2009年夏 横浜の片隅に生まれた小さな森がありました。つながりの森は、人と人とのつながりの中で新しいものを生み出そうとする人たちが暮らす場所。人々はその場所を「Y150ヒルサイド・つながりの森」と呼び、歌い、作り、育て、奏で、走り、語り、そして笑いました。このページは、そんな「つながりの森」の住民達の語りを後世に残し、新たなつながりの森へとつなげていくために作られました。

これからの世界はCSR(企業の社会的責任)の考え方が重要であるという難しいテーマについて、
子どもを中心とした来場者に少しでも興味や関心をもってもらうため、
生活の中にある身近な話題に振り替えたクイズや、
世界への願いを短冊(葉っぱの形)に書いて張ってもらい、
その願いを実現するために自分が身近で出来るコトを栞に書いて、
気持ちと一緒に自宅に持って帰ってもらう、
一連のワークショップを出展されました。



−吉田さんが、市民創発に参加した切欠は何だったのでしょうか?

博覧会開催の2年前に、博覧会に向けてみんなで市民参加について議論する「市民ダイアログ」という取組みがあり、
私はそこに参加していました。(参加者27名)ダイアログは事前に参加を呼びかけているのを知って、
市民が参加するという発想が凄いなと思って申し込んだのですが、
私自身は出展など全く考えておらず、あくまで出展者のサポート役に徹するつもりでした。
ダイアログは終了後に市民創発の申込が開始されましたので、私を含むダイアログ参加者4名は揃って、
旧若葉台西中学校(廃校・以降、旧西中)で行われる前半のプログラム(創発支援プログラム・2009年1月〜3月)に
引き続き参加することにしました。

第1回目の説明会(プログラム)の後に協会の呼びかけで参加者交流会を音楽室で行ったのですが、集まったのは10名程度。
初対面で説明会に来た人に、開催時間外に飲み物も食べ物も何もないところに集まってもらうのは
厳しいだろうと思ったのですが、学校なので飲食物を用意するコトは認められないようでしたので、
近隣の若葉台団地の飲食店で飲み会を設定するコトにしました。
きっと世の中には出展したい思いはあっても、手段ややり方が分からない人がたくさんいるはずだ。
であればサラリーマン経験しかない私はサポート役に徹して、人と人を繋げるみんなの仲介役になろうという
気持ちでしたので、見ず知らずの人が集まって話しが出来る機会として、
得手するところの飲み会の設定をするのは私の役目だと感じました。
前半のプログラム受講時はそのような関わり方でしたので、自身が出展するつもりは全くありませんでした。



'''みんなのサポート役でありたい。私も吉田さんにサポートを受けた一人ですが、
固くサポート役と決めていたはずが、'''
−一転出展するコトになったのはどういう経緯なのでしょうか?

私は社会の評価基準がお金(収益)しかない現状に疑問を抱いていて、CSRに対して強い関心を寄せていました。
前半プログラム終了後に、私のCSRへの思いを知っていた協会の方から、「CSRはこれから日本で必要だよ。
是非出展を申し込んでくれないか」との話しを頂いて、後半プログラムの参加申込書を提出することになりました。
この申込書には、自分の興味のあるコト。やってみたいコトを書くようになっていたおり、
即出展する旨の申込書ではなかったので申込をすることにしました。
しかし夏から年末にかけての後半プログラム(出展計画書作成支援プログラム・2009年6月〜9月、
創発支援後半プログラム・2009年11月〜2009年6月)は、参加に気乗りしませんでした。
その時点でも自分はあくまでサポート役であり、出展する気持ちが固まっていたわけではないからです。
いよいよ2008年10月の出展申請期限が近づき、悩んだ末にCSRでの出展申込をすることにしました。
しかし夏休み中の子どもを対象にした出展を、
妻と子どもと家族一緒に出展するコトを前提に8月出展の希望を出していたはずが、
出展月は夏休みの終わった9月で、日程は一切動かせないといきなり通告され、
それまでの間にも自分の協会担当者(伴走役)が急に変わるなど、この他にも色々なコトが重なり、
2010年3月22日に旧西中で行われたリハーサル(出展トライアル)の二週間前に、
協会に出展を取止める旨伝えました。が、後日に「何とか思い留まって出展してほしい!」と留意されたので、
出展すべきか自宅に持ち帰って家族と相談するコトにしました。妻は「自分も手伝うからやりましょう!」
と励ましてくれ一念発起。企画書やマニュアルや打ち合わせなどは自分。
制作物や買出し準備などは妻の担当と役割分担をして、息子も手伝ってくれる中、
家族一丸となって出展に向けて準備をすることになりました。
そこからボランティアでスタッフに来てくれたみなさんと一緒に一気にリハーサルをこなし、
続いて本番の準備に取り掛かりました。


'''リハーサルの時にはすでに概ね出展の形が完成していて、
他の方よりも大分先行しているように感じただけに今回のお話には驚きました。'''
−吉田さんにとって色々な変遷を辿った今回の出展。市民創発を通じて印象に残っているコトはありますか?

知らない人と自分の知らない話をするのはとても面白いと思いました。
各自が出展の話しを進める協会が用意したプログラムでの表情は硬くても、初めて会う立場の違う多様な人達が、
飲み会の席で自身のプロジェクトの悩みや思いを吐き出して、立場を脱いでコミュニケーションをとっていた。
普段会社に勤めていると見るコトがない光景で、人と人をつなげるサポートをしたいと思っていた私にとって、
それはとても凄く印象深かったし、
そこでは会社に囚われない相手に本気で向き合う付き合いができていたのではないかと思います。



−言われて考えてみると、確かに斬新で印象深い光景かもしれませんね。
そのような今までにない環境の市民創発を通じて感じたコトはありますか?

出展なんて自分にはできないと思っていたのに、無事出展をすることが出来ました。
そして、当初はみんなを助けようと思っていたのですが、みんなに助けられました。
今回の出展はとても勉強になりましたし、そう思っている参加者はきっと多いと思います。
しかし個人が単に勉強になったというだけでは駄目ではないかとも思っています。
私はヒルサイドへの出展を通じて、市民力の芽が出てきたところなのだと思っていて、
この芽をこのままにしておいて良いのか?今後それをどう活かすのか?と思い、
だからこの後も何か形にしていかなければならないと思っています。
また出展されたみなさんは、終わってみてもっとやれたと話したり、
思っている人も多いように思うのですが、実際には出展したその時は精一杯で、
無事終わって振り返ってみたから、次の段階として気が付いたとのだと思います。
全ては、最後まで携わってやりぬいたから言えることだと思いました。


−この後も何か形にしていかなければならないと感じているとのコトなのですが、
吉田さんは今後の展開についてどのように考えていますか?

今後はCSRを広めるサイトを作って、その中に出展と同様の仕掛けを落し込み、CSRを広く知ってもらい、
CSRへの意識を高める発信をしていきたいですね。それと同時に、良い活動は紹介したり、
みんなの良いアイデアがファーカスされて花開くようなサポートをして、
みんなの良心を浮かび上がらせ、良い気流に乗れる機会を作り出す活動をしたいと思っています。



−かなり具体的ですね!(笑)上昇気流が生まれたら素晴らしいと思います。
さて、そんな市民創発を通じて周りに変化を感じた人はいますか?

自分自身は変化したと思います。 まず多様な人達に会って物の見方(視野)が広がりました。
その結果、自分の中の引き出しが増えました。今までは単純に「嫌な世界だな!」と思っていただけだったのですが、
悪いところだけを見て絶望していないで良いところを見るコトが重要だと気が付きました。
そして、人の良心を集めれば、世の中は変えられると確信するようになりました。
家族においては、一緒に携わることで家族の絆が強くなったように感じますし、今まで以上に親密感が増しました。
また、今回参加されたみなさん変わったのだと思います。
自身の中に何か思いのある人(抱えている人)は、みなさんとても話したがります。
場合によっては自分の主張ばかりになりがちです。しかしそういう方も途中から人の話を聞くようになりました。
全てを他人のせいにしていては何も進みません。何時になるかは分かりませんが、この人の気付きやつながりが、
将来的な価値を生むのだと思います。


−みんな誰もが変わったところはある。なるほどと思いました。
では今度は逆の質問になりますが、今回の市民創発で残念に思ったコトはありますか?

自分は非常に良い取組みだと思ったのですが、ダイアログでは市民参加の推進派は少数。
初めから反対するつもりで参加していたようで「何で市民に税金を出すのか?」「お金の無駄」などの
反対意見を述べる人が多かったです。
また、市民創発に申し込んだ308人は出展時には半分以下の127名にまで減ってしまいました。
市民ダイアログでは、これから募集して市民創発メンバーとして入ってくる市民に、テーマの分かりやすさの提示と、
普通の人でも入ってき易いように参加の敷居を低くするという目的を持って、キャッチフレーズを作りました。
自分は気持ちが盛り上がっていて、キャッチフレーズも良く出来たと思っていたのですが、
実際には市民創発に申込んだのに枠組から出て行ってしまった人がたくさんいたのは残念です。
でも、それぞれの立場でみなさん頑張っていた。参加されたみなさんにおつかれさまと言いたいですし、
何時かランチの時間帯にヒルサイドの関係者全員が集まって、みんなで同窓会をしたいですね。



−同窓会は何時かできたら良いですよね!それでは最後に思い出深いエピソードがあればお願いします。

会社があったので、1週間ある出展の現場には土日の二日しか入れず、妻頼みでした。
栞はみんな持って帰ってしまったので見ていませんが、私が出展のブースに入った時は、
葉っぱに書いてある世界への願いは「戦争をなくしたい」「もっとみんなと仲良くしたい」などの他に
「お父さんが欲しい」というのがありました。
それを見た時にはとても考え深げになりました。人は誰しも人恋しいですし、人と仲良くなりたいと思っている。
みんな希望ある世界を望んでいる。改めてそう感じました。 
それと、ヒルサイド一年前イベントで、申込者308名分(各2枚)のTシャツ作りで、
立場を超えて(立場の話を一切せずに)アイロンプリントを黙々とこなしていたり、
ヒルサイドの会場で来場者に対して急遽ガイドツアーを実施するなど、そういった気配りの行動が随所で見られました。
みんなのために少しでも何か出来ることをしようと、係わったみんなが一生懸命で、
私はそれがとても良かったと思っています。

<了>

【園田明日香】

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