(承前)
 あの電話から一週間後――。

 夕刻、瀬之内晶――和泉千晶は、北原家のマンションを訪れた。冬馬かずさも合わせられる時間帯、となると、夕方以降にせざるを得なかった。仕事――というより「大人の話」になるから、子供たちのいる時間帯の自宅は避けたかったのが春希の本音だったが、「本題とは別に、どうしても雪菜に手を合わせておきたい」との晶/千晶の強い希望から、とりあえずこういうことになってしまった。
 時間をおいてくれたので、事前にかずさに事情を了解してもらい、資料に目を通してもらうことは十分にできた。とはいえ、春希は戦々恐々だった。

「了解はするが、理解はできないね――。」
 前日、子供たちが寝静まった後をみはからって、北原家を訪ったかずさは、劇甘のコーヒーをすすりながら春希に言った。
「ごもっとも……。」
「――あたしはその時日本にいなかったから、何とも言えないが……これ雪菜が見てたら、どうなってたかね?」
 いつも以上に悪い目つきで、かずさが睨んだ。
「――さあな。わからん。そもそも、その質問だが、いつの時点での話だ?」
「――なるほどな。じゃあ、質問を変えよう。お前は今回これを見て、どう思った? そして、もしリアルタイムで見ていたら、どう思っただろうな?」
「……。」
「――それを聞かせてくれたら、あたしの感想も聞かせてやる。今の時点のも、仮にリアルタイムで見ていたとしたら、という観点からのも。」
 春希は一息ついて、言った。
「――良くも悪くも、すごかった、としか言いようがない。今も、そして多分、あの時見せられていたとしても。」
「――あたしも同じだよクソッタレ。まったく悪趣味な女だ。最低最悪だ。赤の他人の心理を当て推量でここまで掘り下げたうえで、しかもそれを昇華し、浄化してやがる。――ここまでやられたら、誰だってこのクソ馬鹿な三人を愛さざるを得ないじゃないか。――そして雪菜もそう言うだろう。いや、単純に大絶賛かもしれないな。どうやらこの脚本家、大の雪菜派のようだし……ひょっとしたら、お前以上に。」
 音楽のみならず芸術や娯楽全般についての手厳しい批評家であるかずさにしてみれば、大絶賛というところであった。春希もかぶりを振った。
「――お前も、愛さざるを得ない、か?」
「――ああ、愛さざるを得ないね。雪菜――雪音はもちろん、けったくそ悪いことに、あたしがモデルの榛名までだ。あたしはあの頃のあたしが大嫌いだってのに。――ああ、和希は別だぞ。お前同様虫唾が走るね。」
「お前ついさっき「誰だってこの三人を愛さざるを得ない」って言わなかったか?」
「――幻聴だ。忘れろ。」
「それにしても、ずいぶん高い評価なんだな、お前。」
「勘違いするな――作品として高い評価を与えることと、個人として、それも勝手にモデルにされた身として、作者に対してどういう感情を抱くかは、まったく別の問題だぞ……。」
「いやまあ、それは俺も同じ――」
「違うだろお前! 嘘つくんじゃない! もうお前許してる、ってか降参してるだろこの女に!」
「――いや、そんなことは……。」
「――まあ仕方ないよな、お前マスコミだし。社畜だし。あーあ、「すまじきものは宮仕え」だよなあほんと……。」
「い、いや、気に食わないところもしっかりあるぞ。「雪音」って名前にはちょっとぞっとしたな。」
「春華に「榛名」って名前付けてたら、目も当てられなかったなお前――。」

 さて、気鋭の女優らしからぬ、学生時代のようなジャンパーコートに身を包み、手土産に老舗のミルクレープをホールで1個と、高級シャンパンを持参した晶/千晶は、案の定北原家の娘たちの心をがっちりとつかんだ。6時から9時まで、夕食を含めてたっぷり3時間子供たちにサービスした挙句、絵本を読んで寝かしつけるところまでやってのけたのは、さすがと言わざるを得なかった。
「――あーあ終わった、っと。眠ったよお嬢ちゃんたち。やれやれだあ。」
 子供部屋から引き揚げてきた晶/千晶はうーんと伸びをした。
「――ありがとう。結構早く寝たな子供たち。俺たちが寝かしつけるときは、もうちょっと時間がかかるんだけど。」
「――フン!」
 春希が晶/千晶に向けた礼の一言に、かずさは不満げに鼻を鳴らした。
「いやなに、コツってもんがあるんだよ。人の目を覚ますにも、眠くさせるにも、ね。」
「さすがは天才女優だな。」
 ミルクレープをつつきながら、かずさはとげとげしく言った。
「まあね?」
 晶/千晶は悪びれずに応え、改めて、リビングの隅にある、雪菜の写真立てに正対した。そして目をつむり手を合わせて一礼した。
「雪菜さん、本当にお久しぶり。ご挨拶が遅れて、本当に申し訳ない。お元気なうちに今一度、お会いしたかった――。」
 その身ぶりは芝居がかった、まさに「演技」ではあったが、しかし同時に、「嘘」ではない、まぎれもなく真実の弔意の表明だった。そこに込められた確かな感情に、春希も、かずさも、やや気圧された。そんな二人に晶――いや、千晶は向き直って、笑った。
「こんなことなら、もっと早く言っとくべきだったな――あたしさ、付属祭以来の、あんたたちのファンだったんだよ。飯塚君と同じクラスだったからさ、音源分けてもらって。それから、放送研に「届かない恋」売り込んだのも私。」
 ――放送研の件を別とすれば、大いにうなずける話だった。三人に対する、ほとんどストーカーじみた執着がなければ、あの舞台が成立したわけがない。しかしその気持ちを、これほどてらいなく真っ直ぐにぶつけられると、やはり驚きに似た感覚を覚えずにはいられなかった。その驚きに背中を押されて、春希もまた、素直な気持ちを口に出さざるを得なかった。
「いや、こちらこそ、お前に言い忘れていたことがあった。――ありがとう、和泉。お前のおかげであの時、おれは雪菜に再び向かい合う勇気が持てたんだ。――たとえお前が俺に付き合っていた理由が、単なる「取材」にすぎなかったんだとしても。」
「モデル料としちゃ、安すぎない?」
 千晶がいたずらっぽく言った。
「――いや、そんなことはない。」
 それに、キャンパスに流れる「届かない恋」に二人が散々苦しめられたことは確かに事実だった。しかしそれがなければ、柳原朋の暴力的介入によって、二人が再び歌に正面から向き合うこともなかっただろう。その意味でも、千晶が引いた伏線に、二人は助けられていたのだ。
「かもね。実はあたしあの頃、雪菜さんにも会ってたんだよ? 医学部の連中の魔の手から彼女を救ったのも、実はあたしだったのだ――! へへ、どう、見直した?」
「そ、それはまたどうも……。」
「おい、春希、前からわかってたことだが、いくら何でもお前お人よしすぎるぞ!」
 業を煮やしたかずさが声を荒げた。
「――すまん。」
「あーそうだねえ、冬馬さんはただネタにされただけで、何にも得してないからねえ……でもマジな話、あなた何かあたしの芝居から実害を被った? スキャンダル記事でも書きたてられた?」
「――マジむかついた。神経を逆なでされた。とてつもなく不愉快な気分にさせられた。それで充分だろ。――法的には勝てないし、そもそも時効だってことくらい、あたしでも理解してる。」
「――そっかー。たしかにあの芝居じゃ、雪音が強すぎるからなー。でもリアルでは、どっちかというとあたし、冬馬さんびいきなんだけどね――判官びいきってことで。」
「――なっ……!」
「ふふっ、からかってゴメン。――まあそろそろ冬馬さんもほぐれてきてくれたようだし、本題に入ろうか。」
 千晶が真顔になった。――そう、あの年の暮れ、最後に春希の部屋に訪れたときのように。

「ほんとに、ひとめぼれだったんだよ、あんたたちのユニットに、あたし。」
 シャンパンのグラスを振りながら、千晶は言った。
「すっごく面白かった。雪菜さんも冬馬さんも、舞台の上で春希の気を引こうと、一所懸命なんだもん。すっごいバトルだったよ――。」
 かずさはシャンパンのグラスで顔の下半分を隠していた。切れ長の瞳が、いつも以上の鋭さで千晶を睨みつけていた。
「でも、あの舞台の上では、結局冬馬さんの圧勝だったなー。だって、雪菜さんが歌ってる後ろで、二人とも何度も目配せして、イチャイチャしてるんだもの。――そもそもあの「届かない恋」って歌からして、どう考えても冬馬さんに向けての歌じゃない。それを雪菜さんに歌わせてんだから、どんだけだよ――って。」
 言葉の上辺だけをとってみれば、幼稚な男女の愚かな恋を切り刻む、低級な淫魔の嘲笑とまがうばかりである。しかし、不思議と春希は、腹が立たなかった――かずさは、肩をぶるぶるふるわせてはいたが。
「あたしってさ、舞台の下では男に惚れたことがないんだよ。ってか実際問題、今でもバージンだしね。ふふっ、いいトシしてキモいでしょ? ――まあ自虐はさておき、恋愛なんて他人がやることか、あるいはフィクションでしかないあたしにとって、あんたたちもその例に漏れない――はずだったんだけど、なんでだろうねえ、リアルでもフィクションでも、あんたたちの恋だけが、妙に引っかかったの。理由はわかんないんだけど。」
 ――お前、仮にもマスコミ相手に無防備すぎるぞ……とは春希は言わなかった。
「――舞台の上でなら、それまでにもたくさんの恋をあたしはしてきた。ただ、舞台が終われば冷めるだけ。ただそれら舞台の上での恋は、他の作家が書いてあたしに与えてくれたものか、そうでなきゃ、お話の都合上持ってくる必要がある付随的な「仕掛け」以上のもんじゃなかった。恋そのものを真正面から主題にしたホンを書いたの、あたし、今のところあれが最初で最後、なんだ。変な話、あたし、あんたたちに、あんたたちの関係そのものに、リアルに恋をしてたんだな――いや、今でもそうなんだ。」
 ここへきてかずさが、ふっと肩の力を抜いたことに、春希は気付いた。
「とは言っても、このネタ、最初の2年は、純然たる構想段階を出なかった。急速に形をとってきたのは、春希、あんたが政経から文学部に転部してきてから。あんたの実物に身近に接することができて、急速に構想が具体化してきた。だから思い切って、偽名を使って雪菜さんに接触することまで、やってのけたよ。」
「お前それ犯罪臭いぞ……。」
「ストーカーですから。」
「――それで……。」
 ずっと押し黙っていたかずさが、口を開いた。
「あれが、お前の解釈なのか――あたしたちの恋への。」
「――うーーん、解釈っていうかなー。何だろう。介入――? アプローチ? 割り込み? ――いいや違うな、うーん。」
 千晶は腕を組み、首を散々ひねった。
「なんだかんだ言ってホン書きは難航してね――いつものこととはいえ、全部上がったのはそうだな、本番の3日前だよ。特に2週間前まで難渋しててね――一気に筆が進んだのは、2月14日、バレンタインコンサートで、二人がまた歌ったのを聞いてからだよ。あれではっきり終わりが見えてね。あー、わかったー、やったー、って感じだった。それで2月28日、初日にどうにかこぎつけた。まあ根詰めすぎて、初日でぶっ倒れちゃって、その後は代役立てる羽目になったけどね。あんたたちにお見せしたのは、その貴重な初日の記録。」
「そりゃどうも。」
「ほんとはチケットをモデルの皆さん、少なくとも雪菜さんと春希にはお送りするべきだったんだけどね……とにかくド修羅場だったんで、そんな余裕なかったんだ。返す返すも申し訳ない。――うん、これは痛恨のしくじりだな。本当、一番見てもらいたかったのはあんたたちにだったんだよ。そうやって、あんたたちを応援したかった。あんたたちに、あたしの想いを伝えて、力づけたかったんだよ……。」
「――お前、それはただのひとりよがりじゃないか……わからなくは、ないけど。」
 かずさが怒ったように――というより、拗ねた感じで言った。
「おっしゃる通りです。一言もない。ちゃんとチケット送って、見てもらって、直接たたきつけなきゃ、何にもならないよねえ。怠けてました。――というより、勇気が足りなかったのかな。――それにまあ、冬馬さんはともかく、雪菜さんと春希はそのころラブラブで、力づけなんか不要だっただろうしねえ。」
 ――そう言えば千晶の芝居の初日は、ちょうど雪菜の2週間遅れのバースデーパーティーだったな……と春希は今更ながら思い出す。
「――て言うかさ、お前、人外の化け物のくせに、変に優しすぎるよ。」
とここでかずさは、実質初対面の相手に言うにはあまりにもとんでもないことを言った。
「――?」
「お前の描いた三人の中で、雪菜――雪音が一番タフで、まっすぐだ、というのはわかる。現実でも、実際その通りだった。あたしはただの臆病者で、春希は卑怯者だ。でもさ、榛名はちがうじゃないか。榛名は確かに弱虫だったけど、それでも逃げなかった。まっすぐさでは、雪音といい勝負だった。あんなのはあたしじゃない――きれいすぎるよ。」
「――違うよ。」
 強い語調で千晶は言った。
「雪菜さんの中にも、どろどろと黒いものはあった。あたしはそう思っている。そして冬馬さん、あなたの中にも、いったん噴出すれば何もかもを焼き尽くしかねない狂気が、しっかりと眠っている――。」
「――違う、あたしはそれをしっかり押さえつけている! 今だって――」
「今だって、何?」
 穏やかな気持ちで二人のやりとりを聞いていた春希の背筋が、その千晶の一言でぞわっと寒気に襲われた。





作者から転載依頼
Reproduce from http://goo.gl/Z1536
http://www.mai-net.net/
タグ

このページへのコメント

この、野良猫と野良犬のヤリトリ、本当、すごいなぁ~。

0
Posted by のむら。 2016年12月15日(木) 07:24:41 返信

コメントをかく


「http://」を含む投稿は禁止されています。

利用規約をご確認のうえご記入下さい

Menu

SSまとめ

フリーエリア

このwikiのRSSフィード:
This wiki's RSS Feed

どなたでも編集できます