子育ての失敗を広く浅く、ゆるやかに追跡。

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『ピアニストが語る! 音符ではなく、音楽を!―現代の世界的ピアニストたちとの対話 第二巻』(アルファベータ)



目次

日本版の読者のみなさんへ 5

第1部

クリスチャン・ツィメルマン 15

・あなたの幼年時代や音楽との出会いについてお話し下さい。
・それでは、音楽が唯一の娯楽だったわけですね。
・そのころ、あなたはピアノが弾けたのですか?
・なんて素敵な幼少年時代の思い出なのでしょう!多くの事を学んだのでしょうね。
・それでは、あなたはどのようにピアノを習い始めたのですか?
・当時のカトヴィツェ音楽院の環境や教師はどのような状態だったのでしょうか?
・音楽はいかがでしたか?ポーランドの音楽教育は、ショパンや、そのほかのポーランドの作曲家を特別に重視していたのでしょうか?
・そんな恵まれた環境で学ぶなんて、望んでもなかなか得られるものではありませんね。そのような環境だったからこそ、バランスのとれた豊かな音楽観を形成することができたのでしょう。当時、学校の外の一般の人々の音楽文化も、同じように熱気を帯びたものだったのでしょうか?
・ポーランドから4人のノーベル文学賞受賞者が生まれた理由が、今やっとわかりました。シンボルスカが、1976年に詩集『大きな数』を出版したとき、一週間で一万冊売れたのですよね!そのような文学や音楽に対する情熱を持った国民は、世界中どこを探してもいないと思います。人々の期待がそれほど強いと、プレッシャーも大きかったでしょうね。あなたは、ポリーニの記録を破って最年少でショパン・コンクールの優勝者になったわけですが、まだとても若かったあなたが、どのようにショパン・コンクールに挑戦してみようと思うに至ったのか、とても興味があります。冒険だとか、大きなプレッシャーだとは思わなかったのですか?
・当時はポーランド国内で選抜オーデションがあったのではないですか?そこでは、コンテスタントのショパン作品への理解が試されたのではないでしょうか?
・レコードばかりでなく、楽譜も買えたでしょう?
・その後どうなったのですか?ポーランドは十二名のコンテスタント全員をコンクールに送り込んだのですか?
・それであなたはリラックスしてコンクールに臨めたのですね!
・実際にショパン・コンクールが始まると、いかがでしたか?あなたはどのように準備し、コンクールはどのように進行していったのでしょう?
・それでは、あなたはコンクールの期間中、平穏に過ごせたのですね?
・ショパン・コンクールでの優勝は、あなたの生活をどのように変えましたか?
・ポーランドはすばらしいピアニストを輩出していますが、先輩のピアニストたちをどのように思いますか?
・ポーランドのピアニズムについて、どのようにお考えですか?楽派とかピアニズムという概念自体に、何かご意見はあるでしょうか?
・私たちアジア人が西洋の芸術を理解しようとするとき、分類すると学びやすいということだと思うのですが・・・。
・イタリアの話が出ましたが、イタリアのあらゆる芸術作品は、私たちに「あぁ、これはやっぱりイタリアだ」と感じさせますよね。教科書的な意味の名称というのではなく、それぞれの芸術を見分ける特色のようなものが、やはりあると思うのですが・・・。それらの芸術が存在する源のようなものが・・・。
・ルトスワフスキと彼の《ピアノ協奏曲》について、お話しいただけませんか?あなたは彼の親しい友人で、この曲を献呈され、初演したのですよね?
・私はこの協奏曲が大好きです。でも、第3楽章までは比類ない素晴らしさだと思うのですが、第4楽章がいまだによくわかりません。ルトスワフスキが何を意図していたのかが・・・。
・彼はたしかに84と楽譜に書いていますね。それが何か問題なのですか?
・ルトスワフスキがそんなにテンポに固執したということに驚きました。多くの作曲家は自身の作品を演奏するとき、かなり自由に速度を変えて演奏しているではありませんか。
・いわゆる「楽譜に忠実に」というのも、その作品を表現した媒体を考慮に入れなければいけないといことですね。
・あなたは、ルトスワフスキの《ピアノ協奏曲》誕生の目撃証人で、1978年からこの曲の創作について彼と一緒に検討したということですが、ルトスワフスキの作曲技法は、その間に大きく変化したのではないでしょうか?とくに「チェーン形式」のテクニックの応用など・・・。あなたは、彼のそのような転換をどのように見ていたのでしょうか?
・あなたと関わりのあった他の音楽家のお話も伺いたいですね。カラヤンとは、どのように知り合ったのですか?彼があなたとショパンの《ピアノ協奏曲第2番》を演奏したのは、ちょっと意外な感じがしているのですが・・・。
・緊張?カラヤンが緊張したんですか?
・カラヤンは、どうしてそのような考えを持つようになったのでしょう?
・あなたは若いころから、多くの偉大な指揮者と共演していますね。
・それが、ラトルとこの曲を再録音した理由ですか?
・それにもかかわらず録音に至らなかったのは、何が問題だったのですか?
・そんなおかしな話は聞いたことがありません。
・あなたは何て誠実な人なのでしょう。でも、あなたが再録音してくれたことをうれしく思います。それは、私がこれまでに聴いた中でももっとも深く練り上げられたブラームスで、楽譜上の細部にわたって解釈が行き届いているだけでなく、完璧な技巧で独創的なアイデアが展開されています。私は今回の録音の成果に敬服しています。
・最初のブラームス《ピアノ協奏曲第1番》の録音について、どのように考えていらっしゃいますか?
・これまでの長い演奏家としての人生を振り返って、ピアノ芸術やテクニックについて、どのようにお考えですか?
・あなたはその問題にどのように立ち向かっているのでしょう?演奏家にとって、それは大きな危険をはらんだ問題だと思うのですが・・・。
・あなたがこの15年間ソロ作品を録音していない理由がやっとわかりました。協奏曲の録音をしているのは、その方があなたにとって容易だということでしょうか?
・それでは、これまでのソロ作品の録音で、これは録音してもよいと感じられたキーポイントは何だったのでしょう?
・あなたの録音は、演奏会でのあなたのプログラムに比べてとても少ないと感じます。でも、演奏会のプログラムも、あなたが研究している作品のほんの一部分にすぎないのでしょうね。
・そんなに多くの作品を研究して、どのように新しいレパートリーを決めるのですか?
・同じプログラムを違うコンサート会場で演奏したとき、その解釈が大きく違っていることがありますね。あなたがボストンで演奏したモーツァルトのソナタは、台湾での演奏とまったく違っていました。
・それでは、作品を録音制作するとき、どのように速度や解釈を決めるのでしょうか?録音はカッティングして編集しますよね。
・録音する曲目と演奏会で演奏する曲目は、どのように選んでいるのでしょうか?どのような曲が、録音するのにふさわしいと感じられますか?

ジェルジ・シャーンドル 69

・ハンガリーは20世紀に多くのピアニストを輩出し、さらにその中から指揮者として名声を博した人物も少なくありません。ハンガリーのピアノ楽派について、どのようにお考えですか?
・あなたは18歳からバルトークにピアノを習ったそうですが、彼に師事したいと思ったのはなぜですか?
・当時の人たちにはバルトークの偉大さがわからなかったのでしょう。
・それでは、ピアニストはどのようにバルトークの「素朴さと率直さ」を表現したらよいのでしょう?
・バルトークはあなたに作曲は教えず、ピアノだけを教えたのですよね。彼がどのように指導したのか、とても興味があります。
・一般的な曲目以外に、バルトークの作品をどれくらい彼に習いましたか?
・あなたはバルトークの作品をどのように見ていますか?
・バルトークが何調で作品を書いたのかを見分ける簡単な方法はありますか?
・私はバルトークの演奏の録音に魅了されています。彼の作品はピアノの打楽器としての特性を発揮していますが、彼自身の演奏は歌唱性に満ち溢れています。多くのピアニストが、バルトークの作品のリズム面ばかり強調しているのは残念です。
・それでは、現代のピアニストがバルトークの作品を弾くとき、どのように彼のリズムを処理したらよいのでしょう?どうしたら歌唱性と打撃性のバランスをとることができるのでしょう?
・そのような韻の表現が、バルトーク作品に特有の「拍の不均等な分割」の中にあるというわけですね。
・バルトークの《ピアノ協奏曲第一番》の演奏は、指揮者とオーケストラにとって、きわめて困難な挑戦だと思います。楽譜自体が難しい上に、ピアニストと指揮者は限られたリハーサルの時間の中で、繊細な語気のニュアンスや韻律感を作り出さなければいけないのですから。
・あなたの《ピアノ協奏曲第一番》の二回目の録音は、第三楽章の速度がかなり違います。あなたはバルトーク自身がこの曲を演奏するのを聴き、さらにこの曲を彼自身から学んでいらっしゃいますが、彼はどのように速度を決めていたのでしょうか?
・それでは、彼の《ピアノ協奏曲第二番》はどうでしょう?ピアノの楽譜としては、もっとも難しい作品のひとつだと思うのですが。
・あなたが1955年にフェレンツ・フリッチャイ指揮、ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団と演奏したバルトークの《ピアノ協奏曲第二番》のライヴ録音がありますが、あなたは想像を絶する速さで弾いています。あれはバルトークが要求した速さだったのですか?
・あなたが初演した《ピアノ協奏曲第三番》について、お話いただけませんか?
・私はこの曲の第一楽章の第一主題を研究していて、アメリカ、イギリス、フランス、ソ連の四か所で初演したピアニストがまったく違う速度で演奏していることに気づきました。アメリカで世界初演をしたあなたとイギリスで初演したケントナーは原譜の指示通りの速度でしたが、フランスで初演したリパッティ、ソ連で初演したニコラーエワは、少しゆっくりしたテンポで弾いていました。これは、あなたたちがハンガリー人で、バルトークを尊重していたからでしょうか?それとも、ほかの理由があるのでしょうか?
・バルトークは全曲を完成させてからこの世に別れを告げることができず、アーティキュレーションやテンポについての指示は、第一楽章しかできませんでした。オーマンディとの共演では、どのようにテンポを決めたのですか?
・この曲は慌ただしく出版され、あなたには意見を求めず、イギリスで初演したケントナーにしか意見を求めていません。なぜそのような片手落ちな状態で出版されたのでしょう?
・あなたはバルトークの《管弦楽のための協奏曲》の校訂を手伝っていらっしゃいますが、あの作品は《ピアノ協奏曲第三番》ほど、編纂する上での難しさはなかったでしょうか?
・あのフレーズが一緒に置かれているのは、バルトークがショスタコーヴィチを皮肉っているのではなく、ナチスを諷刺しているのでしょうか?
・大きな誤解ですね。
・あなたは、バルトークが生前に書いた《管弦楽のための協奏曲》のピアノ独奏用改編版を整理して完成されていますね。しかし、この改編版はあまり演奏されていません。
・大変な貢献だと思います。
・《舞踏組曲》のピアノ独奏版について、お話いただけませんか?私が知る限りでは、あなたが初演されたと思うのですが。
・バルトークに関する研究や議論で、どうしてあのように作品が捻じ曲げられているのでしょう?
・あの作品は、最初のふたつの楽章しか編曲していませんね。
・あなたのほぼ一世紀にわたる音楽人生の中から、後輩のピアニストたちに何か伝えたいことはありますか?

タマーシュ・ヴァーシャーリ 89
後記:好奇心に満ちた永遠の少年 129

第2部
ウラディーミル・アシュケナージ 141
ベラ・ダヴィドヴィチ 171
リーリャ・ジルベルシュタイン 203
エフゲニー・キーシン 233
後記:温かく誠実で正義感にあふれた4人のユダヤ人音楽家が私に教えてくれたこと 265

第3部
ロジェ・ブトリ 281
テオドール・パラスキヴェスコ 301
ジャック・ルヴィエ 317
ジャン=フィリップ・コラール 349
ミシェル・ベロフ 383
ラベック姉妹 399
パスカル・ロジェ 427
後記:音楽と愛に境界はない 457

訳者あとがき 464
索引 466

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