まえがき

以前投稿したそして同棲へ……で書いた同棲ネタの続きです

 トントントン……。
 グツグツグツ……。

「うぅん……」

 夢うつつの北原春希がベッドの横を弄るが、そこにあるはずの温もりがない。

「……雪菜?」

 ジューッ。
 シャシャシャッ。

「……うん?」

 少し意識がはっきりすると、台所の方から軽やかな音が響くのが聞こえる。
 それと共に、何だかいい香りが寝起きの鼻を心地良くくすぐる。

「雪菜……」

 春希が台所に足を運ぶと、そこにはパジャマの上にエプロンを掛けた小木曽雪菜が調理をしていた。

「あ、おはよう春希くん」
「……っ」

 しかし、そんな雪菜の姿に春希は目を見開いたまま、じっと見つめるだけ。

「あ、あれ?どうしたの?」
「本当に……雪菜、なのか?」
「そうだよ〜。どうして?」
「い、いや。朝が弱い雪菜がこんなに早く起きてるなんて……」
「あ〜っ。ひど〜い」
「あ、ごめんごめん」
「そんなひどいこと言う春希くんには、もうあげないから」
「え……なにを?」

 不思議に思って春希が調理台の方に目を向けると、そこには大小二つの箱が置いてあった。

「雪菜……これって、ひょっとして……」
「ひょっとしなくても、お弁当箱だよ」
「じゃあ、こっちは、ひょっとして」
「だからぁ、ひょっとしなくても、春希くんのお弁当だよ」

 朝が弱い、低血圧の雪菜が。俺のために、お弁当を……。
 俺よりも早起きするのだって大変なのに、頑張って作ってくれて……。

「雪菜……ありがとう。大変なのに」
「……もうっ。そんな風に素直にお礼言われたら怒れなくなっちゃうじゃない」
「いや、本当に嬉しんだよ。雪菜のお弁当、久しぶりだし」
「うん……ありがとう」
「雪菜がお礼を言うのはおかしいぞ」
「ううん、春希くんが喜んでくれて、わたしも本当に嬉しいから」





「お、小木曽ちゃん、今日はお弁当なんだ」
「はい、久しぶりですけどね」

 ナイツレコード社のスタジオでの昼休み。
 スタッフの注目は、自然と雪菜のお弁当に集まっていた。

「へえ〜、色々入ってるね」
「本当、小さいなりに結構色んなおかずが詰まってるわね」
「素子さんは、用意しないんですか?」
「確かに自分で用意すれば安く済むんだけどね〜」
「“自分で”って意外と手間だもんなぁ」
「だから俺みたいな独身貴族はコンビニや弁当屋で買っちゃうんだよな」

 確かに自分で用意するのは、材料費を浮かせるのに最適と言える。
 しかし、その分下拵えや調理に手間が掛かるため、思ったよりも時間を食うものなのだ。

「でもまた今日はどうしたんだい?」
「何がですか?」
「お弁当だよ。今までだってたまにしか持ってこないのに」
「そういえばこの間、付き合ってる彼と婚約して同棲始めたって」
「ええっ。小木曽ちゃんやるねぇ」
「まあ、今までも彼に食事とかは用意してたんですけど。
 せっかく一緒に住み始めたんですし、お弁当も用意してあげちゃおうかなぁって」
「あ〜もう、小木曽ちゃんってば健気よねぇ」
「じゃあ彼に作った弁当と一緒に、自分のも?」
「そうです。どうせ作るなら自分の分も、と思いまして」

 そして雪菜は一つ、大きな欠伸。
 それを見た他のスタッフは、一斉に顔を顰めて笑いを堪える。

「だからか。小木曽ちゃん、今日はずっと眠そうだったもんね」
「朝起きるのが大変そうみたいね」

 そんなスタッフの反応に、雪菜は恥ずかしそうに顔を赤らめて俯く。

「でも彼ってさぁ、この間ここでギター弾いてた開桜社の新人君でしょう?」
「ああ、冬馬かずさと一緒に演奏した?」
「ああでもいいなぁ、小木曽ちゃんの彼。いつも小木曽ちゃんの手料理が食べられて」
「同棲始めて、お弁当も毎日用意してもらえて」
「そんでもって夜も小木曽ちゃんを食べられるんだもんな。
 いいなぁ、俺も食べたいよなぁ、小木曽ちゃんの料理も、小木曽ちゃんも」
「え、ええと……」
「……だから、リアルに退かないでってば……」

 いや、それはさすがにセクハラ発言だろう、と、他のスタッフは心の中で呟いた。





 その頃。開桜社。開桜グラフ。

「あれ?北原君、今日はお弁当?」

 弁当箱を広げた春希の横から、鈴木が覗き込んできた。

「はい。結構楽しみにしてたんですよ」
「確かにねぇ。今日の北原君、何だか待ち遠しそうに時計ばっかり気にしてたし」
「なになに?北原、今日は弁当持って来てんの?」

 松岡も、後ろから弁当を覗きに来た。

「うわ、すげぇ。結構気合入ってんな」
「そうですね。おかずも一杯詰まってますし」
「いや、そっちじゃなくて。ご飯の方だって」
「あ……」

 松岡の指摘した通り、ご飯の上に掛けられたそぼろで大きく描かれたハートマーク。

「……北原君。これってひょっとして」
「……お察しの通りです」
「へぇ〜、彼女の愛情弁当って訳か〜」
「ええ。朝苦手なのに、早起きして作ってくれたんですよ」
「そうか。この間、同棲始めたって言ってたっけ」
「ええ。それで用意してくれて」
「ちぇ〜、いいよなぁ北原。こんな旨そうな弁当作ってくれる彼女と同棲なんて」
「しかも、彼女とついこの間婚約したっていうじゃない」
「この間木崎さんが結納交わしたばっかなのに、今度は北原かよ」
「……松っちゃん、北原君に先越されてばっかだよね」
「これに関しては鈴木さんも同じでしょう」

 春希の弁当の話題から、思いもよらぬ方向に話の道筋が逸れ始めてしまったので、そんな二人を尻目に春希はこっそりとお茶を買いに部屋を出た。





「ただいま〜」
「お帰りなさ〜い」

 春希が帰宅して、玄関にエプロン姿の雪菜が迎えに来た。

「……」
「ん?どうしたの?」

 キョトンとして雪菜が首を傾げる。

「いや、『お帰り』って……」
「そうだよ〜。春希くんが『ただいま』って」
「……」
「どうしたの?」
「いや、やっぱり嬉しいなって」
「ええ?」
「帰ってきた時に誰かがこうして待ってて、『お帰り』って迎えてくれるのが、さ」
「ああ……」

 確かに、家庭環境が複雑だった春希にとって、自分の帰りを待ってくれるという感覚は長い間ご無沙汰だった。
 雪菜にとってはいつものことでも、春希にとってはかけがえのない一言なのかもしれない。

「やっぱり、同棲始めてよかったよ。
 雪菜が、俺の帰りを待っててくれてるんだって分かって、さ」
「うん。わたしはいつだって、あなたがわたしのもとに帰ってくるのを待ってたんだもん」
「……少し皮肉が混じってない?」
「気のせい気のせい」

 雪菜は目をクルクルと回し、視線を泳がせる。

「……あ、そうだ。お弁当」
「どうだった?美味しかった?」
「ああ。とっても」
「よかった〜。ちょっと心配だったんだよ〜」
「本当、ありがとうな。雪菜だって仕事あって大変なのにさ」
「ううん、春希くんが喜んでくれれば、全然大変じゃありません」
「じゃあ……また作ってくれるか?」
「うん。また作ってあげるよ。あなたが頼むなら」
「……本当に、嬉しかったんだ。雪菜のお弁当」
「んもう、あんまり褒めないでよ、照れちゃうじゃない」
「今までも雪菜のお弁当食べたことはあったけど、こうして家から雪菜のお弁当持っていくってことはなかったから、なおさら」
「え……」
「自分の家で誰かが作ってくれたお弁当を持って出かけるってこと、とても嬉しかった……」
「春希くん……」
「本当に、ありがとう……」

 俯いて何かを堪えているかのような春希を、雪菜はそっと抱き締めた。

「わたしも、一緒に暮らし始めてよかった……」
「ああ……ありがとう」
「春希くんを、こうして護ってあげられるから……」
「雪菜……」

 春希も、雪菜の背中に腕を回して抱き締める。
 そのまま見詰め合い、唇を重ねる。

「雪菜……」
「駄目。夕飯食べてからだよ」
「ちぇ。お預けかよ」
「大丈夫。待っててもわたしは冷めないから」
「いつ食べても、熱いままなんだよ、な」
「うん。きっと美味しいよ♪」
「……やっぱりもう俺、お前を食べたいよ」
「だからぁ、夕飯食べてから」
「……じゃあ、早く食べよう」
「……うん、待ってて」

 名残惜しそうにお互い身体を離し、連れ立って部屋へと入っていった。
 ……その後、二人で美味しく味わい合ったことは、言うまでもないことで。
タグ

コメントをかく


「http://」を含む投稿は禁止されています。

利用規約をご確認のうえご記入下さい

Menu

SSまとめ

フリーエリア

このwikiのRSSフィード:
This wiki's RSS Feed

どなたでも編集できます