2009年夏 横浜の片隅に生まれた小さな森がありました。 つながりの森は、人と人とのつながりの中で新しいものを生み出そうとする人たちが暮らす場所。 人々はその場所を「Y150ヒルサイド・つながりの森」と呼び、 歌い、作り、育て、奏で、走り、語り、そして笑いました。 このページは、そんな「つながりの森」の住民達の語りを後世に残し、 新たなつながりの森へとつなげていくために作られました。

開国・開港Y150を主催した(財)横浜開港150周年協会でヒルサイド担当をしていた御調さん。
ヒルサイドの企画当初から携わり、実現にむけて関係機関との調整などを担ってきました。
誕生からエンディングまで、一番長くヒルサイドと共に歩んできた御調さん。
語りつくせぬ思いを聞かせていただきました。

―御調さんはいつ頃からヒルサイドに携わっていらしたのですか。

平成18年1月に、当時の横浜市横浜プロモーション推進事業本部開港150周年担当係長を拝命しました。
その当時は「市民主体」で丘側のどこかを会場にイベントを行うという枠組みは決まりつつも
会場も含め内容は全く未定でした。
その後、平成18年には基本計画の策定にかかわり、
平成19年4月に(財)横浜開港150周年協会が設立と同時に、財団への出向となりました。

―ということは、3年半以上の長きに渡ってヒルサイドに関わっていらしたのですね。
産みから育ての苦しみ・喜びまで経験されているのではないかと思いますが、
特に印象に残っていることはどのようなことでしょうか。

ヒルサイド市民創発のメンバー募集期間のことが、とても印象に残っています。
メンバー募集は、平成19年秋から始まり、横浜市内の公会堂や区民利用施設等で説明会を行いました。
ただ、開港150周年イベント自体知られていない頃でしたし、
「市民創発」という言葉自体が全く知名度がない状態で、説明会自体の参加者が集まりませんでした。
緑区や旭区での説明会では500人入る公会堂で説明会を開いたのですが、参加者が本当に4〜5人しかいなかった。
そのときは、もう、どうしようかと思いましたね。
本当に開催できるのだろうかと、とても不安で辛い時期でした。
ただ、ちょっと面白いエピソードがありまして。
私は当時、実は公務員には絶対見えないロン毛だったのですが、
説明会で各区を巡業していた最中の12月頃、長年伸ばしていた髪を切ったのです。
すると、見る見る創発メンバーの応募者が集まり、あっという間に300人を越えました。
関係者の間では、オシラベの断髪効果か?!と、当時噂になりました(笑)
…もちろん、断髪効果というのは冗談で、メンバーの方々は興味を持ちつつも様子を見ていたようですね。
最終的には、締切までに、無事に300人以上の市民創発メンバーが集まり、
平成20年1月、旧若葉台西中学校を会場に、「市民創発支援プログラム」が開始されました。

―スタートまでのプロセスを知っているからこそのエピソードですね。
たくさんの市民参加を得たヒルサイドに対して、御調さんはどのように関わっていらしたのですか。

イベントの運営面でのさまざまな調整に関することを担っていました。
特に、ヒルサイドとの隣接地であったズーラシアとの調整は頻繁に行っていました。
野生動物は音にとても敏感で、太鼓の音などが鳴るとびっくりしてしまうのですね。
市民の皆さんの企画を実現する裏で、できること、できないことを調整するなど、
実は、あまりメンバーの皆さんの見えないところで日々奔走していました。
おかげでかなり動物に詳しくなりました(笑)
また、市民創発への支援は、行政系の協力が必要なものについて、
出展者と行政担当者をつなぐなど、少しだけお手伝いしました。
これに関しては、普段ありえないタイアップが可能になったのも、今回の市民創発の面白かった点です。
例えば、「土木のお祭り」という出展では、
一人の女性のショベルカーへの想いと土木業界がつながって出展を成し遂げてしまう、
通常では見られないタイアップでした。とてもダイナミズムがあり、素晴らしかったですね。
個人的には、「イベント」に0から終わりまで関われたのはとても良い経験でした。
一人では決してできなかったことを作り上げることができた…というか、
一人ではできなそうに思えても、みなさんの協力を得れば「なんとかできるものなんだな」という感覚を得ました。
また、事前にきめ細かく地域の情報を得て、調整し、
理解をしていただくことが本当に大切なんだということを強く学びました。
また、全市的なイベントを普段は静かな地域の中で行うことの難しさも感じたこともあります。
しかし、市民が主体のイベントということを理解していただくと、地域のみなさんには多大なる協力をいただきました。
特に、若葉台地区の方々の全面的な支援をいただき、
「旧若葉台西中」が創発支援プログラムの会場として利用できたことは、大変ありがたいことでした。

―御調さんから見て、市民創発の成果を挙げるとしたら、どのようなことでしょうか。

そうですね。
私自身、「市民創発」とは、市民個々が主体的に参加して、
それぞれの活動を行う場=あくまで市民が「自らの力」で自らの思いを形にする場であり、
主催者側は表にでるべきではないと考えていました。
そのため、主催者側がおんぶに抱っこの支援をしては、市民創発にならないという思いがありました。
伴走役の皆さんにも、
「イベントが終わったら伴走役=経験豊富な協力者はいなくなる。
その時に、残された市民が何もできなくなってしまっては困る。
自分たちで活動をするための力がつけられるような、そういう支援の仕方をして欲しい」
ということを強くお願いしていました。
今回の市民創発では、年齢では10代から80代まで、
今までの経験の度合にしても元々市民活動を行っていた方もいれば、全く初めての方もいる、といった具合に、
本当に多様な参加者がいました。
ヒルサイド市民創発が終わって、
元の生活に戻った人、ヒルサイドで培ったノウハウ・スキルを元に次の展開をしている人、
さらに新しいことに挑戦を始めた人など、様々な方がいます。
ただ中でも、全く今まで行政や、もしかしたら自分の住んでいる横浜というまちにもあまり接点を持っていなかったような人
…特に、若い世代、また自分と同世代である子育て世代がたくさん参加していて、
そして、そういった人達が、今では自分の住むまちで何らかの活動を始めているということは、
今回の市民創発ならではの、とても特徴的なことだと思います。
これは、今まで行っていたような、「行政スタッフが直接市民を支援する」イベントとは異なり、
愛・地球博に携わっていた、錚々たる市民創発のプロ=伴走役のみなさんが、そのノウハウを惜しげもなく注ぎ込み、
182に及ぶ市民創発プロジェクトの企画運営を支援していたイベントだったから、ということが大きいでしょう。
こういう、企画運営側と市民の絶妙な関係から、
個々の市民の物語が今も続いていっていることは、とても素敵なことだと思います。


<了>

【ふくまめ】
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