「よし、上手く行った!」
「うん、失敗もなかったし。いいんじゃないかなぁ」
「春希にしては上出来だな。これが本番でも出せるのなら、恥はかかないんじゃないか?」

 歓声を上げながら、抱きしめあう三人。場所は冬馬邸の地下。そこにある私設スタジオ。三人とはもちろん、春希、雪菜、かずさの三人である。

「はぁ、今回はギリギリじゃなくて二週間前にめどがついて、本当に良かった」
「初めの時も、一年前の時も、ギリギリだったもんねぇ」
「二回とも春希が原因だけどな。ギリギリ切羽詰った状態になったのは」
「う゛っ」

 どんよりと春希は沈んでいるが、今回の演奏は本当に、結婚式の二週間前に完成までこぎつけていた。結婚式二か月前にはすでに曲と歌詞は上がっており、余裕をもって新曲の演奏を練習した結果。十分に聞かせるレベルにまでは到達できた。
 順調というか、一足も二足も飛んで出世街道を歩んでいる春希は日々、ギリギリまで仕事をしてからの深夜練習。睡眠時間はこの一月半は、三時間を常に切っていた。休日ともなれば、朝から晩まで所か、深夜まで。雪菜との夜の生活すら減らして(決して、無くしてはいない)上でやっとこぎ着けた完成。
 もう一回やって、ミスしやすい所を重点的に練習しながらならば、結婚式当日までは睡眠時間を四時間は確保できて、休日は思いっきり眠れると思っていた。そう、思っていた。

「時間も結構余った事だし、ほら、春希。本当の楽譜」
「―――――――――――――――――――――――――――――えっ?」

 思わず絶句。おいおい、今、ちゃんと終えたばかりじゃないか。しかも、きちんとミスも無しで。なのに、何で本当の、とか真のとかいう原稿が出てくるのか意味が解らない。ぐるぐると巡る思考。かずさの言葉がどうしても理解できなかった。

「ごめん、意味が解らない」
「言っただろ。これが本当の楽譜。去年と違って時間もあったしな。色々と手を加えておいたんだ。あぁ、もちろん、時間が足りなかったらさっきので演るつもりだったけど、幸いな事に時間が余ったから」
「いや、余ったからじゃない。なんで、最初からそっちを渡さな――――――――――――――はっ?」

 そして、二度目の絶句。
 楽譜を読んでみて、分かったのは。確かに先程まで春希が奏でていたモノと8割ぐらいは同じだ。だが、二割部分。具体的には間奏の部分で、春希がギターソロの超絶技巧をやらされるぐらいだ。
 どの位の超絶技巧かって? 『届かない恋』や『時の魔法』とか目じゃなく、最低でもSOUND OF DESTINYを超えるギターソロです。
 目の前が真っ黒になった。

「…………はっ………………………………ははっ…………」

 もう、開いた口が塞がらなかった。どう考えても、この曲を結婚式までに仕上げるには残り二週間の睡眠時間は仮眠しか取れない。それも30分ぐらいの。

「かずさ。これは、ちょっと」
「いいじゃないか。私だって。お前が出来る様になったら、これにサックスとか色々と加えるんだから」
「お前はずっと練習出来るだろ! 自由業のお前と違って、こっちはサラリーマン! 仕事がきちんとこなせないと給料も貰えない立場なんだぞ!」
「大丈夫だよ。私達三人が揃って出来ない事はないから」
「三人揃ってるけど、主に苦労するのは俺だぞ!」
「いつもの事じゃないか」
「…………おぅ……………………」

 達成感と同時に訪れた疲労感で言い返す事すら出来ない。いつもなら出てくる屁理屈で何とか言い返すのだが、その元気すら搾り取らている。ついでに言うと、言い返せない程の事実だった。

「それに、な。いつもお前は裏方ばっかりだからな。自分の結婚式なんだ。少しくらい目立て」
「目立つところが違う」
「それに、ね。私も春希君の格好いい所みたいなぁって思って」
「雪菜ぁ〜」
「披露宴で、皆に見せたいんだもん。私の旦那様はこんなに格好いんだからって。自慢したいから。ねっ、春希君。一緒にがんばろう」

 両手を組み、下から覗き込むように可愛らしい顔で、頼み込んでくる雪菜に、うっと春希は言葉を詰まらせた。この雪菜の表情に勝つ事は出来ない。昔ならいざ知らず、今では決して勝てない。それ程に破壊力のある笑みだった。

 だが、春希は喉を鳴らして、いいよ、と出そうになった言葉を飲み込む。ここで断らねば、将来が危ない。
 学生時代の様に、今を生きればいい身分ではない。一年前のあの仲直りをした時の様に、不確かな未来よりも大事な今がある訳でもない。
 将来の事を見据えなければならない時期に来ている。結婚を目前にして、結婚後の事を考えるのならば決して安請け合いしていい訳はない。

「………………」

 だが、断る為に口を開くのが億劫だ。ここまで思われて嬉しくない訳がない。ここまで、自慢したい程に好かれている事に、嬉しく思わない訳がない。

「ほら、かずさも」
「わっ、私もなのか!? ちょっ、おい、こら。押すな!」
「かずさも一緒にお願いすれば、春希君も二つ返事で了解するから」
「いや、あそこまで渋ってるんだから無理だろ」
「もぉ〜、素直になろうよぉ。かずさだって、これ弾いてる格好いい春希君が見たいんでしょ?」
「そっ、それは」
「そうでもないなら、何でこの楽譜残して、且つ私に見せたりしたのかな?」
「いや、ほら。特に、意味はないぞ?」
「怪しい〜。素直に吐こうよ。かずさだったら使わないって決めたら捨ててるもん。ほらほら、正直に言おうよ。晴れの舞台で、春希の格好いい姿が見たいって。それとも、見たくない?」
「…………………………………………見たい」

 雪菜に言い負かされながら、素直に吐いたかずさの表情は、すねた子供の様な顔で。悔しそうにしながらも、その時の春希の姿を夢想しているのか嬉しそうに眼が揺れている。
 ぐっと春希は喉を詰まらせた。反則だ、と心の中で更に呟く。

 世界で一番愛してる人にお願いされ、世界で一番好きな人に懇願されては、さすがの春希も今を大事にしたくなる。この、掛け替えのない今を。

「ほら、かずさも」
「ちょっと、待て。私は言ったぞ!」
「一緒のポーズでお願いしたら効果は倍増だから」
「いや、私がやっても――――」
「いいから、いいから。ほら、一緒に」
『春希(君)の格好いい所がみたい(な)』

 両手を胸の前で組み、腰を屈めて上目使いで懇願してくるかずさと雪菜。二人共、ご主人様にご褒美をねだる犬の様に目をキラキラとさせていた。多くの男なら、例え、竜の首の珠を持って来いと言われても一秒の逡巡もなくイエスと答えるレベルの激烈に破壊力のある姿だった。
 狙ってやっているのだから、酷い悪女だと思う。ありえないレベルで相手を愛している酷い悪女。

「……………………頑張ります」

 声を絞り出すように春希は仕方なく答えを口にした。もちろん、本心から思っている言葉を。










「なぁ、春希――――あっ、ミスった」
「言われなくても分かってるよ。それで、なんだよ」
「いやさ、お前。そろそろギター代えないのか? いつまでも安物ギターって訳にもいかないだろ」
「いいんだよ。これで」
「そうだよ、春希君。五万円ぐらいのを買っても、別に家計には響かないから。少しぐらい、贅沢してもいいんだよ?」
「金がないんだったら、私が持ってるやつを使えばいい。こだわる必要はなんじゃないか?」

 二人の言葉通り、音を奏でる立場の人間ならばよりよい楽器を、より良い環境を求める。それが上達に必須であり、上達する為の条件でもある。二人の言葉は酷く正しい。多くの人間が頷くだろう。
だが、それでも、人によってはそれが正しい答えとは限らない。

「拘りたいんだよ。これは、俺達の絆だから。三人で弾く時はコイツ以外で演奏するつもりはないし、コイツ以外を触るつもりはない。俺達を出会わせてくれて、俺達を繋いでくれたコイツ以外には」
「――――」
「…………どうした、雪菜、かずさ?」

 今もなお、楽譜と格闘している春希には、顔を真っ赤にして、喜色満面の蕩けそうな笑みを浮かべているかずさと会話を聞いていた雪菜の顔は見えない。
 だから、二人は安心して、その喜びに身を任せていた。

「えっと、キュンって来て、言葉に出来なかった」
「………………………………(パクパク)」

 えへへっと、素直に嬉しさを表現する雪菜と、嬉しさのあまり言葉を未だに紡げないかずさの姿。その姿に、どれだけ自分が恥ずかしい台詞を吐いたか、漸く自覚する春希だった。







「そういやさ、雪菜?」
「なっ、何、かな?」
「撮影係って、柳原さんだったよな?」
「うん。自分で進んでなってくれたけよ」
「柳原さんが、撮影した動画、ネットにアップとかされないよな?」
「――――」
「さすがに、ネットに上がったらどんなに訴えても回収できないし、消えないから」
「うん、今、話してみるね」

 未だに雪菜のメジャーデビューを諦めていない朋ならばやりかねない行動である。お色直しをした艶やかな雪菜をメインにすえたバンドの映像がネットにアップされれば、演奏者が今やクラシック界のアイドルであるかずさが演奏している事もあり、とんでもない話題を生み出す事は確実。
 そうなれば、アイドルとしてスカウトが来ても何らおかしくはない。

 まぁ、それ以前にプライベートのモノを見も知らぬ他人に見られるのはこっ恥ずかしいという理由が最大なのだが。



 電話口で、雪菜らしくないいじわるでちょっと荒れてる口調での何度かの応答の後に、いい返事が聞けたのか雪菜は笑みを浮かべていた。

「大丈夫。動画はアップしないって」
「それって音源だけアップするって事が否定されてないんだけど」
「――――柳原の良心を信じるしかないな」

 雪菜の悪友の良心を信じて、三人は若干、顔を青ざめながら練習を再開した。


 後日、しっかりと音源がupされてました。























「「「完成したーーーーーっ!!!!!」」」

 諸手を上げて、手を取り合い、騒がしく、三人は感動で胸を振るわせていた。
 結婚式の二週間前に行われた急遽な楽譜の変更。睡眠時間を削り、触れ合いを削り、食事すらも削った結果。何とか完成した。何とか、心から満足できる所まで来れた。



 式開始、3時間前に。







「うぼぁーーーー」

 春希らしからぬ声が漏れていた。もう、キャラ崩壊とかそんなチャチなもんじゃない。
 この二週間、春希が眠れた時間の総計は12時間ぐらい。一日、一時間も眠れていない計算になる。日中は仕事をこなし、疲れている体を栄養ドリンクとサプリと栄養ドリンクとコーヒーと栄養ドリンクと、眠気覚ましドリンクに眠気覚ましドリンクに眠気覚ましドリンクを摂取し続けた毎日だった。
 昨日だって、仕事が終わったのは日を跨いでから。深夜に冬馬邸に到着後、現在まで連続練習。うん、寝てないんだ。結婚式前夜なのに。緊張とかそういう理由じゃなくて。

 春希の顔にはもはや取るのが不可能だと思う程に濃く刻まれたくま。そして、肌は血色の悪さのあまり死体かと思う程の土気色。よく生きているという感想を抱きかけない程だ。

「寝て、いい?」
「今、寝たら。きっと結婚式起きられないよ! ほら、後ちょっとだから」
「その後、寝ていい?」
「初夜なんだよ! 私達、初めて過ごす夜じゃないけど、それでも初夜なんだよ!?」
「鬼だな、雪菜。春希が可哀そうすぎる」

 そんな春希と対照的に、雪菜とかずさの血色は良かった。否、ついさっき風呂から上がったばかりでつやつやとしていると言っていい。
 この二人は春希と違って、結構寝ていた。かずさに至っては、春希と雪菜が働いている時間に爆睡をかましている始末。雪菜は、仕事が終わってから春希が来るまでの間にばっちりと睡眠をとっていた。

「というか、この顔で結婚式出るのか? ゾンビと間違えられるな」
「あー、そうだね。どうしようか」
「延期して、寝させてください」

 眠さのあまりに普段なら絶対に吐かない言葉を結局吐いている春希。あまりの眠さと朦朧とした頭のせいか、目が濁ってきている。

「ダ〜メ。あっ、そうだ。お化粧して誤魔化しちゃおう!」
「SFXとかあるぐらいだから、出来るか」
「ファンデーションを塗り重ねればなんとかなるなる!」
「目の濁りだけは取れないけどな」
「…………なんとかなる! 春希君、動かないでね」
「うん」

 何度もコンシーラーを往復させて、くまを消す。パタパタと何度も何度もファンデーションを塗り重ねる。普段から手馴れている事もあってか、春希の肌の色は見る見るうちに健康そうな色に戻っていく。
 ただ、きゃっきゃきゃっきゃと雪菜とかずさが楽しそうにしているのが、果てしなく不安である。

「んあ?――――――――――なぁ、雪菜その手に持ってるものは何?」
「えぇ〜、な〜いしょ♪」
「内緒とか言いながら手に持ってたら分かるだろ。口紅だよ、口紅」
「それをどうするつもりだ?」
「えっと。その…………春希君って、結構顔が中性的だから、似合うかなぁ〜って」
「……………………雪菜。――――話しがあるんだ。どうしても言わなくちゃならない、大事な、話しが」

 悲壮な、そして確固たる決意が秘められた言葉と眼差し。どれだけ弱気でいても、どれだけふざけていてもその言葉と瞳からは逃げられない。そして、この言葉は、違う選択をした世界において、大事な場面で告げられた言葉。読者の方々は当然、知ってますよね?

「はる、き…………君?」
「――――――雪菜、聞いてくれ」
「は……る…………き……………………君」

 二人の間に流れる沈黙とも会話ともつかない空気。それは酷く悲壮で、それは酷く残酷で。

 蛇足だが、ぼっちにされたかずさが羨ましそうに二人を眺めていた。



「明日、おしおきだ」

 濁りきった昏い眼でそう告げた。

「――――かずさ! 腕押させて!」
「えっ?」
「いいから、早く!」

 雪菜の剣幕に負けてかずさは春希の手をがっしりと握った。弱り切った今の春希ならばかずさでも拘束する事は容易かった。

「おい、雪菜。抑えてどうするんだ」
「もちろん、口紅を塗るに決まってるじゃない!」
「おい、おしおきされるぞ」
「バッチこい! だって、初めてして貰えるんだよ!? 逆になにされるのかちょっと楽しみだよ!」
「あぁ、そっか、雪菜………………………………春希よりも寝てるとはいえ、お前も結構寝てないモンな。そっか、頭がやられたか」

 親友の奇行を生暖かい眼で見守るかずさの眼から、少し塩辛いモノが流れた。親友が何処か遠くへ行ってしまったかのようで、春希と別れた時よりも、胸が締め付けられた。

「私は正気!」
「いや、そっちの方がヤバイから」
「かずさは春希君からおしおき、してもらいたいって思わないの? 『もう、離れないよな?』とか『俺に逆らうなよ』とか! 縛られて言われてみたいとか、思わない?」
「…………………………………………ごくり」
「春希君、春希君! 当然、かずさもおしおきの対象だよね?」
「うん…………かず……さも、おし……………………おき………………………………だ」

 こくりこくりと船をこぎながら途切れ途切れに紡がれる言葉。話があさっての方向に行き過ぎて、もう眠気を抑えきれずに寝に入っている春樹。ぶっちゃけ、疲労感がさらに増しました。

「かずさ!」
「よし、やろうか。ついでにいたずら書きでもしておくか?」
「ウィッグ用意しようよ。あと、エクステ」
「いいな。イヤリングもつけるか?」
「いいねぇ〜。楽しみ!」

 結婚式が文字通り秒読みしている中での二人の凶行。当然、二人は15分程こってりと怒られた。






「さて、そろそろ出ないとな」
「春希君。式の最中は大丈夫だよね?」
「あぁ、頑張るさ、それぐらい。一生に一度しかないんだ。寝てなんかいられないよ」
「春希君」

感極まってキラキラと笑みをこぼしている雪菜。嬉しさがにじみ出ているとかじゃなくて、喜色満面である。残念ながら、春希の眼は未だに濁っていたが。

 そして、この寸劇が繰り広げられているのは当然、冬馬邸の真ん前。明日からのご近所の噂が実に楽しみです。


「ほら、さっさと行け。着替えないといけないんだろ。新郎新婦」
「かずさ」
「私だって着替えないといけないんだ。時間が押してるだろ」
「あぁ、それじゃ、また後でな。かずさ」
「うん。って、おい、春希。ネクタイ曲がってるぞ」
「後ですぐに着替えるからそれぐらいいいよ」
「いいから、ほらっ」

 ネクタイをぐいっと引っ張られ、たたらを踏んで、かがむ形になる春希の頬に柔らかく、湿った感触が僅かに触れた。

 えっ、と春希と雪菜の二人から同時に声が漏れる。その感触は、その温もりは、頬に唇が寄せられたモノでしかなかった。

「元気が出るおまじない。向こうじゃ、これぐらい親友同士なら普通だ」
「いや、ここ日本」
「つべこべ、いうな。ほら、雪菜も」
「私もするの!? うん、まぁ、かずさにして貰えるのなら嬉しいかな。後、お返し!」
「こらっ! 送り出す側だからしてるんだろうが!」
「アメリカのホームドラマだったらお互いにしてるから、いいの」

 春希の頬へキスをしたのは特に何も思っていないのか、いや、かずさだからこそ、何も雪菜は感じていないようで、笑みを浮かべていた。
 女二人で、笑みを浮かべて。

「そうだな。――――――――――――――――――――なぁ。これからも、私はいるから。これからも、私は、二人の傍にいるから」

 それは、今日この日。明確に関係が変わる二人と、変わらずに傍にいる事を誓う言葉だった。


 神の御前にて誓う言葉ではない、友同士で交わすつたない約束と誓い。

「あぁ、分かった。教会で待ってろよ」
「待っててね、かずさ。披露宴が私達の本番なんだから!」
「あぁ、待ってるよ。楽しみにして」














































 後日、お仕置きが決行された。内容? 言わない方が良いと思うが、あえていうのならば、6時間耐久正座である。







 正座を崩さないように手首と足首を縄で繋げた上に、目隠しをして。ソフトSM?とかいう疑問は受け付けない。

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