……日曜日。
 朝食を終えて、テーブルを片付ける夫婦。
 北原春希と、その妻雪菜。
 昨夜の疲れも何のその、やっぱり新婚の夜はお盛んということか。

「かずさ、お昼までには来るって」
「そうか、じゃあそれまでに掃除とか済ませちゃうか」

 二人の親友、冬馬かずさが訪問することになっていたので、朝食後に部屋を片付け、お茶の用意をして待つことにした。
 自他共に認める甘党のかずさのことだ、きっと差し入れになめらかプリンやらクリームたっぷりのケーキやらを用意するのは明らかだろう。

「でもそうか。かずさが帰国してからもう一年は経つのか」
「なんだかあっという間だよね。わたしたちも結婚したし」

 ピンポーン……。

「あ、かずさ来た」
「もう来たのか。早かったな」
「は〜い、今行きますよ〜」

 雪菜が玄関に迎えに行く。春希も台所に入ってお茶の用意を始めた。

「……春希くんっ」

 と、雪菜が慌てた表情で戻ってきた。

「おう、早かった……な?」

 しかし、春希の目の前に現れたのは。

「どうも〜、久しぶりだね春希〜」
「……和泉!?」

 ……実に久しぶりの再会となる、春希の大学時代のゼミ仲間、和泉千晶だった。





 ……春希達にとって思いもよらぬ訪問に対しても、千晶は相も変わらずといった感じで、飄々と寛いでいた。
 雪菜がお茶を入れながら、懐かしそうに話し掛けた。

「そうだったんだね〜、春希くんの」
「いや〜、あの時は騙しちゃって悪かったよ〜」
「ううん、あれからずっとご無沙汰だったからどうしてるか心配してたけど良かったよ」
「あはは、相変わらずだね雪菜も。
 ……あ、あと遅ればせながら、結婚おめでとう」

 千晶からかつての経緯を聞いて、始めは驚いていた雪菜だったが、すぐにいつもの調子を取り戻し、すっかり打ち解けてしまった。
 もともと、春希との関係にギクシャクしていた時の雪菜の愚痴を聞いてくれた、いわゆる“相談相手”だったのだ。
 雪菜の友人を大切にする気持ちがいつまでも変わらないことを、春希は誰よりも理解していた。

「でも晶子さん……じゃなかった、千晶さん。今日はどうしたの?突然で驚いちゃったけど」
「いや〜、実はみんなに頼みがあってさ〜」
「頼み?」
「うん。春希と、雪菜……それに、冬馬さんもね」

 そう言って、テーブルの端でなめらかプリンを抓んでいたかずさに視線を送る。

「あたしにも……か?」
「そうそう。ここにあんたたちが揃ってくれてたから、ホント、好都合だったよ」

 かずさは、千晶の訪問後しばらくして訪ねてきた。案の定、なめらかプリンを山ほど持参して。

「で、頼みってなんだ?」
「あんたたち三人で、またステージに立ってもらいたいんだよね」

 唐突に告げられた頼みに、春希は咄嗟に言葉が出なかった。

「な……どういうことだよ!?」
「話……聞かせてくれるかな?」
「うん。実はね、あたしの知り合いが通ってるライブハウスが経営困難でさ。
 このままだと潰れちゃいそうなんだよね」
「それで?」
「何とかしてもらいたいって言われてさ、誰かそこでライブやってくれそうな人いないかって。
 だからさ、あんたたちに頼めないかなぁって」
「なんで?」
「ライブハウス立て直すのにはさ、有名どころに来てやってもらうのが一番手っ取り早いんだよね」
「いや、いくらそうだからって」
「だって、冬馬さんは言わずもがなだし、雪菜だっていろんなバンドの助っ人に出てるって巷でもっぱらの評判だよ」
「……地獄耳め」
「でもって、あんたたちが揃ってライブやるには春希は欠かせないし」
「だな。あたしは春希がギターをやらない限りやるつもりはない」

 尤もだと言わんばかりにかずさが頷く。

「おいかずさ!出る気になったような発言するな!」
「でもそうだよね。春希くんのギターがなきゃわたしたちでライブやる意味ないもんね」
「雪菜まで!?」

 雪菜も、もうすでにヤル気満々のようだ。

「え〜、春希くん、昨日ギター弾いてくれるって言ってくれたじゃない」
「なんだ、ギターまたやるんじゃん。なら問題ないよね」
「そうか。春希、ギター続ける気になったのか」
「いや、ちょっと待てって。俺たちもう社会人なんだぞ。仕事あるし」
「分かってるって。でもせっかくギターやるなら」
「ブランクだってあるし、かずさもツアーあるんだぞ」
「あたしは平気だ。コンサートの合間を縫って練習する」
「いや、お前はそれでいいけど、俺は」
「曲の方はあんたたちに任せるから」
「いやだから、話を聞けって和泉」
「春希くん、約束したじゃない、ギター弾いてくれるって」
「いや、それはだな……」

 雪菜のワガママモードに春希は言葉に詰まる。
 まさか夜の夫婦の営みのことだなんて、かずさや千晶のいる前では口が裂けたって言える訳もなく。

「それに、ライブならギターだってアコースティックじゃあまずいし」
「心配するな。エレキ一本くらいあたしが用意する」
「おいブルジョワ。少しは庶民感覚を持て」
「やろうよ春希くん。せっかく三人でできるんだから」
「雪菜……」
「わたし、歌いたいよ。今までもライブで歌ってたけど、やっぱり春希くんと、かずさと、三人でやりたい」
「……ああもうっ」





 ♪〜〜っ!

「また失敗か。相変わらずヘタクソだな」
「うるさい。こうなるって分かってるんだったら俺の都合も考えずに安請け合いするな」
「あ〜はいはい。負け惜しみはみっともないぞ」

 ……一週間後。
 週末の休みの合間を縫って、練習が早くも始まっていた。

「春希くん、大丈夫?」
「……指の神経剥き出しの痛さが久しぶりだからな。耐えられるかな、仕事もあるのに」
「でも千晶さん、選曲はわたしたちに任せてくれたんだし。春希くんができる曲を集めやすくて良かったじゃない」
「ああそれと春希。ちなみに今回は新曲もやってもらうからな」
「はあぁっ!?ちょっと待て」
「なんだ?異論は認めないぞ。雪菜の許可もある」
「ごめんね春希くん、大変だと思うけど」

 思うなら勘弁してほしい、とは今の状況を鑑みて口には出せなかった。

「今まであたしたちがやったのは四曲だけだからな。ライブハウスでやるのにそれだけじゃあ足りない」
「マジかよ!?」
「だから雪菜に頼んで、雪菜が助っ人でやった曲を教えてもらった」
「その中でなるべく負担の小さい曲をかずさに選んでもらったの」
「雪菜の方も完全新曲だと負担が大きくなるからな。負担はやっぱり少しでも抑えないとな」
「おい待て。俺の負担は?」
「なに言ってるんだ。お前のは負担じゃなくて実力アップのための必要事項だ」

 と、さも当然という感じでかずさが呟いた。
 その言葉に項垂れる春希を見てさすがに気の毒になる雪菜だったが、何とか春希にやり遂げて欲しいと思っている気持ちを伝えるために、あえて違う言葉を告げる。

「春希くん、頑張ろうよ。せっかくかずさが新しいギターをプレゼントしてくれたんだし」
「おい雪菜、そのギターは別に」
「かずさがせっかくわたしたちの結婚祝いにくれたんだからさ。そのギターで春希くんがカッコよく弾くところ、見たいなわたし」
「だから、そのギターはあげるとは」
「……分かったよ。雪菜が応援してくれるなら、俺、頑張れる」
「うん、頑張ろう」
「そのギターはあたしが買って……」
「春希くんにくれるんだよね?」

 かずさの言葉尻を上手くとらえて雪菜が微笑む。
 でもその微笑みは、悪巧みをしている悪戯っ子のそれにしか、かずさには見えなかった。

「……ああもう、分かった分かった、そのギターはあげるから。だから春希、途中で投げ出したりしたら」
「分かってるって。お前のツアーが終わるまでには何とかする」
「“何とか”じゃ駄目だ。“絶対“だぞ?」

 ツアーが迫っているかずさだが、こうして練習に付き合ってくれるあたり、何だかんだで今度のライブを楽しみにしているのかもしれない。
 あの時の付属の学園祭のライブでの演奏で、確かに掛け替えのない時を過ごすことができた、と、三人は思い出しているのだろう。

「お、やってるね〜」

 と、そこへ千晶が入ってきた。もちろん差し入れはなめらかプリン。

「お、なめらかプリンだ。じゃあちょっと休憩するか」
「ああ、そうするか」

 千晶がお茶を入れ、かずさは早速プリンに口を付け始める。
 春希はそっとギターを傍らに置き、雪菜は春希の指の手当てを始める。

「でも和泉、お前まで何で?」
「いや、頼んだのはあたしだからさ。これくらいはね」
「ありがとうね千晶さん」
「いや、お礼を言うのはあたしの方だよ、雪菜」

 そう言って千晶はポケットからチケットを数枚取り出し、目の前でヒラヒラと翳してみせた。

「……なんだそれは?」
「今回のあたしからのお礼。冬馬さんのツアーまでに間に合わせるから、来て欲しいんだ」





 ……さらに一週間後。

「……で、何でこんなことに?」
「知るか。あいつに聞け」

 舞台の袖に、三人は控えていた。
 かつての、付属の学園祭ライブの衣装で。

「まあまあ、千晶さんが舞台に招待してくれたんだし。そのお礼だと思えば」
「……なんだか割に合わないな」





 ……その傍らでは。

「しかし姫、今回の気合の入りようはすごかったな」
「まあね。なんてったってあたしが今まで構想に五年以上も掛けた力作だからね」

 演じ終えた千晶が、上原と語り合っている。

「それが、あそこにいる三人の話って訳か」
「そうそう。あの娘たちの綺麗な恋物語を、どうしてもやりたかったんだ」
「しかし、よく承諾したな、彼らが」
「まあ、ね。でも良かったよ」
「ああ、良かったな。受けてくれて」
「そうじゃなくて。あの娘たちの物語が、綺麗なまま完結してくれたことが、だよ」

 千晶の言葉に、上原が首を傾げる。

「じゃあ、ひょっとしたら完結はしなかったかもしれない、と」
「まあ、ね。まあ今でもみんながみんな綺麗に完結してるとは思わないけど」
「まあ、姫のホンの通りだとすると、な」
「でも、歯車がとことんまで狂ってたら、それこそ何一つ綺麗には終わらなかったと思うよ」
「彼らは、どんな結末を求めてたのか、な」
「さあね。それを知るのは本人ばかりなり、かな」





『こんにちは、本日は「ウァトス」の「届かない恋」の初日にお越し頂き、ありがとうございます』

 幕の下りた舞台に立った雪菜が挨拶を始めた。

『わたしたちは、今回の脚本を手掛けて下さった瀬之内晶さんの高校時代の同級生でありまして、この姿の通り今回の舞台の登場人物のモデルとなった者たちです』

 会場に拍手が響き渡った。

『劇中に流れた歌は、わたしたちがかつて学園祭のライブに参加した時に手掛けました』

 雪菜のMCの間に、機材が準備されていく。

『瀬之内さんのお願いで、あの時に自分が受けた感動を伝えて欲しい、ということで、こうして引き受けさせて頂きました』

 かずさがキーボードの前に立ち、春希がギターを構える。

『それでは、聴いて下さい』

 会場が静まり返り、ライトが消える。

『峰城大学付属軽音楽同好会で』

 舞台の上の三人に、ライトが当たる。

『「届かない恋」』





「……やっぱり、名曲だね〜」
「姫には美味しい特典だな」
「まあね〜。舞台もやれて、こうして挨拶もしてくれて、そんでもってこの後ライブもやってくれるんだもんね〜。一石二鳥どころか、三鳥だよ〜」
「……彼らも可哀想に、姫の一人勝ちじゃないか」

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