思いのほか仕事が早く片付いた夕方、友近浩樹は得意先からの帰り道、ふとCDショップのウインドゥに目が行った。
そこに貼られていたポスターには黒いロングヘアーの美人が、『冬馬かずさ』の俯いた顔のアップがあった。
思い返してみてもあの時のことは夢のようだった。

この美しい顔の奥にある深い想いに触れたこと。『届かない恋』の奥にある深い想いを知り、自分の『届かない恋』を想い
全てを想い出にすることでいっそう奮起して仕事に励んだ。
自分の想い人『柳原朋』は人気アナウンサーとして益々手の届かない所に行ってしまった。
そして、今日もまた、朋を想いながらあの曲を聴いている。
「好きな女の子から貰ったたった一つのものが『届かない恋』だなんてな…」
ふっと自虐的に笑みがこぼれた。いつまで自分は彼女を想うのだろう… 
こうして毎日同じことの繰り返しで過ぎてゆくから、自分が前に進んでいる実感も無い。だから彼女への想いも薄れない。
あのバレンタインコンサートの後、初めは好奇心で柳原朋に注目した。そして気がついた。
彼女は周りが言うほど性格が悪いわけじゃない。むしろ、視点を変えたらものすごく好感が持てた。
我侭なのではなく、一途なのだと。何よりも自分に正直なのが良くわかった。
だからこそ、あの時、『届かない恋』を手に入れてくれたのは、コンサートの協力をした俺への感謝だったのだろう。
生まれてこの方、女性から好意を寄せられた事など無い。最もそれらしいものは小木曽雪菜から感じたのだが、それも思い違いだった。
春希と自分に似たものを感じていたからこそ、小木曽から好意が寄せられても不思議は無いと思っていたのだが
実際には、春希にはギターがあった。小木曽の歌を支えるギターが。二人を結び付けていた音楽。
「結局、俺には何も無いよなぁ…」
そんな事を考えていたら、いつの間にか会社に着いていた。
席に戻り、その日の残務処理をしていると
「と、友近君。…君に、お客様が…」
突然、課長が部屋に飛び込んできた。何かずいぶん焦っているようだった。
「あ…そうですか。あと5分ぐらいで終わりますんで、少し待っていただいても…」
「そんなことは後にして、とにかくすぐに来るんだ。」
小走りに前を行く課長に遅れないように急ぎながら、
「いったい誰が来たっていうんだ?」
そう考えながら、応接室に入ってまず目に飛び込んできたのは美しい黒髪だった。
「あ…」
その声に振り返ったのは、紛れも無い、あのハンガリーで出会った『冬馬かずさ』だった。
「やあ、久しぶりだな。元気にしてたか?」
こちらの驚きに対してかけられた言葉は、あっけないほど気安い言葉だった。
「ああ、久しぶり。ずいぶんと活躍してるみたいだな」
二人の会話に課長はあんぐりと口をあけたままだった。そうか、だからか。そりゃ驚くよな。
友近はほっとすると同時に少し愉快になった。いつもあれこれこちらの仕事に文句ばかりつけている課長に対しての優越感。
同時に課長のあまりにも驚いた顔がおかしくなってきた。そんなに驚くなよ…
「実は、今日はあんたに聞きたいことがあって来たんだ。あ…それで、こちらが…」
かずさが横の女性を指して示した。
「はじめまして、友近さん。緒方理奈です」

そんなに驚くなよ… 誰かに言われている気がした。

二人が聞きたいこと…の前に、まず、仕事の話があった。
理奈のCDの東欧販売網の拡充策としての代理店の依頼だった。
かずさの態度からどうもそれは建前であって、本題は最初にかずさが言ったとおり友近に何かを聞くことだったということはすぐに分かった。
聞きたいことというのは、友近が『届かない恋』を貰った相手のことだった。
何故、緒方理奈が居るのかはすぐに分かった。彼女がこの曲のメジャーCD盤の歌手だということだった。
「それにしても豪勢だな。緒方理奈、森川由綺、そして冬馬かずさそれぞれでジャケットをつくるのか。なら3つとも買うしかないな」
あっさりとそれが当然といったふうに口にした友近にかずさは
「え…あんたも緒方理奈や森川由綺のファンなのか?まぁ、あたしのジャケットよりは価値があるだろうが…」
「いや、その認識は間違っていると思うぞ。俺の予想では冬馬かずさバージョンが一番売れるはずだ。
最も、俺としてはオリジナルの演奏にあの3人のステージ衣装のジャケットなら店の在庫ごと買い占めたいぐらいだが」
真剣な表情で話す友近に、かずさは耳まで真っ赤になって
「あ…あんた、あのステージの写真を見たのか?いったい…いつ!?」
「え?だって、あれ『アンサンブル・冬馬かずさ特集号』にしっかり載っていただろ?」
「…買ったのか……?」
「あたりまえだろ。俺はあれから帰国してからずっと『冬馬かずさファン』なんだぜ。CDもオーストリアでしか売られていないものも含めて全て持ってる。
あの限定版を手に入れるのは苦労したが、こっちは流通のプロだからな…ま、そんなことはどうでもいいが、あの本なら3冊持ってるぞ」
「な、何で3冊も買ったんだ…?」
かずさは半分あきれて聞いた。
「いや、まあ、最初の1冊は普通に予約して買ったんだよ。で、リビングでソファーに座ってパラパラとページを捲りながらとりあえず付録のCDを聴いてたんだ。
最も、おれはクラシックは素人で別に曲名なんか興味無かったから、どんな曲が入っているのか気にもしなかったんだ。それよりも特集の内容のほうにまず驚いた。
だって、この特集用に撮った写真の場所は春希の家の近くだったし、と言うか、春希の部屋で撮ったものもあっただろう?
ハンガリーで会ったあんたの印象から、もう、春希や小木曽とは疎遠にしてると思ってたからな。しかも、記事の内容がやけに春希っぽいと思ったら…」
友近はかずさを見てふっと笑った。
「編集後記に、まず春希の名前があるじゃないか!唖然としてたら小木曽の歌声だ。慌ててCDの曲目を見てみたら…演奏が『峰城大学付属学園軽音楽同好会』
作詞・北原春希、歌・小木曽雪菜。だから、あのCDの為にあと2冊買ったんだ。観賞用と保存用として」
いかにも当然といった口調の友近に、かずさはあきれかえった口調で、
「まったく…そんな事考えるのはあんたぐらいだろうな」
と言ったが、意外な所から返事が返って来た。
「あら、そんなこと無いわよ、同じ事してる人、あと二人知ってるわ。由綺も確か同じ様なこと言って3冊買ってたし、柳原朋ちゃんも買ってるわよ」
「え?」
理奈の言葉に驚きを示したのは友近のほうだった。
「柳原朋って、アナウンサーの?」
そこまで言って友近は、しまったと思った。理奈の表情が明らかに満足そうな笑みを浮かべていたからだ。
「いったい、俺のことどこまで調べてきたんですか?確かにこの『届かない恋』にはぴったりな話ですけど、人気アナウンサーに想いを寄せるただの男ってだけで…」
友近は憮然として続けた。
「確かに俺は柳原朋にあの曲の入ったプレーヤーを貰いました。でも彼女が興味あるのは小木曽の事だけであって、あれ以来俺なんてほとんど無視ですよ。
最初はもしかしてって思ったりもしましたけど、結局小木曽の時の様に、俺の独り善がりってだけで…」
言葉の最後のほうはほとんど消え入りそうだった。
「でも、伝えなければ後できっと後悔する!あたしだってそうだ。素直に春希の気持ちに応えていたら、…あいつが雪菜と出会う前だったら…」
かずさはその後黙り込んでしまった。理奈は二人の表情を見て暫く目を閉じた後
「ありがとう、二人の『届かない恋』は私の中にしっかりと刻み込んだわ。…ただ、友近さんの恋は届かないんじゃなくてまだ届けていないだけよ」
「そう…かもしれませんね。今更ですけど、少し考えてみます」
「私も協力するから何かあったら遠慮なく言ってね」
理奈はそう言うとそっと名刺を差し出した。そこには手書きで携帯番号も書いてあった。


帰宅した後、友近はこれまでのことを思い返した。
春希と会ってからだ。あいつと知り合って、それから自分の世界が予想外の方向に向いてしまったような気がする。
大学に入った頃は、自分がこんなにも会社で必要とされる姿は想像さえできなかった。そして、冬馬かずさとの出会いもあの曲があったから。
更に今日は、緒方理奈だ。受け取った名刺を見ながら考え、そして決意した。ここまで来たら当たって砕けてもいいんじゃないか?

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