2009年夏 横浜の片隅に生まれた小さな森がありました。つながりの森は、人と人とのつながりの中で新しいものを生み出そうとする人たちが暮らす場所。人々はその場所を「Y150ヒルサイド・つながりの森」と呼び、歌い、作り、育て、奏で、走り、語り、そして笑いました。このページは、そんな「つながりの森」の住民達の語りを後世に残し、新たなつながりの森へとつなげていくために作られました。

「あなたの夢を語ってください、未来の横浜に伝えたいメッセージを残してください」、と、
「今を生きる人たちの夢や想い」=「夢魂」を集めるプロジェクトを展開した澤木さん。
7月と9月に出現したブースは、たくさんの素敵な想いで彩られました。



―澤木さんはどうしてヒルサイドに出展しようと思われたのですか。
また、「想いを集める」という出展のアイディアはどのようにできたのでしょうか。

歴史的な節目である、開港150周年記念行事である「Y150」に、ぜひ関わりたいと思いました。
参加する中で、何をしようかなと想いをめぐらした結果、
行き着いたのが「夢魂(ユメタマ)」を集めるというプロジェクトでした。
ヒルサイドのテーマが、私からはじめるこれからの150年ということで、
「150年後の未来に残したいものはなんだろうか」と考えたのですね。
そこで私は、開港150周年のまさに「今ここで暮らしている人々の生の声」を残したいと思い至ったのです。
万葉集のようなイメージですね。ひとりひとりの想いを、短冊に書いていただくことにしました。

―なるほど。だから「夢魂」なんですね。
たくさんの想いが詰まった「夢魂」のメッセージですが、どれくらいの数が集まったのですか?

約1000ほどのメッセージが集まりました。今後、何かの形で発信していけたらと考えています。



―1000ですか!とてもたくさんの想いが集まったのですね!
今回の出展を通じて、印象的だったエピソード…たくさんありそうですが、
特に印象的だったことを一つお聞かせいただけますでしょうか。

そうですね…。たくさんの思い出がある中でも、特に印象的だったのは、
ヒルサイド最終日の3日前のことでしょうか。
40代前後の女性がブースの前を行ったり来たりしていたのです。
話を聞いてみると、展示してある「夢魂」のパネルが欲しい、ということでした。
「最終日ならばお渡しすることができますよ」と伝えてその時は別れたのですが、
その女性はわざわざ最終日に再度パネルを取りに来てくださいました。
そして、その方が私に「夢魂が大好きなんです!」と言ってくれたのです。
その方の話を詳しく聞いたところ、
ベイサイドにも行ってみたのだけれど、自分の想いにぐっと来るものになかなか出会えず、
そんな時、出会ったのがヒルサイドで行っていたこの「夢魂」プロジェクトだったそうです。
お子さんのお名前に「夢」という文字をあてているということもあって、
このプロジェクトはその方のココロにビンビンと響いていったそうです。
自分のプロジェクトの想いがほかの誰かの想いに共鳴したと感じた瞬間でした。
その方は、夢魂のパネルを「記念にします!」と言って大事そうに持って帰られました。
とても嬉しかったですね。



―ヒルサイド会場から素敵な想いが広がってどこかで今も大事にされている
…とても素敵なエピソードですね。
最後に、ヒルサイドを通して、何か変化を感じたことはありますか?

仲間たちや参加者など、多くの人に出会えたことですね。
また、区役所との関係も深化したように思います。
私は、今、旭区を活動拠点にしているのですが、ヒルサイドを通じてこの活動を理解してもらえました。
これはとても大きいことだな、と。
余力ができたらまたヒルサイドのような、体験プロジェクトができる場を作りたいですね。
Y150で終わりではなく、Y150から、Y151、Y152、、、Y160と、
さらにステップアップしていけたら良いな、と考えています。


<了>

【ふくまめ】

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