「おとうさん!」
 夕飯の席で、春華が春希に聞いた。
「――なんだい、春華?」
「クリスマスは、おばあちゃんのうちに行くの?」
 この間はお泊りがあったばかりだというのに、今度はクリスマス。そしてすぐお正月。子どもたちにはイベントが多すぎる。
 そして北原春希は出版人。年の瀬といえば、出版業界にとっては地獄の「年末進行」の季節である。とはいえシングルファーザーたるもの、ここで弱音を吐くわけにはいかない。しかしシングルファーザーである以上、いやたとえ妻が、子供たちの母が健在であろうとも、この時期にはなりふり構ってはいられない。「立っている者は親でも使う」。
「うん、そうだよ。北原のおばあちゃんが、ごちそう作って、春華たちを待ってるよ。」
 その観点からも、母との冷戦が雪菜のおかげで解消したのは幸いであった。
「おぎそのおばあちゃん、おじいちゃんは?」
「いつも遊びに行ってるだろ? 小木曽のおばあちゃんはいつも来てくれてるし。」
「――じゃあ、かずさおばちゃんは?」
「――かずちゃんは?」
 春華のみならず、雪音も唱和した。
「うーんと、かずさおばちゃんは、クリスマスは、お仕事だよ……。」
「えー。」
「えー。」
 ――二人の娘が、北原の母はもとより、ひょっとしたら小木曽の義母よりもかずさになついているというのは、悪いことであろうはずはないが、春希にとっては少しばかり悩ましい事実であった。
 「年の瀬の第九」がいつごろから始まった習慣かはともかく、年末年始はクリスマスコンサートやらニューイヤーコンサートやらでクラシック関係者にとってはかきいれどきである。冬馬かずさの場合も例外ではない。本格的ソロリサイタルこそ春までないが、「〈親子のための〉コンサート」は年明け早々に予定されているし、クリスマスには若手の集まるイベントに客演しなければならない。新しいCDも来年中には収録する。というわけでイブもクリスマスもかずさはびっちり仕事が入っていたし、そのための練習にも熱が入っていた。
 それでもかずさは12月に入ってからも、週に2回はちびたちをお迎えして一緒にご飯を食べ、お風呂に入り、寝かしつけ――という精勤ぶりを保ち続けてくれていた。

 もともと子どもたちが生まれてから、雪菜の家事育児の負担を軽減すべく、春希は以前のワーカホリックぶりを少しは改めていた。忙しさ自体はむしろピークだったが、それでも春華の出生以降は午前様をきっぱりと止め、週に2日は夕方に仕事を切り上げ、定時に保育園にお迎えに行くようにしたし、そうでない日も夜10時までには帰宅するようにして、疲労困憊した雪菜のかわりに後片付けや翌朝の準備一切を引き受けた――その分、自宅持ち帰りの夜なべ仕事は増えたが。
 しかし、雪菜がなくなってからは、到底そんなやり方では追い付かない。保育園自体は夜間預かりもやってくれる、融通の利くところだったが、それでも夜10時が限界であるし、週の半分以上をそんな深夜までというわけにもいかない。先生たちの負担もあるし、子どもたちも寂しがる。「週に2日は定時に」ではなく、「夜間延長保育は週2日、できれば週1日にとどめる」に切り替えなければならなかった。そうすると週に大体3、4日は定時、夕方6時半には子どもたちのお迎えをしなければならない。しかし深夜はともかく、夕方を会議や打ち合わせに使えなくなるのは、たとえ週の半分でもきつかった。
 小木曽の義父・義母たちは、二人の子どもを預かろうかとまで提案してくれたが、同居しているわけでもないのに、さすがにそれはためらわれた。何より春希自身が、子どもたちとひとつ屋根で暮らし続けることをあきらめたくはなかった。春希自身の母も、ありがたいことに「なんだったら同居してもよい」と申し出てくれたが、雪菜のいない今となっては、時々預ける程度であればともかく、同居に踏み切るにはハードルが高かった。
 それゆえ当初2、3か月は、春希は極力一人で頑張ったのである。夕食の手伝いに小木曽の義母は週2回ほど来てくれて、作り置きもしておいてもらえたので相当に助かったが、それでも義父も義弟もいる一家の主婦である義母に、深夜まで付き合ってもらうわけにはいかなかった。その上で職場とも相談し、仕事の量も若干抑えてもらい、出張も当分は差し控えることとした。
 ――それでも無理はあちこちに来た。現状春希は雑誌ひとつの制作進行を取り仕切るほか、雑誌二つに深く関与し、平均して月1冊程度の単行本を担当するというペースで仕事をしており、単純に自分一人でこつこつ作業をするというスタイルは取れない。正規の会議や打ち合わせはすべて昼間に回したとしても、緊急のミーティングや調整業務の飛び込みは避けがたい。そのすべてを任せられるほどの同僚・部下もいない。いきおい深夜の夜なべ仕事も、個人作業だけでは済まず、時には電話で話し込んだり、ネットでテレビ会議をしたり――ということになった。それは当然春希個人の疲労を深めるだけではなく、周囲をも巻き込むことになった。夜中にごそごそしていては、子どもたちの睡眠の邪魔にもなる。付き合わされる同僚やライターたちにも、いろいろとしんどい思いをさせる。それへの申し訳のなさがまたストレスになる――という悪循環。

 そんな日々の中、雪菜が元気な頃から、どんなに忙しくとも週に1度は北原家を訪れて、ちびたちと遊ぶことにしていたかずさが、子供らが寝静まった土曜の夜、劇甘コーヒーを入れたマグを抱えてぽつりと言った。
「――春希ぃ、お前いい加減、もっと休め。お前のためじゃない、春華たちのためだ。」
 余計な気負いやからかいもなく、ぶっきらぼうにしかし直截に、かずさは春希を諭した。
「あたしが言う筋合いじゃないかもしれない。しかし、雪菜はいないんだし、お母さんたちはまだ遠慮しておられるから、あたしが言うしかない。――お前が無理をすると、子どもたちにしわ寄せがいく。――わかってるか、お前? ほんの少しだけだが、イラついてるぞ。そのイラつき、子どもたちにうつってるぞ。」
 ――たしかにそうだった。雪菜がなくなってから、雪音は赤ちゃん返りの気味があり、抱っこをねだる回数は格段に増えたし、指しゃぶりまで始まった。春華は春華で、普段は変におとなしいが、前はたくさんの色を使いこなして丹念に塗り込んでいたスケッチブックのお絵かきが、急に雑ななぐりがきになってきている。
「わかってるさ。わかってるけど――。」
「――このままじゃお前、身体こわして入院するまで休まない。それじゃ遅い。少しペース落とせ。周りを頼れ。」
「――しかし……。」
「――そこまで鈍いんじゃ仕方がない。わかった。はっきり言う。あたしを頼れ。頼りないとは思うが、信用ならないと言うのはわかるが、そこはお前が考えて、しっかり指示することでカバーしてくれ。そしたらあたし、頑張って覚えるから。仕事が休めないんだったら、ちゃんと仕事してくれ。それで、帰ってきたら、子どもたちの前ではすっぱり切り替えてくれ。」
「お、おい……。」
「勘違いするなよ? お前のためじゃない。雪菜のため……と言いたいところだが、もちろん頼まれたわけじゃない。ちびたちのためであるし、何より、あたしがそうしたいんだ。」
「えっ――。」
「――前はそんなことなかったんだけどな、雪音はともかく、最近は春華もわりと露骨に、あたしが帰るのをひきとめようとするんだ。「もっと歌って」「もっとピアノ弾いて」「もっと絵本読んで」「もっと遊んで」ってな。普段はそうでもないんだが、遅くなると急にわがままになる。
 ――だから、あたしは、もうちょっと定期的にこっちに来て、ちびたちの相手をしてやる。週の半分、とは言わない。でも、2、3日くらい、どうにかしてやる。ご飯はちょっとどうにもならないから、すまないけど、おかずを準備しておいてくれ。今まで通り、小木曽のお母さんが手伝ってくれれば助かる。その代り、お迎えも、お風呂も、寝かしつけも何とかする。その日はお前は、帰ってこなくても――徹夜で仕事しててもいい。いざとなったら、朝のお見送りだってしてやる。じっくり集中して仕事してこい。――そうでない日は、うちに帰ったらちゃんと子供と付き合って、ゆっくりしてやれ。」
「――ありがたいが、そういうわけには……。」
 春希は思わず声を上げたが、
「繰り返すが、勘違いするな。これはお前のためじゃない、子どもたちのためだ。ちびたちに「もっと一緒にいて」と言われたから、そしてあたしにはそれができると思うから、言ってるんだ。もちろん、お母さんたちとも、保育園ともよく相談して、頼めることはもっと頼め。いくら何でもあたしが信用できないと思ったら、そっちを頼れ。――いくらお前が何でもできるからって、男親ひとりで小さい子供を二人育てるということ自体に、そもそも無理があるんだ。」
とあまりにまっとうなかずさの言葉に、絶句せざるを得なかった。

 付属時代の、いやそれ以上に格好いいかずさが、帰ってきたかのようだった。

 (続く)






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