第6話



5-1 かずさ 冬馬邸 1/5 水曜日 深夜





かずさが目を覚ますと、見覚えがある天井が目に入った。
記憶がとんでいる?
たしか、春希に会うために、駅前で張り込みを・・・・。
涙が頬を流れ落ちる。
涙があふれるほど、昼間の光景を鮮明に思い出してしまう。
止めたいのに、止めたくない。
心の底から会いたかった春希が目の前にいたんだから、
見たくない現実であっても、春希を求めてしまう。

曜子「大丈夫? だいぶうなされてたみたいだけど。」

かずさ「母さん?」

曜子「心配したのよ。ハウスキーパーから連絡がきて。
   あなたが帰ってきたら、いきなり倒れたって。
   しかも、高熱出してて大変だったんだから。」

かずさ「あたし、倒れたのか。そっか・・・・。」

かずさは、他人事のようにつぶやく。
涙が止まった代わりに、表情が抜け落ちてしまっていた。

曜子「なにがあったの?って、その様子からすると、春希君には会えたみたいね。」

かずさ「ねえ、母さん。ウィーンに帰るよ。ここにいる必要がもうあたしにはない。」

曜子「春希くんに、あなたの気持ち伝えたの?」

かずさは、顔を背け、何も言わない。
言わないことがその答えだと、察してくれと言わんばかりに。

曜子「言えてたら、こんなことにはなってなかったか。」

曜子は、ベッドに潜り込む。かずさは、曜子の存在を察知し、身を固くするが、
後ろから抱きしめられることに拒絶を示さなかった。
むしろ、今まで緊張から身を固くしていた力が全て抜け落ちていく感触であった。

曜子「もう、いいの? 納得できた?」

かずさ「納得なんか、でき・・・・ない。
    でも、受け入れないと駄目だって、わかってるんだ。」

涙声で声が詰まりながらも、ゆっくりと気持ちを吐露した。

曜子「でも、春希くん、彼女いないって、言ってたじゃない。」

どうも曜子は、かずさが見てきた光景を信じられないでいた。
あの北原春希が嘘をついているとは思えない。
しかも、コンサートの楽屋まで、かずさに会いに来たから、ますます謎が深まるばかり。

かずさ「タクシーから、女の人と一緒に降りて来たんだ。」

曜子「タクシーくらい女性と乗るくらいあるんじゃない?」

かずさ「しかも、・・・・抱き合ってたんだ。」

曜子「それは・・・・・。」

かずさ「年上で、すごくきれいな人だった。春希とお似合いだったよ。」

かずさは、見てきたことをこと詳細に語る。
まるで、自分に言い聞かすように、鮮明な映像を求めて。
曜子は、かずさが自嘲気味に語るその女性の姿が、
昼間アンサンブルの編集長から聞きだした春希の上司と一致してくる。
しかも、その上司は、春希を無理やり帰宅させている。
曜子は、かずさの話をさえぎり尋ねる。

曜子「それって、今日のことよね?」

かずさ「当たり前だろ。」

かずさは、むくれながらも答えた。
そのかずさの答えで全てが分かった曜子は、かずさの不機嫌さをあざ笑うかのように、
実際かずさを馬鹿にするように大笑いを始めてしまう。

曜子「かずさって、かぁ〜わいいんだからぁ・・・。」

乱暴にかずさの頭を撫でくり回し、かずさを抱きしめる。
かずさも抵抗するも、曜子の勢いには勝てず、されるがままだった。

かずさ「やめろよ。・・・・・やめてくれよぉ。
    もう、ほっといてくれたっていいじゃないかぁ・・・・・・。」

涙で濡らす声を振り切るように、背を向けているかずさを強引に正面を向かせる。

かずさ「なんだよ・・・。」

曜子「あなた、勘違いしてるわよ。」

かずさ「なにが勘違いだ。あたしは、この目で、はっきりと見てきたんだ。」

かずさの激昂に怯むことなく、冷静にかずさに伝える。

曜子「今日、春希くんの様子が気になって、開桜社に電話してみたの。
   この前言ったアンサンブルの編集長ね。
   そしたら、春希くんったら、大変なことになってて、驚いたわ。」

かずさ「なにがあったんだよ。」

曜子の肩を掴み、前のめりになって聞いてくるかずさをなだめめ、話を続ける。

曜子「ちょっと、そんなに強く掴まないでよ。話すから。
   あなた、春希くんとなると、すごいわね、」

かずさ「いいから、早く話せ。」

曜子「はい、はい。・・・・・えっとね、大晦日のコンサートの後、春希くんったら
   編集部に戻って仕事していたらしいの。
   しかも、今日までほとんど寝ずにずっと働いてたんだって。
   もちろんずっと編集部にいたら怪しまれるからって、家に帰って着替えたり、
   別の部署で仕事貰ってたりしてたみたいなのよ。」  

曜子の話を聞くことに全神経を集中させるかずさだが、話を聞くほど顔がこわばる。
曜子の肩を掴んでいた手も、その所在がわからなくなり、宙をさまよっていた。
かずさの様子が気がかりな曜子は、かずさの心を温めようと、かずさの手を握りしめる。

曜子「それでね、かずさ。あたなが見たっていう女性だけど、
   それって春希くんの上司よ。」

かずさ「上司?」

曜子「若くて綺麗な人だけど、とても優秀な方らしいわ。
   その分、部下に対しても相当なものを求めるみたいで、
   よく春希くんがそれについていけるなって、編集部では有名な話みたい。」

かずさ「そうだったのか。」

かずさの手から力が抜け、安心したかずさだったが、目の前には真剣な表情の
曜子が見つめている。かずさの手を強く握りしめ、強く訴えかける。

曜子「でもね、かずさ。この数日の春希くんは異常よ。
   普段も無茶はしてたみたいだけど、ここまでひどいことはなかった。
   寝てないのよ、彼。大晦日からずっと。」

曜子の宣告に息をのむ。そのまま息ができなくなり、声が出ない。
肺に残ったわずかな空気を絞り出すように、かすれた声で問う。

かずさ「あたしが会わなかったから?」

曜子「そう考えるのが妥当なんでしょうね。」

かずさの顔が崩れていく。曜子もその顔を見るのがつらく、一度は顔をそらすが、
全てを見届けるため、かずさの姿を目に刻みこむ。

曜子「このままでいいの?」

かずさ「いいわけないだろ!」

ベッドの中で暴れるかずさを曜子は抑え込む。
必死に、そして、包み込むように。

かずさ「あたしが春希を傷つけた。また、傷つけたんだ。・・・うぅ・・・
    どうして、あたしは春希を傷つけることしかできないんだ。」

曜子「傷つけたと思うんなら、癒しなさい。
   あなたが持ってるもの全て使い果たしても、彼を救いなさい。」

慈愛に満ちていた曜子が一転、かずさを突き放しにかかる。
戸惑うかずさは、春希を救いたいと思っても、考えなんかまとまりはしない。

かずさ「わからないよ。わからないったら。
    ・・・・・・・もう、なにもかもわからないんだ。」

再び泣き出すかずさを、娘には甘いと反省しつつも、頭を撫でて心を落ち着かせる。

曜子「ほんと、泣き虫ね。」

かずさ「悪いかよ?」

曜子「悪くないわ。女を泣かせる男が悪いだけよ。」

かずさ「春希を、悪く言うなぁ・・・・。」

曜子は、泣き、ぐずりながらも、愛する彼をかばうかずさに、尊敬の念さえ覚えてしまう。
自分には、ここまで愛せる男がいただろうか?
幾人もの男を知っている曜子であっても、
かずさほど情熱的に男を愛したことなんてなかったかもしれない。
そう思うと、曜子はかずさに嫉妬してしまった。

曜子「今日は、もう寝なさない。
   体を回復させてから、じっくり今後のことを考えましょう。」

曜子は、かずさが眠りについても、かずさを抱き続けた。
かずさが曜子の服を離さなかったこともあったが、
今はただ、かずさの寝顔を見ていたかった。

   










5-2 春希 麻理のマンション 1/7 金曜日 13時




目が覚めると、体中の節々が痛い。
起き上ろうにも体がいう事をきかないので、起き上がることを諦める。
わずかな首の可動範囲と、目だけを動かし周囲を見渡すと
隅の方に雑然と衣類が詰まれていた。
主に女性物の衣服であることが確認できたことで、ようやくここが麻理さんの
マンションであることを思い出せた。

春希「麻理さんに・・・・・・・。」

独りごちるもむなしく声が響き渡るのみ。
意を決して、体が悲鳴を上げるのを極力無視して起き上がる。

春希「っつぅ・・・・・・。」

軽くストレッチをするだけでも、ゴキゴキと体から音が鳴る始末。
ようやく一息つけるような体になったころには、空腹を覚えていた。
それもそのはずだった。リビングのテーブルには、今朝の朝刊があるが
その日付は2日後の1/7を示していた。

春希「まじかよ。」

新聞をめくるも頭に入ってこないので、読むのを諦め、テーブルに新聞を戻す。
その時、テーブルには仕事で見慣れている麻理さんの文字で書き置きが
残されていたのを発見した。

麻理「北原へ。

   起きたら私に電話すること。
   なにがあっても私に連絡がつくようにしておくから、必ず電話しろ。
   
   風岡麻理 」

麻理さんらしい言いたいことのみを示した簡潔な文章に心が安らぐ。
俺に気を使っていながらも、絶妙な距離感を保ってくれる。
だけど、今までよりは一歩、いや、
二歩以上も俺に近づいてきてくれていると実感できた。
そんな新しい関係が心地よかった。

さすがに喉が渇ききっていたので、電話をする前になにか飲み物をとキッチンに
向かい、冷蔵庫を開けてみると、見ごとにビールを中心とした酒類と
申し訳程度のおつまみしかなかった。
どうにか炭酸水だけはあったので、瓶を取り出し、一気に喉に流し込む。
強い炭酸が喉ではじけ、大きくむせかえる。
炭酸水なのだから、いつもなら一気に飲むはずもないのに・・・・・。
食事もしていないから、栄養不足の脳が悲鳴を上げ、ストライキをしているらしい。
先に食事をして、脳に餌を与えてからの方がまともな会話ができるとも考えたが、
一刻も麻理さんに無事を、というか、麻理さんの声が聞きたかったので、
脳のブーイングをスルーして携帯を探すことにした。

麻理「はい風岡です。お世話になっております。
   ・・・・・・・はい、資料は用意できていますので、
   後ほど折り返し連絡をいたします。」

麻理さんに電話をしてみたものの、意味不明な事務連絡を伝えられ、
あっさりと電話を切られてしまった。
たしかに麻理さんだと名乗っていたし、麻理さんに違いない。
もしかしたら、着信表示を見ないで出たのかもと考えていると、
麻理さんからの着信が鳴り響いた。

麻理「やっと起きたのか。さっきは、すまなかったな。
   さすがに編集部内で話せる内容じゃないからな。
   ただでさえ噂になってるのに・・・・・。」

どうやら周りの目を気にしての発言だったらしい。
よく考えれば、「折り返し連絡いたします。」と言ってる。
麻理さんの声を早く聞きたく電話したが、やっぱり頭がまわっていない。

春希「麻理さん、おはようございます。色々ありがとうございます。」

麻理「それは私が好きでやってることだから、気にするな。
   それにしても、「おはようございます。」って時間ではないだろ。
   もう1時を過ぎているぞ。」

春希「それは・・・。新聞で二日も寝てたことは理解してたのですが、
   時計までは。たしかに日が高いですね。」

窓の外の見上げると、太陽の光が心地いい。
眩しさが無理やり脳を活性化させているようだった。

麻理「寝すぎて脳が働いてないみたいだな。食事はとったか?」

春希「いいえ、まだです。早く麻理さんの声を聞きたくて、電話を優先させました。」

麻理「っつぅ〜・・・・・。」

何かがぶつかり落ちる音がした。麻理さんの声にならない悲鳴も聞こえてきて
不安を覚える。

春希「大丈夫ですか?」

麻理「大丈夫なものか!」

春希「すみません。」

とっさに誤ってしまったが、麻理さんに何があったかわからずにいた。

麻理「すまん。北原が悪いわけじゃ・・・・・・ないってこともないか?」

春希「なにがあったんです? 
   俺に責任があるなら、教えてもらえないと対処のしようも。」

麻理「気にするな。」

春希「そうですか。」

なにか釈然としないが、これ以上この話題を引っ張ってもろくなことはない気もする。
それに、麻理さんの声も棘があるし、触らないほうがいいか。

麻理「体調の方はいいのか? 気持ち悪いとか頭が痛いとか
   体の異変がちょっとでもあるんなら言ってくれ。
   お前は、自分が思っている以上に体にも精神にも負担をかけてたんだからな。」

切り替えが早い麻理さんは、一瞬にして棘は抜け、俺をいたわる麻理さんになった。
人によっては事務的な会話に聞こえてしまうが、
俺にとっては最高に優さを感じる会話だと思える。

春希「寝てたせいで体が若干重いですが、体調面では問題ないと思います。
   それに、精神面でも麻理さんに癒されましたから。」

麻理「そ・・・・そうか。」

裏返った声が聞こえたが、これも言わないほうが無難なんだろうな。
そう思うと、こっちも何を言ってらいいか迷ってしまっていた。

麻理「何か言ってくれよ。」

春希「・・・・あぁ、すみません。」

麻理「本当に体大丈夫なのか? 無理してるんだろ。
   やっぱり今すぐ帰るから、そこでおとなしくしてろ。」

春希「大丈夫です。・・・・・・本当にだいじょ・・・・・・。」

俺が弁解しようとしたときには電話は切れた後だった。
話の途中で聞くのをやめ、反射的に行動するなんて、今までの麻理さんからは
想像もすることができなかった。
それだけ心配させることをしでかしてしまったかと思うと、情けなく思えてしまう。
それと同時に、許されないことだと分かっているけど、麻理さんの優しさが
なによりも嬉しかった。

春希「って、感傷に浸ってる場合じゃない。早く麻理さんを止めないと。」

俺はすぐさま麻理さんに電話した。











5-3 かずさ 冬馬邸 1/7 金曜日 13時過ぎ






曜子「かずさ、食事持って来たわよ。一緒に食べましょう。」

かずさ「ありがとう、母さん。・・・・・今日も仕事休んで大丈夫なのか?」

かずさが倒れて以来、曜子はホテルを引き払って冬馬邸に移っていた。
もともとコンサートが終われば、コンサート前ほどマスコミの相手をするわけでもなく、
仕事といってもニューイヤーコンサートのBD・CD発売に向けての打ち合わせが
ほとんどであった。
そのことを考えれば、かずさに気兼ねなく付きっきりになれる状況であったのは
幸いともいえる。
ただ、打ち合わせの調整を全て任された美代子さんの負担は計り知れない。
美代子さんも、曜子がかずさにつくことに積極的に後押しをしているので
曜子はかずさが全快するまでかずさ中心の生活を送るつもりでいた。

曜子「それは昨日も言ったでしょう。仕事は、もうそれほど残ってないの。
   でも、日本での休暇を楽しむのも仕事のうちっていったら、
   仕事は残ってるわね。」

かずさ「だったら、あたしなんか置いて、温泉でもどこでも行ったらいいじゃないか?」

曜子「温泉なんかより、かずさの看病している方がよっぽど充実した休暇になるわ。」

かずさ「人が病気になってるのを見て楽しむなんて、悪趣味だぞ。」

曜子「そんな趣味ないわよ。
   ・・・・・・・・・・たまには母親らしいこともしてみたいなって。」

曜子は、かずさの手を握り、少し恥ずかしそうに言った。

曜子「ダメかしら?」

あの自信家で、天真爛漫で、策略家の冬馬曜子が、下手に出て
かずさに甘えようといていた。
曜子を知るものが見たら、これさえも曜子の計画かを思ってしまうかもしれないが
かずさには、曜子の気持ちを素直に受け取ることができた。
たとえ3年間すれ違いをして離れて暮らしていても、
かずさは生まれてからずっと曜子のことを見てきている。
母親冬馬曜子に関しては、かずさ以上に知っている人間などいないのだ。

かずさ「駄目じゃない。むしろ、・・・・・・居てくれた方が助かる。」

曜子「ありがと。それと、私に気を使うんじゃないわよ。
   好きでやってるんだから。それっじゃあ、食べましょうか。」

曜子は、屈託のない笑顔でそう宣言すると、持ってきたトレーをかずさに渡した。





曜子「そんなに美味しくない?」

あまりにもかずさが美味しそうに食べてないので、
曜子は、かずさのおじやを勝手に試食する。
たしかに、病人が食べやすいようにハウスキーパーが料理したが、
昨日よりも体調がよくなったかずさ用に味の調整はされているはずだった。

曜子「おじやなんて、こんなものじゃないか?」

かずさ「病人なんだから、美味しそうに食べる訳ないだろ。」

曜子「そう?
   でも、なにか一口食べるごとに土鍋を睨んじゃって、
   見てる方としては美味しくないんじゃないかって疑っちゃうわよ。」

かずさ「ほんとうになんでもないんだ。
    ・・・・・なんでも・・・・・・・ない・・・・
    ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・わけない。」

かずさがれんげを落とし、土鍋の淵に当たり鈍い音が響く。
曜子がれんげを拾い、かずさのトレーを取り除いてあげると、
かずさはそのまま泣き崩れた。

曜子は、かずさになにがあったなんてわかるはずもなかった。
しかし、なにが原因で泣いているかだけは確信できている。
かずさが思い悩むことなんて、北原春希以外にありえなかったから。

曜子は、かずさが泣きやむのを黙って待つ。
春希のことを聞きだすのでも、慰めるのでもない。
曜子には、自分にできることの限界があることが分かっていた。
今は待つことしかできなかった。










5-4 春希 麻理のマンション 1/7 金曜日 14時頃





結局のところ、麻理さんに再び電話してみたが、電話に出てもらえることはなかった。
麻理さんのことだ、仕事を抜け出してくるとしても、
そのまま放り出して来ることはないはず。
ならば、来るまでにはもう少し時間かかるかな?
それにしても、あの麻理さんが仕事より優先するものがあることに驚きだ。
でも、部下の管理も仕事のうちか・・・な?
と、麻理さんが来る時間があるので、部屋の掃除をすることにした。
恩返しにもならないけど、やらないよりはましだ。



麻理が帰宅すると、部屋の中は静かだった。
リビングは綺麗にかたずけらている。寝室に行くとベッドはシーツはとりかえられ、
掛け布団は干されているのか寝室にはなかった。
キッチンものぞいてみたが、使った皿類が洗われシンクも掃除され、
自分の部屋ではない感じがする。
春希がいないのも自分が部屋を間違えたからではと疑ってしまう。

麻理「北原?・・・・・・北原いないのか!」

春希を呼んでみたが、返ってくる返事はなかった。
もしやトイレなら、とかすかな希望をもって点検したが、やはりいなかった。
最後にいないとは思うがバスルームもチェックしておくかと扉を開けたところ、

春希「麻理さ・・・・・ん、お帰りなさい。」

タオルで体を拭き、バスルームから出てくる春希と遭遇した。

麻理「ただいま。」

春希を凝視する麻理。春希が裸であることを認識し、
春希の顔から視線を動かせないでいた。

麻理「すまない!」

慌て謝罪する麻理さんだったが、あまりにも気が動転していて、
目を瞑ることさえできないでいた。
春希も動揺していたが、あまりにも慌てふためく麻理を前に、自分が動揺することさえ
忘れてしまい、冷静さを取り戻していた。

春希「できれば後ろを向いてくれませんか。」

麻理「どうして?」

春希「どうして?って、俺、今裸なんですけど・・・・。」

ここまで麻理さんの思考が停止してるとは。
呆けた顔で俺を見つめていた麻理さんは、俺の声に反応したのか、
視線を顔からゆっくり下に移していく。
そして、俺の下半身で目が止まると、後ずさりをし、勢いよく扉を閉めた。

麻理「北原すまない! 私は今の状況が呑み込めていないんだが、
   どうして北原は裸なんだ?」

春希「2日も風呂に入ってなかったので、肌がベトベトだったんですよ。
   さすがに麻理さんが戻ってくるんなら、臭いも気になりますし
   勝手に風呂借りるのは悪いと思ったんですが、勝手に使わせてもらいました。」

ドアの向こうから、くぐもった声が聞こえる。
声からの推測にすぎないが、わずかだが落ち着きを取り戻してくれたみたいだ。
ドアから布が擦りながら落ちていく音がした。最後に堅いものが打ち付けられる音が
したことから、きっと麻理さんがドアに寄りかかって座っているのだろう。

麻理「そうか。・・・・別にバスルームくらい勝手に使ってもいい。
   とり乱してすまなかった。
   それと、・・・・・・裸見て悪かったな。」

今さらながら俺の方が恥ずかしくなってきてしまった。
麻理さんが落ち着いてきた分、それが俺の方に乗り移ってしまったのかもしれない。

春希「いえ、気にしないでください。」

麻理「気にするなって言われてもな。」

春希「はは・・・・・。そうですね。」

麻理「そうだ。」

麻理さんも再び恥ずかしさを取り戻したようで、お互い気まずい雰囲気になってしまう。
このまま裸でいる訳にもいかないので、落ち着いたふりをして、声をかけた。

春希「なにか着替えるものありませんか?
   このままだと、さっきまで着ていた汗だくの服を着ないといけなくなるので。」

言い終えた瞬間に、俺は馬鹿なことを言ってしまったと気がつく。
麻理さんの部屋に男物の着替えがあるとも思えない。

麻理「すまない。あいにくお前が着られそうなものはない。
   ちょっと待ってろ。すぐに着替え買ってくるから。」

麻理は床から立ち上がり、すぐさま出ていこうとしたので、
俺は慌てて引き止めた。

春希「麻理さん! ちょっと待ってください!
   俺も行きますから。」

麻理「それはかまわないが、その服着ていかないといけないし、
   気持ち悪くないか?」

春希「買ったらすぐ着替えますから大丈夫ですよ。」

麻理「そうか。だったら、向こうで待ってるよ。」

そう言うと、麻理はリビングに消えていった。
さすがに麻理さんに俺のパンツを買ってもらうわけにはいかないだろ。
麻理さん気がついてないのかな?
麻理さんが照れながらもパンツを選んでいる姿を想像すると、少しおかしかった。





第6話 終劇
第7話に続く

このページへのコメント

コメントありがとうございます。
答えられない内容もあり、ごめんなさい。
長編ほど話す内容が制限されてしまい、辛いです。
物語も中盤に入り、そろそろ〜codaへの流れとなっていきますが、
楽しんで読んでいただければ、なりよりです。

0
Posted by 黒猫 2014年07月22日(火) 06:23:16 返信

今回も楽しく読ませて頂きました。
個人的に冒頭の曜子さんが春希の環境や様子を把握しているのが、親バカっぷりを表していて面白かったです。
といいますか、もう曜子さんが無理矢理にでも春希を誘拐してかずさと会わせたら万事解決な気が…(暴論でごめんなさい)
来週も楽しみにしています。

0
Posted by TakeTake 2014年07月15日(火) 20:17:20 返信

個人的には麻里さんの行動や言動について原作との大きな違いは感じませんでした。風岡麻里は仕事に対してはプロフェッショナルですが、恋愛に関してはウブというのが基本だと思うのでそこを押さえていれば大丈夫でしょう。かずさは春希の為ならピアニストとしての未来を平気で捨てられる、春希への一途な気持ち全開でこういうところがかずさ贔屓にはたまらないところですよね。
物語は益々迷走している気もしますが、そろそろあの方の登場もあるのでしょうか?次回も楽しみにしています。

0
Posted by tune 2014年07月15日(火) 19:48:56 返信

毎回誤植のご指摘ありがとうございます。
ナイス突っ込みですw

0
Posted by 黒猫 2014年07月15日(火) 06:53:57 返信

春希の気持ちが麻里さんに向かってしまってますが、この後かずさが挽回するのは想像できるので、読みながら麻里さんがかわいそうに思えてきました。
春希はやっぱり罪な男ですね。

気になった誤植を少々
5-1
かずさ「言いわけないだろ!」
―確かに言い訳は無いのかも…
曜子「今日は、もう寝さない。
―もう寝させないつもり…?
5-2
麻理さんの声を早く電話したが
―早く聞くために?
5-4
落ち着きと取り戻してくれたみたいだ。
―春希が落ち着きを取り戻していません…
とり乱してすまなかた。
―もちろん麻里さんも全然落ち着いていません…

0
Posted by finepcnet 2014年07月15日(火) 06:39:05 返信

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