2009年夏 横浜の片隅に生まれた小さな森がありました。つながりの森は、人と人とのつながりの中で新しいものを生み出そうとする人たちが暮らす場所。人々はその場所を「Y150ヒルサイド・つながりの森」と呼び、歌い、作り、育て、奏で、走り、語り、そして笑いました。このページは、そんな「つながりの森」の住民達の語りを後世に残し、新たなつながりの森へとつなげていくために作られました。

「Y150エコキャッププロジェクト」の宮田祐介さんと、
「エコの音」プロジェクトの、奈良橋修さんと岡本祐二さんは、
創発支援プログラムでたまたま出会ったひとりひとりでしたが、
「エコキャップで繋がりを創る」をテーマに、
約一年をかけてエコキャップストリートライブ(※1)を実施することになり、
ヒルサイド会場では、そのつながりの成果を出展しました。

※1 エコキャップ回収を目的としたストリートライブ。
投げ銭ならぬ、投げキャップを通行人にしてもらうことで、キャップ回収を実施。
センター南のスキップ広場で行われたヒルサイド一年前イベントから始め、
隔週の土曜日、桜木町駅前で歌い続けていた。

【動画】Y150エコキャッププロジェクト感動のフィナーレ



■宮田祐介さん

―宮田さんが、ヒルサイドに参加を決めた経緯を教えて下さい。

これまで、何をしても長続きせず、いつも何かと放棄してばかりで、
「何かをやり遂げる」という経験を一切してこなかったんですよね。
だから、このヒルサイド出展を機会にやり遂げる経験をしてみたかったんですよ。

今回も途中で挫折しそうになった事は何度もあったのですが、
何分、プロジェクトがいろんな人を巻き込んで、大きくなりすぎてしまって、
言い出しっぺの自分は、
途中で辞めたくても、辞められなくなってしまいまして、
結局、やり遂げることになってしまいました(笑)

―確かに!大変なことは多かったですね。
でもそもそも、エコキャップをテーマにした理由って何だったんですか?

以前からエコキャップの活動をなんとなくやっていて。
でも、その当時あまり知られてなかったじゃないですか。
だから、これはいけると。
もしこれでうまく行けば、有名人になれるんじゃないかと。



―Y150に関わって、具体的な成果はありましたか?

まず、具体的な成果としては、一年を通じて行ったライブ活動や、
プロジェクトメンバーや創発メンバーの協力、
ベイサイド、ヒルサイドでのキャップ回収などもあり、
結果的に、260,427個というキャップを集めることに成功しました。
この数は、ただのキャップの数ではなく、ひとつひとつが、想いの粒であり、
エコキャップという活動を認知してもらえた成果であると思っています

自分で言い出したことで、これだけの成果が生まれたという事は、
本当に信じられないことであり、とても嬉しく思っています。

―すごいことですよね。宮田さん個人としては、何か成果はありましたか?

まず、エコキャップ推進協会の理事になれたのは大きい成果です。
たまたまエコキャップ活動に取り組んでいた自分が、
今やエコキャップの中核に居るのですから、すごいことです。
おかげで、FMラジオに出演させてもらったり、
新聞に取り上げられたりと、今までにない経験をさせていただきました。

また、出展に向けて企画書を制作するのにパソコンの使い方を覚えさせられたり、
様々な人と交流する中で、女の子と緊張せず話せるようになったりなどなど、
限りないプライスレスな成果をもらいました。

でも一番の成果は、一人ではじまったものが、いろいろな人と出会い、
最後は本当に大きなつながりを生み出す事ができたことだと思っています。



―宮田さんにとって、このプロジェクトの中で一番印象的だったのは、
どのような場面でしたか?

やはり「エコの音」ライブのフィナーレの壇上に上がった時のことですね。
壇上に上がった、メンバーひとりひとりの言葉に、
つい泣きそうになってしまいました。
その模様が市民放送局にUPされたのですが、
閲覧回数がダントツだったというお話を聞いて、
また嬉しくなりました。

また出展準備で印象に残っているのは、
エコキャップ推進協会の門を叩いた時のことです。
今思うと、その瞬間がプロジェクトにとっても、
自分自身にとっても、非常に大きなターニングポイントでした。
そこから、エコキャップというものが、
自分自身にとって切っても切れない縁になってしまったのですから。

―最後に、今後の展開を教えて下さい。

これからの展開はまだちょっと分からないですね。
とりあえず休みたいと思っています。
エコキャップ推進協会を通じて、
信頼できるパートナーとともに、
また面白い事ができればと思っています。

■奈良橋修さん



―奈良橋さんは、何故ヒルサイドに参加しようと思ったのですか?

その当時お世話になっていた
ヤングジョブスクエアヨコハマのスタッフさんからの紹介で、
このイベントの事を知りイベントの説明会に参加したんです。
そこに登壇されていた小川総合プロデューサーの、
「この指とまれでなく、自分で企画し、出展することで、
世の中にメッセージを届けていこう!」という趣旨とても賛同したのが、
一つにはあります。
でも一番大きいのは、
いろいろな人と出会ってみたかったということだと思います。

―Y150に参加して色々な方と出会ったと思いますが、
その出会いを通して、どんな成果がありましたか?

一番大きいのは、自分自身の中で漠然としていたものが明確になったということです。
色々な方と出会って、話をしたりする中で、
自分が将来、何をやっていきたいのかということがわかった気がします。

また、自身はチームを組んで取り組むことは苦手で、
メールのやり取り等で、度々メンバーと衝突することもあったのですが、
創発支援プログラム等を通じて、
本当に、向き合って話し合う大切さを知ることができた事も成果だと思います。

―今後、自身ではどのような将来を目指していますか?

自分は、人がつながり、生きる価値を見いだせるような
「居場所作り」をしていきたいと思っています。
Y150は自分にとって、まさに居場所と呼べる場でした。
だからこそ、今度は自分の力でこうした場を作っていきたいと思うのです。

まちづくりや居場所作りを通して、社会と断絶してしまった若者達が立ち直る機会とともに、
夢をもてる社会にしていきたいと思っています。
今は、NPOの勉強会などにも積極的に参加しています。
Y150をきっかけにして、本当に考える幅が広がっていると思います。

■岡本祐二さん



―毎週、桜木町前に立って、
エコキャップ収集ストリートライブを実施していた岡本さんにとっては、
既に一年前からヒルサイドは始まっていたと言えますが、
それらプロセスも含めて、ヒルサイドでどんな成果がありましたか?

約一年という長い期間、
毎週、駅前に立って歌い続けることができたという事自体が、
自分にとってまず成果ですね。
途中で投げ出したくないという責任、
そして、継続してやり続けることに負けたくないという想い、
これらを達成できたという満足感はなかなか味わえるものではなかったと思います。

―実際やってきて、苦労もあったのではないですか?

路上の上では必死でした。
そもそも、自分自身はY150を機会に歌い出したわけで、
もともと、歌を歌っていたわけではなかったのです。
だからうまく聞かせられなくなって、本当につらかった時期もありました。

しかし、具体的に本番が見えているから、
終わりや目標があったから、苦しくても成し遂げられたのだと思います。

―今後の展開を教えてください。

このエコキャップライブを通じて出来た人脈やつながり、出会いは、
本当にかけがえのないものとなりました。
延べ70名のアーティストさんが、
この投げキャップに参加してくれたのが心から嬉しく思います。

具体的に今後について考えられていないのですが、
このつながりは、大切にしていきたいと思っています。

<了>

【シヅカマサノリ】

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