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「失敗を気にしていた」運転士の様子、車掌が証言

2006/12/20

 国土交通省航空・鉄道事故調査委員会(事故調委)は、尼崎JR脱線事故の快速電車に乗っていた車掌=入院中=の詳しい証言を、初めて明らかにした。死亡した高見隆二郎運転士が、宝塚駅での非常停止について聞かれ不機嫌そうにしていたり、伊丹駅でのオーバーランを「過少申告」するよう車掌に求めたりするなど、運転ミスをかなり気にしていた様子がうかがえる。

 主な内容は次の通り。

 事故当日の6時51分ごろ、放出駅で運転士と対面した。特に異常は見られなかった。運転士とは天王寺車掌区で一緒だったので顔は知っていたが、名前は知らなかった。

 運転士は大阪城北詰駅と加島駅で、ドアを閉める前に、窓から顔を出して後方確認する作業をしていなかった。大阪天満宮駅では、3〜6メートルのオーバーランをした。

 宝塚駅の手前では、非常ブレーキに近い感じで突然停止した後、再び動き出して駅に到着した。宝塚駅では下り列車が上りに切り替わるため、私は前の運転室に移動した。運転室の横まで歩いていくと、運転士がまだ室内にいたため、30秒ほど外で待った。

 運転士が出て来てすれ違う時、「ATS-Pで止まったん?」と聞いたが、運転士は「言う必要はない」というようなムスッとした顔で、何も言わずに立ち去った。

 伊丹駅でオーバーランがあった際、運転士が車内電話で「今からバックするよ」と言ったので、「ただ今から後退しますのでご注意下さい」と車内放送をした。放送が終わるころには、後退を始めており、後退する速度は速い感じだった。

 伊丹駅の出発時は、1分半かせいぜい2分の遅れだった。間髪を入れず電話があり「(オーバーランの距離を)まけてくれへんか」と言われたので「だいぶ行ってるよ」と答えた。その時、乗客の一人が私の運転室のガラスをたたいたので、電話をやめて扉をあけた。「遅れているのに謝らんのか」と言われ、おわびの放送をした。

 伊丹駅で停止位置を行き過ぎたことなどを、列車無線で指令所に報告した。行き過ぎた距離は30〜40メートルと思っていた。5メートルなら運転士への処罰も厳しくないが、5メートルでは少ないと思い「8メートル」と報告した。

 報告してほっとしていたところ、何の前触れもなくいきなりつんのめるような感じで止まった。非常ブレーキよりはるかにすごく、今までに経験したことのない強いブレーキだと思った。7両目に立っていた乗客は前方に滑るように動き、ほぼ全員が床に倒れた。客室から多くの悲鳴が聞こえた。
2006年12月21日(木) 04:10:05 Modified by umedango




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