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交信聞きブレーキ遅れか 尼崎JR脱線事故

http://www.chugoku-np.co.jp/News/Sp200612200104.ht...
06/12/20

 ▽事故調委が報告書案公表

 昨年四月の尼崎JR脱線事故で、快速電車が現場カーブにブレーキをかけず進入した際、車掌が直前の伊丹駅(兵庫県伊丹市)で起きたオーバーランを列車無線で輸送指令に報告中だったことが、十九日までの国土交通省航空・鉄道事故調査委員会の調査で分かった。

 高見隆二郎運転士=死亡当時(23)=は伊丹駅出発直後、車掌への車内電話でオーバーランの距離を短く報告するよう依頼しており、事故調委は運転席で聞こえていた車掌と輸送指令の交信内容に気を取られ、ブレーキ操作が遅れた可能性が高いとの見方を強めている。

 またミスが厳しく指導されるJR西日本の精神論的な乗務員教育や、実態を無視した余裕のないダイヤ編成なども運転士の心理状態に影響、事故につながった可能性があるとしている。

 事故調委は二十日付で事実調査に関する報告書案を公表。有識者らの見解を聞く意見聴取会を来年二月一日に国交省で開いて原因を分析し、発生から二年となる来年四月下旬を目標に最終報告の取りまとめを急ぐ。遺族や負傷者を対象にした説明会は一月二十日。

 高見運転士は右手袋を外した状態で、運転席から赤鉛筆が見つかったことも判明。事故調委は、交信内容などをメモしようとしたか、マニュアルを確認しようとした疑いがあるという。事故直前に居眠りをした可能性は低いとみている。健康状態に問題はなかった。

 事故時の運転席のブレーキハンドルは「非常」の位置にあったが、非常ブレーキが作動した記録はなかった。動転した運転士が通常のブレーキ操作しかできず、脱線後の衝撃でハンドルが動いたとみられる。

 事故調委によると、快速電車は昨年四月二十五日、伊丹駅を約七十二メートル通り過ぎた後で停車位置を直し、定刻より一分二十秒遅れの午前九時十六分十秒ごろ同駅を出発。直後に運転士が「まけてくれへんか」と車掌に超過した距離を短く報告するよう頼んだ。車掌が「だいぶと行ってるよ(かなり超過している)」と答えた時に乗客が客室との間のガラスをたたき、会話が途切れた。

 快速電車は出発の二分後、制限速度を上回る時速百二十四−百二十五キロで走行中に一度ブレーキをかけた後、時速百十六キロで現場カーブに進入、十八分五十四秒に脱線した。輸送指令との交信は十八分七秒ごろから始まり、車掌はオーバーランを八メートルと報告。輸送指令が報告を復唱した後、運転士に呼び掛けたのが脱線とほぼ同時だった。

 事故調委は昨年九月に脱線の経緯などをまとめた中間報告を発表している。
2006年12月21日(木) 05:08:05 Modified by umedango




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