終わったはずの二人だけのセッションはその後も続いていた。

 最初の『WHITE ALBUM』対決は俺の完敗で、ついでに土下座までさせられて、冬馬はそのあとの練習にまで付き合ってくれた。

 ようやくノーミスでトチらず完璧に弾けるようになったと思ったら、今度は今までに弾いていた曲のおさらい。貶され、罵られ、教えられ、一曲一曲着実に弾けるようになった。自分でも驚くくらいギターの腕がぐんぐん上達していった。

 そんな、とっくに人気を失って惰性で続く連載漫画のような日々が、俺の日常になりつつあった。

「はい、残念でした」

「くっそ〜……」

 冬馬はミスを見咎めると演奏をすぐに中断し指摘する。どんな鬼姑でもここまで厳しくはないだろう。

 すると俺は、頑張れば頑張るほど空回りして姑の機嫌を損ねる嫁か。……自分で想像して吐き気を催した。

「じゃあ、また最初から」

 冬馬の合図で弾き始める。静かに目を伏せてピアノに身をゆだねながらも、耳はきちんとこっちの音に向けているのがわかる。

「うあっと」

「北原、また同じところだぞ」

 呆れたように息を吐く。やれやれとオーバーアクションつきで。誰が見たって胸がムカつくような、意地の悪いこき下ろし。

「前から思ってたけど、才能ないね北原」

「……」

 でも俺は嫌悪を感じない。こんなに楽しそうにしている冬馬は、教室で見たことがなかったから。 

「……もしかして、怒った?」

 もはや『実力を見せつける』という当初の目的とは全然違うけれど、それを互いに認識しているけれど、やめようなんて野暮なことはどちらも言い出さない。少なくとも俺の方からは、絶対に。

「もう一度最初からお願いします!」

「はいはい、何度でも」

 だって、心地良いから。

 冬馬が、俺のミスを一生懸命探すのが。

 冬馬が、俺の拙い指の動きを笑うのが。

 冬馬が、俺を貶すために、いつもは貧しい語彙を、今だけ総動員するのが。

……冬馬が、俺だけを見てるのが。

 ずっと俺に、笑顔を向けてるのが。

…………

「ふぅ。ちょっと休憩させてくれ」

「うん……いいよ」

 窓を開ける。閉め切っていた部屋に、涼しい秋の風が入る。

「寒い」

「す、すまん」

 開けた窓を半分閉め、頭だけ出して外の様子をうかがう。いよいよ二日後に迫った学園祭に向け、生徒たちが慌ただしく忙しく、けれども満ち満ちた顔をして各々動き回っていた。

「楽しみだな、学園祭」

 冬馬の弾くアップテンポなピアノを聞きながら呟く。

「あんな子供騙しのお祭り、どこが楽しいんだ?」

「お前、クラス行事に消極的だもんな。体育祭のときだって全競技サボってたし」

「学園祭の準備はちゃんと参加してる」

「お前の性格を考慮した上のシフトでな。結構苦労したんだぞ」

「全くありがたいお節介だ。委員長様は有能だこと」

「前期な。ついでに実行委員でもない」

「実際の委員の手足には糸がついているけどね。そういうの昔あったな。ええっと、石鹸じゃなくて……」

「摂関政治?」

「……今言おうとしたのに」

 いや、それ以前の問題だろ。

 ピアノのテンポが三割くらい早くなる。後ろ姿だから表情はわからないけれど、冬馬の心情は穏やかじゃないみたいだ。接点ができたおかげで会話も多くなったし、口べたな冬馬が言外に匂わせてることも少しずつ解るようになってきた。

 だからこそ俺は、みんなに冬馬のいいところや格好良いところを知ってもらいたいと思うようになっていた。

 冬馬のことをよく知らない同級生たち。悪い部分だけをよく知ってる音楽科の同級生たち。親の七光りだけだと思っている一部の教師たち。

 鼻をあかしてやりたい。悔しがらせてやりたい。自分たちの目が節穴だったと思い知らせてやりたい。

 俺だけが知っている『本当の冬馬かずさ』を、みんなにも知ってほしい。

 そこで俺は、軽音楽同好会の空き時間に冬馬かずさリサイタルはどうかと提案してみたけれど、本人に一も二もなく却下された。俺としては穴埋めも兼ねた一石二鳥の妙案で、頷いてくれれば全力でバックアップするつもりとも言ったけれど、俺が何か言う度にどんどん不機嫌になってどんどん口数が少なくなる冬馬に回し蹴りをされ、逃げの一手を打った。

 その翌日、いつもより眠たくてどんよりしている冬馬に普段の三倍冷たくされて、俺はあっさり白旗を挙げた。

……今でも心の中で画策しているのは秘密だ。

「まあ、今のところ学園祭の準備の方は最低限協力してくれてるけど、当日もちゃんとやるんだぞ」

「気が向いたらね」

 素っ気ない言い方だけど、体育祭とは違って学園祭は参加してくれそうな予感がした。

それだけで俺は満足して再び窓に目を向ける。

「冬馬の当番は確か一日目の午後と二日目の午前だったよな」

「さすが実行委員」

「――の手伝いな」

「で、それがなに?」

「俺も一日目と二日目なんだ。まあ多分ヘルプで全部潰れることになるだろうけどな。ウチはお化け屋敷だから手が足りなくなることはないと思うけど、他のクラスから頼まれ事されるかもしれないし」

「あっそ。実行委員のお手伝い様は大変なんだな」

「で……さ」

 さりげなく、できるだけ自然に……

「三日目、何の当番もないよな」

「家でずっと寝られる至福の一日だ」

「その睡眠時間、俺にくれないか」

「……は?」

「三日目、俺と一緒に学園祭回ってくれないか」

 言えた……だろうか? 心臓が自分のじゃないくらいに脈動して、自分でもわかるくらい顔が熱くて、せっかく運んできた涼しい秋の風もすぐ温くなるくらい恥ずかしい。冬馬の顔を正視するべきなのに頭が動かない。

 冬馬のピアノも同時に止まっていた。外の喧噪だけが第二音楽室を包む。一分にも満たない無言の時間が、六十分にも感じる。

 耐えきれなくなって横目で様子を窺うと、同じようにしていた冬馬の目線がぶつかった。冬馬が慌ててピアノに向き合う。

「お前……それってさ……その……つまり」

「と、冬馬と学園祭回れたら楽しそうだなって今さっきふと思っただけなんだ。ただ、それだけで……」

 嘘だ。

「あたしさっき『あんな子供騙しのお祭り、どこが楽しいんだ?』って言ったよな。どこをどう捉えたら楽しめそうって思えるんだよ。北原の思考回路はイングリッシュ・カントリー・チューンズ並に難解だな」

 ピアノ椅子に座る後ろ姿だけでは不機嫌そうに思えるけれど、こうやって俺を貶してくるってことは実は嫌がってないって証左。本気で嫌がっているなら冬馬リサイタルを提案したときのように口数が少なくなるはずだから。

「……悪い。やっぱ迷惑だよな。俺はともかく冬馬が行きたくないってのを無理強いして、願望だけを押しつけて……」

 ならば簡単な交渉術だ。押してダメなら引いてみる。そうすればきっと冬馬は――

「…………別に行きたくないとは言ってない」

 俺の付け入る隙を見せる。

 冷たさも、素っ気なさも、どうしようもなく中途半端。だから放っておこうという気にさせてくれない。

「あたしはその……一緒に回ったとしても楽しめるかどうかは別問題ってことを言いたくて、…………もし気まずい雰囲気になったら対応に困るというか……」

「俺は冬馬といて退屈したことなんて一度もない」

「…………」

 今のは少し……いや、かなり恥ずかしい。でもリスクに見合う効果はあった。冬馬の体が三ミリメートルほど動いた気がする。……俺の願望が見せた幻覚でなければ。

「朝からずっとじゃなくてもいいんだ。冬馬が楽しめないって言うならすぐ解散するし、冬馬が眠いって言うなら起きるまで家の前で待ってるから」

「……」

「金の心配も必要ない。ちゃんと俺が用意しておくから。冬馬はいつも通り飄々としてればいい」

「……」

「学園祭実行委員の手伝いしてたからどこに何の店があるのか全部把握してる。体育館のステージだって三日間のスケジュールを空で言えるぞ」

「……」

「もちろん冬馬の行きたいところを優先させるから。言ってくれればどこにでも連れていく。なんなら大学の方まで行ってもいいし」

「……」

「……だめ、か?」

 往生際悪くあがいてみたけれど、冬馬は手を膝に置いたまま微動だにしなかった。

……もしかしてもしかしなくても、やっぱり迷惑だっただろうか? さっきから感じていた反応は、実は俺の都合のいい解釈だったんじゃないか?

 だって何の返事もできないってことは困ってるってことで、なにかしら事情があるから偽りで断りの言葉を考えているからこそ考え込んでいるわけで、そうだとしたら俺から謝らないといけないわけで……。

「そ、その……ごめ――」

「……ぃ」

「え」

 遙か上空から風に乗ってきた綿毛のようにか細い声を、しかし俺は聞き逃さなかった。

 でも……

「たこやき?」

「そう。急に……本当に唐突に、たこやきが食べたくなってきた。北原も経験あるだろ。急にハンバーガー食べたいとか、カップラーメンの体に悪そうな肉が食べたいとか」

「……あ、ああ。確かに食べたくなるな。ジャンクフードって異名もあるくらいだし」

「あたしは今その中毒症状に突然襲われた」

 ジャンクってのは『がらくた』って意味で、中毒者って意味のジャンキーとはちょっと違うんだけどな。

「そうか」

「うん、そうだ」

「じゃあ、食べないとな。たこやき」

「でないとあたしはもっと酷い中毒症状に見舞われるからな。仕方のない処置だ。北原はそういうのを見過ごしたりしない奴だろ。むしろ余計なお節介をやくようなウザい奴だ。……そうだろ、北原委員長」

「もちろんだよ」

 それは、意地っ張りでひねくれてて天の邪鬼な冬馬らしい、悪口の泥にまみれた許諾だった。

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