紺華神王についての断篇 神暦299年 (1)

神暦299年




親愛なる大伯父上

今年もまたお年玉をありがとうございます。
お返事が遅くなってしまい、大変申し訳ありません。
ソウエン殿のことはぼくも心苦しく思いますが、もはや致し方ないことと思います。
今はシンリュウ様に指揮をとっていただくしかありません。
ところで堯舜は優秀な軍師を迎えたとのこと、自分のことのように嬉しく思います。
司啓も近年の治安の乱れを法の力のみで抑えることはできず、ご忠告どおり軍備を整えてこれにあたっています。
幸いにも才能ある人材を何人も発掘し、部将に任命することができました。
彼らがその才能を発揮する日が来ないことを願っていましたが、それも空しい望みのようです。

もうお聞き及びかもしれませんが、紺華と迦沼が龍戒と同盟を結びました。
これは確かなことです。ぼくはそれをシャラの口から直接聞きました。
かなり長くなりますが、順を追って書かせてください。気分を鎮めたいのです。

1ヶ月半前、司啓南部の灯台守が紺華の方角から一隻の船が南西に航行していくのを見た、という報告を受けたとき、ぼくは嫌な予感がしました。
十分な水と食料を積んでいたのでしょう、一度も司啓の沿岸に立ち寄ることなく龍戒の領海へ消えていったのです。
その5週間後、その船が龍戒から戻ってきたのが確認されました。
往路と同じく真っ直ぐに北に帰るかと思いきや、紺華の旗を掲げた船は司啓の海岸に沿って航路を進め、黒水湾の南岸にある司啓領土ダグナの港に停泊許可を求めました。
もはや紺華南部の半島は目と鼻の先だというのにです。
はたして、その船には紺華神王シャラが乗っていました。
彼は船上から都のぼくに手紙を送りつけてきました。
いつもの彼らしく気楽な文面で、ダグナ近郊の山中に墓参りへ行きたい、とありました。
一人で行こうとするとまた怒るだろうからついてきてほしいと。
ダグナ近郊は、北から始まり南進した紺華統一戦線の最後の戦地となった場所であり、司啓建国の際に紺華が領有を主張した地域です。
墓参り、という言葉にぼくは295年前のことを思い出していました。
あの時彼が一人で国境を越えたのも、本当はそこへ行こうとしていたのだろうかと。

ぼくが拒むことはできないのを、彼は知っているようでした。
彼が龍戒で何をしてきたのか。それを問いたださなければなりません。
彼もぼくに何か話があるのでしょう。これは暗黙の取り引きです。
この不躾な呼び出しに応じなければならないのは不愉快でした。
若い部将たちはこれを聞いて憤り、こんな無礼に応じる必要はない、ただちにその船に軍隊を突入させ、シャラを拘束するべきだと言う血気盛んな者もいました。
彼が船に水夫たちとわずかな兵士を連れているだけだということはわかっていました。
しかし、ダグナに常駐する兵士の数で本気のシャラを拘束することは不可能でしょう。
彼は不死身の神王、そして鬼神といわれた男です。
あやうく死人が出そうだったあの時のことを考えると、無茶な真似はできませんでした。

ぼくは部将のひとり、零獣ゲブラルを連れてダグナへ馬を走らせました。
12日目の午前中に到着し、ダグナの兵士たち30人と合流。
港に停泊している船から桟橋に一人で降り立つシャラを出迎えました。
数十年ぶりに会った彼はまったく屈託のない様子で、ぼくたちに手を振って挨拶しました。
形式上の歓迎の言葉を述べるぼくの前で大きく伸びをすると、ああひさびさの地面だ、と呟いて、足元の感触を確かめるように歩き出しました。
これ龍戒のおみやげ、と言って何やら包みをゲブラルに手渡し、ぼくの肩をぽんと叩くと、
「ごめんねリシュ君。着いたばっかりで悪いんだけど、ちょっと歩くから」
そういってぼくを通り過ぎ、勝手に方角を定めてすたすたと陸のほうへ向かっていきます。
ぼくたちはあわてて後を追いかけました。
横を歩くゲブラルからは明らかにシャラに対する殺気が感じられました。
ぼくもきっと彼に負けず劣らず険しい顔をしていたでしょう。

彼の話では目的地には日が暮れるまでには着くはずだということでした。
港から二時間ばかり北東に向かって海岸線を馬で進みました。
シャラはむしろ自分の足で歩きたがっていましたが、ぼくはその「墓参り」とやらをさっさと終わらせて本題に入りたかったのです。
彼は船に馬を乗せていなかったので、貸してやりました。
馬に乗ったら乗ったでうきうきと駆け足にしようとするシャラを先頭にさせないために、数人の兵士たちに前を進ませました。
「なんでこんなに兵士を連れてきたわけ?」と、彼はやんわり文句を言っていましたが。
向こうから話を切り出す様子もなく、ぼくも彼の出方を待つつもりでしたから、あたりさわりのない話をしたあとで自然と会話はなくなりました。
彼は警戒しているぼくをどこか面白がっているような風情でした。
このあたりは人家もまばらなうえ、念のために外出禁止令を出しておきましたから、この一行を見た愚民はいませんでした。
やがて海に流れ込む一本の川に出合うと、シャラは迷うことなく馬を下りて川原におりると上流へ向かって歩き始めました。
この川は、黒水湾の奥にある汚染された迦沼から流れてくる大河ではなく、ダグナに迫る山塊に端を発する短い川です。川幅もさほどはありません。
「馬は無理だと思うよ。石ばっかりになるから」
シャラはぼくたちに警告しました。

川沿いに道もないので、ぼくたちは仕方なく馬をつなぐと彼と共に川を遡りはじめました。
「どこを目指しているんです?」ぼくは彼に尋ねました。
「さあ……こっちから来たことないからわからないな。着いたら分かるよ」
彼はそれ以上答えようとせず、ひたすら歩き続けました。
上流に向かうにつれて、川原の丸い石はだんだん大きく歩きにくくなっていきました。
彼が山がちな紺華の土地を隅から隅まで歩きつくしたというのは本当かもしれません。
シャラはこんな川原を歩くのに慣れた様子で、不安定な石を踏むのを避けながら確実に先へ進んでいきました。
前を歩くはずだった兵士たちもやがて追い抜かれ、ぼくたちは小さくなったシャラの背中を見ながら必死で付いていくことになりました。
途中、昼食のために全員で休憩すると、シャラは「さすがに300年も経つと川の様子が変わってるかも」と呟きながら、小石を淵に投げ込んでいました。
旅行用の靴を履いてきていたのですが、ぼくの足は痛みはじめていました。
それを察したゲブラルは、兵士に馬の鞍を取りに戻らせてぼくのために輿を作ろうと言いました。
ぼくは彼に感謝しながらも断りました。
部将と兵士たちに気遣われながら自分の足でよろめき歩くほうが、シャラの冷やかしの視線を受けながらただ輿に乗せられているよりはまだ威厳が保てると思ったのです。
ゲブラルはシャラの速足に抗議しようとしましたが、ぼくはそれを押し留めました。
自分が何故そんなに意地を張っていたのかわかりませんが、シャラに見くびられるような真似はしたくなかったのです。
しかし彼はそんなぼくの様子を見抜いたようで、少し微笑んで横目でこちらを見ると、さっきよりは遅い調子で歩き始めました。

川はさらに山の中へ入っていき、ところどころ川原が消えていて冷たい水の中を歩かなければなりませんでした。
小さな包みを背負ったシャラの背中を睨むようにして苦心して後を追いながら、ぼくは頭の中の疑問を吟味していました。
彼は龍戒と同盟を結んだのか、だとすればその目的は何か。
覇帝ソウリュウと何を語ったのか。
昨年ギルスとシャリを従属国にしたソウリュウは、いったい何を企んでいるのか。
ソウリュウは皇国に刃向かおうとしているのか。
そして、シャラはこんな場所にぼくを連れてきて何を言おうとしているのか。
墓など、本当にあるのだろうか。
滑りやすい川底の石に足をとられそうになりながら、ぼくはわざわざここまで付いてきたことを後悔していました。
シャラは暢気そうな様子で白い服が汚れるのもかまわず、川辺の草をむしったり、魚や鳥を見つけて声をあげたりしながら歩いていきます。
まるでぼくなど気にしていないように、しかし確実に何かを見せつけるように。

そろそろ日が傾きかけようというころ、ようやくシャラは足を止めました。
そこは広い浅瀬で、百歩ほどで向こう岸に渡れそうな場所でした。
一番深い場所でも大人の腿くらいしかないでしょう。
シャラは両岸の木々を眺め、上流の川面を眺め、たぶんこの辺、と、うなずきました。
そして背負っていた包みから酒の瓶を取り出し、「龍戒の葡萄の蒸留酒だよ。特別強い奴」と笑ってぼくに目配せすると、ざぶざぶと川の中に入っていきます。
彼の意図を察したぼくは、ここまで付いてきてくれた兵士たちに少し下流に戻って待っているように言いました。
零獣ゲブラルはここに残ることを願い出ましたが、彼も下がらせました。
そして彼らは水音を立てて戻っていき、川が曲がったところを越えると見えなくなり、ぼくたち神王二人だけがこの浅瀬に残りました。
シャラは膝まで水に浸かりそうになりながら、酒瓶を片手に川の真ん中へゆっくりと向かっていました。
一歩一歩探るように川底を足で掴みながら、立ち止まるべき場所を探しているようでした。
ぼくはそれを川原に立って見ながら、すでに気づいていました。
形ある墓などはなく、そこが彼の知る誰かが亡くなった場所であることに。
シャラはやがて冷たい春の水の中に立ちどまると、酒の瓶のふたを開け、四方に向かってぱしゃぱしゃと中身を振りまきました。
何回かに分けて酒を撒きながら、彼は首を傾げて西日に輝く川面を眺めていました。
その横顔はあたかも自分のしていることに確信が持てないようでした。
ぼくは人が死者を悼むさまをしげしげと見るものではないということを今さら思い出し、急いで視線を逸らして手近な岩に腰掛けました。
しかし、すぐにシャラはこちらに声をかけてきました。
「やあ、終わったよリシュ君、ありがとう」
ぼくが顔を上げると、シャラは酒瓶を後ろに投げ捨て、袴と長い袖から水を滴らせながら川岸に戻ってくるところでした。
「もう済んだんですか?」
「うん、おしまい」
彼があっけらかんと笑っているので、ぼくは拍子抜けして尋ねました。
「どなたのお墓ですか」
「昔の戦友のひとりだよ」
やはり、と呟くぼくに、彼はあっさり付け加えました。
「裏切ったから、おれが殺したんだ」




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2008年09月21日(日) 09:15:03 Modified by mumey




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