#100(2003.2.18) アングロサクソンと欧州――両文明の対立再訪(その1)
#2900(2008.11.8) 19世紀末以降の日本史をどう見るか
#3660(2009.11.21) 米国の世紀末前後(続)(その2)
#4303(2010.10.9) 日本人の日本近現代史認識の歪み
- 「人種偏見」(TBSブリタニカ。1987年)(改題『容赦なき戦争--太平洋戦争における人種差別』(平凡社。2001年) (原題:John W. Dower 'War Without Mercy--Race and Power in the Pacific War' (1986)、ジョン・W・ダワー
#3784(2010.1.22) 人種主義戦争としての日米戦争(その1)…改めて読み返してみて、ダワーのダブルスタンダードが鼻についたな。モチ、当時の米国の人種主義ぶりを戦後日本の論壇がまるで取り上げないのはもっとひでえが。
#3786(2010.1.23) 人種主義戦争としての日米戦争(その2)…帝国陸海軍は欧米の帝国主義・・欧州方式、英国方式、米国方式・・のすべてを崩壊させた。(プラス、米国に関しては、その人種主義に対し崩壊プロセスを始動させた。)残されたのは日本式の帝国主義のみであり、それを米国が継受して現在に至る。
- 「駐日英大使・ロバート・クレイギーのアンソニー・イーデン外相宛の最終報告書、及び、この報告書に対する英外務省極東部の反論書」
#3794(2010.1.27) ロバート・クレイギーとその戦い…読者からの投稿が、私のクレイギーへの関心を深めることにつながり、それがまた別の読者を動かし、クレイギーの報告書の入手、私宛コピー送付につながり、詳細なコラムを私が書くことになった。皆さんありがとう。
#3796(2010.1.28) ロバート・クレイギーとその戦い(補遺)…マッカーシーらのやった赤狩りは、「12歳の少年のよう」(マッカーサー)であった日本ならぬ米国における、(日本より50年は遅れた)余りにも遅すぎた思春期の到来を象徴する出来事だったわけさ。
#3956(2010.4.18) ロバート・クレイギーとその戦い(続)(その1)…いよいよクレイギー・シリーズの登場です。クレイギー報告書をコピーして送ってくれた読者の方、まことにありがとう。また、何か面白い史料を送ってくれたら半年名誉有料読者扱いにさせてもらうよ。ほかの皆さんもよろしく。
#3958(2010.4.19) ロバート・クレイギーとその戦い(続)(その2)…クレイギー、モナムール。誰か、彼のウィキペディア立ち上げたら?ついでに英語ウィキペディアも。だって、英国でも彼、完全に忘れ去られてるぜ。
#3960(2010.4.20) ロバート・クレイギーとその戦い(続)(その3)…自分でそれをやりながら言うのも何だけど、戦前の日本について、外国人のクレイギーにわざわざ語ってもらわなきゃなんないのってホントなさけないよ。クレイギーの言ってること、しごく当たり前の話なんだからね。
#3964(2010.4.22) ロバート・クレイギーとその戦い(続)(その4)…宣戦布告することと本気で戦うこととは違うんだからね。アホなチャーチルは、宣戦布告後首相になり、本気でナチスドイツと戦っちゃったんだな。
#3966(2010.4.23) ロバート・クレイギーとその戦い(続)(その5)…日本による開戦当時、東條に対するにローズベルト、チャーチル、ゲルブランディ(オランダ亡命政府首相)のうち、政治家として、一番まともだったのは東條だったということ。
#3968(2010.4.24) ロバート・クレイギーとその戦い(続)(その6)…現在の日本における、先の大戦に係る善玉と悪玉の通説は誤りであり、国際的にも国内的にも真逆にすればよろしい。つまり、悪いのは国際的には米英であり、国内的には英米協調派だったということ。
#3970(2010.4.25) ロバート・クレイギーとその戦い(続)(その7)…政府部内で、意見の対立があった時、双方の言い分をきちんと文書に残しておくってのは見倣わなくっちゃね。もっとも、本件の場合、英外務省内の本省と出先との間で本当に意見の対立があったのかどうか、微妙だが・・。
#3978(2010.4.29) ロバート・クレイギーとその戦い(続)(その8)…日本帝国の崩壊をもたらした戦前の英米協調派(事大派)の中心的人物の一人だった吉田茂が戦後の占領下の日本で米国(マッカーサー)事大「政治」を担ったことこそ、日本の戦前史が陸軍悪者論へと歪曲・矮小化されるに至った根本原因だな。
#3980(2010.4.30) ロバート・クレイギーとその戦い(続)(その9)…国際法違反は日と米英側双方が犯したが、事後法である平和に対する罪は日でなく米英側だけが犯した。そして、チャーチルらの犯したこの罪をなすりつけられて東條らは戦後殺害された。神道が滅びなければ、いつか東條神社がつくられることだろう。
#4182(2010.8.9) ロバート・クレイギーとその戦い(続々)
- 「日本陸軍と内蒙工作 関東軍はなぜ独走したか」(講談社選書メチエ 2009年6月)、森久男、愛知大学経済学部教授
#4002(2010.5.11) 帝国陸軍の内蒙工作(その1)…クレイギーの話やこの内蒙工作の話を次著に盛り込むとすると、次著の構成、もう一度考え直す必要がありそうだ。難産じゃ難産じゃ。
#4004(2010.5.12) 帝国陸軍の内蒙工作(その2)…ロシアの脅威は、日露戦争において、自由民主主義圏を代表する日本自身の手で解消され、その承継国家ソ連の脅威は、冷戦において、日本型帝国主義を継承したところの自由民主主義圏を代表する米国の手で解消された。
#4006(2010.5.13) 帝国陸軍の内蒙工作(その3)…これは太田史観なんてもんじゃなく、史実にほかならない。どうして戦後日本人は、史実を無視してきたんだろう。東洋の神秘という言葉があるが、それがあてはまるのは日本だけかもね。社会人類学者のボク、日本で身近に日本人観察できてシアワセだ。
#4008(2010.5.14) 帝国陸軍の内蒙工作(その4)…内蒙工作なんてどうでもいいだろって?そんなこたあないよ。帝国陸軍、ひいては戦前の日本人の物の考え方を知るまたとない材料だからだ。
#4010(2010.5.15) 帝国陸軍の内蒙工作(その5)
#4012(2010.5.16) 帝国陸軍の内蒙工作(後書き)…それにしても、最近、日本の戦前史づくしって感じになっちゃったな。現在書いてるシリーズ(未公開)も戦前の日英交流史だもんね。読者の皆さんは辟易かな?だけど、前にも言ったことあるように、韓国や中共のインテリ、滅法日本の戦前史に詳しいぜ。
- 「英帝国と宥和政策の論理」(『青山国際政経論集』51号 2000年9月)、池田清、青山学院大学教授
#4260(2010.9.17) チェンバレンの対独宥和政策の評価…チェンバレン↑、チャーチル↓。両ローズベルト↓、フーバー↑。吉田茂、モチ↓。赤上げて、白下げて、的に覚えといて欲しいもんだ。このところ20年ばかしの日本の歴代首相については論評にも値しないってのは寂しいねえ。
- 「断たれたきずな(Broken Thread)」(旧版) 時事新報社1951年(原著1949年)、ピゴット(Francis Stewart Gilderoy Piggott。1936〜39年:駐日陸軍武官)少将
#4270(2010.9.22) ピゴット少将かく語りき(その1)…靖国神社に2005年にパール博士顕彰碑が建てられた→
http://bit.ly/fGlPRM が、クレイギー/ピゴット顕彰碑も建てたらいかが?(1905年の第二次日英同盟はインド防衛のためだったが)改めて日・英(豪加等)・印同盟を!
#4272(2010.9.23) ピゴット少将かく語りき(その2)…英国での20世紀の首相人気投票で、おおむねチャーチルは1位、(スエズでドジった)イーデンはビリだが→
http://bit.ly/f9samc 両者は先の大戦中の首相、外相として大英帝国を過早に瓦解させた共同戦犯なのでヘンだな。
- 「1930年代の対英観 -- 南進政策を中心に --」(『青山国際政経論集』18号 1990年)、池田清、青山学院大学教授
#4274(2010.9.24) 日本の戦犯は誰なのか(その1)…先取りしちゃうと、1940年の対英だけ開戦をつぶした主たる戦犯は近衛文麿で米内光政は従たる戦犯である、と思ってるわけだが、1936年の内蒙工作失敗の戦犯はまだ特定させていない。誰か考えてくれないもんかなあ。
#4276(2010.9.25) 日本の戦犯は誰なのか(その2)
- 「重光葵・外交意見書集 -- 第1巻 駐ソ大使・駐英大使時代」、武田知己監修、重光葵記念館編、現代史料出版
#4348(2010.10.31) 重光葵の世界観(その1)…この1〜3シリーズを読み終えたら、重光の日本語ウィキペディアに目を通してごらん。少なくともこんなベタボメするだけの人物ウィキを書いちゃダメだと思うことだろう。特に戦間期以後の日本の外交官に関してをや。
#4350(2010.11.1) 重光葵の世界観(その2)…当時の日本の外交官で、その「言」が一番マシな方で重光程度だったんだな。しかしその「行」は? 目もあてられない。(次回のお楽しみ。)現在の日本の外交官は? 「言」すら目もあてられない、と言っとこう。
#4366(2010.11.9) 重光葵の世界観(その3)…「言」が比較的まともでも、「行」において、やるべきこと(広報宣伝を含む外交)をやらず、やってはいけないこと(情報が盗まれ続けること)をやる。これを口舌の徒、職務怠慢、無能という。我が外務省の伝統に乾杯!
- 「吉田茂の自問 -- 敗戦、そして報告書「日本外交の過誤」」(藤原書店 2003年9月)、小倉和夫、青山学院大学教授、元外交官
#4368(2010.11.10) 『吉田茂の自問』を読む(その1)…これが、私のそれまでの吉田茂の再軍備拒否に対する評価・・過失犯・・が誤りであり、彼が故意犯であるということに気づいた瞬間だ。そんな「凶悪犯」がなぜ「反省」したのか。潜在的カトリック教徒としての懺悔だろ。
#4370(2010.11.11) 『吉田茂の自問』を読む(その2)
#4372(2010.11.12) 『吉田茂の自問』を読む(その3)…外部理事がいなかった頃の相撲協会の報告書ならこんなものだろうな、と思いつつ、外務省の報告書を紹介したこのコラムを読み返している。そんな報告書類に遭遇した場合、何のために作成されたか、考えるべきなんだよ。
#4374(2010.11.13) 『吉田茂の自問』を読む(その4)…昨日から未公開コラムで、出来悪の英国の外交官であったサンソムについて書いているが、当時の日本の外交官連中の出来悪度はその比ではない。サンソムの日本論程度のイギリス論ないし米国論を書いた者すら耳にしない。
#4376(2010.11.14) 『吉田茂の自問』を読む(その5)…占領時代の日本の「著名」外交官OBで、吉田ドクトリン信奉者じゃない人==国民を蔑視しない人=買弁じゃない人、いそうもないけど、万一おれば、ぜひ教えて欲しいな。さっそくその人のコラムを書いて顕彰したいので。
#4378(2010.11.15) 『吉田茂の自問』を読む(その6)…このシリーズ、読み返しててホントげんなりしたな。あの頃の日本の外交官でまともなのは杉原千畝と根井三郎くらいか。この二人とも、「ノンキャリ」で、下克上をやったわけだが・・。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9D%89%E5%8E%9F%E5...
- 「英国と日本(Britain & Japan)-- 日英交流人物列伝(Biographical Portraits)」(博文館新社 2002年)、イアン・ニッシュ編
- 「英国と日本 -- 架橋の人びと(Themes and personalities)」(思文書閣出版 1998年)、サー・ヒュー・コータッツィ&ゴードン・ダニエルズ編
#4386(2010.11.19) 戦前の日英関係の軌跡(その1)…英国の駐日大使のレベルが、戦前、少しも下がらなかったというのは驚異だ。それに引き比べ日本の外務省首脳クラスのレベルの低下は著しい。落ち目の帝国と昇竜の帝国のかかる明暗が示唆するものは? キミどう思う。
#4388(2010.11.20) 戦前の日英関係の軌跡(その2)…ピゴットもカダフィも(ウィルソン大統領の顧問だった)ハウスも大佐だ。もっとも、カダフィはあえて大佐で昇任打ち止めにしてるし、ハウスのは自称の渾名みたいなもんだけどね。「1佐」と違って大佐はエライんだよ。
#4390(2010.11.21) 戦前の日英関係の軌跡(その3)…何度も登場の「クレイギー/ピゴット」コンビ、オモロイやろ。太田コラム劇場の最近の主役級でっせ。これだけ見れるだけでも、太田コラム読者冥利に尽きるってもんや。あっ演出家がしゃしゃり出てはあきまへんな。じゃ。
#4392(2010.11.22) 戦前の日英関係の軌跡(その4)
#4394(2010.11.23) 戦前の日英関係の軌跡(その5)…クレイギーの原報告書、彼の遺品の中に残っていないのだろうか。太田「史観」で貫かれていたに違いないと私は想像する。機会あらば自分で探してみたいな。今は亡き「無名」の賢人との時空を超えた対話は面白きかな。
- 「フォーリン・アフェアーズ傑作選 1922〜1999 -- アメリカとアジアの出会い (上)」(朝日新聞社2001年)、フォーリン・アフェアーズ・ジャパン
#4462(2010.12.27) 戦間期米国人の東アジア論(その1)…ボクはパール・バックとまことに不思議なご縁を感じる。小6の時の東京での彼女との出会いが、現在の私の米国観・・人種主義的帝国主義国・・や女性観・・省略・・が形成される起点となったと思う。
#4464(2010.12.28) 戦間期米国人の東アジア論(その2)… 「正しい」史観なんてありえないわけだが、私の史観は、安全保障及び大組織管理に係る実務経験、小さい時からの異文明体験、幅広い興味、等に根ざしている。皆さんの賛成・反対論等をどしどしお寄せいただきたい。
#4466(2010.12.29) 戦間期米国人の東アジア論(その3)
- 「日露戦争以後の日本外交 -- パワー・ポリティクスの中の満韓国問題 --」(信山社 1999年)、寺本康、広島大学法学部教授(外交史)
#4484(2011.1.7) 日露戦争以後の日本外交(その1)
#4486(2011.1.8) 日露戦争以後の日本外交(その2)…近代日本は、その安全保障を人間主義的に推進し続けたんだな。その「恩」を仇で返したのが人種主義的帝国主義の米国だった。その起点と終点にローズベルト家の伯父と甥がそれぞれ決定的な役割を果たしたということ。
#4488(2011.1.9) 日露戦争以後の日本外交(その3)
#4490(2011.1.10) 日露戦争以後の日本外交(その4)…20世紀において、一つながりの大戦であった第一次、第二次世界大戦に加えて、スターリン主義(含毛沢東主義)とナチズム、が引きおこした大惨禍のすべての根本的原因は、人種主義的帝国主義国たる米国の日本敵視にある。
#4492(2011.1.11) 日露戦争以後の日本外交(その5)…当時の米国は南北戦争の戦後時代だったわけだが、奴隷所有者ではない大部分の南部白人・・負け犬・・は、自分達より恒久的に下位たる階層(黒人奴隷)を維持せんがために北軍と戦ったんんだぜ。
http://nyti.ms/gQupAY 弱肉強食の米国社会にあっては大部分の人間が負け犬だ。だから米国人は、自分達より恒久的に下位たる人々・・例えば有色人種・・を措定することによってしか、自分達のプライドないしアイデンティティを維持できない。
#4494(2011.1.12) 日露戦争以後の日本外交(その6)
#4496(2011.1.13) 日露戦争以後の日本外交(その7)
- 「ワシントン体制と日米関係」(東京大学出版会 1978年)、細谷千博・斎藤真編
#4498(2011.1.14) ワシントン体制の崩壊(その1)…英国人のトマス・バティ、ヒュー・バイアスと戦前の日本との関わりのシリーズ(未公開)を書き綴っているが、英国と日本の切っても切り離せない縁(えにし)を改めて感じるねえ。そこへいくと、米国との縁は浅い浅い。
#4500(2011.1.15) ワシントン体制の崩壊(その2)
#4502(2011.1.16) ワシントン体制の崩壊(その3)
#4504(2011.1.17) ワシントン体制の崩壊(その4)…投稿状況を見ると、大震災後の日本もようやく落ち着きつつある感じだな。何度も言ってスマンが、新たに公開されるコラムの重たいテーマに改めて向き合って欲しいな。さっき配信したコラムは特に重たーいぜ。
#4506(2011.1.18) ワシントン体制の崩壊(その5)
#4508(2011.1.19) ワシントン体制の崩壊(その6)
#4510(2011.1.20) ワシントン体制の崩壊(その7)…2人の違いはこれだけ:「吉田さんの英語は感心するほどのものではなかった」→
http://bit.ly/gXFU5k 幣原「喜重郎の英語は欧米の政治家から高く評価され」た→
http://bit.ly/ii1xGM このKY「兄弟」が昭和日本をおかしくした。
#4512(2011.1.21) ワシントン体制の崩壊(その8)…『裸の王様』はスペインの古い伝承をアンデルセンが翻案し、1837年に発表した作品だが、18世紀のデンマークがそのスペインも真っ青な全体主義国家であったという歴史→
http://on.wsj.com/fg0ur6 がその背景にある。
#4518(2011.1.24) ワシントン体制の崩壊(その9)…日本の戦前史から見えてくるのは、(日本のように)人間主義的に行動していると、偏見を持ってたり頭が悪かったりする連中(米国、支那等)から究極のエゴイストだと思われて袋だたきに遭うことがあるってことだな。
#4520(2011.1.25) ワシントン体制の崩壊(その10)…戦時中の日本も自由民主主義だったことを自覚したのが10年前の僕の退職前後。しかし、当時は吉田茂やマクマレーの正体は知らなかった。横井小楠コンセンサスの存在にも帝国陸軍のスゴさにも気づいていなかった。
#4522(2011.1.26) ワシントン体制の崩壊(その11)…「太平洋戦争」とは、イエス(日本)がユダヤ人の王を僭称した(支那を支配しようとした)として一部ユダヤ人(支那)達とローマ(米国)によって磔刑に処(滅亡さ)せられたようなもの。
http://ja.wikipedia.org/wiki/INRI
#4524(2011.1.27) ワシントン体制の崩壊(その12)…現在、僕は先の大戦前の親日派英国人、クレイギー、ピゴット、バティ、バトラーらを売り出し中だが、彼等で、米国人マクマレーに対するような失望を今後味わわないことを祈るばかりだ。人間一筋縄じゃいかないわけだが。
#4526(2011.1.28) ワシントン体制の崩壊(その13)…アホ米国の属国であり続けることがどんなにマゾでサドかもう分かってくれよな。米国は、善意の日本をボコボコにして東亜を赤露に委ね、兵力を前方展開せず朝鮮戦争、ベトミンを初期に粉砕せずベトナム戦争を惹起した。
- 「日英交流史1600‐2000〈1〉政治・外交 I」(東京大学出版会 2000年)、細谷千博 イアン・ニッシュ監修、木畑洋一 イアン・ニッシュ 細谷千博 田中孝彦編
#4528(2011.1.29) 日英同盟をめぐって(その1)…TVで「サウジ、高まる日本文化への関心」ってニュース見たけど、要するに日本のソフトパワーの背後にあるのは日本の人間主義だってことだな。
http://bit.ly/hdEtEQ 後は「独立」して政府さえよくすりゃ言うことなし。
#4530(2011.1.30) 日英同盟をめぐって(その2)
#4532(2011.1.31) 日英同盟をめぐって(その3)
#4534(2011.2.1) 日英同盟をめぐって(その4)…皆さんが、戦後の「右」の識者達の戦前史観は、「左」のそれよりも、その不誠実さや卑屈さ等においてより咎められるべきだ、と思い始めていることと期待している。さあ、虚心坦懐に戦前の日本人達と心を通わせよう。
- 「日英交流史1600‐2000〈3〉軍事」(東京大学出版会 2001年)、細谷千博 イアン・ニッシュ監修、平間洋一 イアン・ガウ 波多野澄雄 編
#4536(2011.2.2) 日英同盟をめぐって(続)(その1)
#4538(2011.2.3) 日英同盟をめぐって(続)(その2)…第一次大戦中及び直後の英海軍の日本観、堀江貴文への高評価、国産原発防災ロボット不存在理由の説明、の3者に共通しているのは、己の歪み(人種差別意識・日本型経済体制への無知・吉田ドクトリン当然視)に気づいていないことだ。
#4540(2011.2.4) 日英同盟をめぐって(続)(その3)
#4542(2011.2.5) 日英同盟をめぐって(続)(その4)…軍人ウィリアム王子は、当然、軍服で結婚式に臨んだ。日本で皇族が軍服を纏う日は来るのだろうか。いや、それどころか、天皇が自衛隊施設を公式訪問するのはいつなのだろうか。墨守される吉田ドクトリンの下、日本とともに天皇制も衰亡へ?
#4544(2011.2.6) 日英同盟をめぐって(続)(その5)…英海軍と帝国海軍は見合い結婚だったがそれが破綻した頃、英陸軍と帝国陸軍は相思相愛になって内縁関係を後者が亡くなる寸前まで続けたってストーリーだね。国と国、組織と組織の関係だって、人と人との関係のアナロジーが相当きくよ。
#4546(2011.2.7) 日英同盟をめぐって(続)(その6)
#4548(2011.2.8) 日英同盟をめぐって(続)(その7)
#4550(2011.2.9) 日英同盟をめぐって(続)(その8)…「一死以テ大罪ヲ謝シ奉ル」(阿南惟幾)、「一切語るなかれ」(東條英機)。この二人のストイシズムは心を打つが、彼ら以外の旧帝国陸軍の上澄みの人々は、戦後、この組織の名誉回復のためにもっともっと言挙げしてくれるべきだった。
#4552(2011.2.10) 日英同盟をめぐって(続)(その9)…先の大戦前、スターリンが日本に対して悪意を抱いていることが分からなかった日本人は死刑、ローズベルトに関しては無期懲役、チャーチルに関しては禁固刑に値する。 もちろん、彼ら全員、戦犯として死刑に処せられてしかるべきだった。
#4554(2011.2.11) 日英同盟をめぐって(続)(その10)…インパール作戦は人間主義的動機のみに基づいて決行されたと言ってよかろう。空前のことだ。他方、満州事変も日支戦争も、大東亜戦争(本体)も、人間主義的動機に基づいて行われたわけだが、その手段としての安全保障的動機もあった。
#4556(2011.2.12) 日英同盟をめぐって(続)(その11)
#4558(2011.2.13) 日英同盟をめぐって(続)(その12)
#4560(2011.2.14) 日英同盟をめぐって(続)(その13)
#4562(2011.2.15) 日英同盟をめぐって(続)(その14)
#4574(2011.2.21) 日英同盟をめぐって(続)(その15)
#4576(2011.2.22) 日英同盟をめぐって(続)(その16)
#4578(2011.2.23) 日英同盟をめぐって(続)(その17)…外国や自国の歴史を理解しようとする場合、文化論ないし文明論的な説明は、人間科学的、論理的にどうしても説明がつかない時に最後に試みるべきことだ。最初に試みようとするのは、キミが思い込み、偏見、差別意識に囚われているからだ。
#4580(2011.2.24) 日英同盟をめぐって(続)(その18)
- 「日本外交の座標」(中公叢書。中央公論社 1979)、細谷千博
#4582(2011.2.25) ジョージ・サンソムの過ち(その1)…ジョージ・サンソム(/アンソニー・イーデン)は論外だが、クレイギー/ピゴットとネヴィル・チェンバレン/ウォレン・フィッシャーの対日観にもまた、互いに相容れない点があったことに、本シリーズ執筆当時は、まだはっきり気づいていなかった。
#4584(2011.2.26) ジョージ・サンソムの過ち(その2)
- 「日本の外交政策 1869‐1942―霞が関から三宅坂へ」(ミネルヴァ書房 1994年)、I.ニッシュ/宮本盛太郎監訳
#4590(2011.3.1) 戦前の日本の外相(その1)…征韓論者のイデオロギーと言っても、西郷の場合は人間主義的イデオロギーであったと見るべきですし、岩倉らも人間主義的イデオロギーを排斥していたわけではなく、まだ日本は、かかるイデオロギーに基づいたものであろうとなかろうと、朝鮮半島に手を出すだけの実力を備えていないと判断したわけです。
#4592(2011.3.2) 戦前の日本の外相(その2)
#4594(2011.3.3) 戦前の日本の外相(その3)…帝国憲法解釈上、統帥権のみならず外交権も政府から「独立」していたにもかかわらず、後者は戦後言及されることすらない。ここにも戦後日本がいかに旧軍に対して厳しく戦前の外務省に対して甘いかが表れている。
#4596(2011.3.4) 戦前の日本の外相(その4)…大学中退外交官が「発生」したのは、戦後、新制大学になってからなのかどうか、知ってる人は教えてね。ついでに、一般の公務員と違ってなんで卒業しない者を外務省は採用することにしたのかも教えてほしいな。司法試験なんかは資格試験だけど、公務員試験は採用試験だというのにね。
#4598(2011.3.5) 戦前の日本の外相(その5)
#4600(2011.3.6) 戦前の日本の外相(その6)
#4602(2011.3.7) 戦前の日本の外相(その7)…誰か幣原や吉田、ひいては外務省の弁護できるものならしてごらん。大体からして何で自衛隊しかないのに日本に外務省があんのさ。占領下に終戦連絡中央事務局があったのに倣って、渉外連絡中央事務庁とでも看板を付け替えたらどうだ。
- 「戦間期の日本外交--パリ講和会議から大東亜会議まで--」(ミネルヴァ書房 2004年)、関静雄訳(原著は、Ian Nish 'Japanese Foreign Policy in the Interwar Period' Praeger 2002)
#4604(2011.3.8) ニッシュ抄(その1)
#4606(2011.3.9) ニッシュ抄(その2)…日本の明治維新や明治時代を考えるにあたって、当時の日本の指導者達が、もっぱら英国を模範としたことを忘れちゃいけない。それは、単に当時の英国が世界覇権国であり、かつ最先進国の一つであったからだけじゃない。彼らは、英国の文明に最も親和性を覚えたからなんだな。
#4608(2011.3.10) ニッシュ抄(その3)
#4610(2011.3.11) ニッシュ抄(その4)
#4612(2011.3.12) ニッシュ抄(その5)
#4614(2011.3.13) ニッシュ抄(その6)
#4616(2011.3.14) ニッシュ抄(その7)
#4618(2011.3.15) ニッシュ抄(その8)
#4621(2011.3.16) ニッシュ抄(その9)
#4624(2011.3.17) ニッシュ抄(その10)
- 「ロシア革命と日本(近代日本外交史叢書第4巻)」(原書房 1972年)、細谷千博
#4627(2011.3.18) ロシア革命と日本(その1)
#4630(2011.3.19) ロシア革命と日本(その2)…シベリア出兵当時、シベリアで戦っていた自由民主主義陣営が、現在では千島、樺太南半分、北朝鮮、支那、ベトナム等を失った状態で、(モンゴルを飛び地としつつ)非自由民主主義陣営と対峙しているってわけだ。当時の日本人はほぼすべてを見通していた。英国はまあまともだった。米国は大アホだった。
#4633(2011.3.20) ロシア革命と日本(その3)…007のモデル、レイリーは、処刑されるまでの間、ソ連による尋問のやり方を克明に記したメモを牢獄の壁の中に隠していた。
http://en.wikipedia.org/wiki/Sidney_Reilly 生還したら、英国の役に立てられるだろうと考えたんだろうな。最後まで諦めず、職務に精励するってスゴイー。
#4637(2011.3.22) ロシア革命と日本(その4)
#4640(2011.3.23) ロシア革命と日本(その5)…ヴィクトリア女王の容色は並みだったけど夫のアルバートは美男子だった。(それぞれの(絵じゃなくて)写真を見てごらん。)婚礼の夜の女王の日記は夫へのべたぼれぶりと歓喜がうかがえてまことにいじらしい(英語ウィキペディアに載っている)。
#4643(2011.3.24) ロシア革命と日本(その6)
#4645(2011.3.25) ロシア革命と日本(その7)
#4647(2011.3.26) ロシア革命と日本(その8)
#4649(2011.3.27) ロシア革命と日本(その9)
#4651(2011.3.28) ロシア革命と日本(その10)
#4653(2011.3.29) ロシア革命と日本(その11)
#4655(2011.3.30) ロシア革命と日本(その12)
- 「日英関係史−1917〜1949」(東京大学出版会 1982年)、細谷千博編
#4669(2011.4.6) 再び日本の戦間期について(その1)
#4671(2011.4.7) 再び日本の戦間期について(その2)
#4685(2011.4.14) 再び日本の戦間期について(その3)…1931〜45年の支那(含満州)は、日本勢力圏、欧米(国民党)勢力圏、ロシア(共産党)勢力圏のミニ三国時代だととらえればよかろう。(1931年に江西省瑞金に共産党政府が初めて樹立されている。)大昔のそれと違うのは、君主間の対立ではなかった点と全球的対峙状況が反映されていた点だ。
#4687(2011.4.15) 再び日本の戦間期について(その4)…戦後の吉田茂像の典型が→
http://www.ffortune.net/social/people/nihon-today/... だ。これが180度間違いであることを品を変え手を変えて私はコラムに書いてきているわけだが、皆さんは、これまで刷り込まれてきた吉田像の呪縛から、少しは解放されただろうか。
#4689(2011.4.16) 再び日本の戦間期について(その5)…私の戦前史観を概観するのに好適なコラムだね。結論的部分をうのみにせず、疑問点等があったらどしどし質問してくれたまえ。また、日本の戦前史についての、面白い論考や本を見つけたら、教えてもらえるとありがたい。このところ書いてる有料読者向けコラムでは、他のテーマを追いかけているんだけど。
#4691(2011.4.17) 再び日本の戦間期について(その6)…金欠病の米国は、有人宇宙計画から事実上撤退してしまった。
http://t.co/DrkqcqS そんな米国がいつまで米軍を東アジアに前方展開し続けると思う?米軍撤退の時に慌てふためくようなことを回避するためにも、日本の20世紀戦前史を勉強しようじゃないか。
#4693(2011.4.18) 再び日本の戦間期について(その7)
#4695(2011.4.19) 再び日本の戦間期について(その8)
#4697(2011.4.20) 再び日本の戦間期について(その9)…先の大戦がらみで、日本人が敬意を表すべき英国人は、クレイギー、ピゴット、バティ、そしてバトラー(頭文字はCBBB)の4人衆だよー。そして、最も敬意を表すべき日本の組織は帝国陸軍、唾棄すべきは外務省だぞー。いつになったらこれらが常識になることやら・・。
#4699(2011.4.21) 再び日本の戦間期について(その10)
- 「1939年の排英運動」(近代日本研究会編 『昭和期の社会運動』山川出版社 1983年 収録)、永井和
#4701(2011.4.22) 先の大戦直前の日本の右翼(その1)
#4703(2011.4.23) 先の大戦直前の日本の右翼(その2)
#4705(2011.4.24) 先の大戦直前の日本の右翼(その3)
#4711(2011.4.27) 先の大戦直前の日本の右翼(その4)
#4713(2011.4.28) 先の大戦直前の日本の右翼(その5)
- 「日英交流史1600‐2000〈5〉社会・文化」(東京大学出版会 2001年8月)、細谷千博 イアン・ニッシュ監修、都築忠七 ゴードン・ダニエルズ 草光俊雄編
#4717(2011.4.30) 英国人の日本観の変遷(その1)…幕末の時点で、既に英国人の多くは、人間主義的な日本・・その民主主義と国際道徳・・に感銘を受けていたわけだ。その後の日本も、当然そうあり続けた。そんな自明なことが(太田コラムの読者以外の)現在の日本人にはどうして分からないのだろうか。
#4719(2011.5.1) 英国人の日本観の変遷(その2)
#4722(2011.5.2) 英国人の日本観の変遷(その3)
#4724(2011.5.3) 英国人の日本観の変遷(その4)
#4726(2011.5.4) 英国人の日本観の変遷(その5)…私は、繰り返し、日本の戦前の大陸「進出」は主観的にも客観的にも人間主義的動機によるものであったと指摘しているわけだが、これに反するとしか思えない史実やデータをご存じの方は教えていただけるとありがたい。
#4728(2011.5.5) 英国人の日本観の変遷(その6)
- 「日英交流史1600‐2000〈2〉政治・外交 II」(東京大学出版会 2000年)、細谷千博 イアン・ニッシュ監修、木畑洋一 イアン・ニッシュ 細谷千博 田中孝彦編
#4730(2011.5.6) 戦間期の日英経済関係史(その1)
#4732(2011.5.7) 戦間期の日英経済関係史(その2)…東日本大震災は、日本人の人間主義性と戦後日本の堕落ぶりとを二つながら炙り出した。今次支那での高速鉄道事故は中共当局の非民本主義性を炙り出した。以上を踏まえれば、戦前の日本の(国内、対外)戦略がいかに正しく、戦後の日本の属国戦略がいかに間違っているかは自ずから明らかだろう。
#4738(2011.5.10) 戦間期の日英経済関係史(その3)
#4740(2011.5.11) 戦間期の日英経済関係史(その4)
- 「日英交流史1600〜2000〈4〉経済」(東京大学出版会 2001年)、細谷千博 イアン・ニッシュ監修、杉山伸也 ジャネット・ハンター編
#4742(2011.5.12) 戦間期の日英経済関係史(続)(その1)
#4744(2011.5.13) 戦間期の日英経済関係史(続)(その2)
#4746(2011.5.14) 戦間期の日英経済関係史(続)(その3)
- 「英国と日本 架橋の人々」(思文閣出版 1998年)、サー・ヒュー・コータッツィ&ゴードン・ダニエルズ編
#4748(2011.5.15) 戦前の英国の知日派(その1)
#4750(2011.5.16) 戦前の英国の知日派(その2)
#4752(2011.5.17) 戦前の英国の知日派(その3)
#4754(2011.5.18) 戦前の英国の知日派(その4)
- 「Collected Writings of Ian Nish, Part 1」(Japan Library/Edition Synapse 2001年)、イアン・ニッシュ(Ian Nish)
#4756(2011.5.19) イアン・ニッシュかく語りき(その1)
#4758(2011.5.20) イアン・ニッシュかく語りき(その2)…通常、表明した意図と招来された結果が合致していれば、それで証明は終わりだが、戦前の日本の人間(じんかん)主義的対外政策をそのようなものとして諸外国の人々に理解してもらうのは至難のわざだ。朝鮮半島の場合、まさしく、日本が意図したとおり、近代化と経済発展がもたらされたんだけどねえ。
- 「伊藤博文 知の政治家」(中公新書 2010年4月)、瀧井一博
#4772(2011.5.27) 『伊藤博文 知の政治家』を読む(その1)
#4774(2011.5.28) 『伊藤博文 知の政治家』を読む(その2)…日本の戦前史を理解するためには、少なくとも、日本史全体(タテ/時系列)と当時の世界情勢(ヨコ/環境)についての相当程度の理解が必要であることを痛感するね。ボクの場合、最終的目的は、日本の現在(同時代史)を説明することであり、それがひいては日本の「独立」に資することなんだけどね。
#4776(2011.5.29) 『伊藤博文 知の政治家』を読む(その3)…瀧井は、伊藤博文の女色僻(
http://maesaka-toshiyuki.com/detail/186)に全く触れてない。彼を「知の政治家」に仕立て上げたいので触れるのを憚ったのかもしれないが、政治を論ずるにあたっては社会全体について論じなければならず、政治家伊藤を論じたいのなら、彼の全体像をとらえなきゃならない。
#4778(2011.5.30) 『伊藤博文 知の政治家』を読む(その4)
#4782(2011.6.1) 『伊藤博文 知の政治家』を読む(その5)…一人一人は複雑な思考ができても、集団としてはそうはいかない。日本は、明治維新後、初期は集団指導体制、それからは民主主義体制だった。だから、日本の戦前史は単純な原理で動いていたと考えるべきだろう。人間主義に基づく、横井小楠コンセンサスと英国模範視でもって大部分のことは説明できるぜ。
#4788(2011.6.4) 『伊藤博文 知の政治家』を読む(その6)
#4790(2011.6.5) 『伊藤博文 知の政治家』を読む(その7)
#4792(2011.6.6) 『伊藤博文 知の政治家』を読む(その8)
- 「孫文の「中独ソ三国連合」構想と日本 1917-1924年−「連ソ」路線および「大アジア主義」再考−」(『戦間期の東アジア国際政治(中央大学出版部2007年)』の第一章)、田嶋信雄、成城大学法学部教授
#4934(2011.8.16) 孫文の正体(その1)
#4936(2011.8.17) 孫文の正体(その2)
- 「1920年代前半期ソ連・コミンテルンの対中国政策」(『民国前期中国と東アジアの変動(中央大学出版部1999年)』の第4章)、王永祥
- 「中国人のソ連留学とその遺産−モスクワ孫文大学(1925〜30年)を中心に−」(『民国前期中国と東アジアの変動(中央大学出版部1999年)』の第5章)、土田哲夫、中央大学経済学部教授
#4938(2011.8.18) 赤露による支那侵略(その1)
#4940(2011.8.19) 赤露による支那侵略(その2)
#4944(2011.8.21) 赤露による支那侵略(その3)
#4946(2011.8.22) 赤露による支那侵略(その4)
#4948(2011.8.23) 赤露による支那侵略(その5)
#4950(2011.8.24) 赤露による支那侵略(その6)
- 「上海をめぐる日英関係 1925-1932年 日英同盟後の協調と対抗」(東京大学出版会 2006年11月)、後藤春美、東京大学大学院総合文化研究科教授
#4952(2011.8.25) 戦間期日英関係の軌跡(その1)
#4954(2011.8.26) 戦間期日英関係の軌跡(その2)
#4956(2011.8.27) 戦間期日英関係の軌跡(その3)
#4958(2011.8.28) 戦間期日英関係の軌跡(その4)
#4960(2011.8.29) 戦間期日英関係の軌跡(その5)
#4962(2011.8.30) 戦間期日英関係の軌跡(その6)
#4964(2011.8.31) 戦間期日英関係の軌跡(その7)
#4966(2011.9.1) 戦間期日英関係の軌跡(その8)
#4967(2011.9.2) 戦間期日英関係の軌跡(その9)
#4968(2011.9.2) 戦間期日英関係の軌跡(その10)
#4970(2011.9.3) 戦間期日英関係の軌跡(その11)
#4972(2011.9.4) 戦間期日英関係の軌跡(その12)
#4976(2011.9.6) 戦間期日英関係の軌跡(その13)
#4978(2011.9.7) 戦間期日英関係の軌跡(その14)
#4980(2011.9.8) 戦間期日英関係の軌跡(その15)
#4982(2011.9.9) 戦間期日英関係の軌跡(その16)
#4984(2011.9.10) 戦間期日英関係の軌跡(その17)
#4986(2011.9.11) 戦間期日英関係の軌跡(その18)
- 「戦前日本人の対ドイツ意識」(慶應義塾大学出版会 2005年)、岩村正史、洗足学園短期大学講師
#4988(2011.9.12) 戦間期日本人の対独意識(その1)
#4990(2011.9.13) 戦間期日本人の対独意識(その2)
#4992(2011.9.14) 戦間期日本人の対独意識(その3)
#4994(2011.9.15) 戦間期日本人の対独意識(その4)
#4996(2011.9.16) 戦間期日本人の対独意識(その5)
#4998(2011.9.17) 戦間期日本人の対独意識(その6)
#5000(2011.9.18) 戦間期日本人の対独意識(その7)
#5002(2011.9.19) 戦間期日本人の対独意識(その8)
#5004(2011.9.20) 戦間期日本人の対独意識(その9)
#5006(2011.9.21) 戦間期日本人の対独意識(その10)
#5008(2011.9.22) 戦間期日本人の対独意識(その11)
#5016(2011.9.26) 戦間期日本人の対独意識(その12)
#5018(2011.9.27) 戦間期日本人の対独意識(その13)
#5020(2011.9.28) 戦間期日本人の対独意識(その14)
#5022(2011.9.29) 戦間期日本人の対独意識(その15)
#5026(2011.10.1) 戦間期日本人の対独意識(その16)
#5028(2011.10.2) 戦間期日本人の対独意識(その17)
#5030(2011.10.3) 戦間期日本人の対独意識(その18)
#5032(2011.10.4) 戦間期日本人の対独意識(その19)
- 「歴代の駐日英国大使1859‐1972」(文眞堂 2007年)、サー・ヒュー・コータッツィ編著
#5034(2011.10.5) 歴代の駐日英国大使(その1)
#5036(2011.10.6) 歴代の駐日英国大使(その2)
#5038(2011.10.7) 歴代の駐日英国大使(その3)
#5040(2011.10.8) 歴代の駐日英国大使(その4)
#5042(2011.10.9) 歴代の駐日英国大使(その5)
#5044(2011.10.10) 歴代の駐日英国大使(その6)
#5046(2011.10.11) 駐日英国大使ティリー補論
- 「上海をめぐる日英関係1925‐1932年―日英同盟後の協調と対抗」(東京大学出版会 2006年)、後藤春美、東京大学大学院総合文化研究科アメリカ太平洋地域研究センター教授
#5048(2011.10.12) 戦間期の排日貨(その1)
#5050(2011.10.13) 戦間期の排日貨(その2)
#5052(2011.10.14) 戦間期の排日貨(その3)
#5058(2011.10.17) 戦間期の排日貨(その4)
#5060(2011.10.18) 戦間期の排日貨(その5)
#5062(2011.10.19) 戦間期の排日貨(その6)
#5064(2011.10.20) 戦間期の排日貨(その7)
#5066(2011.10.21) 戦間期の排日貨(その8)
- 「満州事変後の日中宣伝外交とアメリカ─「田中上奏文」を中心として─」(『戦間期の東アジア国際政治(中央大学出版会 2007年)』の第5章)、服部龍二、中央大学総合政策学部准教授
- 『日中歴史認識 「田中上奏文」をめぐる相剋 1927-2010』(東京大学出版会 2010年)、服部龍二、中央大学総合政策学部准教授
#5168(2011.12.11) 田中上奏文(その1)
#5170(2011.12.12) 田中上奏文(その2)
#5172(2011.12.13) 田中上奏文(その3)
#5174(2011.12.14) 田中上奏文(その4)
#5176(2011.12.15) 田中上奏文(その5)
#5178(2011.12.16) 田中上奏文(その6)
#5180(2011.12.17) 田中上奏文(その7)
#5182(2011.12.18) 田中上奏文(その8)
#5184(2011.12.19) 田中上奏文(その9)
#5188(2011.12.21) 田中上奏文(その10)
- 「対華二十一ヶ条<(21カ条)>の要求と日英関係--シンガポール駐屯インド兵の叛乱を軸として--」(『史学雑誌100号』 山川出版社 1991年 収録)、平間洋一
#5426(2012.4.17) 加藤高明と外務省の原罪(その1)
#5428(2012.4.18) 加藤高明と外務省の原罪(その2)
#5430(2012.4.19) 加藤高明と外務省の原罪(その3)
- 「山県有朋の「利益線」概念--その源泉と必然性」(『軍事史学 42巻一号』 錦正社 2006年 収録)、村中朋之
#5434(2012.4.21) 山県有朋と利益線
- 「ピゴットと日英関係--「知日」イギリス人の軌跡--」(『政治経済史学300号』日本政治経済史学研究所 1991年 収録)、村島滋
#5438(2012.4.23) 再びピゴットについて(その1)
#5440(2012.4.24) 再びピゴットについて(その2)
- 『秘録陸軍中野学校』(新潮文庫 2003年)、畠山清行著・保坂正康編
#5768(2012.10.7) 『秘録陸軍中野学校』を読む(その1)
#5770(2012.10.8) 『秘録陸軍中野学校』を読む(その2)
#5772(2012.10.9) 『秘録陸軍中野学校』を読む(その3)
#5780(2012.10.13) 『秘録陸軍中野学校』を読む(その4)
#5782(2012.10.14) 『秘録陸軍中野学校』を読む(その5)
#5784(2012.10.15) 『秘録陸軍中野学校』を読む(その6)
#5786(2012.10.16) 『秘録陸軍中野学校』を読む(その7)
#5790(2012.10.18) 『秘録陸軍中野学校』を読む(その8)
#5792(2012.10.19) 『秘録陸軍中野学校』を読む(その9)
#5804(2012.10.25) 『秘録陸軍中野学校』を読む(その10)
#5814(2012.10.30) 『秘録陸軍中野学校』を読む(その11)
#5816(2012.10.31) 『秘録陸軍中野学校』を読む(その12)
#5818(2012.11.1) 『秘録陸軍中野学校』を読む(その13)
#5820(2012.11.2) 『秘録陸軍中野学校』を読む(その14)
- 『陸軍中野学校終戦秘史』(新潮文庫 2004年)、畠山清行著・保坂正康編
#5856(2012.11.20) 陸軍中野学校終戦秘史(その1)
#5858(2012.11.21) 陸軍中野学校終戦秘史(その2)
#5860(2012.11.22) 陸軍中野学校終戦秘史(その3)
#5864(2012.11.24) 陸軍中野学校終戦秘史(その4)
#5866(2012.11.25) 陸軍中野学校終戦秘史(その5)
#5868(2012.11.26) 陸軍中野学校終戦秘史(その6)
#5870(2012.11.27) 陸軍中野学校終戦秘史(その7)
#5872(2012.11.28) 陸軍中野学校終戦秘史(その8)
#5874(2012.11.29) 陸軍中野学校終戦秘史(その9)
- 『日中全面戦争と海軍--パナイ号事件の真相』(青木書店 1997年)、笠原十九司
#6537(2013.10.27) 台湾史(その1)
#6539(2013.10.28) 台湾史(その2)
#6541(2013.10.29) 台湾史(その3)
#6543(2013.10.30) 台湾史(その4)
#6545(2013.10.31) 台湾史(その5)
#6547(2013.11.1) 台湾史(その6)
#6553(2013.11.4) 台湾史(その7)
#6559(2013.11.7) 台湾史(その8)
#6563(2013.11.9) 台湾史(その9)
#6567(2013.11.11) 台湾史(その10)
#6569(2013.11.12) 台湾史(その11)
#6573(2013.11.14) 台湾史(その12)
#6575(2013.11.15) 台湾史(その13)
- 『近代思想の萌芽』(筑摩書房1966年)、編集・解説 松本三之介
#6579(2013.11.17) 横井小楠コンセンサス(その1)
#6581(2013.11.18) 横井小楠コンセンサス(その2)