VS外伝 妖妃リュネイ 〜穏やかな日々・【八卦】〜


〜〜 神暦 29X年 〜〜


「想武さま〜、想武さま〜」

「おぉ、未月か。どうした?」

「想武さま〜。想武さまから頂いた“課題”が、できるようになったのです〜。」

「む、もうできたのか?」

「お待ちくださいね。・・・・はっ!」

未月は、額の前で印を組み、声を発した。
それに呼応して足元の砂が盛り上がり、大人の高さくらいの柱となって固まる。
想武は柱に近づくと、拳で軽く叩いてみる。

「ふむ・・・なかなかの強度だ。まだ昼前だと言うのに、今朝、与えた課題をこなしてしまうとは。・・・流石は未月だな。」

「えへへ・・・と言いたいとこなんですけど」

未月は、俯き加減で主を見上げると、愛らしい舌をちらっと出す。

「む?」

「・・・ごめんなさい、想武さま。実はこの課題、未月一人でできた訳ではないのです。」

「ふむ・・・」





*** 一刻前 ***

「えいやっ!・・・はっ!・・・たぁ〜っ!」

砂と石だけの、枯山水の庭園で、未月はひたすら印を組み続け、呪(しゅ)を繰り出していた。

「・・・だめだぁ、少しもできないよぅ〜」

ぺたん、と両膝を着く未月。ひとりでに溜め息が漏れる。

「こんなこともできないんじゃ、未月は月人として、想武さまのお役に立てないよぉ・・・。」

呟きと共に、“気”が体から出ていくのを感じているものの、予想以上の疲労の為、それを止めることもままならなかった。
体の中心が、力なく呻き声を上げた。

「はぁ・・。」

お腹に当てた両手の甲を、ぼんやりと見つめる。ふいに、その手に影が差す。

「・・・どうかされましたか?」

白くて、細く、柔らかな手が、未月の手に触れた。

「みつきさま、おなかがいたいのですか?」

未月の傍にかがみ込み、ふんわりした微笑みを浮かべながら問いかける、色白の女性。彼女の側には、幼子が一人佇む。
頬に触れそうなまでに近づいた、白銀色の長い髪から、仄かに良い香りがした。

「な、なんでもないんです、リュネイさん!」

慌てて立ち上がる未月。その一方で、かがみ込んだまま、不思議そうな瞳で、見上げるリュネイ。
二人の視線が結びつく。

じぃっと、見つめ合う二人。そのままの状態で、二人とも動かない。―――そんな光景が、傍らの幼子の瞳に、映る。


ごくり、と未月の喉が鳴る。

「・・・か、“課題”を頂いたのです。」

頬を朱に染めながら、未月が口を開く。

「かだい、ですか?」

ゆっくりと、リュネイの首が傾く。

「呪を使って、砂の柱を・・・刃も通さないような柱を作りなさい、と想武さまから“課題”を頂いたのです。」

「すなの、はしら・・・」

「だけど、全然できなくて・・・砂を動かすことさえも、できなくて・・・これじゃ、未月は・・・未月は、想武さまの月人には・・・」

リュネイの人差し指が、未月の口にそっと当たる。

驚きで固まる未月に、リュネイは柔らかい微笑みを返す。

「みつきさま、ごぶれいをおゆるしくださいませ。」

膝を着いたままのリュネイは、未月の両手を取ると、ゆっくりとした動きで、その手を彼女の胸の前に組ませ、印を作らせた。
瞳を閉じ、自分の額を未月が作った印の前に近づけると。

「―――――――――」

未月が聞いたことも無いような言葉を、発する。
するとすぐさま、未月の少し後ろで、何かが激しく擦れるような音が続いた。振り返ると、未月と同じくらいの高さと胴回りを持った・・・。

「あ・・・砂の柱が!?」

おそるおそると言った風で歩み寄ると、つんつん、と柱を指でつついてみる。ぱらぱらと砂粒が落ちていった。

おもむろに右腕を高く上げ、思い切り振り下ろすと・・・・・鈍い音が、した。

「〜〜〜〜!」

声にならない悲鳴と共に、右手を押さえてうずくまる未月。

「みつきさま!?」

転ぶように駆け寄ると、未月の右手を、ぎゅっ、と胸の中に抱きしめた。やわらかくて、あたたかい感触。

「りゅっ、リュネイさん!?」

未月の声が裏返る。リュネイはかまわず、ぎゅっと瞳を瞑り、右手を抱きしめ続ける。

―――気が、流れ込んでくる―――



「――あの、リュネイさん・・・もう、大丈夫ですから。」

しばらくして、ようやく未月は声を掛けることができた。



「・・・いたく、ありませんか?」

「ううん、平気です。その、リュネイさんが、やわらかくって、あったかかったから・・・。」

「あぁ、よかった〜。」

満面の笑みに、未月の胸がどきんと疼いた。なだらかな胸を左手で押さえながら、慌てて話題を作る。

「あの、リュネイさん、一つ聞いていいですか?」

「はい?」

「あの、・・・どうして、あんなに簡単に、砂の柱を作れたのですか?」

「どうして、ですか?」

人差し指をおとがいに添えたまま、瞳をぱちぱちと瞬かせると。下を向き、空を見上げ、傍らの幼子――コリュウを見詰め、再び下を向き、そして。
ぱちん、と両手を合わせ、にっこりと微笑んだ。

「すなも、てをもっているからですわ。」

「???」

「??」


またしばらくの間、二人はお互いを見詰め続けた。

―――そしてその光景を、幼子の虚ろな瞳は、ただ、映す。





「・・・ふむ、『砂に、願う』とな?」

「はい。ですから、未月は自分の力で“課題”をこなすことができなかった。・・・ズルをしてしまったのです。」

そう言って、未月は頭を下げた。栗色の長い髪が、ぴょこんと、頭の動きに倣う。

「そんなことはないぞ、未月。」

想武の手は、未月の頭を優しく撫でる。

「ワシはただ、『刃すら通さぬ柱を作って見せよ』と言っただけだ。他人の手を借りてはならぬ、と言った覚えはないぞ。」

「・・・想武さま。」

想武に促されて、未月は頭を上げる。

「それに今、ワシの前で砂の柱を作り上げたのは、未月自身だろう? たとえ、リュネイの助言を受けたのだとしても、その意味を理解し、自分のものにしたのは、未月、お前の実力によるものだ。」

「想武さま・・・」

想武の口元がほころぶ。

「どうやら、お前とリュネイは相性がいいようだ。・・・そうだな、未月、これからは呪のことで分からないことがあれば、リュネイに聞いてみるのが良かろう。」

「・・・・」

ふいに未月は、想武から目を逸らした。
未月の微かな気の乱れを、想武の“想覚”は敏感に受け取った。

「どうした、未月?」

「・・・想武さまは、リュネイさんのこと、どう思われていらっしゃるのですか?」

「む? 急に何を言い出すのだ?」

未月の声色に、少し穏やかでないものを感じて。【八卦】を統べる神王は、不覚にも身構えてしまった。

「だって、想武さまったら、リュネイさんのことを話されたとき、『とても』嬉しそうなお声をされるんですもの。」

「そ、そんなことは無いぞ、未月!?」

―――ここで、神王を弁護することが許されるなら、少女の『とても』は、『かなり』誇張されていることを補足しておく。

「ええ、そうですよね。リュネイさんは、お優しくって、お綺麗で・・・瞳なんか、見詰められただけでドキドキしてしまって。お声も、心地よくって、耳にしただけで心がぼぉっ、としてしまいそうで、それに・・・」

微かであった気の乱れが、瞬く間に膨れ上がってくる。

「な、何を馬鹿なことを・・・?」

「(胸もおっきくって、やわらかくって)・・・ああいう大人の女性が、やっぱり想武さまも、お好みですよね?」

ついに、未月の両目から涙がこぼれ出した。

「み、未月?」

「未月は・・・未月は、もう、想武さまのことなんて、知りませんっ! しばらくの間、“おいとま”させていただきますっ!」

「ま、待ちなさい、未月――!?」

走り去っていく月人の卵を、乙女心に疎い神王は、呆然と見送るしかなかった。




おもむろに、足音が想武の傍らへと近づいて来る。

「ふふふっ。・・・あ〜あ、神王様ったら、未月様のおへそを“し〜っかり”お曲げになってしまわれましたわねぇ〜?」

「なんだ、坤か・・・。いつからそこにいたのだ?」

坤は、手に持っていた一冊の書を、ばふばふと軽く叩いた。

「未月様が、『神王様から頂いた課題ができたの〜♪』と仰るので、順番をお譲りして待っておりましたの。」

未月の声音を真似てみせる仕草に、この「八卦・坤」は、未月を可愛がる家臣団の中でもとりわけて彼女に大甘であることを、神王は再確認した。

―――神王である自分よりも、未月の方を大切にしているのではないかと、時折思ってしまうのは、神王の矜持に懸けて、決して口には出来ないが。

「順番・・・あぁ、そう言えばそろそろ“刻限”であったな。」

「神王様。未月様って、本当にお可愛らしいですわよね? 神王様のことなんて知りません、って仰っておいでながら、続く言葉が『しばらくの間〜』ですもの。・・・まことに、神王様のことを想われておいでですわよねぇ?」

「・・・坤よ、お前の言葉の端々に、何か含みを感じるのだが?」

女家臣は、神王の問いを無視して(!)、言葉を続ける。

「それにしても、お可哀想な未月様・・・。自分が“エサ”に使われたのだとお知りになられたら、悲しみのあまり、ますますふさぎ込まれて、きっと何処かにお隠れになってしまわれることでしょうねぇ〜?」

そう言って、よよよ、と泣き崩れる振りをする。

「こ、坤、何を言っておるのだ!?」

「・・・申し上げて宜しいのですか?」

「うっ!」

常は従順である家臣の、意地の悪い声音に、神王は思わず一歩後ずさった。

「神王様が、未月様にお与えになられた課題・・・“物質結合の術”。確かに、たいした呪力を必要としません。しかしながら、技術上の点から言えば、まだ想覚を使いこなせていない未月様には、難しゅうございます。・・・何より、課題の材質として、木や草などではなく、最も“気”の宿りにくい“砂”を、神王様はお選びになられた・・・。」

「むっ・・・。」

「それから、課題をお与えになられた“霧羽園”。あそこはよく、リュネイ殿がコリュウ殿を連れて、散歩に通われる場所ですわよね?」

「むぅ・・・。」

「それに、未月様って一途な方ですから、課題を頂いたら、その場で一生懸命になってしまわれますわよねぇ?」

坤の視線が、己に突き刺さるのを、想武は痛烈に感じていた。



「・・・判った。降参だ、坤。全て、ワシが悪かった。」

両手を挙げる神王に、家臣は満面の笑みを浮かべた。

「あとで“し〜っかり”未月様をお慰めくださいませ、神王様♪」




そして。

おもむろにひざまずくと、顔を伏せたまま、低い声で神王に具申する。

「――神王様、度重なる不敬、御容赦を。」

「言いたいことは判っておる。」

片手を軽く挙げ、家臣を制すると、神王も声を低くした。

「・・・で、あの二人をどう思う? 率直な意見が聞きたい。」

「あの二人?・・・リュネイ殿だけではなく、コリュウ殿もですか?」

「うむ。八卦武将の総意ではなく、お前の“感じたこと”で構わぬ。聞かせてほしい。」

「“感じたこと”、ですか・・・」

坤は、神王の言ったことを口の中で繰り返した。

「確かに、リュネイ殿からは、強い“気”を感じます。リュネイ殿を超える、呪の使い手は、八卦武将の中には、まず居りませぬ。しかし・・・」

「続けよ。」

女術師は頷く。

「しかし、リュネイ殿は、心が“壊れて”おります。」

「心が“壊れている”、とな?」

「具体的に申し上げれば・・・そう、あの者の意識は“過去”だけに向けられています。どうして、そのようになってしまったのかは分かりませぬが、“今”を・・・“未来”を考えることができないようです。・・・間者としてならともかく、家臣としては、到底、使い物にはならないと思われます。」

「・・・そうか。で?」

「コリュウ殿からは・・・あの幼子からは、“気”を全く感じませぬ。・・・まるで、死者のようで・・・いえ、そんなことではなく・・・」

急に、坤の体が震えだす。震えは止まらず、無意識の内に、女術師は自分の肩を抱き締めていた。

「申し訳ありません。あの幼子のことを思い出すと、ひとりでに体が震えてしまうのです。」

「ひとりでに震える・・・お前の体が、警鐘を鳴らしているというのか?」

坤は頷くと、顔を上げて主を見詰めた。

「神王様、あの幼子は何者なのでしょうか?・・・何か、得体の知れない不安を感じるのです。」

神王は、その問い掛けには答えず、膝を着き、ゆっくりと家臣の肩に手を置いた。




「・・・坤、あの二人のことは、このワシが預かる。しばらくは泳がせておく旨、後で武将達に伝えよ。」

「はっ。」

「しかし、従者の若者・・・ガトツと言ったな。あの者が“本命”やも知れぬ。監視を怠らぬよう、重ねて伝えよ。」

「はっ。不穏な動きあれば、即座に神王様へご報告致します。」

「うむ。・・・では、坤。」



想武は、明るい声を出した。

「もう一つ、頼まれてはもらえぬか?」

「はい?」

「未月を、ここに連れて来てほしい。・・・今日の資料は、未月と共に聴くことにしよう。」

そう言って想武は、近くにそびえていた大樹の根元で胡坐をかくと、「よっこらしょ」とその幹に背中を預けた。

神王の、普段はまず見ることのできない、そのおどけた仕草に、女家臣はあっけに取られてしまっていたものの、主の意を理解すると、微笑みでそれに返した。

「それはよろしゅうございますわ、神王様。未月様も、ご機嫌を戻してくださいましょう。」

「あぁ、そうあってほしいものだ。」

神王は、苦笑を隠さずに答えた。

「ところで、坤。今日は、どの話であったかな?」

「はい、神王様。今日の資料は、【源霊】の者から聞いて参りました、『“森”と“時”の伝承』の続きでございます・・・。」










































「――それから数年後、ワシは己の不明を、自身の“想覚”の至らなさを、激しく後悔することになる――」



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2007年09月01日(土) 16:53:46 Modified by ID:mWEnGmCP/g




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