吉原事件簿 江戸時代
最終更新: yoshiwarawiki 2011年02月01日(火) 19:06:15履歴
吉原を舞台に起きた事件(江戸時代)を紹介します。
鳥取藩の平井権八は、藩内で殺人事件を起こし江戸へ逃走。強盗などをして食いつないでいるうち、吉原で最高級花魁の小柴と出会い見初める。金のない権八は小柴の座敷へ上がりたいばかりに辻斬りを重ね、盗んだ金をもとに小柴のもとへ通うようになった。だが、辻斬りは100件以上におよび、ついにお尋ね者に。大阪で自首したものの小柴のことが忘れられず、藤沢で脱走すると一目散に吉原へ向かい、小柴にこれまでの自らの悪行を白状した上で別れを告げた。その後、権八は処刑され死体は3日3晩晒されたのだが、小柴はそれを追うように権八の墓の前で自害して果てた。
当時材木商として、江戸市中で多発する火事の後の木材需要をテコに大儲けしていた紀伊国屋文左衛門。吉原の大門を1日閉じさせすべて貸し切るなどして、遊びまくる日々を過ごしていた。そんな彼にとって目の上のたんこぶだったのが、同じく材木商の奈良屋茂左衛門。熾烈なライバル争いを繰り返しているうち、ある日奈良屋が吉原で雪を見る宴を催しているという情報を得、目の前で空から小判を空からばらまいた。すると遊女らは小判ほしさに大パニック。奈良屋の宴は台無しとなった。
享保7年5月、吉原遊郭に足繁く通っていた下野佐野の百姓次郎左衛門は、目をかけていた遊女八橋にすげなくあしらわれたことで劣等感を逆撫でされ逆上。八橋を殺害しただけでなく、その他大勢の人(60人前後)を巻き添えにしたという。歌舞伎に、この事件を題材にした「籠釣瓶花街酔醒(かごつるべさとのえいざめ)」という演目がある。