第53話



 気がつけばあたりはすっかり暗くなっており、麻理さん一人を外に待たせていた事に
今さらながら不安を覚える。そもそも俺が来た時には夜だったわけで、
改めて自分が時間を忘れていた事に気がつく。
 せめてもの救いだったのは、比較的治安がいい地域でする事と、人通りが絶えない場所で
あることくらいか。これが日本だったら治安なんて気にもしないが、
良くも悪くも自分がすっかりニューヨークになじんでいると感じられた。

 麻理「北原……」

 俺の腕の中でもぞもぞ動く頭がひょこりと顔をあげ俺を見つめてくる。
 麻理さんとどのくらいの間キスしたかわからない。胸の中に押し込んでいたお互いの感情を
全て吐き出してもなお収まらない衝動は、再度俺から時間の概念を消し去ってしまっていた。
 とはいうものの、麻理さんの腰にまわしている左腕をほんのちょこっとあげて腕時計を
確認すればだいたいの時間がわかるんだけど。……なんて、わざとらしく理屈ばかり考えて、
俺は感情を押しとどめようとやっきであった。
 そうしないと、麻理さんの気持ちを無視して再度キスしてしまいそうであった。

麻理「きたは…………春希?」

春希「あっ、ええと、はい。聞いていますよ。……その、なんでしょうか? じゃないですよね」

麻理「もう……、さっきまでのぐいぐい私を引っ張っていく力強い春希はどこにいったの
  かしら? そんなにうろたえられちゃうと、
  年下の男に無理やり迫っている結婚に焦った年増女の気分になっちゃうじゃない」

春希「…………」

麻理「ごめんなさい。調子に乗りすぎたわ」

 麻理さんは俺の沈黙をネガティブに解釈してしまう。麻理さんの性格から考えても、
自分を責めるに決まっているはずのなのに、俺は言葉を選んでしまった。
 麻理さんを傷つけない為に言葉を選んでいたのに、その沈黙が逆効果を生んでしまう。
 わずかな間だけれど、その数秒間が麻理さんは拒絶と考えてしまう。
 勢いでキスしたなんて言いたくはない。もちろんその場の雰囲気にのまれて、勢いでしていた
部分もあることは事実だ。でも、そんなありふれた言葉を俺達を評価したくはなかった。
 麻理さんの気持ちを、これからの二人の関係を大切にしたかった。

春希「違いますっ。違いますから。麻理さんの事をそんなふうに思ったことなんて一度も
  ありませんから。いつも年の事を気にしていますけど、
  むしろ俺の方がプレッシャーに思っているほどなんですよ」

麻理「どうしてよ? 気休めならやめて欲しいわ。だって……」

 若くて、健気で、夢に向かって頑張っていて、
ちょっと棘があるけど一途なあいつと比べてしまうからですか?

春希「麻理さんは自分の魅力を知るべきです」

麻理「え?」

春希「仕事をしているときの麻理さんを尊敬している人は多いと思います。俺もその一人
  ですし。でも、麻理さんの容姿も、そして内面さえも魅力に思っている人はいるんですよ。
  そもそも仕事の時の頼もしさはプライベートにも通ずるところもありますよ。仕事では
  かっこいい麻理さんんが、凛々しい顔をしている麻理さんが、家ではちょっとずれている
  ところがあったり、仕事中に見せる頑張りで家事をチャレンジしたり、……あとは、
  綺麗すぎるんですよ。わかっていますか。外で仕事のとき、麻理さんを食事に誘おうと
  している男連中がたくさんいるの知っていますか?」

麻理「春希? ……でも、私、誘われたことないけど?」

春希「そりゃそうですよ。麻理さんは仕事しか見ていませんからね。食事に誘う隙さえありませんよ」

麻理「だったら可愛げのない女だと思われるんじゃ?」

春希「そう思ってしまう人もいるでしょうけど、実際は違うじゃないですか」

 なんで腹が立っているんだよ俺? なに力説しているんだ?
 あっ……。
 麻理さんは恥ずかしそうに視線を視線をちょっとだけそらすと、
照れくさそうに恥じる顔を隠すべく再び俺の胸に埋めてくる。

麻理「うん、わかったわ」

春希「……はい」

麻理「これからも食事に誘われないように仕事頑張るわ」

春希「えっと……はい、よろしくお願いします。それとさっき、すぐに言葉がでなかったことでうけど」

麻理「うん……」

春希「麻理さんを拒絶なんてしませんし、むしろ俺の方が調子に乗っていた気もしますし。
  えっと、すみません。言葉を慎重に選んでいたら何も言えなくなりました。
  けど、これだけははっきりしています。後悔していません。いや、違うな。
  麻理さんとキスしたかったんです」

麻理「それって……。浮気したかったってこと?」

春希「あっ……」

 麻理さんの指摘は間違ってはいない。
俺がかずさを必ず選ぶ以上、麻理さんとの関係は必然的に浮気となってしまう。

麻理「いいのよ。ほんの少しの間だけでも愛してくれればいいの。私が春希の側にいなくても
  生きていけるまでの、ほんのちょっとの間だけ。それだけでいいから。……ね?」

顎をあげ、肩にかかる黒髪が揺れ動く。ゆらゆらと揺れ動いていたその瞳は、俺の瞳を覗きこむ
頃には迷いが消えていた。物悲しそうにほほ笑む唇は、けっして本心を語ろうとはしなかった。
だって、俺の腰にまわされている両手は、震えながらも必死に俺にしがみついているのだから。
 
春希「麻理さん聞いてください」

 俺は腰にまわされていた麻理さんの両手を胸の前に持ってくると、両手で包み込むように
暖める。俺の強引な行為に最初こそ戸惑いを見せていたが、俺の体温を感じ取ると、手の震えが
消えていく。それと同時に、俺の方も言葉にできなかった言葉を告げる決意を抱いた。

春希「これから調子がいい事を言うと思います。きっと呆れられると思いますし、
  かずさにも、麻理さんにも不誠実だと思います」

麻理「冬馬さんにも?」

春希「俺はかずさが好きです。できることなら結婚して、かずさのサポートもしていきたい」

麻理「そうね……」

 下を向かないでください。俺の身勝手な希望だけど……、それでも。

春希「でも、麻理さんにも幸せになってもらいたい。都合がいい事をいいますけど、できる事
  なら俺が幸せにしてあげたい。なんて、バイトでちょっと仕事を覚えた新人が何を
  言ってるんだって言われそうですけど、それでも麻理さんの幸せを考えたいんです」

麻理「身勝手な人ね」

 否定の言葉のはずなのに、俺は喜びを感じてしまう。
 だって、麻理さんが上を向いてくれている。
 だって、俺を見つめてくれている。

春希「はい、身勝手です」

麻理「でも、少し考えさせて……」

 幻でも見ていたのだろうか。
俺を見つめていてくれた瞳はふせられ、今はその顔さえも髪留めを失った黒髪によって覆われていた。
だけど、手から伝わってくる麻理さんの体温だけが幻ではなかったと、語りかけてくれていた。







麻理「春希…………、ごめんなさい。私の看病なんてしなくていいから編集部に行きなさい」

春希「何を言ってるんですか。編集部のみんなも麻理さんが頑張りすぎだってわかっているん
  ですよ。俺も最初麻理さんから仕事の量を減らしてしっかり休んでいるって聞いたときは
  驚きましたよ。体調の事もありますから、周りに迷惑をかけないように仕事をセーブして
  いるんだって思いました。でも、実際には違いましたよね。俺がニューヨークで
  働くようになったらばれるって気がつかなかったんですか」

麻理「でも、ちゃんと土日は休んでいるじゃない。……土曜日は自宅で仕事をしているけど」

春希「しかも、編集部での仕事は日本以上に濃密になっていますよね?」

麻理「それは、仕事のスキルが上がったと思ってくれれば、いいかなぁ……」

春希「だったら目をそらさないで言って下さい」

麻理「ごめんなさい」

春希「ったく……」

麻理「うぅ……」

 俺と麻理さんのある意味微笑ましいやり取りが行われいているのは、本来なら編集部で
がつがつと仕事にとりかかっているべき昼下がり。一部の編集部員は昼食後の眠気がピークに
なるこの時間。俺達は編集部という戦場を離れ、自宅マンションの、
しかも麻理さんの寝室で微笑ましすぎるやり取りを、何度となく繰り返していた。

春希「俺は編集部員全員の委託を受けて麻理さんの看病をしているんです」

麻理「それはわかっているのよ。ありがたいことだわ。
  でも、私だけでなく春希までも急に抜けたら、仕事に支障が出るじゃない」

春希「それも大丈夫ですよ。短い期間だけですけど、麻理さんが鍛えてきた編集部員ですよ。
  信頼してあげて下さい」

麻理「そうよね。そっか……」

春希「今はしっかりと体調を回復させる事が一番大事です」

麻理「うぅ……わかったわ。春希がいじめるぅ。見た目どおりねちっこくて意地悪だよね、春希って」

春希「麻理さんの為ですから。そして俺を安心させると思って我慢してください」

麻理「やっぱり卑怯よ。もう……」

 もう降参とばかりに熱っぽい顔を布団で隠す。
 まあ、俺のせいで熱が上がったんだろうけど。
 今日麻理さんの体調が悪いのは、昨日の事が原因だということは明白だった。
 キスそのものが問題ではない。その過程が大問題だった。
 小さな一歩を積み重ねてきた俺と麻理さんではあったが、その積み重ねが俺のミスで全て
消え去ってしまった。麻理さんがひた隠しにしてきた渇望を俺が暴いてしまった。
 わかってはいた。俺も武也がいうほど鈍感でもないし、麻理さんと一緒に暮らしてきたんだ。
だからこそ麻理さんの想いを痛いほど理解できてしまう。
 今朝いつもよりも早く起きて活動していた麻理さんは、きっと寝てはいなかったのだろう。
昨日のお詫びだといって作ってくれた朝食も、麻理さんは一口も手をつけることができないでいた。
最初の一口こそ頑張ろうとはしていたが、心が食事を拒絶してしまう。二回目のチャレンジ
では、スプーンを持ちあげる事さえできないでいた。そんな状態の麻理さんを前に、
俺は今さらながら無力感のみならず、自分の存在そのものを呪ってしまった。
 俺がいなければ。俺がいなければ麻理さんはこうはならなかった。でも俺は、
麻理さんから離れることができない。麻理さんも俺を求めてくれている。
 でも、俺も麻理さんも、矛盾する願いを永遠に求め彷徨うことしかできないでいた。
 ……これは麻理さんには言えない事だが、朝食の出来は最悪であった。
味がわからなくってしまった麻理さんは、何度ともなく味付けを調整し、
その結果塩分過多と表現するにはおぞましいほどの味の濃さになってしまった。
 もちろん味覚が薄い事の対策として、調味料の量はきっちりと決められていた。
しかし、そのレシピさえも忘れてしまうほど、麻理さんは正常ではなかった。
 俺のポーカーフェイスがどこまで通じるかなんてわからない。一口食べる前から予想して
いたからこそ隠しとおせたのか、それとも麻理さんが黙っていただけなのか。
 結局今現在まで真実を聞く事が出来ないでいた。
 でも、今となっては、昨日からの失敗を含め、俺の目の前に一瞬で積み上がってしまった後悔
が俺に重くのしかかっている。もうどれがどの行為からの失敗かだなんてわからない。
 本来なら今後の為にも検証して修正すべきなのに、今俺にできることといえば、
麻理さんの側にいる。ただそれしかできないでいた。



 麻理さんが編集部を休んだ翌日。
 いくら麻理さんの体調が戻らないからといって俺が看病する事は許されなかった。
俺がインターン扱いであっても編集部の貴重な戦力として認められたのは嬉しい。
 しかし今は麻理さんの事が心配で、俺としては今日も看病のために編集部を休みたかった。

麻理「駄目よ。甘えないの。これが社会人なのよ。親しい人が病気であっても簡単には休めない
  のよ。あなたは大学生であっても、今は開桜社の編集部員なの。だから編集部に
  行きなさい。……大丈夫よ。そんな目で見ないでよ。引き止めちゃうじゃない」

春希「すみません」

麻理「もお……、というか、私も甘いわよね。北原の顔を見ていたら、
  私の決意なんて吹き飛びそうになってしまうのだもの」

春希「だったら甘えてください。我儘を言って下さい。我儘を通した分、明日から挽回しますから」

麻理「駄目よ。仕事は待ってはくれないわ。一度失った信頼は取り戻せない事もあるのよ?」

春希「すみません。……編集部に行きます」

麻理「よろしい」

 そんな笑顔を見せないでくださいよ。俺が必要じゃないって思えてしまいます……。

春希「……でも、出来る限り早く帰ってきますから。もちろん仕事はしっかりしてきます。
  自分の仕事は手を抜きませんから、それならいいですよね」

麻理「はぁ……。仕方がないわね。自分の仕事だけでなく、編集部の一員としての仕事を
  しっかりとしてくるのであれば早く帰って来てもいいわ」

 嬉しそうに言わないでくださいよ。
 時間ぎりぎりまで麻理さんと一緒に痛いという気持ちとの板挟みになってしまいますけど、
今すぐにでも編集部に行って仕事をしたくなるじゃないですか。

春希「はい、出来る限り早く帰ってきます」

麻理「もう……、本当にわかっているの?」

春希「たぶん?」

麻理「いいわ、頑張って来てなさい」

春希「はい」



 夜。いつもの俺としては早すぎる帰宅時間。一方で、俺の予定としては遅すぎる帰宅時間。
 呼び鈴を鳴らし、玄関の扉を開けると、そこには麻理さんが出迎えてくれていた。
たしかにマンションの入り口で呼び鈴を鳴らしてから部屋までかかる時間はそれなりには
あるけれど、何時間もそこで待っているような態度はいきすぎていません?

春希「……ただいま帰りました」

麻理「遅い」

 俺に文句を言いつつも鞄を受け取る姿にときめくのは、やはり男の本能なのだろう。
 また、鞄を胸に抱いてぱたぱたとリビングに戻っていく後ろ姿を見ては、
もう一つの本能を抑えるのにやっとだった。
 まあ、後ろから抱きしめても怒りはしないだろうけど。

春希「すみません。でも、エレベーターに時間がかかったわけでもありませんし、
  下からこの部屋までにかかる時間はこのくらいではないですかね」

麻理「早く帰ってくるって言ってたじゃない」

春希「え?」

麻理「だから北原は、仕事をしっかりやって、そしてなおかつ早く帰宅するって宣言してたじゃない」

春希「あっ……。でも、いつもよりだいぶ早いですよね?」

 いつもみたいに深夜ってわけでもなく、今は午後7時くらいのはずだし。
 俺が早く帰宅するのを見て、編集部の先輩方は驚きを見せたほどだ。でも、麻理さんの体調が
すぐれない事を思い出すと、残っていた仕事を引き受けて……はくれなかった。
一応俺に押し付けようとしていた仕事だけはひっこめてくれたけど。
 ……ほんと、ありがたい先輩方だよ。日本でもニューヨークでも編集部の雰囲気って
変わらないものなんだよな。
 
麻理「そうかしら? 朝の北原の言いようでは定時に帰ってくる勢いだったじゃない。
  私が何も言わなければ早退する勢いだったわよ」

春希「たしかに……。でも、麻理さんは仕事は手を抜くなって」

麻理「……ごめんなさい。私の我儘だったわ。本当にごめんさない」

 もうっ。そんなに悲しそうな顔をしないでくださいよ。そんな表情をするものだから、
さっき我慢した本能が再び顔をあげちゃったじゃないですか。
 本能に負けた俺は麻理さんの懺悔を覆い尽くそうと、小さく震える体を抱きしめようとする。
 しかし……。

麻理「鞄はここにおいておくわね。ジャケット、脱いだ方がいいんじゃない? かけておくわ」

 いかにも自然に、いかにもわざとらしく、俺を避ける。

春希「はい。ありがとうございます」

麻理「いいのよ」

春希「……あの、麻理さん」

麻理「ん?」

 振り返らずにジャケットをかける姿にかまわず俺は言葉を続ける。

春希「これを……」

麻理「ちょっと待ってね。これかけちゃうから」

 おかしすぎる。だって、俺を見てくれない。

麻理「それで、なに?」

春希「これを……。一昨日落としてなくしてしまったから」

麻理「髪留め?」

春希「はい。似合うといいのですが」

麻理「春希が選んでくれたの?」

春希「はい。何がいいのかわからなくて、時間がかかってしまいましたけど」

麻理「ばか。…………じゃない」

春希「え?」

麻理「春希が選んで選んでくれたのだったら、なんだって嬉しいって言ったのよ。それに、
  私の趣味のを選んでくれているわよね。よく観察しているわ」

春希「一緒に暮らしていますからね」

麻理「なるほど。一緒に暮していればいやでも趣味もわかるってところかしらね」

春希「嫌じゃないですよ。好きでやっている事ですから」

麻理「……そっかぁ」

春希「でも、気にいってくれてなによりです」

 食事を準備するときも、食事をしているときでさえ窓に映る髪留めを確認する麻理さんに、
俺も麻理さんも笑みを絶やさなかった。
 この笑顔がいつまでも続けばいいと願ったのは、俺だけではなかったはずだ。







10月上旬



 10月に入り秋風が頬を撫でる頃になると、9月の失敗もどうにか落ち着きを見せるように
なっていた。
 長年日本での残暑を経験してきた俺にとって初めてのニューヨークでの秋。季節の変わり目を
実感できたのは、ようやく安定した日常を取り戻し、気持ちの余裕を持ち始めた頃であった。
 先日の休暇は二人して秋服を買いに出かけ、遅ればせながら街の装いがすっかり秋であること
を実感する。
 雑誌の編集部ともなれば季節に敏感と思われがちだが、これは間違いである。
おおよそ日常生活には季節感が乏しいエアコンの中での生活を余儀なくされ、
……いや、これはどの職種でも同じか。
 季節感というよりは今が昼か夜かの境がないってことのほうが問題か。
ある意味ブラックすぎる職場環境に慣れてしまったことで、定時で終わる仕事に物足りなく
なってしまうとさえ不安になってしまう。
 これはもやは麻理さんを笑えない。自分も立派なワーカーホリックの一員だ。……まあ、
日本にいる元同僚たちは日本にいる頃からすでに残酷なワーカーホリックだと笑うだろうが。
 なんて、日本の事を思い出す余裕が出きた事はいい傾向ともいえる。
 そう自分でも分析できるほど、穏やかな日々を過ごしていた。

麻理「北原」

春希「はい、もう少し待ってください。あと、10分。いえ5分で仕上げますから」

 俺の日常が穏やかに進もうとも、編集部は相変わらず忙しく、それが心地よかった。今日も
麻理さんにわりふられた仕事に充実感を覚え、自分がまだ大学生である事さえ忘れてしまう。

麻理「それは後回しいでいい。いや、あとは私がチェックしておくから、そのまま渡して」

春希「ええ、麻理さんがそういうなら……」

 この原稿って急ぎだっけ? いや、そもそも急ぎだったら優先度をあげてあったはずだし、
それともなにかあるのだろうか?
 俺は麻理さんの指示に疑問を抱かずにはいられなかった。
でも、次の指示があれば理由がわかるってものかな。

麻理「これだったらすぐに終わるわ。よくできている」

春希「ありがとうございます。では、このまま次のやつにとりかかればいいのですか?」

麻理「いや、このあと取材の打ち合わせがあるから、北原も同席してほしい」

春希「俺がですか?」

別に珍しい指示ではない。俺も取材に同行する事もあるし、今回みたいに打ち合わせに同席する
事もある。むしろ、取材に同行するよりも、編集部での打ち合わせでの同席の方が多い方だ。
 しかし、今回みたいに打ち合わせ直前に、
しかも今やっている仕事を打ち切ってまで同席する事は初めてだった。

麻理「ええ、考えたのだけれど、やはり北原も同席したほうがいいと思って」

春希「それはかまいませんが」

麻理「よろしく頼むわね」

春希「はい」

 予兆はあった。
 一カ月も前から予兆はあった。
しかも俺の目の前で、俺がこの上なく無力感を感じた日に、麻理さんは俺に伝えようとしていた。
この取材の打ち合わせがどういう意味なのか。一カ月前、なぜ麻理さんが不安に思っていたのか。
 この時の俺は、そして一カ月前の俺も、わかっていなかった。





第53話 終劇
第54に続く



第53話 あとがき


プロット自体は遠い昔に書いてあったわけで、
いま読み返すと変更する部分もけっこう多くなるんですよね。
プロットそのものをよく観察すると、
あっ、こいつ。終盤で力尽きているなと、笑えない現実があるわけで。
とにかく再度気合を入れ直してゴールに向かって行く所存です。


来週も月曜日に掲載できると思いますので、
また読んでくださると大変嬉しく思います。

黒猫 with かずさ派

このページへのコメント

更新お疲れ様です。
前半から中盤までは春希と麻里さんの時に悪戦苦闘しながらの微笑ましい共同生活が伺えますね、後半の打ち合わせというのはおそらく.....、ついに来るべき時が来たと言う感じでしょうか。
次回も楽しみにしています。

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Posted by tune 2015年07月06日(月) 18:30:36 返信

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