、子犬を大切そうに抱いて帰って行った。
「アンッ! アンッ!!」
 軍神は嬉しそうにこちらに顔を向け、姿が見えなくなるまで一生懸命に吠え続けていた。
 俺にはまるで、「ありがとう!」と言っているように思えた。

 と、まぁこんなにいい話があったのだ。
 その後、俺と東郷さんはなんの接点もない学園生活を送るが、ニ年生の時のクラス替えで偶然にも一緒になった。まぁ、同じクラスなったからといっても、関係が進展するようなことは今までなにもなかったのだが。こちらからしゃべりかけるのも恐れ多いので、俺にとって彼女はただ遠くから眺めるだけの存在だった。
 ちなみにゴスロリ少女、野津愛恋は隣のA組に、彼女の双子の姉である野津恋愛は俺と同じB組に在籍している。実にややこしい名前でわかりづらいのだが、この双子の違いは一目見ればわかる。姉の野津恋愛は指定の制服だが、妹の野津愛恋はゴスロリで登校している猛者だからだ。うちの学園は私服登校が許可されており校則も緩いのだが、正直、ゴスロリまで許可されているとは夢にも思わなかった。
「乃木くんは優しいよね。子犬をあんなに親身になって助けてあげる人なんて、今時あんまりいないわよ」
「そんなことないよ。普通だって。東郷さんも助けてあげてたじゃない」
「軍神もあんなに歓んで乃木くんに懐いてたし。知ってる? 犬って本能で心の優しい人がわかるものなのよ」
 まるで褒め殺しだ。これ以上は照れるからやめて欲しい。
「そ、そんなに褒めてもなにも出ないんだからねっ。そうだ。軍神はあれから元気らしいよ。妹の方の野津さんが言ってたから」
 あれ以来、放課後にゴスロリ少女に捕まり、永遠と犬の話を聞かされることがままある。彼女は根っからの犬好きで、軍神以外にも多くの犬を飼っているそうだ。
「よかったわね。全部、乃木くんのおかげよ」
「だ、だからそれはもういいのに」
 東郷さんはもうとっくに忘れてると思ってたけど、意外なところで好感度がアップしていたわけだ。やっぱりたまにはいいことやっとくもんだな。
「ふふふっ」
 愛らしいえくぼを出して花が開くように笑う東郷さん。
 無性にそのえくぼを指でプニッとしたい衝動に駆られた。
 必死で堪えたけどな。
 そんな様々な思いを乗せて電車は走る。
 昨日よりも、東郷さんとは一歩近い関係になれたような気がした。
 

「ちょっと涼介。アンタ、今日の英語の宿題やってきてる?」
 一限目の授業が終わって声を掛けてきたのは、昨晩のメール相手――児玉雫だった。
 茶色の髪を肩まで伸ばし、やや勝気そうな表情をした麗しの幼馴染様は、相変わらずの動きやすいジャージ姿。猫科の動物のような贅肉一つないしなやかで引き締まった体形をしており、この年頃の女子の平均身長よりも五センチほど背が高い。が、大変残念なことに、胸の方は平均サイズを大きく下回ってしまうだろう。
「やってきてるよ」
「ごめん、写させて。なんか今日、私が当たりそうなのよね」
 両手を合わせてお願いのポーズの雫。
「なんだまたかよ……。ちゃんと自分でやらないと身に付かないんだぞ」
「うっ、だ、だって仕方ないじゃない。部活だけで体力全部使い果たしちゃうんだから。帰ってから勉強するような元気なんて残ってないのよっ」
 女子バスケ部の練習は厳しいって有名だ。そのせいもあってか、うちの学園は県内でも指折りの強豪チームなのだ。雫は二年生エースとして周囲から期待されている。こいつは昔からバスケに限らずどんなスポーツをやらせても拔群だった。おそらく大脳よりも小脳の方が発達しているのだろう。
「アンタと話してると不意に首を締め上げたい衝動に駆られてしまうのは、いったいなぜなのかしらね?」
 どうやら小脳が発達しすぎると、テレパスの能力が備わってしまうようだ。
「暴力は反対だから。はい、ちゃんと返してよね」
「ありがとう、恩に着るわ。そ、それでなんだけど……」
 なぜだかわからないが、雫は周りを気にしながらヒソヒソと小声で話し始める。
「実はゴールデンウィークの最初に部活の合宿が入っちゃったのよ」
「なるほど。で、どうすんのよ?」
 俺も釣られて小声で話してしまう。
 傍から見ると、内緒話をしているように映るかもしれない。
「それでなんだけど――」
「これはこれは、幼なじみでなにかの悪巧みですかな」
 雫の言葉を遮るように登場したのは黒木だった。
「チッ!」
 あからさまに不機嫌な顔になって舌打ちする雫さん。
 この二人の相性は、巨人ファンと阪神ファンくらい悪いのだ。
「はぁ? なにが悪巧みよ。バカじゃないの。つーか、アンタには全然関係ない話だから。さっさと自分の席に戻って、ラブプラスとかいう気持ち悪いゲームでも一人でやってれば」
「き、貴様! 俺のことだけならまだしも、俺の寧々さんを侮辱することは断じて許さんぞ!!」
「うわっ、キモッ。なにネネさんって? どうせゲームに出てくるいやらしい女の子のことでしょう。あんなのどこぞの気持ち悪オッサン達が勝手に創り上げたバーチャルなもんなんだから」
「寧々さんはいやらしくなどないっ! 貴様よりも遥かに可憐で清楚な女性だ! だいたい寧々さんは俺の心の中に実在する!」
 恐ろしくレベルの低い口論がヒートアップしていく。
 クラスの連中も、またか……、と半ば呆れモード。
「乃木! 貴様もなんとか言ってやれ! このわからず屋の女は、我々の永遠の嫁にありもしない誹謗中傷を繰り返しているのだぞ!」
 俺はどちらかというと愛花派だから。出来れば髪の毛は切らないで欲しかったけどな。
「涼介、まさかアンタまであんないかがわしいゲームしてんの! いい加減にしときなさいよね! 幼馴染としてホントに情けないわ!」
「ゲームくらい好きにさせてくれよ……」
 雫は昔から潔癖なところがあるので少し困る。
「べつに悪巧みなんかしてねーよ。ちょっと旅行についての話をしてただけだから」
 黒木に説明してやったら、
「こ、こらっ、涼介! それを話したらダメじゃない!」
 と、雫が大慌てで俺の言葉を制しようとしてきた。
「なにっ! りょ、旅行だと!? まさか貴様ら二人だけで旅行に行くというのか!? なんたるハレンチ極まりないリア充だ!」
 黒木はリア充を蛇蝎のごとく嫌うのだ。
「アホか。二人でいくわけじゃ――」
「ふ、二人っきり行くわけがないでしょーがっ! ななな、なに言ってんのよアンタ!!」
 雫は見事なまでに顔を真っ赤に染め上げ、混乱のあまり目をグルグルさせている
 もう発情期のゴリラのような興奮状態だ。
「そそそ、そんな、も、もっと大人になってからじゃないと……だいたい、ま、まだ付き合ってもないのに……」
 で、完全に自分の世界に入り込んでしまった。
「おーい、雫さーん。戻っておいでー」
「はううっ! な、なによっ! 私とアンタはただの幼馴染なんだからねっ! 二人っきりで旅行するなんて、そ、そんなのまだ早すぎるんだからっ!! 勘違いとかしないでよねッ!!」
「しねーよ。つーか、さっさと宿題写さないと授業始まっちゃうぞ」
「あっ! と、とにかく旅行は大勢で行くんだから、変な誤解しないでよね! フンだ!」
 雫は最後に黒木に一瞥くれて、自分の席に戻った。
 で、女子バスケ部仲間の凸凹コンビにからからかわれている。
「なになに〜、雫〜。いつから乃木くんとそんな関係になってたのよ〜?」
「いいなーいいなー。私も彼氏と二人っきりで旅行した〜い」
「だだだっ、だから違うわよっ! もうっ!!」
 ああやってすぐにむきになるから、面白がってからかわれるのだというのに。
「それで、真相はどうなんだ?」
 黒木刑事の尋問を再開する。
「べつに真相なんかねーよ。ゴールデンウィークに真帆奈や雫の弟と一緒に遊びに行くだけだよ」
「なんだ二人だけで行くんじゃなかったのか?」
「そういうことだ」
 これで俺のリア充疑惑は晴れることになった。
 不意に視線を感じた。
 その方向を振り向いて見ると、自分の席でもくもくと手帳にメモをしている東郷さんがいた。
 あれっ、東郷さんがこちらを見てたような気がしたんだけど、気のせいかな? まぁ、今のやりとりを呆れて見てただけだろけど。でも、なんだろうか? 妙に粘っこい視線だったように思えたのだが……。
「おい、どうしたんだ?」
「い、いやっ、なんでもないよ」
 俺は、もう一度だけ東郷さんの方に視線を向けるのだった。

 
 光の速さでその日の放課後。
 そのおみ足の太さから巷でドムと渾名される大山由香里さんと図書委員会に出席した。なにを隠そう俺は図書委員なのである。別に好きで図書委員になったわけではない。たんにクジ引きで当たりを引いてしまっただけの話だ。
 委員会が終わると三時のおやつを食べそこねた相方の大山さんは、空腹に目を回しながらダッシュですき家に直行した。なんでも中学生だった頃から続けている日課だそうだ。本人曰く、すき家の特盛りを食べないと学校の授業が終わった気がしないらしい。
 人様の人生に口出しする気は毛頭ないのだが、流石にそれは生き方が間違っていると思う。
 少々時間も遅くなったので、急いで家に帰ろうと思った矢先だった。現国の宿題があったことをふと思い出し、置き勉しているノートと教科書を取りに教室に戻ることにした。
 放課後の教室は、差し込む夕日に照らされ鮮やかなオレンジ色に染まり、まるで幻想的な異空間のように思えた。
 開いた窓から優しい風が流れこんでくる。
 どうやら本日の掃除当番が閉め忘れたようだ。
 俺はその窓を閉めようと歩を進めると、床に落ちているある物を発見した。
「あれ? これは……」
 それは、革製のピンク色をした高級そうなシステム手帳だった。
「東郷さんがこれと同じ手帳を持ってたような?」
 その手帳を拾い確認してみるが、どこにも本人を特定するような情報はない。ただ、東郷さんが何度かこれと似た手帳を使っているところを目撃しているので、おそらく彼女の持ち物であることは間違いないと思う。確証はないが。
「うーん、どうしたもんかな」
 もしこれが本当に東郷さんの手帳だとしたら、やはり中身が気になってしまう。
 その時、俺の耳元で尻尾の先っぽが尖った生き物が囁いた。
 ちょっとだけ中身を見ちゃえよ、と。
 もちろん他人の手帳を盗み読みするなど、プライバシーの侵害だとは百も承知。が、憧れの女の子の秘密を知りたくないのか、と蝙蝠のような翼を持った生物が耳元で囁いてくるのだ。
 なんという甘美な誘惑だろうか。
 チラッと中を見てすぐに先生にでも渡して帰れば、その行為は誰にも知られることはないだろう。
 気がつくと、俺はその手帳のボタンを外していた。
 いけないこととは重々承知している。だが、止まらない。走り出したらもう止まれないのだ。
 そして、恐る恐る手帳の開いて中を確認する。達筆すぎるほど美しい文字だった。その整然と等間隔に記された文字を見るだけで、書いた本人の几帳面な性格が垣間見える。プリクラや色ペンなどはいっさい使用されておらず、一見すると女の子が書いたようには思えない。我が家の無駄な落書きだらけの真帆奈のノートとは大違いだった。
 本当に東郷さんの手帳なのだろうか、とペラペラとページをめくっていると、気を引かざるを得ない単語を発見してしまった。
 『乃木くん』
 そんな見慣れた名前が記されていたのだ。
 眼の錯覚かと思い急いでページを戻り確認してみる。が、間違いなかった。紛れもなく俺の名前がしっかりと記されているではないか。どうやらこれは日記のようだが、なぜに俺が東郷さんの日記に出演してしまっているのだろうか。いや、もちろんこの手帳が東郷さんの持ち物だとはまだ決まったわけではないのだが、どうしてもその日記の内容が気になってしまう。
 俺は、ゴクリと生唾を飲んだ。
 なぜだかよくわからないが、これを読んでしまってはいけないような気がした。それは道義的な意味ではなく、生贄の烙印が疼くような、身に迫る危険を察知した意味において。生物としての本能が、今すぐに逃げろ! と叫んでいた。が、どうしても好奇心を押えることができなかった。好奇心は猫をも殺す。例えそんな言葉が頭の中に浮かんだいたしても……。
 俺は、自分の名前が記されていたその日記を読み始めた。

 ショーツの中にするりと優しい手が潜り込み、乃木くんは乱暴な手つきで加熱した秘所をまさぐってきた。
「……ッッ!」
 私は、零れ落ちそうになる嬌声を必死で堪えた。
「ふふっ、こんなにグショグショにして。東郷さんは電車の中で発情するようなエッチな娘だったの?」
 ボソボソと私の耳元で乃木くんが囁いてくる。
「そ、そんなことない」
「だって、こんなになってるんだよ。自分でもわかるよね? ほらっ、ココをこうしちゃうと……」
 そう言って彼は、私の一番敏感な部分の包皮をひん捲り、中身の肉真珠をキューッと摘んできた。
「あっ……!!」
 悦楽の電流が脊髄を突き抜ける。私は咄嗟に両手で口元をしっかりと塞ぎ、懸命に外に出そうになるエッチな声を口内に押し込めた。
 ここは満員電車の中。もしこんな場所でエッチな声を発してしまえば、周囲の人達にばれてしまうではないか。
 私は潤ませた瞳で、お願いもう許して……、と必死で訴えかける。が、乃木くんは行為をやめようとはしない。むしろ彼は嗜虐的な笑みを浮かべながら、その行為をエスカレートさせてくるのだ。
「んん……っ!!」
 後ろからブラジャーのホックを外され、痛いほど力強く乳房を鷲掴かみにされてしまった。
 ムギュッ、ムギュッ。
 何度も何度も乳房を揉み込まれ、先端の桜色までもが同じように弄ばれてしまう。
「乳首もこんなにコリコリになってるよ。本当はもっとして欲しいんでしょう。正直に言っちゃいなよ」
 まるでジャニー喜○川のような口調で、乃木くんは熱い吐息を私の耳朶に浴びせてくる。
 蒸したショーツの中では、はしたないほど過敏に勃起したクリトリスが何度も繰り返し指腹で押し潰されており、それがひしゃげるたびに私の鼻先では煌々と眩い火花が明滅した。
 こんな場所だというのに、ジャニー乃木くんに開発された私の肢体は悦び昂ぶり……いや、もう素直に認めてしまおう。こんな場所だからこそ、私はいつも以上に発情していたのだ。それが証拠に、蜜壷から流れ出るエッチなおつゆの量がもうハンパなかった。ぶっちゃけショーツは、お漏らしでもしたかのようにグショグショなのだ。
 微かにプーンと漂ってくる牝の香り。
 このままでは周りの人達にも私のエッチな匂いが嗅がれてしまう! と思った時、私は居ても立ってもいられないほどの激しい興奮を覚えた。
 膝頭がガクガクとわななき、もうまともに立っていることすらままならない。縋りつくように電車のドアに体重を預け、私はラブドールようにただ漫然とジャニー乃木くんの陵辱を受け続けた。
「もう我慢できない。東郷さん、挿れるよ……」
 スカートをぺろんとひん捲られ、ショーツまでもがずるっと下ろされてしまった。
 あろうことか、私は衆人環視の中でお尻丸出しの格好にさせられてしまったのだ。
 この瞬間、私の興奮は頂点を極めてしまう。
 そして、愛液でグチョグチョになった膣口に灼熱の硬棒がぐいっと押し付けられた。
 微かな淫音が密室の空間に漏れ聞こえた。
「えっ! そんな、こ、こんなところで!? ダ、ダメよ。そ、そんなの……あああっ!!」
 口ではなんだかんだと言いつつも、本当は乃木くんのチンポが欲しくて堪らない。
 牝犬の本領発揮だ。
 ズボボッッ!! 
 ペニスは潤った膣道を一気に貫通し、亀頭の先端が甘美に疼く子宮の入り口に激しく衝突した。
「くひひぃぃぃぃ……っっ!!」
 とうとう私は、満員の列車内で犯されてしまったのだ。

 ちょっとっ! この黒犬獣の同人誌みたいな展開はいったいなんなの!? 日記どころかもう完全にエロ小説じゃないですか! まぁ百歩譲ってエロ小説はべつにいいとしても、ジャニー乃木っていったい誰なのさ!? そんな名前を名乗った覚えは一度もないよ! つーか、これ本当に東郷さんが書いたのか? あの東郷さんがだぞ。まさか……。
 ページをめくって確認すると、どうやらこの他にも似たような小説が幾つも書かれてあった。驚愕することに、次の作品にもまた俺が登場していた。いや、正確にはジャニー乃木さんなのだが……。

「東郷さん、今日はちゃんと言いつけを守ってきたのかな〜?」
「は、はい……乃木くん……」
「乃木くんじゃないでしょう! ジャニーさんとお呼び!」
 ピシッ!
 乃木くんが振るった鞭が、私の足元で激しい音を立てた。
「きゃあっ! ご、ごめんなさい、ジャニーさん」
「そう、いい娘だね。じゃあさっそくだけど服を全部脱いでくれるかな」
「えっ、こ、こんなところで!?」
 ビシッ! 
 再び鞭が唸る。
「きゃぁっ!」
「逆らうなんて絶対に許さないんだからね!」
「ご、ごめんなさい。べつに逆らうつもりはないの。本当よ」
「そうなんだ。だったら早く脱いで頂戴」
 放課後の教室には、私と乃木くんの二人しかいないとはいえ、校内にはまだ大勢の生徒が残っている。万が一にも他の生徒にこんなことが見つかりでもしたら、もう大変なことになってしまう。
「どうしたの、東郷さん? それともまたお仕置きされたいのかな〜?」
「ええっ! そ、それだけは許してください! お願いします!」
「それならさっさと脱ぎなさい。もう十秒以内で全部脱がないとお仕置きだかんね」
「そ、そんな……」
「い〜ち……に〜い……」
 残酷過ぎるカウントダウンが無情にも開始されてしまった。
 お仕置き――
 別名、乃木スペシャル48。
 あの日の数々ハレンチな行為がフラッシュバックのように脳裏をかすめる。
 私は、トラウマのあまりブルルと満身が震わせた。
 あれだけは、あんなプレイだけはもう絶対に……。もし万が一にまたあのようなことをされてしまっては、今度ばかりはもう本当に正気を保てる自信がまったくなかった。
 私は本当に堕ちてしまう。
 退路を断たれ絶望した私は、急いで身に着けている服を脱ぎ始めるしかなかった。
「あっ、言い忘れてたけど靴下だけは脱いだらダメだからね。後は全裸でヨロシコ! さ〜ん……し〜い……」
 乃木くんは靴下フェチだ。
 特にニーソックスが好みらしく、私は毎日、色々なニーソックスを強制的に履かされている。
「おおっ、可愛らしいパンツだね。もしかして新しいの買ったのかなー」
 乃木くんは好色な笑みを浮かべ、私のショーツを眺めながら言った。
「……ッッ!!」
 私は悔しさのあまり、唇をきつく噛み締めた。
 なぜならこのショーツは、乃木くんが秋葉原で私に買ってくるように強要した冷やし縞パンなのだから。店員のニヤニヤした顔が今でも忘れられない。
「でも、もちろんそれも脱がないと駄目なんだけどね。ふふっ、ご〜う……ろ〜く……し〜ち……」
 現実とはなぜこれほどまでに辛いものなのだろうか。
 最後の勇気を振り絞り、えいっ! とブラジャーと冷やし縞パンを脱ぎ捨てて、私は神聖なる学び舎の園ですっぽんぽんの生まれたままの姿となった。
「は、恥ずかしい……」
 この瞬間にも他の誰かが教室に戻ってくるかもしれないと思うと、胸の鼓動は16ビートで加速していく。
「ほ〜らっ。手で隠してないで、ちゃんと大切な場所を見せないと駄目でしょ」
 私の下腹部の乙女の土手には縮れ毛が生えていない。昨日、乃木くんに剃っておくようにと命令されたので、お風呂上りに自分で全部剃ったのだ。なので手をどけてしまうと、恥ずかしい肉割れを直視されてしまうことになるのだ。
「あれれー。どうしてそんなところがツルツルになってるの。もしかして自分で剃っちゃたのかな。ふー、東郷さんって本当に変態だったんだね。それはいくら俺でも流石に引くわ」
「そ、そんな! 自分で剃れって言ったくせにッ!」
「えー、俺はそんなこと言った覚えはないよ?」
 なんというトラップカード発動!
 怒りと羞恥のあまり軽い目眩がしてくる。
「東郷さんは、自分の意思でツルツルにしてまでオマンコを隅々まで見て欲しかったんだね。わかったよ。望みどおりにしてあげる。そこに座って脚をがばぁーって開いてごらん」
「ええっ! そ、そんなところに!?」
 乃木くんが指差した場所は、教壇の教卓の上だった。
「もしかして、できないとか言うんじゃないでしょうね? 自分で勝手にオマンコをツルツルにしてきておいて、そんなの絶対に許さないんだからねっ」
 これほど理不尽な要求がかつてあっただろうか? 自分から領海侵犯をした癖に、謝罪と賠償を要求してくるようなものだ。
 でも、私は乃木くんには逆らえない。
 なぜなら私は……乃木くんの犬だから。
 飼い主の命令に逆らうことなど、尻を振るしか能がない牝犬の私にできようはずがなかった。
 覚悟を決めた私は、彼に言われるがままに教卓の上によじ登り、両脚をゆっくりとM字に開脚させた。
 放課後の教室で、肉の花が可憐に咲いた。
「アララーイ! アララーイ! 綺麗だよ! 東郷さんのオマンコはいつ見ても最高だぜッ!!」
 どこかのマケドニア兵のように、乃木くんはボルテージは最高潮。
「ああっ……そ、そんなに見ないで……」
 荒々しい鼻息が吹きかかるほど近くで、乃木くんは私の秘部を視姦している。
 ドクンッ!
 刹那、胎内の子宮が大きく鼓動した。
 この感覚はいったいなんだろうか? この教室には乃木くんしかいないはずなのに、クラスのみんな全員にこの痴態を眺められているような錯覚を覚える。
 恥ずかしい……いや、これは違う。
 私は、悦んでいるのだ。
 クラスのみんなにこんな恥ずかしい姿を鑑賞されているのだと妄想し、ヴァギナを淫らに滴らせるほど激しく発情していたのだ。

「乃木くん」
 ……ちょっと待って、今いいところなんだから。
 しかし、なんでこんなにジャニーさんがプッシュされてるのか理解できないよ。あんまりやり過ぎて苦情が来ないか心配だ。だいたいキャラ設定が前回にも増してぶっ飛びすぎだろ。つーか、乃木スペシャルってなにっ? まぁ、細かいことはもうどうでもいいんだけど。そんなことよりも続き続きと……。
「乃木くん」
 ……って、うるさいなー。
 まったく。いいところなのに、いったい誰なのさ?
 後ろを振り向いたら唖然呆然。
「と、東郷さん!!」
 返り血のように夕日を浴びた東郷さんが仁王立ちしていた。
「どどっ、どうしたの東郷さん。こ、こんな時間に……?」
「ちょっと用事があったから戻ってきたのよ。乃木くんこそなにをしているのかしら?」
「お、俺? 俺は、その……図書委員があって忘れ物したからすき家に牛丼を食べにでも行こうかなとか思ってたところなんだよ。ハハハ……」
 なにを言ってるんだ俺は! 落ち着け、とりあえず冷静になれ!
「そうなんだ。ところでなんだけど、この辺りで手帳が落ちてなかったかしら?」
「て、手帳!! え、えっと……もしかしてこれのことかな……?」
「あっ、それ私の手帳……」
「そ、そうか! やっぱり東郷さんの手帳だったんだね。つい今しがたほんの数分前に拾ったばっかりなんだよね。落とし主が見つかって本当によかったよ。いやいや、これで一件落着だね」
 普段どおりに優雅で泰然としていらっしゃる東郷さん。
 さて、ごまかせただろうか……。
 西陽が眼鏡のレンズに反射して目元がよく見えないので、彼女の表情は読めなかった。
「乃木くん、もしかして読んだ?」 
 東郷さんは、いきなり核心を突いてくる。
 駄目だったか!
「えっ、な、なんのことかな!? 俺が人の手帳を勝手に盗み読みするなんて、そんなのバスタードが円満完結を迎えるくらいありえないことだよ。もうっ、東郷さんったら。や、やだなー」
 内心の動揺を悟られないように、カーッカッカッカとアシュラマンのように爽快に笑ってみせた。
「本当に……嘘ついてない?」
 東郷さんは、ずいっと一歩足を踏み出して間合いを詰めてくる。
 あんな国家機密並の文書を盗み読みしておいて今さら、
「ついつい魔が差して読んじゃいました。ごめんなちゃい。テヘッ♡」
 ではとてもじゃないが済まないだろう。
 これはもう高度に政治的な問題なのだ。
 仮に真実を話して謝罪をしても、お互いに気まずい思いをするだけなのだ。ならば事実を改竄するしかない。それが俺にできる唯一の解決策だった。
「て、天地神明に誓って決して嘘は言っておりません! ア、アララーイ! アララーイ!」
 もはや自分でもなにを口走っているのかすら理解できない。
 それくらい俺はテンパっていたのだ。
「絶対に怒らないから本当のことを言って欲しいな」
 東郷さんは剣幕を変えるわけでもなく声を荒げるでもなく、ただ従容にたんたんと追及を繰り返してくる。まるで挙動がおかしい不審者に職質をかける婦人警察官のようだった。
 つーか、マジでタイムリープしてべつの世界線に行きてー。
「どうしたの、乃木くん。もの凄い汗よ。まるでサウナにでもいるみたい」
「きょ、今日は暑いからねー。暑いなー。早く帰ってビール飲みてぇー」 
「それにさっきからソワソワして全然落ち着きがないわ」
「う、生まれつきソワソワする体質なんだよねー」
「……乃木くん、やっぱり嘘付いてるでしょ?」
 あわわわわわ……。 
 完璧に偽装したつもりなのになぜばれた!? 駄目だ。もうカマキリに睨まれたコウロギのような状態だ。ええい、いったいどうすればこの危機を切る抜けることができるのだ!
 そんな絶望的な状況下であった。
 俺の携帯電話がニャーと鳴いた。
 真帆奈からメールだ。
『おっそーい! こんな時間までいったいなにやってるの! 真帆奈はお兄ちゃんが他所の女の子に捕まってないか心配で心配でおやつも喉を通らないよ! 早く帰ってきて!!』
 図らずも妹の懸念がドンピシャリのような構図だった。
 いや、待てよ……。
 ピキーン。
 これは千載一遇のチャーンス。
「あっ、真帆奈からメールだ」
「真帆奈?」
「う、うん。妹のことだよ。緊急の要件だから早く帰ってこいってさ。いやー、いったいなんだろうなー。困ったなー。そ、それじゃぁ俺はこれで帰るね」
「えっ! ちょ、ちょっと待って、乃木くん!」
「今日は急ぐからまた今度で、アディオス!」
 東郷さんに手帳を手渡すと、俺は一目散で教室から走り去った。
 
 
 心休まるアールグレイの芳醇な味わいが口内を満たしていた。
 夕食中も東郷さんのエロ手帳の一件が頭からずっと離れなかった。
 どうやら彼女に深い疑惑を持たれてしまったようだ。
 なぜだろう? 
 自分では往年の松田優作ばりの演技力を見せたつもりだったのに、いったいなにがいけなかったのかさっぱりわからない。ふー、やっぱり人間は、悪いことしちゃいけないよな。今更言っても仕方ないんだけどね。でも、どうしても我慢ができなかったんだよ。誰だって学園のアイドルの手帳を拾ったら、ついつい魔が差してしまもんだろう。まさか中身が自作のエロ小説だとは、アラーの神ですら想像できなかったはずだ。
 紅茶を一口啜る。
 つーか、なんで俺がエロ小説に登場しちゃってるのさ。まぁ、ジャニー乃木とか言ってたから俺じゃないのかもしれないけど、もうキャラ設定が素敵すぎるっつーの。うーん、明日から東郷さんとどんな顔して会えばいいのかわかんないよ。
「お兄ちゃん」
 しかし、まさかあの東郷さんがあんな小説を書いてたなんて……。このことは彼女の名誉のためにも、お墓の中にまで持っていかないといけないな。うん、それが盗み読みしてしまったせめてもの償いだよ。
「お兄ちゃん!!」
「えっ、な、なに?? そんな大きな声出して」
 思考を中断して真帆奈に視線を向ける。
「急にじゃないよ! お兄ちゃん、さっきからずーっと上の空で、真帆奈のお話をちっとも聞いてないよ!」
「そうだったのか? ごめんな……ちょっと考えごとしてたもんだから……」
「うー!」
「悪かったよ。で、なんの話なんだ?」
「うー!」
 頬を河豚のように膨らませて拗ねる真帆奈。
 河豚妹だ。
 そういえば河豚ってなんで『河』と『豚』なんだろうね。海水魚なのにね。まぁ、どうでもいいんけど。
「俺が悪かったって謝ってるだろ。ほらっ、もう機嫌直してよ」
 膨らんだほっぺを指でプニプニと突っつきながら、なんとか妹の御機嫌をとってみる。  
 つーか、俺はご主人様じゃなかったのかな?
「うー!」
 長引くとめんどくさいんだよな。
「わかったよ。お詫びになにかして欲しいことがあったら言ってみな。俺にできることだったらなんでも聞いてやるぞ」
「……ッ!」
 ビクゥッ、と真帆奈は身体を震わせ過剰な反応を示す。
 どうやらあっさり陥落したようだ。
「……ひざまくら」
「えっ、なんだって?」
「ひざまくらしてくれたら許してあげる」
 正直、ひざまくらでよかった。これでまたオシッコ飲ませろとか言われたらどうしようかと思ったよ。
「いいよ。おいで」
「おっしゃーーっ!!」
 気合一閃、真帆奈は襲い掛かるように飛び込んでき、迅速に俺の膝を占有した。
「うにゃ〜、お兄ちゃんのひざまくら好きー」
 まるでじゃれついてくる猫そのものだった。
 河豚が猫になった。
 猫妹だ。
「そうか。それは俺の膝もさぞかし歓んることだろうよ」
 ええいっ、今日はもう特別サービスでナデナデ付きだ。
「はう〜……」
 真帆奈は潤んだ瞳を上目遣いにし、もっともっととナデナデのおねだりをしてくる。
 しょうがないからいっぱいしてやった。
 絹のように優しい手触りの真帆奈の黒髪は、撫でているこちらも非常に心地よいのだ。
 真帆奈は気持よさそうに瞼を閉じて、今日あった出来事を滔々と話始めた。学校の授業でなにを習ったとか、麗ちゃんとこんなことをしてあんなことを話したとか、そんな取るに足らない日常の話のことだ。
 俺は真帆奈の黒髪を優しく撫で続けながら、時折相槌を打つ。
 ただ、それだけでいい。
 最近は食うか食われるかの殺伐とした兄妹関係だったからな。心温まる兄妹の時間っていうのも悪くはない。
 こうして暫くの間、川のせせらぎのような静かな時間が流れた。
「さっ、真帆奈。もういいだろ?」
「えー、もっとするー」
「もっともっとってきりないよ。俺はそろそろ夕食の後片付しないといけないんだよ」
 兄は妹と違って忙しいのだ。
「うー」
 真帆奈は、俺の膝にしがみついて子供のようにぐずる。
「こらっ、本当にもうどきなさい」
「くー……」
「寝たふりしても無駄だから」
「真帆奈の狸寝入りを見抜くなんて、流石お兄ちゃんだね」
「いや、普通に誰でもわかるから」
「うにゃー」
 これは自分の物だと言わんばかりに、まったく俺の膝から離れる気配がないご様子の真帆奈。
 最終手段のコチョコチョ作戦発動。
「んにゃっ! にゃにゃっ!!」
 漸く離れた。
「真帆奈の唯一の弱点を把握してるなんて、流石お兄ちゃんだね」
「どうでもいいからそんなこと。んじゃー、片付けしよっと」
「あっ! ちょっと待ってお兄ちゃん」
 キッチンに行こうと思ったら呼び止められた。
「ん?」
「お兄ちゃんに渡す物があったんだよ。真帆奈、うっかり忘れてたよ」
 失敗失敗、と真帆奈は自分の頭をコツンとやってからぺろっと舌を出した。
「渡す物? なに?」
「ちょっと待っててね」
 トタトタと二階に上がっていく。
 いったいなんだろうか? 碌でも無い物でなければいいんだけどな。なにかいやな予感がするよ。
 で、真帆奈はすぐに二階から袋を持って下りてきた。
「安かったから真帆奈が気を利かせて買っておいたよー」
「どれどれ、見せて……って!?」
 はい、いやな予感が当たりましたよ。
「な、な、なんなのこれは!!」
「こんどーむだよ」
 しれっとおっしゃる真帆奈さん。
 『超極うす リアルフィット 12個入り』だった。しかも三箱も買ってやがる。
「ちょうど半額セールしててねー。しかも三個買うと更に割引で、なんと全部で1980円だったんだよ。真帆奈は買い物じょーずだね。エヘヘ……」
 不肖の妹の瞳からは、褒めて褒めて光線がピカピカと照射されている。
 当然、兄として褒めるわけにはいかない。
 断じて。
「カーーッ!!」
「んにゃーっ!!」
「そんなこと聞いてないでしょ! なんでこんなもんを買ったのかって聞いてるんだよ!」
「だ、だって真帆奈はもう大人の女の子なんだから、それを付けないと赤ちゃんができちゃうんだよ。お兄ちゃんがその方がいいっていうなら真帆奈はべつに構わないんだけど、でもそれだとせけんてー的に問題だってある人が言ってたから……」
 ある人っていうのは、間違いなく麗ちゃんのことだろうな。
「だからそんなことは聞いてないんだってばよ!」
 まったくもー! さっきまでの心温まる兄妹の時間はなんだったのよ!
「だいたいこれはどこで買ったのよ?」
「小村薬局だよ」
「近所の商店街じゃないですかっ! お前がそんなところでこんなもん買っちゃったらすぐに町内で変な噂が流れちゃうだろ! いったいどーすんのよ!?」
「だいじょーぶだよ、お兄ちゃん。真帆奈だってそれくらいちゃーんと考えるんだから。小村のおじさんには、お兄ちゃんが使うからってちゃーんと説明しておいたからね」
「それだと俺の変な噂が流れちゃうでしょう! いやがらせ! いやがらせなの!?」
 それで肉屋の親父がニヤニヤしながらオマケと称して赤飯よこしやがったのか! 謎は全て解けたよ。これで妹にコンドームを買いに行かせるセクハラ変態兄貴の称号を得ることになってしまったな。もう暫く商店街には立ち寄れないぞ。ぶわっ……。
「こんなことを今更いちいち言うことはないと思うんだけど、いくらこんなもん買ってきてもそういうことはできません」
「えっ! う、うそっ? なんで??」
「兄妹だからに決まってるでしょう!」
 鳩が豆鉄砲を食らったような顔をしている真帆奈。
「……ぷっ、ふふっ。もうっ、お兄ちゃんったら。ふふふっ」
 で、さも面白い小話でも聞いたかのようにクスクスと笑い出した。
 極当たり前のことを言ったつもりなんだが、なにがこいつの琴線に触れたのだろうか?
「お兄ちゃんったら、そんなこと気にしてたの。『ヨスガノソラ』や『星空のメモリア』や最近では『黄昏のシンセミア』でも、みーんな兄妹でエッチしてるんだからなんの問題もないよ。兄妹でエッチするなんて普通のことなんだから」
 むしろ妹とエッチできるのは兄の権利、と真帆奈は付け加える。
「それはエロゲーの話でしょう! お願いだからエロゲーと現実の区別くらいはつけてよ!!」
 お前はそんなジャンルにまで手を出してたのかよ!
「お兄ちゃんがなにをそんなに怯えているのか真帆奈にはさっぱり理解できないよ。まるで迷子のキツネリスみたい」
「ナウシカみたいに言っても駄目だから」
 理解できないのは俺の方だよ。
「とにかく兄妹でエッチなんてできません!」
「お兄ちゃんはご主人様なんだから、そんな細かいこと気にしないで真帆奈に好きなことすればいいのに……」
 真帆奈は、不満たらたらでぶーたれる。
「しません!」
「うー……」
 一から十まで正論を言っている俺が、なぜ妹にそんな恨みがましい目で見られないといけないのだろうか。 
「わかった……」
「そうか、やっとわかってくれたか」
 やれやれ、これでお兄ちゃんの肩の荷も少しは下りたよ。まだまだ予断は許せないけどな。保護観察が必要なレベルだ。
「わかったよ……。つまりお兄ちゃんはお尻でしたいってことなんだね。真帆奈はそういう経験は全然ないから、いきなりお尻からっていうのはほんのちょびっとだけ抵抗があるけど、お兄ちゃんが望むんだったらもちろんがんばってやるよ! ちゃんと奥の方まで洗って綺麗にしておくから、いつでもどこでもお兄ちゃんの都合のいい時にどんとこいだよ!」
「全然わかってないじゃん! もうっ! 絶対にお尻でなんかしないんだからね!!」
「えー! そんなのないよー! 一緒に寝てもくれないし、お風呂にも入ってくれないし、オシッコも飲ませてくれないし、エッチもしないし、お尻でもしないんだったら、もう真帆奈はご奉仕のしようがないよ! こんなのお兄ちゃんの忠実な下僕として失格だよ! もう紅莉栖が振り向いたらバグで落ちるくらい絶望的だよ!」
 それは俺も絶望した。
「お前のご奉仕はそっち方面ばかりじゃないか! なんでもっと普通のお手伝いとかできないのよ。朝は一人で起きるとか、ちゃんと洗濯物は洗濯籠に入れるとか、自分の部屋の掃除をするとか、そういう基本的なことでお兄ちゃんの役に立つことがいっぱいあるんじゃないの」
「えー」
「なんなの、その『えー』ってのはっ!!」
 なんという反抗的な態度なのだ。
「まったく! そんなことばっかり言ってると、もう本当にお仕置きするんだからね!」
 あれっ、どこかで聞いたような台詞だな。
「えっ、お、お仕置き……!? う、うん、お兄ちゃんがしたいんだったら、真帆奈はどんなにすっごいお仕置きにだって耐えてみせるよ」
 真帆奈は、ぽっと桜色に染めた頬に両手を当て、
「お、お兄ちゃんの気が済むまでこのできの悪い妹に、いやらしいお仕置きをしてくださいっ!」
 と、恥ずかしそうにのたまいやがった。
 駄目だ。歓ばれたらお仕置きの意味なんてまったくない。むしろ完全に逆効果だ。まぁ、最初からそんなことする気はまったくなかったんだけどな。夕方読んだエロ小説のせいで、ついポロっと出ちゃったよ。
「……もういいです。とにかくこれは俺が預かっておくから、もうこんなの絶対に買ってこないでよね」
 俺は嘆息混じりにそう真帆奈に言いつけた。この無常な世の中、なによりも諦めが肝心なのだ。
「えー、お仕置きどうなったのー? ねーねー、お仕置きはー??」
「アーアー、聞こえない聞こえない」
 お仕置き! お仕置き! とDVD!!  DVD!!  みたいに騒ぐ妹を放置プレイして、俺は夕飯の後片付けを始めることにした。


 俺の朝は、一杯のブラックコーヒーから始まる。
 豆はモカ・マタリ。
 独特の円熟した深い苦味と酸味は、脳内を活性化させるのに最適だ。
 朝はコーヒー党で夜は紅茶党。浮気性と呼ぶならそう呼んでくれて一向に構わない。その日の気分や状況に応じてどちらも楽しめばいいだけなのだ。
 コーヒーで目が覚めれば弁当作りを始める。といっても、ほとんどが昨晩の夕食の残り物なんだけどね。後は真帆奈が好きなだし巻き卵とタコさんウインナーでも作って、幾つか冷凍食品をチンすれば完成だ。
 熟睡している真帆奈を起こすにはまだ時間が早いので、ゆっくりと朝食を取ることにした。
 こんがりと焼けた食パンにバターをたっぷりと塗り、その上にカリカリに焼いたベーコンと半熟の目玉焼きを乗せて食す。ほどよい空腹感が最高の調味料となり、ものの数分間でペロリと完食した。
 腹も膨れたので食後のコーヒーで一息入れる。ちなみに二杯目は、ミルクと砂糖をたっぷりと入れて飲む。俺って基本甘党だからな。
 真帆奈が起きた時に食べる朝食の用意を済ませて時計を確認すると、電車の時間まで多少の余裕があった。めざましテレビでも見て時間を潰そうかと思ったところで、玄関のチャイムが鳴った。こんな時間にいったい誰だろうか? まぁ思い当たるのは麗ちゃんくらいなのだが。
 俺が登校した後、真帆奈が再び夢の世界に旅立たないように、毎日に麗ちゃんが迎えに来る手はずになっているのだ。
 麗ちゃん、いつも妹が迷惑かけてすまないね……。
 俺は玄関に向かい麗ちゃんのボランティア精神を心から労いつつも、あまり真帆奈におかしな入れ知恵をしないように頼んでおこうとドアを開けた。
「乃木くん、おはよう」
 な、なん……だと……げ、幻覚か? 
 ここに決しているはずのない人が、俺の瞳に映っちゃってるんだが……。
「どうしたの、乃木くん。そんな生き別れになった恋人と出会ったような顔をして」
「とっ、東郷さん!!」
 俺の家の前で優雅に佇む美少女は、まぎれもなくあの東郷綾香だった。
「な、なんでいるの!?」 
「迎えに来ちゃった。一緒に学校へ行きましょう」
 男女を問わず全校生徒の約八割を魅了すると謳われる東郷スマイルが炸裂する。
 この女神のような微笑が開戦の狼煙となり、波乱に満ちた長い一日の幕開けとなった。

このページへのコメント

めちゃ面白い!
早く次をみたい

0
Posted by 名無し 2010年11月17日(水) 20:31:29 返信

うおー!次も楽しみだー!そしてエロは(ry

0
Posted by 名無しさん 2010年10月23日(土) 10:46:55 返信

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