最終更新:ID:h3oo0bNzcA 2014年04月17日(木) 00:20:19履歴
一月に、なった。
三が日はあっという間に過ぎ去り、あっという間にやってきたのが三学期で、けれどその日々は、もう完全に流しモード。
「春希」
ある者はセンター試験に備え、休憩時間も自習に余念がなく。またある者は就職関係の面接にでも忙しいのか、年が明けてからほとんど教室に顔を出さず。
「なぁ、春希ってば」
「ん〜?」
そして、この喧噪を作り出している者たちの大多数が、後は卒業を末だけの峰城大推薦組。今この学園は大きく分けて三つの勢力が存在していた。
しかし例外というものは何にでも存在するようで。
「起こさなくていいのかよ? そろそろ昼休みも終わるぞ」
「んー……まだ平気だろ」
親志の助言を受けて右手の腕時計に目をやると、昼休みは二十分弱は残っていた。いつもより人の少な目な学食なら混雑はしないし、三分もあれば教室の席まで余裕で到着できる。
「そりゃそうかもだが、俺たちの気持ちも少しは汲んでくれると助かる」
「……」
――そして、その例外が無防備に俺の肩に頭を乗っけて全身全霊で爆睡していた。学食という公共の場で群衆の視線を集めるに値する痛い光景が、俺とかずさと同じテーブルを占拠する友人三人に多大な迷惑をかけていた。
……いや、俺だってその一人なんだけど、それは当事者が言うべきことじゃないよな?
「春希、……まあ冬馬さんもだけどさ、あんたたち最近気を抜き過ぎじゃない? いろんな意味で」
友人Bで唯一の女子である水沢依緒は言う。
「春希にも名前通りの季節が到来したことは喜ばしい限りなんだけどさ、こうもあからさまだと……」
「もう春を通り越して夏だよな、この”熱さ”は」
その左隣に座る友人Aの飯塚武也が言う。
「俺だったらこんな自殺行為は絶対にしない。その破壊力は戦争で禁止された毒ガス並だと知っているからだ。……というか現在進行形で絶賛実感中だ」
「こんなの序の口だって」
そのまた左隣に座る友人Cの早坂親志が言う。
「こいつらときたら、教室の暖房が壊れたんじゃないかってくらいにそらもうアツアツで。前の席の俺が尿意もないのに便所に行きたくなるくらいだ」
「…………食事の席で下品な言葉を使うな」
そんな、心暖かい友人たち一人一人の品評会に、俺は見当違いな意見でしか反論できないのであった。
改めて……一月に、なった。
三が日に、二人で過ごした時間も、三年間の思い出の中に組み込まれ、卒業までのあと少しの時間を、こうしてまったりしながら一緒に過ごしている。
……わけでもなかった。
なぜかといえば、かずさは大学推薦を獲得するため、月末から始まるコンクールに向けて毎日十時間ピアノのレッスンを開始したから。
しばらくピアノから遠ざかっていたかずさが遂に真剣に向き合ったことは大きな前進だ。現在、曜子さんが自宅にいることもあってか最近のかずさは少し前向きになったし、子供っぽさが増した。意地っ張りなところはそのままだけど、たまに素直な感情を表に出すようにもなった。
ただ、ピアノの方はブランクが大きく難航している。朝は家で、夕方からは学校で、夜からはまた家でピアノを弾く、ピアノ漬けの日々。その一日の最後の三十分間だけ許された恋人同士の時間――かずさの電話口での悪口雑言も、いつもより少し疲れが見えていた。
助けてやりたいのは山々だが、こと音楽に関してはからっきし素人の俺に成す術はなく、無責任に応援することしかできない歯がゆい毎日を過ごしている。
「人からの頼み事で放課後に西へ東へ奔走してた生まれつきの委員長が、今や恋に浮かれてアルバイト。変わったよな、春希も」
ある意味男らしい親志のねちっこく辛辣な冷やかしに依緒も頷く。
「あんたのマメさをそっち方面に発揮すれば、武也なんかメじゃないくらいモテるとは思ってたんだけどねぇ」
手を組んで顎を乗せ、依緒はちらちらと俺とかずさを交互に見遣る。
「それを特定の一人に限定するとこんなことになるとは、あたしの考えが足りなかったわ」
その隣で武也が訳知り顔で腕を組む。
「春希に恋人ができたら絶対に尽くすタイプだと踏んでた俺の見込みに間違いはなかった。こいつは将来、仕事も家庭も手加減できずに、頑張りすぎて鬱になることだろう。……あと依緒、お前はいちいち俺を引き合いに出さないと気が済まないのか?」
「わかりやすい実例が目の前にあるんだからそれを使わない手はないでしょ」
「俺は春希とは戦術が違うだけだ。それなりの戦果だって上げてる。そもそも俺が春希になったらウザいことこの上ないぜ」
「下心のないお節介が、単に下心のあるお節介に変わるだけでしょ」
それはつまり……。
「今の武也と何も変わらないな。春希みたいな変人はそうそういない」
「俺も親志と同意見だな。……後半を言う必要があったのかどうかは別問題として」
黙って聞いていれば好き勝手言い放題だな、この友人様たちは。今まで頼まれていた用事を断って放課後にバイトをするようになったからって、別に変なことじゃないだろ。種類は別だが健全な学生には違いない。
……まあ、依緒の指摘通り、バイトを始めた理由はかずさのためだけど。
腕時計を見ると昼休み終了十分前になっていた。幸せそうな寝顔を叩き起こすのは心苦しい限りだが、そうも言ってられない。
「かずさ、そろそろ起きろ」
軽く頬をぺちぺち叩く。かずさは顔をしかめながらも薄く目を開けた。しかし覚醒とまではいかないようだ。
見かねた依緒が声をかける。
「そろそろ起きなよ、パトラッシュ。凍死するよ?」
「んぅ……」
「ほら、眠いからって目をこすったりしないの。ハンカチ貸してあげるから……」
「あふ……誰がパトラッシュだ。だいたいこんなギターもろくろく弾けない芸術オンチがネロなものか。こいつだとルーベンスの絵を手に入れても裏を計算用紙にするぞ」
起き抜けの子犬はいつも以上に回ってない頭で戯れ言を口にする。
だから俺もごく軽いノリで、普段通りに返した。
「俺、冬馬家の全財産を拾っても決して届けないから。着服して幸せに暮らすから」
はず、なのに……
「……っ」
かずさの瞳の中の俺が、歪んでいた。
「どど、どうした?」
つい十秒前の幸せそうな寝顔が、今は涙を拭う両手に隠れてしまった。周囲の目も忘れてかずさの頭を撫でる。さらさらの黒髪を丁寧に撫でつける。
そして、しゃくり泣きの間から出た言葉は……
「だって、だって春希、今あたしとは幸せにならないって……」
「え」
「ぐすっ……一人で幸せになるって……あたしと別れるって言った……」
「……あー」
なんとも想像力豊かで悲観的な妄想。つまりさっきの冗談が、かずさの寝ぼけた頭にはそう聞こえたらしい。
最近、こういうことが多くなった気がする。自分から憎まれ口を叩くくせに、俺が返すとこうやって突然泣き出したり不機嫌になったりする。ずっとやってきた、それこそコミュニケーションの一環としてやってきたちょっとしたやり取りに、かずさはガラス玉のように簡単に傷つく。
それが肉体的疲労からくるのか、精神的心労からくるのか、はたまた両方かはわからないが、かずさは前よりずっと……面倒くさい女になってしまった。
「あ、あはは……恋の病は深刻みたいね」
「それが二人とも、だもんな。もう俺たちにゃ手に負えん」
「お幸せに、お二人さん。式には呼んでくれよ」
依緒、武也、親志がそれぞれ席を立つ。チャイム間近となった学食に取り残され、奇異の目を向けつつも次々と学生たちが立ち去っていく。
……そんなに避けるようなことかな。
「なでるなよぉ……。あたしは犬じゃない……ばかぁ……」
「まったくお前は。どうしてそういう結論になるんだよ」
ここ最近、いろんなことがあったせいだ。母親との隔絶や社会との不和、恋人に和解にピアノにコンクール……悲しいことだけじゃない、嬉しいことだってストレスになる。かずさは今、何かの拍子にたががはずれて一時的な情緒不安定になってる。
だから俺は、ひたすらかずさを慰めるしかない。ほんの少しでも不安を忘れさせることしかできない。人の温もりに臆病にすがる捨て犬が、満足するまで頭を撫でる。果たして本鈴までに間に合うだろうかと気を揉みながら。
三が日はあっという間に過ぎ去り、あっという間にやってきたのが三学期で、けれどその日々は、もう完全に流しモード。
「春希」
ある者はセンター試験に備え、休憩時間も自習に余念がなく。またある者は就職関係の面接にでも忙しいのか、年が明けてからほとんど教室に顔を出さず。
「なぁ、春希ってば」
「ん〜?」
そして、この喧噪を作り出している者たちの大多数が、後は卒業を末だけの峰城大推薦組。今この学園は大きく分けて三つの勢力が存在していた。
しかし例外というものは何にでも存在するようで。
「起こさなくていいのかよ? そろそろ昼休みも終わるぞ」
「んー……まだ平気だろ」
親志の助言を受けて右手の腕時計に目をやると、昼休みは二十分弱は残っていた。いつもより人の少な目な学食なら混雑はしないし、三分もあれば教室の席まで余裕で到着できる。
「そりゃそうかもだが、俺たちの気持ちも少しは汲んでくれると助かる」
「……」
――そして、その例外が無防備に俺の肩に頭を乗っけて全身全霊で爆睡していた。学食という公共の場で群衆の視線を集めるに値する痛い光景が、俺とかずさと同じテーブルを占拠する友人三人に多大な迷惑をかけていた。
……いや、俺だってその一人なんだけど、それは当事者が言うべきことじゃないよな?
「春希、……まあ冬馬さんもだけどさ、あんたたち最近気を抜き過ぎじゃない? いろんな意味で」
友人Bで唯一の女子である水沢依緒は言う。
「春希にも名前通りの季節が到来したことは喜ばしい限りなんだけどさ、こうもあからさまだと……」
「もう春を通り越して夏だよな、この”熱さ”は」
その左隣に座る友人Aの飯塚武也が言う。
「俺だったらこんな自殺行為は絶対にしない。その破壊力は戦争で禁止された毒ガス並だと知っているからだ。……というか現在進行形で絶賛実感中だ」
「こんなの序の口だって」
そのまた左隣に座る友人Cの早坂親志が言う。
「こいつらときたら、教室の暖房が壊れたんじゃないかってくらいにそらもうアツアツで。前の席の俺が尿意もないのに便所に行きたくなるくらいだ」
「…………食事の席で下品な言葉を使うな」
そんな、心暖かい友人たち一人一人の品評会に、俺は見当違いな意見でしか反論できないのであった。
改めて……一月に、なった。
三が日に、二人で過ごした時間も、三年間の思い出の中に組み込まれ、卒業までのあと少しの時間を、こうしてまったりしながら一緒に過ごしている。
……わけでもなかった。
なぜかといえば、かずさは大学推薦を獲得するため、月末から始まるコンクールに向けて毎日十時間ピアノのレッスンを開始したから。
しばらくピアノから遠ざかっていたかずさが遂に真剣に向き合ったことは大きな前進だ。現在、曜子さんが自宅にいることもあってか最近のかずさは少し前向きになったし、子供っぽさが増した。意地っ張りなところはそのままだけど、たまに素直な感情を表に出すようにもなった。
ただ、ピアノの方はブランクが大きく難航している。朝は家で、夕方からは学校で、夜からはまた家でピアノを弾く、ピアノ漬けの日々。その一日の最後の三十分間だけ許された恋人同士の時間――かずさの電話口での悪口雑言も、いつもより少し疲れが見えていた。
助けてやりたいのは山々だが、こと音楽に関してはからっきし素人の俺に成す術はなく、無責任に応援することしかできない歯がゆい毎日を過ごしている。
「人からの頼み事で放課後に西へ東へ奔走してた生まれつきの委員長が、今や恋に浮かれてアルバイト。変わったよな、春希も」
ある意味男らしい親志のねちっこく辛辣な冷やかしに依緒も頷く。
「あんたのマメさをそっち方面に発揮すれば、武也なんかメじゃないくらいモテるとは思ってたんだけどねぇ」
手を組んで顎を乗せ、依緒はちらちらと俺とかずさを交互に見遣る。
「それを特定の一人に限定するとこんなことになるとは、あたしの考えが足りなかったわ」
その隣で武也が訳知り顔で腕を組む。
「春希に恋人ができたら絶対に尽くすタイプだと踏んでた俺の見込みに間違いはなかった。こいつは将来、仕事も家庭も手加減できずに、頑張りすぎて鬱になることだろう。……あと依緒、お前はいちいち俺を引き合いに出さないと気が済まないのか?」
「わかりやすい実例が目の前にあるんだからそれを使わない手はないでしょ」
「俺は春希とは戦術が違うだけだ。それなりの戦果だって上げてる。そもそも俺が春希になったらウザいことこの上ないぜ」
「下心のないお節介が、単に下心のあるお節介に変わるだけでしょ」
それはつまり……。
「今の武也と何も変わらないな。春希みたいな変人はそうそういない」
「俺も親志と同意見だな。……後半を言う必要があったのかどうかは別問題として」
黙って聞いていれば好き勝手言い放題だな、この友人様たちは。今まで頼まれていた用事を断って放課後にバイトをするようになったからって、別に変なことじゃないだろ。種類は別だが健全な学生には違いない。
……まあ、依緒の指摘通り、バイトを始めた理由はかずさのためだけど。
腕時計を見ると昼休み終了十分前になっていた。幸せそうな寝顔を叩き起こすのは心苦しい限りだが、そうも言ってられない。
「かずさ、そろそろ起きろ」
軽く頬をぺちぺち叩く。かずさは顔をしかめながらも薄く目を開けた。しかし覚醒とまではいかないようだ。
見かねた依緒が声をかける。
「そろそろ起きなよ、パトラッシュ。凍死するよ?」
「んぅ……」
「ほら、眠いからって目をこすったりしないの。ハンカチ貸してあげるから……」
「あふ……誰がパトラッシュだ。だいたいこんなギターもろくろく弾けない芸術オンチがネロなものか。こいつだとルーベンスの絵を手に入れても裏を計算用紙にするぞ」
起き抜けの子犬はいつも以上に回ってない頭で戯れ言を口にする。
だから俺もごく軽いノリで、普段通りに返した。
「俺、冬馬家の全財産を拾っても決して届けないから。着服して幸せに暮らすから」
はず、なのに……
「……っ」
かずさの瞳の中の俺が、歪んでいた。
「どど、どうした?」
つい十秒前の幸せそうな寝顔が、今は涙を拭う両手に隠れてしまった。周囲の目も忘れてかずさの頭を撫でる。さらさらの黒髪を丁寧に撫でつける。
そして、しゃくり泣きの間から出た言葉は……
「だって、だって春希、今あたしとは幸せにならないって……」
「え」
「ぐすっ……一人で幸せになるって……あたしと別れるって言った……」
「……あー」
なんとも想像力豊かで悲観的な妄想。つまりさっきの冗談が、かずさの寝ぼけた頭にはそう聞こえたらしい。
最近、こういうことが多くなった気がする。自分から憎まれ口を叩くくせに、俺が返すとこうやって突然泣き出したり不機嫌になったりする。ずっとやってきた、それこそコミュニケーションの一環としてやってきたちょっとしたやり取りに、かずさはガラス玉のように簡単に傷つく。
それが肉体的疲労からくるのか、精神的心労からくるのか、はたまた両方かはわからないが、かずさは前よりずっと……面倒くさい女になってしまった。
「あ、あはは……恋の病は深刻みたいね」
「それが二人とも、だもんな。もう俺たちにゃ手に負えん」
「お幸せに、お二人さん。式には呼んでくれよ」
依緒、武也、親志がそれぞれ席を立つ。チャイム間近となった学食に取り残され、奇異の目を向けつつも次々と学生たちが立ち去っていく。
……そんなに避けるようなことかな。
「なでるなよぉ……。あたしは犬じゃない……ばかぁ……」
「まったくお前は。どうしてそういう結論になるんだよ」
ここ最近、いろんなことがあったせいだ。母親との隔絶や社会との不和、恋人に和解にピアノにコンクール……悲しいことだけじゃない、嬉しいことだってストレスになる。かずさは今、何かの拍子にたががはずれて一時的な情緒不安定になってる。
だから俺は、ひたすらかずさを慰めるしかない。ほんの少しでも不安を忘れさせることしかできない。人の温もりに臆病にすがる捨て犬が、満足するまで頭を撫でる。果たして本鈴までに間に合うだろうかと気を揉みながら。
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