なんか怪獣イラスト/怪獣の話などのてきとうwiki

   

なんかabout-15.7-4からの続き




●2015.8.9 コレでいいんだよ

なんかマッチが欲しいという話だけど。
年中いろんなコンビニに行ってるが、セブン-イレブンであれば時々、売っていることが判明。


写真のマッチが、ふたつで60円という手頃な価格。
うん、これならいいよね、つかコレでいいんだよと思う。
十円で買えたころより高いが、そもそも昔の十円マッチは平たい箱で、そんなに入っていなかったし、品質もマチマチ。 マッチだけに。
そー考えると今、生き残ってるマッチは品質も安心だろうし、容量も値段相応で問題ない。
先ほど夜中、振込にコンビニ行ったら煙草忘れてゴールデンバットを買い、ついでにマッチも買っといたのでその場で吸えて便利だ。
もっとも煙草は着ている釣りベストにピースとゴールデンバットが数本、必ず常備してあるしライターも同じくふたつ、ポケットに入っていて、なおかつ買い物用のカバンにもライターが、バイクの小物入れにもライターとタバコが十本くらい入っていて、万全すぎて困ること無いのだが、出先で気軽にマッチを買えるのはいいことだ。

ちなみにゴールデンバットはシャチハタのケースに数本入るので、それを予備に持ち歩いている次第。

あとは百円均一でも同じのが売ってるし、マメに買っとけば問題ないかな。

とまそんなわけ。


最近観た映画


●アイス・ツイスター

なんか奇妙なB級ディザスター・ムービー。
結論からいうと、むっちゃつまらない映画です。
ただ、本編が決して下手ではないゆうか、普通にうまく撮れているのが不思議で。
クレーンやドリーなどを多用するわけではないけどソツなくドラマを撮っている感じで、また望遠レンズの使い方とかもやはりテレビドラマ風でいい感じみたいな。
だが肝心の災害シーンがショボくて。
ランダムに嵐が発生して被害があり、原因は気象実験のために大量にばら撒いたドローンみたいな話だんだけど、ちゃんと災害を描いたのは最初の街の一角だけで、後は凍死する人をひとり、冷気の 直撃をうけたらしい列車のセットくらいで、都市に冷気の竜巻が襲い掛かるシーンは遠景だけでパニクる人々を描写するわけでもなく、とにかくショボい。

ただまあ、そんな酷い映画でもなかった。
あくまでも他に比べて、だけど。
いちおうこの手の災害映画で説明不足なエネルギー源がはるか上空の大気層であるみたいな解説があり、対処法が相変わらずトンデモというかバリバリ光線をアンテナから発射してオゾン層に穴開けてそこに人工衛星からなんか撃てばみたいな、理屈が正しいのかは不明だがいつものB級ディザスター対策だなと。
このくらいはいいよ、もっと酷い映画がたくさんあるから。
と甘い採点してみました。


●番外編:我ながらいい例えだ

進撃の巨人を観にいく前に、予習的にガッチャマン観てたけど。
他にも原作の映画化、というのを複数考察した結果、この世界の全体像がみえてきた。

そこで例え話を創作したのだが。
映画を造るというのは、流砂を渡るようなものだと。
うん、いい例えだ我ながら。
映画スタッフは、流砂があるところを歩いて渡らなくてはならない、危険地帯の真ん中を突っ切るか最短距離で渡るかは自由で、渡るのに失敗するとズブズブと沈んていき、腰まで埋まってもがいていると流砂の周りにいる観客たちが手を差し伸べて助けてくれる。
この「手を差し伸べる」という行為は、出来の悪い映画を観客が配慮して気を使う、ということ。
もしかしたら観客が気づかず、ミイラになってしまった映画屋もいるかもしれない。
もしくは石を投げつけてくる観客もいるかもだけど、たいがい助けてくれる。
観客に気を使わせるなど、なるべくなら避けたい事態で、ちゃんと自力で渡りきりたいものだ。
うむ、自画自賛だがいい例えだ。

映画屋はなんでそんな流砂を歩き渡らねばならないのか。
それは、そーゆールールのゲームだから仕方ない。 見事渡り切るのを、周りの観客は見に来ている。
ところがここに、より難易度の高いゲームをやらかす連中がいる。
「原作」という重荷をかついで流砂を渡る強者ども、それが原作の映画化ということなのでは。
ただでさえたいへんなのに、そんな負荷をかけるのだから気をつけてもらいたいものだ。
よし、これもいい例えだ。

失敗するに決まってるだろ、と思うような大変なゲームだが、意外というかなんというか、寄生獣はけっこう、ソロリソロリうまいこと渡りきったのがエラい。 そのような者もいるんだな。

だが、このまえ流砂に沈んでいた実写版ガッチャマンはどうだろうか。
重い荷物をかついでいるという自覚があったのかどうか、えらい余裕ぶってヘラヘラ笑いながらこちらに手を降って、なんならコサックダンスしながら行きましょうか? みたいな態度ではなかったか。
そーゆー者が流砂に埋もれても、なんか許しがたい気持ちになってしまう。
しかも出発して早々、沈んでなかったか?という疑惑も。
今日に至るまで、グチグチといつまでもガッチャマンを引き合いに出しているのはそれが理由だ。

じゃあ、進撃の巨人はどうなのかというと。
結果的にはガッチャマンと同じなんだけどね、
思うところが全然違って。
全力疾走で一気に渡りきろうとして派手にコケた、みたいな。
映画を語るとき、結果が全てみたいにいう人もいるけど、自分的にはそこまでドライになれなくて。
うん、進撃の巨人は失敗したけど、単純にけなすだけでは済ましたくない。
今日、宇多丸の進撃の巨人批評を聞いたんだけど、さすが記憶力のいいこの人、本編部分のいかにも邦画的な未熟さを見抜いていて、なるほどやっぱり樋口真嗣監督は思った通りの不安要素だったなと再確認したが、全体的にやっぱ頑張っているという意見は共感。

流砂の話だった。
これをゴジラ対ヘドラに当てはめると・・・途中で体力、つまり予算がつきかけて沈みそうなったが、なんとか渡りきった、という例え話にできるかな。
他の作品にも応用できるよねこの説明。
要は映画製作者の態度とやる気、技術とその結果ということだから。

とまあかようなうまい例え話を思いついたという。
そんな感じ。



●パシフィック・リム

久しぶりに視聴、一年と四ヶ月ぶりか・・・。

Blu-rayとiTunesのダウンロード版、両方もってるんだけど、めったに観なくて、でも一年待っても近所で上映しないので仕方なく、iTunes版を観ることにしたわけ。
昨日がどうやらパシフィック・リム日本上陸二周年記念だったらしいし。

なぜ、所有している映画をあまり観ないのかというと、視聴に気合と根性が必要となるため。
映画館で十一回観たというのはなんども書いたけど、手持ちのパシフィック・リムも三度ほど観ていて、偶然かもしれないけどいずれも、一度も中断せずに二時間ちょっと、ぶっ通しで観ることに成功している。
冬の映画館で寒さたまらず途中トイレで中座・・・・などという事は今どきないようだし、逆に夏、冷房が効きすぎて・・・という事もなく、映画館ではここ十年以上、問題なく映画を観れているのだが、テレビやPCの映画を中断せずに観れたというのは記録的で、よって「パシフィック・リムは中断せずに目を離さず観る」という自分ルールがいつの間にか完成、みたいなことに。

よってパシフィック・リムを観るのには相当な覚悟がいるという次第。
食事も済ませ、なぜか身の回り片付けて、ホントに映画館に行くみたいな準備で臨んだ。
お菓子と煙草だけ用意して、大量に買ってあるマッチは使わず、ライターを利用してテレビから目を離さない配慮、最大音量で聞けるようヘッドホンもスタンバイして、今回もぶっ通し視聴に成功したとゆう。

さてこの映画、ホントにスゴい作品であるのだが、観るたびにその思いがつのる。
まず今回、去年4月に映画館で観たときからギレルモ・デル・トロ監督作品をチェックしはじめているので、全体のカラーがこれまでよりよおおおく伝わってきた。
確かに荘厳なデル・トロ作風はパシフィック・リムの、特にシャッタードームに現れているわ。 あそこって一種のファンタジー空間なんだよね、妖精やトロルに会えるわけではないが、巨大ロボットの巣窟という一部の人々が狂喜するような世界で、でも巨大ロボット『イェーガー』は絶滅寸前種であるという、絶妙な感じが素晴らしい。
この異世界に、主人公が数年ぶりに戻ってくる、というお話でもある。
それと観るたびに細かい点に気づくのだが、今回はオープニングのアラスカシャッタードームの巨大扉が、トレーラー二台で開閉する仕組みとか、なんかパトレイバー最初の最初であるOVA一話の出撃シーンを連想させる。
あと一度目の視聴からわかっていたレザーバックの背中にある電磁パルス発生器官、拳銃の撃鉄(ハンマー)みたいなのを撃ち下ろすことで電磁波出す描写、今回になって背中の装甲がパカっと開いてハンマーがせり出し、プラズマ球みたいな光を貯めてからそこに撃ち下ろしてスパーク、というプロセスを確認。
イェーガーのギミックもいくつか新発見があった、というか関節や可動式の装甲など小さい点だけど。


さらにオープニングの17分間には、すべてのエモーションが詰まっていると改めて感心した。
明らかに本多猪四郎監督を超えたドキュメンタリー風の状況紹介、人類が怪獣に勝利しつつあるというところから物語は始まり、あの、映画史上で最も勇猛な出撃シーンとなり、そこからの怪獣バトル、最高に燃える展開と思いきやー、まさかの逆撃で危機に、だが最後の力で怪獣と相打ちになり、そこで主人公の運命もまた終わりかと思ったら、満身創痍で1人失ったまま、陸まで歩いて生き残るという素晴らしいガッツを見せ、これはアレか?いわゆる勝利か?と思いきや、やはり兄を失った痛手は大きく、主人公が立ち直れないまま、人類の敗北を匂わせる、という。
全部入っとるやないかー、最高のオープニングだなコレは。

実は知られているわりに劇中の説明が足りないところもあって、なぜイェーガー計画なのかという点が最大かな。
要は怪獣一体倒すたびに何発、何十発も核兵器を使っていたらアレなんで、人造の怪獣を使って戦おうという話で、それが怪獣型ではなく人型である件については、ネット上でも説明を聞いたことないんだけど、怪獣型に抵抗があるんだろうねたぶん。
おそらく怪獣によって壁の内側に押し込められた人類にとって、憎い怪獣の顔面にグーパンチを叩き込むことが悲願だったのではないだろうか。 それをオープニングで体現していると想像。

公開時、脚本の素っ気なさをとやかく言う意見が多かったようだけど。
キャラクターひとりひとりのドラマは雑なようでみーんなちゃんと描いているから。
気丈に振舞っている主人公が、写真を見ながらひとり落ち込んでいた日々があったことは間違いなく、ハーク&チャック親子の件も、いろいろ匂わせる造りになっている。 ロシア組と中国組はあまりドラマなさそだが、存在感はちゃんとあるし。
それとウザいと思われがちなニュートンだが、恐らく英語圏でも面白いのかわからんギャグを言ったり突然変な声で叫んだり妙なコダワリを発揮したり、なかなか魅力的なキャラクターだと思うよ、よく見れば。

そしてもう一つのファンタジー空間、ハンニバルの店。
こちらはシャッタードームと違い、劇中のマニア、それも重度のヤツしか得しないサービスタイムとなっているのが愉快。
怪獣の皮膚や内臓でそんなに喜べるとは幸せな奴だ、みたいな。
しかしこれも同じように、デル・トロ監督独自の凝りに凝ったファンタジー世界への入り口であり、怪しげな中国の商人たちが独特な装束で怪獣のパーツを狩りにいく裏世界の総本山となっていて、さすがだなと思わせる。
それとパシフィック・リムってなんかスターウォーズの小型版みたいな映画なんだよね、シャッタードームなどでの画面転換ワイプとか二度も使っているし、凝った設定をもつ壮大なストーリーだがスターウォーズと違い地球限定の、それも現代である2013年から出発する話でスケールが小型版となっていて、じっさいの人気もスターウォーズほどでもないので興行的にも小型版的。

そうした諸々が何度観てもスゴいのだが、肝心の戦闘シーンも非常に凝った出来栄えで。
ありとあらゆるアイデアが、ポンポンと出てくるんだよねコレが。
最初のナイフヘッド戦はシンプルに見せているが、続くレザーバック戦、オオタチ戦がよく出来ていて、とくにオオタチの手強さが際立っているよね尻尾のハサミみたいなのでクリムゾン・タイフーンを倒しているし、チェルノ・アルファに溶解液ぶっかけてるし。 それと戦うジプシー・デンジャーが巧みで、ローリーはケンカの達人、という設定を極限まで活かした活劇を展開、レザーバックの電磁パルス発生器官は最初に潰す、クリムゾン・タイフーンにとどめを刺したオオタチの尻尾もまず潰す、チェルノ・アルファを溶かした溶解液発射器官もとにかく潰す、それもあらゆる手段を使って、という。
それとどこかで書いた気がするが、敵も味方も同じ過ちを繰り返さない、という劇中ルールにより、戦いがエスカレートする様は本当に燃える。 マジでよくわかってるなギレルモ・デル・トロ監督は、と観るたびに感心、ってさっきも言ったけど。


予告編ではなぜか強調しないが、テーマ曲も最高。
インディー・ジョーンズ、スターウォーズ、スーパーマンなどなど、曲を聞けばあの映画、とすぐ思い出せるのはいいことだ。
この点、ゴジラ2014よりも上かもしれない。
エンディングもこの曲ではじまり、これまた最高のCG映像が流れる。
クロームメッキみたいな劇中キャラが次々出てくる素晴らしいPVのようになっている。
とにかく、楽しい。
結果、最初から最後まで息もつかせぬ一大巨編となっているわけ。

まーチェルノ・アルファの活躍がもっと観たかったと苦情する人は、エンディングにチェルノ・アルファが登場しない時点でさらに怒り狂うシステムになっとりますが。

アホな部分も多いよ。
とゆーかロボット対怪獣という時点でバカ映画なんだけどね。
有名なシリーズ動画、正直なトレイラーでも「史上最高のバカ映画か、それとも史上最もバカらしい最高の映画か」とあの動画にしては珍しく褒めていたが、とにかくバカ映画には違いあるまい。
とくに目につくのは飛行機が怪獣に近づきすぎで落とされるとか、あり得ねえだろと・・・・いやデル・トロ監督は意外や意外、エメリッヒ監督のファンでもあるような気がするし、わざとやってるのか?
あとヘリコプターで2000トンのイェーガーは運べません、ロシアの大型ヘリでも1機20トンがやっとで、それだとワイヤーなどを考慮から外しても100機いるやん、後付け設定みたいなので無重力技術が搭載されたヘリとかなったみたいだけど、世界中どこでも船かイェーガーが自分で歩くのがいちばんだと思う。
他にもいろいろツッコミどころはあったんだけど、書いている今現在は忘れた。
それを忘れさせるだけの実力は、このパシフィック・リムという映画が存分に保有しいているから。

とにかく充実だった。
久しぶりに堪能した。
やっぱ、何度でも観る価値あるわ。

とまあそんな話でした。




●AKIRA

なんか久しぶりにアキラ観た。
久しぶりゆうても数年ぶりかな、アニメーション技術はどんどん進歩するんで、もう色あせているかと思ったらそうでもなくて。
いや単純な映像技術だけの話なら、かなり色あせた作品なんだけど、映画としてはむっちゃ濃度が濃いというか。

当時のあらゆるアイデアが込められた作品でもあり、また日本アニメが到達したひとつの帰結みたいな映画でもある。
この作品が製作されているころ、他のテレビアニメの作画がむちゃくちゃ悪くなった、という都市伝説もあり、アニメ業界かなりの総力戦であったこと、うかがわせる。
まづ、なんで日本ではこれほどアニメが発達したのかというと、おそらくは「なんでも描ける」という特生があるかと。
アイデアさえあれば、巨大ロボットでも宇宙戦艦でも描けるのが、実写ドラマなどでは難しいことで、いちおう宇宙からのメッセージとか頑張ってはいるが、予算的にも苦しいもの。 これがアニメだと、決して低予算ではないが、逆に目の玉飛び出るほどには高額でもない制作が可能。 とにかく日本ではマンガなどでアイデアが大量に出回っていたので、それを映像化となればとーぜんアニメ、みたいな感じになったと推測する次第。

でもって日本でアニメが流行したもうひとつの理由として思い浮かぶのは。
たぶん、「セルアニメ独特の心地よさ」があったからなのではないかと。
海外では百年前から大勢の作家がカートゥーンを制作して技術を競っていて、それが1940年代ごろかな、頂点に達した感じがするんだけど、その後はもっぱらディズニーが童話などを題材に長編を造るみたいな流れになり、そこでなんか落ち着いた感じが。
それから日本が長編アニメに参入したんだっけ。
よくわらんが「太陽の王子ホルスの大冒険」ですでにドラマと心地よいセルアニメの融合は完成されていた。
このセルアニメの魅力、という点に注目しておかないと、例えばタッチのような日常ドラマがアニメ化される理由がわからなくなってくる。 なんでも創造できる利点がアニメにはあるが、逆になんでも創造しなくてはならないというデメリットもあるから。
駅で電車待ちしながらの会話シーン、学園ドラマなどなど、実写でやったほうがはるかに楽やん。
なのになんで、あれもこれもアニメになるのか。
セルアニメに物凄い魅力があるからと考えれば、なんか納得する。

このAKIRAでは、セルアニメ独特の心地よさが爆発している気が。
売りはやっぱり破壊シーンかな、よおおおく考えてみると、ネオ東京などの舞台は実写映画で再現可能なんだよね、マット画を多用すればいいわけだから。 でも破壊シーンは原作のイメージを映像化できなかったはず、当時は。
あの頃の特撮映画といえばゴジラvsビオランテ、ガンヘッド、帝都物語などがあるが、パイロテクニック(バクハツ)は昔ながらの古臭い感じで、アキラ原作の都市崩壊シーンなど再現できるとも思えないし。
あとはあのギュイーンって感じとか、バリバリっとなってドゴオォッってなって、ズドオォンみたいな・・・・すんまそん、ボキャブラリーが足りなくて。
とにかくあらゆるシーンがセルアニメの、それもディズニーほどではないが作画枚数が多いタイプの心地よさを体現している。

でもって画面に映るいろんなアイテムがイチイチ凝っているのも魅力で、それもまたアニメの底力。
デザインと演出、このふたつが頑張らないと実はアニメって冴えないまま終わってしまう。
今回のアキラの場合は劇中の街、みーんな新たなデザインで、モデルになっている場所はあるが美術担当はじめ、みんなで考えないとはじまらない。 そしてメカニック、自動車、バイクなどなども同じこと。
ありとあらゆるものをデザインしてはじまる創作ゆうわけ。
よいですか、小さなものではライターまで、という台詞がジャイアントロボ THE ANIMATIONにあったが、まさにそれ。
AKIRAのワンシーンだと体育館を改装というか臨時の検閲施設で、大勢の中のひとりが百円ライターを使っていたが、その凝りようは当時、驚きものだった。

凝っているといえば前にもどこかで書いたが、キャラクターにちゃんと演技をつけているのも驚きで。
いやこれまでも、もちろん演技はつけていたが、ワンレベル上みたいな感じ。
高速道路で事故って倒れている鉄男に金田が駆けつけてバッと覆いかぶさり「誰にやられた〜」的な展開となるが、この時、金田は鉄男に触れていない。 下手な映画、ドラマだと金田が鉄男の胸ぐらを掴んでユッサユッサ揺すって誰にやられた〜となるが、重傷人間にうかつに触れないのが当然。 ましてや揺さぶるなど、これまでのドラマがどうかしていたのだが。

しかしコレは、考えようによっては便利なアニメだなAKIRAは。
これほど知恵を絞って演技をつけたアニメは当時少ない、というかこの頃の大友克洋監督は演技をつける天才だったようで、普通はこれほど演技をつけられず、先述したようにユッサユッサ揺すって誰にやられた〜となるもんだが、かような常人レベルアニメ作家はみんなAKIRAを視聴して、真似をすればいい。 皮肉とかそーゆうのではなく、演技をつけるのは難しいのだから、優れた作品から借りればいいという真面目な話。
横や後ろを睨んだりする演技とか、大友克洋マンガより前はそれほど効果的に使っていなかった気がして、いろんな点が新しかったし、弱キャラほどまばたきをするみたいな丁寧演出もスゴい。
つかこのへん、もしかしたら昔のアニメ作家がみんな持っている基本なのかもしれないけど。


最後の大破局は、最初映画館で観た時には身も凍る思いだったけどね、内容よりもむしろ、どんだけ作画枚数と手間をかけるんだという驚愕で。 ところが後になって観ると物足りない。
理由は原作を読んでしまったからで、特に3巻の都市破壊描写ではアニメにない、人々の様子が描かれている。 アニメだとなんか誰も居ないネオ東京が崩壊しているだけに見えるのに対し、その迫力が全然違うし、また今でもこんだけ出来る漫画家いねえんじゃねえの、というくらい徹底した街の破壊シーンが延々と続いてゆく。 こんなマンガ、見たことねえ! というくらい。

どーでもいいけど、進撃の巨人実写映画版で、巨人に追われた人々が教会に殺到するシーンがあって、ネット上では「なんで狭いところに大勢詰めかけるの?意味わからん」とか「普通はひとつの建物に集中しないだろ」くらいに言われているのだが、これが説明が足りないストーリーテリングの問題点だろうか。
知識が足りないのもあるんだろうけど「教会に殺到」というのが一般的には理解できないらしい。
コミック版のAKIRAにもソックリなシーンがあって、ミヤコ様の教団をふだんはバカにしている市民たちが、いざ天変地異となると救いを求めて殺到するというところ。 マンガをはじめて読んだ時点で、むろん何の違和感も疑問もなかったのはちゃんと市民と教会、そして状況が描かれているから。 進撃の巨人映画もね、冒頭でちゃーんと市民の様子と教会の存在をうまーく描いておけば、救済を求めて大勢が教会に駆けつける、という欧米パニックの基本でもあるシチュエーションが観客に伝わるのに。

話ズレた。

かようにスゴいアニメですAKIRAは。
つか前年の王立宇宙軍オネアミスの翼とか宮駿監督のジプリ作品とか、優れたものはみんな細かい点にまで気を配って製作されているというだけの話かもしんないけど。

とまそんな話。


●誰も守ってくれない

とあるネットの話を聞いて、スゲえ観たくなった映画を借りてきた。

とあるネットの話とはアレだ、宇多丸の映画批評のことで、むっちゃ叩かれていた。
爽快なくらいに。
え? そんなにアレなの? 観てえ、逆に観てえ!! というガッチャマンパターンですねこれは。
とまあワクワクしながら観たんですけどね、あんがいつまらないタイプの映画では?
むろんツッコミどころは事前に聞いて知っているので、そのガイドに従えば楽しいのだが、純粋な劇映画としてはどうかなみたいな。
また何故、この映画が出来たのかといえば、おそらく義憤からなのではないかと想像。
現実に事件がおきると・・・・わが街、川崎市でも最近凶悪な少年犯罪があって、異常な報道があったと聞くが、テレビを見ていた人はこぞって報道の過熱ぶりを批判していたっぽい。 オーバーキル報道とでも名付けようか。
「マスコミ、やりすぎだろ、これは愚民どもが支持者なのだな」と思い、怒りにまかせて知識もあまりないまま報道対象者を守る架空のチームを創作して撮られたのが、この映画であろうと。

結果、的外れで素っ頓狂な作品になりました、的な。
でもゾンビ映画としては面白いかもね、ゾンビに支配された世界で、なにかキッカケがあるとゾンビに粘着されて追い掛け回されるが、もっと厄介なのはゾンビ崇拝宗教。
生贄に選ばれたっぽい主人公たちがとにかく難を逃れようと逃げるが、行く先々に教団がっ!!
まあアメリカには絶対あるねそんな映画かドラマが。

ホント、マスコミや愚民どもを糾弾したかったのだろうけどね・・・描いている映画作家のほうも無知だったという。
いや無知自体は人類全員そうなんで問題ないのだが、自分は無知だという自覚がないとホンマやっかいで。
ところでポスター等では志田未来演じる15歳の加害者妹が主役っぽいけど、じっさい映画みるとカウンセラーみたいな先生のほうが美人に見えるし、こっちで営業したほうが映画が売れたかもというのは余計なお世話か。
でもってゾンビから逃げまわってあげくに主人公刑事が担当した事件の、かつての被害者家族が経営するペンションに避難するが、いやいやいやいや、気まずいだろどう考えても・・・・・守れなかった被害者の両親がやってる宿屋にねえ・・・・他に行くところがないって、ホントにそうなのかな別にコイツ、孤立無援刑事でもないし、警察の指定避難所的な宿屋などありそうなんだけど、どうなんだろね・・・・ってやっぱりこの家族と一緒って気まずいですわ・・・・と思ったら、毎年この刑事はここで休暇を過ごしてるんか、どんな関係だよ・・・・とまあ、マジで余計なこと考えさせられる展開に。
それでもまあ、そーゆー奇妙な関係はハリウッド映画にもあるし・・・思ったら案の定、遺族が怒って追い出されてやんの。
と思いきや、まあタイミングよくゾンビ襲撃もあって刑事が出て行かず、むしろ遺族の方がカッとなってすんません的に気遣って、さらに他の刑事がやってきてだんだん居着いて捜査本部別室みたいになっていて。
だから気まずいっての、しかもこのペンション、なかなか風光明媚というかいいところなんだけど海岸線が近すぎてなんか絵的に怖い怖い、ちょっとした津波でエラいことになるじゃん、見てて怖い、中の人々は気まずい気まずい、話の内容に集中できず、スゴい妙なシークエンスになってました。
東京03でやったらスゲえ爆笑したかもしれないけどさ。
思ったけど勝浦刑事はトヨっちで遺族の父が角田さんとして、飯塚さんの配役が思いつかんわ。
さらに余談をいうと東京03ってアンジャッシュのコントより救いがあるんだよね、気まずさもぶっちゃければ少しは心が軽くなる程度の違いなんだけど・・・話がどんどんズレてゆく。
ズレたついでに言うと応援刑事のひとりが津田寛治さんで、仮面ライダー龍騎のオレジャーナル編集長が有名だけど、やっぱいい人向きで、非常な刑事役には・・・まあここは重要な問題ではないか。
なんか映画に集中できない〜。

でもってなんか最後、海岸で会話シーンがあって、台詞もちゃんと聞いたはずなんだけど、よほど心に響かないのかラストが唐突に思えて。 けっきょくゾンビこと愚民どもはどうなったん? 別な獲物を追いかけ始めたの? 一生粘着してくるんじゃなかったのか?
刑事の家族はどうなったっけ、あと柳葉敏郎にちゃんと謝ったっけ。
でもってこの映画の中でなにか解決したっけ、こっちの被害者父親はテレビ出演してたけど、どうした。
母親って自殺して、けっきょく助からなかったんだっけ、わりとどうでもいいけど。
映画を観て、いろいろ考えさせられるのはとてもいいことだと思う、それが何であれ。
ところが今回、「絶対に余計なことばかり」を強制シンキングさせられているような被害妄想が湧いてくる。

ドラマティックな場面撮りたいばかりにムリクリな話やってないか?という疑惑浮上は、この映画を観ていて終始するところ。
やはりツッコミどころで楽しむタイプの作品になっている、結果的に。



関係ない話だが、8月の22日だっけ23日だっけ、ネット上ではみんなで一斉に「カンフーくん」を観るというイベントがあるという。
今回の「誰も守ってくれない」を観るキッカケになったライムスター宇多丸が、24時間ゲリラ番組をニコニコでやるとかで、その企画内にあるのだが、カンフーくんもスゴい映画だよね。
アレをみんなで観るのか・・・。
ただ、今では底辺映画の見本みたいになったカンフーくんも、正直ふだんの自分であれば、それほどツッコんで観ないかと。
ふーん、みたいな感じで視聴して、観終わったあとに「あれ?」となるが、「まあいいか」で全て解決。
そんな風に、あまり感銘のないまま観た記憶だけが残るような気がするのだが、これがライムスター宇多丸の手にかかると面白いくらい弱点を暴露してくれる。 すごい才能だよねこれ、すごいと言えば、我々一般観客もダメな映画に出会ってもスゴい勢いで「まあいいか」「まあいいか」「まあいいか」と脳内で連発しながら観ているわけで。 まー間違ったスゴさだよね我々の。

それを逃さず許さず覚えている宇多丸は正しくスゴいな、記憶力とか。

誰も守ってくれない、というこの映画も、何の予備知識もなしで自分が鑑賞したら「あんま面白くなーい」で終わっただけかも。
具体的にどこがどうダメとか分からないし、分かっても追求しないはず。
というわけで何か勉強になる、みたいなひとときでした。


●用心棒

今度は町山智浩解説がネットにあったんで用心棒を観た次第。
つか最近も観たような気がするのだが、なんど観ても面白いので無問題。
語るとキリがないが、黒澤明というより、この頃の映画って面白かったということか。
黒澤監督はじめ、一部の映画人はカラー化が遅れたみたいだけど、この人のばあいは白黒の絵作り云々というより単純に、パンフォーカスのための感度が足りなかっただけじゃないかなよくわからんが。
この時代はすべての領域にピントが合うパンフォーカスが正義で、でもじっさいはセットの照明が足りなくてうまくいかなかったりするのを、黒澤監督は電力量にものいわせてムリヤリ撮ったみたいな話もあるし。 他の映画作家のばあいは難しい絵は避けて撮った結果、当時の映画にはけっこう単調なカットが多いみたいな。

マトリックスやインセプションみたいにルール説明が長いが、解説されたそれらを余すところ無く使う姿勢はこの時代の映画独特というか、町のどまんなかにあるめし屋(救世主、ではなく飯屋のほう)は全方向の窓を開放するとあっちの事情もこっちの様子もぜーんぶ一度に見れるという全方向型劇場となっており、しかもここのオヤジだけはマトモな人間という格好の場所となっている。
後は西部劇などでお馴染み、二大勢力がにらみ合い、ピリピリした一触即発状態なところにブラリとやってきた根っからの火種みたいなガンマンが居着いてひたすら引っ掻き回すとゆう、コレ以上ないくらい楽しいストーリー。

面白すぎてちょいとマンガみたいになってるが、それもまた魅力。
清兵衛のところにいた最初の用心棒がとっとこ逃げ出す際の「ニカ〜」としか言いようのない笑顔など、ホント観ていて飽きない。
とにかく全編、笑える構成で、それと同時に悪党どもをバサバサと景気よく斬るのだから面白く無いはずがない。
ちなみにいろんな点でこの用心棒を上回った続編、椿三十郎はそこだけがやや下回るポイントで、こちらでは木端役人どもを斬っているので多少後味の悪いことになっていて、まあ内乱というかじっさい戦(戦争)なのでさほど問題でもないのだが、用心棒ではとにかく爽快。
主人公の自称「三十郎」がまた悪いというか、ほとんどだまし討ちみたいなやり方なんで余計に楽しめるとゆう。
悪党を欺いて騙して誘導してお互いの陣営を衝突させる最高のゲームなわけ。
脳内で「いさかえ・・・・いさかえ・・・・」という呪文がぐるぐるする充実感を味わえる。

ボコボコにやられてピンチを抜け出す際もひたすらギャグの連発というサービス精神。
悪党同士が際限なく殺し合っているようで、どんどん数が減って整頓される達成感。
萌えキャラとしての三船敏郎を極めたツンデレ具合。

アニメやゲームでもこんだけのものは、そうそうありません。
とにかく楽しい二部作。



●ルパン三世と日輪の遺産

なんかすっかり忘れていたけど、良い評判を聞いたことがないルパン三世。
とりまiTunesで観てるんだけど、コレを批判している人ってアレかね、映画館で観たのかね。
まー映画館以外で観れば途中で中断できるからそれほど酷くはないよ、いまも一時間ちょいくらいでいちど止めて、続きは明日にしよ〜言うことで、後で見る予定なんだけどね・・・・ってあと一時間もあるのかよ、この映画。
小さい音量で飯食いながら観てて、いちおうストーリーは押さえてあるというか、最低限理解できていると思うんだけど、とにかく引っかかる映画ではある。
「ん?」「う〜ん」「えっと・・・」みたいな感じで、普通に観れない不思議さがある。
むろん映画としての文法とルパン三世キャラクターを演じること、という板挟みで学芸会にならないように、逆にかけ離れたキャラにならないように、と綱渡り的にやってるんだろうけど、そういった俳優陣のぎこちなさとは別に、何か変。
脚本もダラダラしてるし設定もダサめなんだけど、それとも違う何かが。

たぶんこれ、撮り方が下手なのではないだろうか。
構図とかカメラワークとかも含めた、なんというか映画の造り方がうまくないのではと。
アクションも「凝ったつもり」という感じがビンビン伝わってくるがうまくないし。
その証拠に絵面はどう見ても90年代前半、つまり20年以上旧い感じで、今どき敵キャラにモヒカンかよ・・・とかスタッフが喜んで個性的なプロップガンをカスタムしている具合がなんかねえ・・・みたいな時代遅れ感もあるし。
ルパン三世って銃器に凝った作品と思われてるけど、カスタム銃とかはあまり出ないタイプじゃないのか?
絵がそんな具合だと話にも乗れなくて。
未完成のふたつの財宝ね、首飾りとそれにはめる予定だった宝石ね、それを盗まれたのね、でもってルパン一味が盗み返すのね、まーわかるけどね、みたいな・・・遅い脚本だな!!
つかね、今現在、ルパン三世のスタンダードはカリオストロの城なわけで。
宮駿監督が演出する、得意の「プロフェッショナル風登場人物」をさんざん見せつけられているため、今度の映画の展開、例のモヒカンに襲撃されて「うわー何だー」「意外な敵襲だー」「どうしよう、どうしよう」「こんなん想定外だよお」・・・まあそんな事はさすがに言っていないが、それに近い醜態をルパン一味がさらすのは納得できん。
プロなんだから「こんな事もあろうかと」ぐらいにキビキビ対処してほしいんだけど、まあいいか。
まースマートさに欠けるんだよね、ルパン一味の描写に。

話変わって日輪の遺産である。

GyaO!で無料だったので観たのだが、こっちは面白かった。
とある八千草薫が旧い秘密を息子や孫に語りだす・・・という感じなのだが、とにかく普通に面白く、「えっなになに?」「はっ、どゆことこれ?」「ふんふんそれで?」「はやく続き教えろよ」みたいな感じで観ることができるという、ルパン三世の間逆な展開。
ルパン三世と同じく、巨額の財宝をめぐるお話なのは共通なんだけど。
日輪の輝きを胸に秘めているのである。

話が進むとちゃんと興味を引くように出来ていて、いろんな部分がけっこー面白おかしく造られている。
つかよく出来ている映画、というよりこれが普通なんだろうね、普通より下な邦画ばかり最近観てるので上等に思えるけど。
例えば謎の指令状が届いて、やっぱ証拠隠滅のため燃やさなくてはいかんだろなー的に焼いてみると、思った以上によく燃える紙が使用されたスパイ用紙みたいなものだったので観客といっしょに劇中人物が「おおおwww」となるが、余計な台詞で説明しない映画文法が心地よいとゆう。
ホントこのスパイメモ的な手紙だけでルパン三世に登場した全部の小道具より面白いから。

物語はマッカーサーからくすねた900億円規模の財宝をとりあえず隠匿する使命みたいな感じで「こんな重い秘密を背負わされてどうすんだよこれ」という話かな。 マッカーサーもこんな資金をよく集めたな、将来大統領選に出馬したかったらしいが、あんがい野心家なんだね。
財宝は列車で運ばれてとりま多摩川向こうの山まで来たが、そこからトラックで移動して隠す、とゆうのがメインイベント。
ただ、かつての映画「隠し砦の三悪人」の金塊二百貫が今で言う750キログラムで、数十億円程度だっけ。
日輪の輝きを胸に秘めてとさっきも言ったが、元ネタである無敵鋼人ダイターン3でも火星から大量の金塊を輸送して人類再興の資金とするが、2キロメートル以上ある巨大なロケットに積んでいた。 大資金ってそーゆーものなのではないかな、よくわからんが。
昭和20年くらいで900億円、今で言う200兆円の財宝って、それが金塊であれ美術品であれ宝石であれ、少女20人で運べるんですか? という疑問はある。
他にもそんな巨額すぎる資金が動いたら最後、アメリカの国税庁ほかあらゆるエージェントのアンテナに引っかかって、何人もの調査員が追跡をはじめちゃって隠せないのではという疑問も、またある。
疑問はあるが、まあ気にしないという選択肢もできる映画。

でもあの19人と先生は、なんで死ななくてはならなかったのかね。
自分たちが運んでいるのが日本の復興資金であること、すべて承知していたのかね。 だからって自決するとか無茶だと思うのだが。
そうまでして秘密を守る必要がある、と判断したのだろうが命かけすぎ。
あと軍刀での立ち回りあるけど、ここは一週間くらい練習を重ねて、椿三十郎のラストくらいのキレ技を披露して欲しかったなー。 残念。
一瞬でズバッと斬れば、会心の見せ場になったろうに。
また三船敏郎陸相、もとい阿南陸相という実在人物をボスということにして物語に織り込んでいるけど、敗戦までのカウントダウンでストーリー展開しているため、いかんせんタイムリミットがある。 なんせ阿南陸相って腹切って自決してるから。 玉音放送直前のわずかな時間に、そのような人物をドラマに引っ張り込むのは難しいぞ。
ということで、阿南陸相と主役級の将校が会話するシーンは当の自決場面となりました。
一歩間違えばお笑いシーンとなりますな、腹をかっさばきながら命令の如何を問いただされるのだから。
「あのー、お腹にドスを突き立てている最中、申し訳ないのですが、どうしても正しておきたい件がありまして・・・」みたいな。
でもギリで切腹しながら仁義を押し通す凄い人、という場面になりました。
 切腹上等
 介錯無用
昔の人はエラいな〜という感じで。
過去の映画「日本のいちばん長い日」で三船敏郎が阿南陸相を演じていた、という先入観もあるんだけどね。

あとは最後のジェダイの幽霊みたいなシーン。
ここはちょっと、どうかなーと最初は思ったけどね、幽霊なのにけっこー台詞あるし。
ところが八千草薫だけではなく、後ろにいる孫達にもハッキリ英霊が見えているようで、これは記憶の再生とか思い出補正とかイメージシーンなどという、曖昧なものではないのでは・・・・と思えてならない。
おそらく映画館で観た人たちも「またこのパターンかよ」くらいにとらえていたら「えっ?」と意表をつかれたはず。
秘密を守るために自決した19人の少女と先生は、八千草薫の脳内だけに生息する幻ではなく、じっさいそこに存在するのかと。
そー解釈すると胸が熱くなるというもの。

なかなかやるな、という映画ではあるが、じっさいの日輪資金はまだ陽の目をみないのがもどかしいな。
マッカーサーはなんだかんだで日本の実力を評価していたし、秘密をそのまま保存していたらしい。
日輪の輝きを恐れぬのなら、かかってくるはずだが(またダイターン3ネタです)そうはならなかった。
ともかく早く秘密が眠るあの山を米軍から買い取れよ、という感じもするし、戦後の苦難があって、なお劇中の時代である2011年3月には大災害があったのに、まだあの資金を使う時期ではないのかと。

とゆわけで日輪の遺産。
とにかく終始「ふむふむなるほど」と頷ける、まっとうな映画だと言える。
映画として普通に撮られた、フツーの作品、とも言えるし。

要するに。

ルパン三世も普通に撮れば、かようなもっといい映画に・・・と思うわけ。


●追伸、観終わったあとに

無関係なAmazonリンクは気にしないように。

ルパン三世を観終わった。
先に書いたとおり、残り一時間で続きは明日〜となったのだが。
さすがに後半はまあ、テンポいいけどね、前半の印象を覆すほどでもないかな。
あ、でも五エ門に幹竹割りにされたモヒカンの視点がよかったな、マモー編でドタマ三分割にされたヤツがかつていたが、そいつ視線で画面が三分割になって、例え目玉斬られてもそうは見えないはず・・・と誰もが思ってたから、今回の左右視点がズレる描写は納得だ。
あと思うのはこの映画、北村龍平監督とゆーことで、結果的に怪獣抜きのゴジラ・ファイナルウォーズになってる次第。
どんだけ薄味なんだという話。
いや悪い意味で濃いかな。
ホント、この俳優陣で別な脚本、監督にやらせてみなよ、もっといい作品になるはず。
いちおう興行収入はあったみたいだけど、絶対同じ監督の続投はないだろうね、モタモタして面白く無いもん。

でもまあ勉強になった、と思う具体的に何がどうとかわからんが。
とゆうか、いままで面白そうな映画を選んで借りてきた自分の直感って正しいなと再確認みたいな。
映画の紹介文、公開後のレビューなどを読めばけっこうどんな映画かわかるから。


●HULUのお試しやってみた

あまりにも微妙なサイトなんで一年以上放置していたHULUだが、とある理由でiTunes決済で加入。
とりま二週間だっけ一ヶ月だっけ、お試し期間というわけ。
どう微妙かというと、とにかくコンテンツに意中のものがあるかどうかで、確かにあるっちゃあるんだけど、ぶっちゃけお試し期間の間に欲しいエピソードだけ全部観れるんではないかという微妙さ加減。
ガメラシリーズはけっこう揃っているようで、さっきも対ギャオスを観たんだけどバイラスやジャイガーがあるかどうかわからんし、ゴジラシリーズはないっぽい。
だが大怪獣ギララはあるようで、とにかく微妙。
ただ千円くらいなら、来月も続投しようかなと思っている。
理由は、うしおととら。
バンダイチャンネルなどで課金しながら観ると月に840円となるので、HULU入って他の映画も観とけばかる〜く元が取れる。
この前午後のロードショーで見逃したビーチ・シャークもあるようだし、観たいもんだけ観とけばしばらくはお得。
いちおうHD画質ということで、GyaO!やバンダイチャンネルより映画はキレイに観れるわけかなるほど。
じっさい大怪獣空中戦ガメラ対ギャオスをあんだけ高画質で観たのは初めてだし。

あーそーいや実写版パトレイバーもあったね、でもすぐ観る気にはならないな。
PCサイトでログインしなくてもどんなコンテンツがあるかは調べられるので、時々検索してチェックしておこう。

というわけ。

●大怪獣空中戦ガメラ対ギャオス

先述したとおりHULUで視聴。
たぶんこれ、第三作目なのではないかな、非常に脂が乗った感じがする。
だいたいガメラというと怪獣界のB級担当みたいに思われていたが、けっこー面白いんだよね。
今回の作品は、おそらく特撮少年たちがいちばん嫌い、と自分では思っている英一くんが登場。
見ればわかるが、ちっとも可愛くない子供でしかも生意気だ。
その上村長の孫ということでおもちゃをたくさんもっている贅沢さで、くっそ羨ましい。 コイツがガメラの背中に乗せてもらうという栄誉をさずかったのだから、特撮少年たちは内心穏やかではいられまい。
それだけではない、怪獣対策のアイデアをイチイチ出してきて大人に感心される様はどうにも憎しみさえ湧いてくるというもの。
それに加えてあろうことか「ぎゃお〜と鳴くからギャオスだよ」と怪獣命名までしてしまった。
貴様、特権である怪獣命名権まで奪うのかこのガキが!
と、ゆー感じで日本中の怒りをかったのではないだろうか、知らないけど。

最近は進撃の巨人が映画化されて、絵面が似ているためかアレは「フランケンシュタインの怪獣 サンダ対ガイラ」だという人が多い。
が、個人的にはこっちのガメラ対ギャオスのほうを思いうかべる。
しっかし、面白いアイデアてんこ盛りの映画だよなコレって。
ギャオスには複数の能力、弱点設定が説明されて、対策も多様、そして作戦も多様で、とにかく一作品の中でいろいろあるのがスゴいゆうか。
取れたギャオスの足が海辺で見つかって、それがだんだん縮むというのもユニークで、紫外線がギャオスの弱点のひとつなのだが、太陽光に当てるとだんだん縮むという表現がもう独創的。
人工血液と回転作戦もアイデアもので、照明弾などもよく考えられているなと感心するし。
ギャオスが緑と赤に発光するシステムもシッカリ解説される。
それらアイデアを実現させる力が、まだ大映にあったのも興味深い。
超音波メスで真っ二つにされた自動車もちゃんと造り、しかも運転席のある半分はじっさいロケで走っているという。
はじめの方に出てくる大型ヘリコプターも、かなりうまく描写されていて、大味な特撮だがいい感じに。

むろん酷いツッコミどころも数知れず。
それを含めて、楽しい映画だと思う。





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次はabout-15.8-2となります。
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