第59話


かずさ


 まっ、こんなものだろうな。
 ニューヨーク国際コンクルールの結果発表が行われ、
歓声がこだまする中、あたしは静かにその光景を見つめていた。
母さんは既にスポンサー候補だった企業担当者と今後のことについて話し始めているようだ。
 それなのにあたしとはいえばぽけっとしているだけで、
このコンクールの勝者であるはずなのに静かに時に身をゆだねすぎていた。
 別に嬉しくないわけではない。1位を取る予定だってし、1位を取りたいとも
思っていた。これで麻理さんとの約束も一部分だけだけど果たす事が出来た。
 といっても、ここからが本番であり、来年のジェバンニで勝つことこそ
大仕事なのだが、今はその本番のことさえも頭から薄れていた。

春希「かずさ、おめでとう」

麻理「おめでとうございます」

 この場の雰囲気に不釣り合いなオーラを撒き散らしていたせいか、
1位をとったのはあたしだというのに誰も寄りつこうとはしなかった。
 もともと目つきがきついとか、人を寄せ付けないオーラがあるとか言われては
いたけど、こうも露骨にされてしまうとすがすがしくもある。げんに、1位のあたしを
差し置いて2位や3位の奴らの周りには取材攻勢が盛り上がり、
あたしの周りには春希と麻理さんの二人がいるだけだった。
 あとで春希から聞いた話によると、あの二人は地元アメリカの注目ピアニストで、
つまりは地元の期待の星ってやつだったのだろう。
 こういっちゃなんだが、あたしが1位をかっさらっちゃって悪かったなってさえ、
聞いた直後には言いたくもなったってしまった。まあ、あたし達はすでに帰宅した
あとだったから、言うとしても春希と麻理さんにしか言えないんだけどさ。

かずさ「あぁ、そっちもお疲れさん。ほかの取材は終わったのか?」

春希「もともとかずさの特集記事を書く為に俺達があてがわれただけだから、ほかの
   ピアニストのものは代表質問のだけで十分だ、それよかかずさ。お前、せっかく
   1位貰ったんだから、もうちょっと愛そう良く質問に答えろよ。お前のあとで
   インタビューされていた2位の人の方がよっぽど愛そうが良かったし、途中から
   参加した奴がいたとしたら、かずさではなくて2位の人が1位だったと
   勘違いするほどだったぞ」

かずさ「べつにいいだろ。あたしが1位だったことは変えようがない」

春希「そうだけどさ。もうちょっと嬉しそうにできなかったのか?」

 どうも春希はあたしが1位らしからぬ言動に、ご機嫌斜めらしい。
 春希からしたら、もっとこの場で輝いた冬馬かずさをみたかったのかもな。
 でもさ春希。あたしは春希だけに見てもらえればいいとさえ思ってるんだよ。
ほかの連中になんて見てもらいたいと思わないし、見せたいとも思わない。
なんて言ってしまうとさ、春希の事だからピアニスト失格だなんて、お説教しそうだよな。
でも安心しろ。ピアノは別だ。ピアノの前ではあたしは正直でありたいし、誠実でもありたい。

かずさ「あたしも嬉しくないわけではないよ。でもさ、来年が本番なんだぞ。今回とは
    比べ物にならないほどのプレッシャーがあるし、参加者のレベルも高くなる。
    だから、ここで喜んでいる場合でもないのかなって」

春希「そ、そこまで考えてたのかっ」

春希が馬鹿でかい声をあげるものだから、周りにいた連中がこっちを見てるじゃないか。
それでも元々騒がしい会場とあって、すぐさまあたしたちへの興味は霧散していく。

かずさ「春希も大概だな。あたしをなんだと思ってるんだよ?」

春希「ごめんっ。かずさのことを馬鹿にしていたわけじゃないんだ。ただなんていうか、
   俺が知らなかった冬馬かずさっていうのかな。ピアニストの冬馬かずさと初めて
   向き合ったっていう感じだと思う。だけど、かずさのピアノの腕は昔っから
   尊敬しているし、ファンでもあるんだからな」

かずさ「わかってるよ。そんな急いで言い訳しなくてもわかってるさ。それに、あたし自身
    もあたしが冷静でいる事に驚いてるっていうのかな。ちょっと変な気分でもある」

春希「そうなのか? それはかずさがピアニストとして生きていく心構えが
   できてきたって事じゃないのか?」

かずさ「かもしれない。あたしも母さんにひっついてコンサートに行っていたからな。
    やっぱプロってすごいよ。楽器の腕だけじゃなくて演奏に入るまでの準備も
    すごかった。あとはそうだなぁ……。スポンサーとかもそうだし、美代ちゃん
    みたいに支えてくれている人たちがいる事も少しはわかってきたかな」

春希「それ、記事にしてもいいのか?」

かずさ「うん? 別にいいよ。どうせ今まで一緒にいたけど、何が記事になって何が記事
    にならないかさえ分からなかったからな。それに、もし問題があったら母さんが
    ストップを…………かけないだろうな、絶対。笑いながらゴーサインだすぞ。
    あぁ〜、春希。わかってるよな。あたしに恥かかせるような記事は書くなよ」

春希「メインのライターは麻理さんだから、俺がどうこうできる立場じゃないよ。でも、
   麻理さんがかずさのことを悪く書くとは思えないから安心しておけ。もしかずさが
   悪印象をもった部分があっても、それはかずさが突かれたくはない部分であり、
   直さないといけない所だと思うぞ」

かずさ「自分のことじゃないからって好きかって言ってくれるな」

春希「自分ことだよ。かずさのことは他人事じゃない」

かずさ「春希ぃ……」

 授賞式の興奮よりも、今春希がくれた心の方が数倍嬉しかった。
 ウィーンに逃げ、春希との繋がりが消えていき、あたしの存在さえも春希から消えて
しまう恐怖におびえてきたこの数年。今やっとその苦しみから解放された気がした。
 晴れ渡る空なんて陳腐な言葉で表現したくはないけど、元々語彙力が乏しいあたしには
今の気持ちを表現なんてできやしない。
春希や麻理さんなら、的確な言葉を選び、言葉だけであたしの感動を表現できるかもしれない。
 でも、あにいにくあたしにはその能力を持ち合わせてはいない。
 だったら、あたしにできる事といったらこれしかないよな。

かずさ「ちょっと待ってて。いや、こっちに来てくれ」

 あたしは春希の手を掴み、人混みをよけ進んでいく。
 行き先は決まっている。このコンクールで一番活躍したというのに、
今は部屋の片隅でオブジェになり下がっている黒い相棒。
 黒髪に、黒のドレス。それに黒いピアノ。
 黒づくしで派手さなんてものは全くない。それでもいい。
あたしの黒髪が好きだって言ってくれる春希がいればいい。
 この地味なドレスがよく似合ってるって誉めてくれた春希さえいればいい。
そして、あたしの一番のファンでいてくれる春希の為なら喜んでピアノを弾いてやるよ。
 だから聴いて欲しい。言葉にはできないけど、きっと春希になら届くはずだから。
あたしはピアノの鍵盤に指をのせ、春希に頬笑みかけると、春希の為だけに演奏を始めた。







 あたしたちは会場から早々に引き揚げ、家に戻り最後のインタビューをしていた。
 会場ではあたしの演奏で火がついたのか、ほかの受賞者までも演奏を初めてしまい、
会場はある種のパニック状態であった。
 まあ、会場にいた人たちは喜んでいたみたいだし、問題はないか。
演奏後のあたしにインタビューしてこようとするやつやら、ただ話しかけてくるだけのやつ
やらとか、面倒事に巻き込まれそうにはなったが、人のうねりがあたしを助けてくれた。
 そして今、麻理さんと春希によるインタビューは終わり、
これで全ての取材が終わった事になる。
 そうなるとあたしはここから出ていくことになるし、
そもそもコンクールが終わったのだからウィーンに帰る事になる。
 別にここに残りたいって駄々をこねるつもりはない。あたしが成長していくには
ニューヨークじゃ無理だから。
 今はウィーンで自分と向き合い、フリューゲル先生と母さんの教えに従って
練習しなければジェバンニでは勝てやしない。
 それに……、今のあたしじゃここにはいられないよ。いたらきっと嫉妬するし、
心が乱れまくってピアノどころじゃないだろうしな。

麻理「これで取材はお終いとなります。かずささん、ありがとうございました」

かずさ「いや、こちらこそ世話になったよ。だから、こちらこそありがとうだ」

麻理「記事については曜子さんのほうで処理するそうですから、かずささんもなにか
   あったら早めに言ってくれると助かるわ。差し替えしたい個所があるのなら、
   早めでお願いするわ」

かずさ「その辺は母さんに任せるとするよ」

麻理「春希」

春希「はい?」

麻理「明日かずささんはウィーンに戻ってしまうのだし、あとは二人でゆっくり
   話し合いなさい。私は今まで取材したのをまとめているわ」

春希「お言葉に甘えさせていただきます」

麻理「じゃあ、かずささん。素直になりさない」

かずさ「……善処する」

 ほんと、素直になれたらっていつも思うよ。
 麻理さんは、あたしと春希をリビングにおいて自室へと戻っていく。
 あらたまって話し合いをしろっていわれてしまうと、変に緊張してしまう。
 それは春希も同じようで、なんだか落ち着きがない。ソファーを何度も座りなおして
いるのを見ていると、なんだか可愛らしく思えてしまい、あたしの肩が軽くなってしまった。

春希「どうした?」

 きっとあたしは笑ってしまっていたのだろう。
 だって、春希の顔が微妙に引きつってるから。

かずさ「いや、さ。うん。春希も緊張するんだなって」

春希「そりゃあするさ」

かずさ「そうだよな」

春希「でも、かずさのほうがすごいじゃないか。
   俺だったらあんな大舞台で演奏なんてできやしないぞ」

かずさ「そうかな? 春希だって学園祭で演奏したじゃないか」

春希「あれは高校の学園祭だろ。かずさが今回演奏したのは世界的に有名なニューヨーク
   国際コンクールであって、規模が違いすぎるだろ」

 春希にとってはそうかもしれないよな。
 でも、あたしにとっては同じなんだよ。聞いて欲しい人がいて、
その人の為に弾くんなら、どこで弾いても同じプレッシャーをうけるだけなんだ。

かずさ「会場に来ている客が違うだけだろ?」

春希「そんな単純なものじゃないと思うんだけどな」

かずさ「単純だよ。あたしは峰城大学附属高校3年E組、軽音楽同好会所属の冬馬かずさ
    であって、……いや、元峰城大であり、元軽音楽同好会所属かな。まあいいか。
    ……えっと、その春希がよく知る第二音楽室でピアノを弾いている冬馬かずさに
    すぎないんだ。ウィーンに行こうがニューヨークで弾こうが、
    どこであってもあたしは春希がよく知る冬馬かずさなんだ」

春希「かずさ?」

かずさ「だからさ、その………………あたしは北原春希が大好きな冬馬かずさにすぎない
    んだ。いつも春希を盗み見て、春希の事ばかり気になって、春希にあたしのこと
    だけを見てもらいたい冬馬かずさなんだ。今日の演奏も1位を取れたけど、
    やっぱ駄目なんだなって思う。母さんの演奏をそばで聴いていると、次元が
    違うと言ってしまえばそれまでだけど、冬馬曜子とは見ている世界が違うんだ」

春希「目指すべき目標みたいなものが違うってことか? 
   それともピアニストとしての格が違うとか?」

かずさ「どうだろうな。母さんもあれはあれですごい人格者でもなく、最低な母親である
    部分もあるから、高尚な目標があるわけでもないんだとは思う。だけど、
    ピアニストとしては尊敬してる。あの人を追い抜きたいって思ってはいる」

春希「ピアノの技術とかの問題ではないんだろうな」

かずさ「もちろん技術的な問題もあるけど、
    やっぱり……見ている世界が違うのが大きな問題だと思う」

春希「そっか。いつかかずさも曜子さんが見ている世界を見られるといいな」

かずさ「あぁ、……そうだな」

 簡単に、言うなよ。

春希「俺に出来る事ならなんでもするからな。なんたって、
   俺は冬馬かずさの一番の大ファンなんだから」

 だから、そんな事を言うなって。
 春希にできることはあるよ。でも、それをしてしまうと、さぁ……。

かずさ「本当にあたしの為なら何でもしてくれるのか?」

春希「もちろん。かずさが曜子さんの領域に行けるのなら、俺は喜んでなんでも協力するぞ」

 嬉しそうな顔をして言うなよぉ。泣きたくなるじゃないか。
 って、泣いてるのかな、あたし?

春希「かずさ?」

かずさ「よしっ。今の言葉忘れるなよ。あたしの為になんでもしてもらおうじゃないか」

春希「ちょっと待て、かずさ。なんで泣いてるんだ? おい、かずさ」

かずさ「それ以上あたしに近寄るな。近寄っちゃ駄目だ」

 あたしの必死の抵抗も春希には効果はない。
 何度も泣きやもうと試みて失敗するあたしを見ては、
春希はあたしに触れなぐさめようと前に進み続けてしまう。

かずさ「近寄るなっっっ!」

 自室に戻っている麻理さんにも聞こえているんだろうなぁ。
きっとあの人の事だから、あの人だからこそあたしの気持ちをわかってしまうはずだな。
 そっか。麻理さん。こういう気持ちだったんだ。
春希の為であり、あたしのためであり、麻理さんの為でもある決断。

春希「かず、さ?」

 怒りにも近い感情を呼び起こし、あたしの弱すぎる心を奮い立たせる。
 意味がわからず戸惑いを見せる春希に、悪い事をしたなって思いもある。
 でもさ、今は無理だよ。自分勝手な方法しか考えられないんだ。
 あたしのことなんて忘れくれ。
そうしないと北原春希が尊敬するピアニスト冬馬かずさは誕生しないんだ。
 そして、そうしないと春希の隣に居続ける資格もない。
 甘えてばかりの冬馬かずさは今日でお終いだ。
 でも大丈夫だよ、春希。春希の隣には麻理さんがいるからさ。
 麻理さんなら傷ついた春希を支えてくれるはずだよ。
 そうだな。世界で二番目に春希のことを愛しているこの人なら、
春希を前に進めさせてくれるはずだ。
 だから、…………さよなら春希。

かずさ「あたしたちってさ、恋人になったわけでじゃないよな」

春希「そうだけど、俺はかずさのことが……」

かずさ「言うなっ!」

春希「かずさ?」

かずさ「ごめん。今はごめんしか言えないんだ」

春希「……わかった」

 ごめんね、春希。今は春希の優しすぎる言葉は致死毒なんだ。
 ほんのちょっとでも触れてしまえば溺れてしまう。

かずさ「恋人ではない。でも恋人に近い関係だと勝手に思っていたから、いいよね。
    こうやって別れ話をしても、いいよね? ちょっと変だけどさ」

 もはや春希は口を挟まない。
 あたしの言葉を一言も、息継ぎの呼吸さえも聞き逃すまいと耳を傾けてくれる。

かずさ「峰城大学附属高校3年E組、軽音楽同好会所属、冬馬かずさは、
    同所属の北原春希と、別れます。あたしと別れてください」

 あたしの言葉、届いたかな?
 届いたか。だって春希が絶望したって顔してるもんな。
 わかってるよ。なんでこんな残酷な仕打ちをしたのかって考えてるんだろ?
 あたしだって、あたしだって、さ。
 …………………こんなのやだよぉ、春希ぃ。

春希「本心か?」

かずさ「あぁ、そうだ」

春希「決めていたのか?」

かずさ「どうかな? 決心できたのはさっきかな?」

春希「さっき?」

かずさ「あぁ……、授賞式のあとでピアノ弾いた時」

春希「あれか」

かずさ「うん、そう」

春希「その決断は覆らなんだよな?」

かずさ「当然だろ」

春希「…………わかった」

 いやだっ! もっとあがいてよ。もっと身勝手になってよ。あたしをさらってよ。
 ピアノをやめろって言ってくれ!

春希「明日ウィーン帰るんだよな?」

かずさ「その予定」

あたしは、あたしは春希が大好きなんだ。ここに残ってピアノだってやめたっていいんだ。
 でも、それじゃダメだんだ。
 今のままのあたしじゃ、ピアノをやめたとしても駄目なんだ。
 高校時代のあたしのままでは、素直に春希と向き合えない。
 だから、ここでさよならだ。

春希「一ついいか?」

かずさ「……どうぞ」

春希「ありがとう、好きでいてくれて。………………でも俺が、北原春希が冬馬かずさの
   ことを、好きでいるのはいいよな? 俺が勝手に憧れて、
   勝手に好きでいる分にはいいよな。頼む、それだけは認めてくれ」

 ずるい。
 ずるいよ、春希。
 あたしに直接毒を送り込むなよぉ。不意打ち過ぎるだろ。

春希「かずさ?」

 春希がさらに困惑したって顔をしているかはわからない。
わかってたまるか。春希が悪いんだ。あたしの決心をずたぼろにした、春希が悪いんだ。

春希「俺は近寄ってないぞ?」

かずさ「当たり前だ。あたしが春希に抱きついたんだからな」

 あたしは春希の胸に飛び込んでいた。
 しっかりと背中にまで腕を回し、けっしてほどけないようにと力を込める。
 あたしの弱さに気がついてしまった春希は、あたしをあやすように抱きしめてくれた。

春希「そうだよな。でも、なんで?」

かずさ「にぶいぞ春希」

春希「すまない」

かずさ「それが北原春希だから、しょうがないか」

春希「面目ない」

かずさ「いいって。そんな春希の事を愛してるんだからな」

春希「かずさ?」

かずさ「本当はもっと恰好よく別れて、そして、もっと恰好よく再会する予定だった
    んだぞ。それをぶち壊しにしやがって。どう責任とってくれるんだ」

春希「すまない。理解不能っていうか、よくわからない。できれば俺が理解できるように
   順を追って説明してくれると助かる」

かずさ「わかったよ」

春希「ありがとな」

 本当ならソファーに座ってゆっくりと話すべき内容なんだと思う。
 だけど今は一秒だって惜しいんだ。いくら本当の別れをしないとしても、
明日ウィーンに戻る事実だけは変えようがないからさ。
 だから今は春希を近くで感じさせてもらうからな。

かずさ「春希と別れたいっていっても、今のあたしも高校時代のあたしも
    同じあたしだし、春希が大好きな気持ちは変わらないよ」

春希「ありがとうって、いうところか?」

かずさ「おそらく。まあ、今はいいよ」

春希「わかった」

かずさ「でもさ、高校時代のあたしっていうか、今のあたしは高校時代のあたしのまま
    なんだ。春希だけを愛して、春希だけを見て、春希だけのために演奏している。
    それじゃあピアニストとしては死んでしまう」

春希「それが曜子さんと見ている世界が違うってやつなのか?」

かずさ「厳密に言えば、母さんだって男の為だけに演奏する事もあるよ。コンサート
    だっていうのに自分の酔いしれて、観客を無視して自分の為だけに
    演奏した事さえあったんだ」

春希「それはすごいな」

かずさ「でもさ、母さんはいつだって世界を見てる。いっつもただ一点だけを
    見ているって事はないんだ。だからピアニストとしての限界は果てしなく高い」

春希「つまり……」

 ここまで言えば、春希もわかってしまうよな。
 あたしのそばに春希がいることこそがピアニスト冬馬かずさにとっては害悪だって。

かずさ「あたしが春希だけを見続けている限り、あたしの演奏の幅はそこで死んで
    しまう。ピアニストとしては完成されちゃって、面白みがないピアニストに
    なってしまう。そんな聴いていても興奮しない奏者なんて面白くないだろ?
    だれが馬鹿高いチケットを買ってまで聴きに来るっていうんだ」

春希「かずさの為、なんだよな?」

かずさ「そうだ」

春希「ピアニスト冬馬かずさは世界を目指すんだよな」

かずさ「そうだ」

春希「ジェバンニ。1位とれよな」

かずさ「それはぁ……、善処する。いや、春希の為に取るよ。…………ちょっとまて。
    春希の為って言っちゃ駄目なんだよな。あたしの為に取る。これでいいか?」

 笑うなよ。こっちも必死なんだぞ。

春希「その時はインタビューさせてくれるか?」

かずさ「独占インタビューだ」

春希「それはありがたいな」

かずさ「あたしの事を誰よりもわかっている記者だからな」

春希「そのためにも研修が終わっても、このまま編集部に残れるようにしないとな」

かずさ「ニューヨークにいてくれよ」

春希「ここに?」

かずさ「その予定なんだろ?」

春希「そうだけど」

かずさ「あたしはジェバンニで1位をとって、そしたら、ニューヨーク国際の副賞の
    コンサートで、ニューヨークに凱旋してやる。スポンサーも喜んで
    くれるだろうから、きっと盛大なコンサートになるぞ」

春希「楽しみだな」

かずさ「楽しみにしていてくれよ」

春希「あぁ。チケットも、一番前の席を買ってみせるよ」

かずさ「一番前は、演奏を聴く場所としてはあまりよくないんだぞ」

春希「かまわない」

かずさ「そっか」

春希「かずさに一番近い場所で聴きたいんだ」

かずさ「…………っ」

春希「かずさ?」

 ひどいよ。ひどいよぉ、春希ぃ。
 やっぱり、別れたくないよぉ……。
 でも……、でもさ、クラスのお節介焼きだった北原春希の好きな、
かっこいい冬馬かずさを、見せてあげたいんだ。

かずさ「もし、……もしあたしたちが恋人になる未来があるのなら、
    きっとあたしたちは再会する」

春希「そうだよな」

 涙で春希の顔が見えないよ。
 ……でも、もういいよな。
 今からは素直な冬馬かずさでもあるんだから。

かずさ「なんて言ったけど、ジェバンニには聴きに来てくれるんだよな?」

春希「おそらく。今回の記事がよければだけど」

かずさ「その辺は麻理さんがメインライターだから大丈夫じゃないの?」

春希「そうだな」

かずさ「だったら、ジェバンニで待ってる」

春希「必ず行くよ」

かずさ「それに、時期は未定だけどニューヨークでのコンサートは決まってるから、
    春希がジェバンニにこれなくてもあたしの方から会いにくるけどな」

春希「そうなってしまうと、さすがにかっこ悪いから、絶対にジェバンニに行くからな」

かずさ「期待してるよ」

春希「あぁ、期待していてくれよ」

かずさ「最後にもう一ついいかな?」

春希「どうぞ」

かずさ「春希と再会して、あたしが春希の元に戻ってきた時。その時春希があたしの事を
    愛してくれていたら、そのときは、あたしがもうどこにも行けないように、
    ずっと抱きしめていてほしい。その時には、春希だけしか見えなくなっても
    大丈夫になっておくらかさ」

春希「約束する」

かずさ「あぁ、約束だ」

 こうしてあたしは春希と決別して、翌日にはウィーンに帰って行った。
 




第59話 終劇
第60話につづく




第59話 あとがき


春希視点を最近書いていない現実……。
来週も月曜日に掲載できると思いますので、
また読んでくださると大変嬉しく思います。

黒猫 with かずさ派

このページへのコメント

更新お疲れ様です。
今のかずさにとってコンクールの優勝よりも春希や麻里さんとの関係の方がより重要なのでしょう。そんな状態でも勝つあたりかずさのポテンシャルの高さを今更ながらに実感します。案外春希はそんなかずさの事はお見通しなのかもしれませんね。かずさがまたいなくなってどうなって行くのか次回も楽しみにしています。

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Posted by tune 2015年08月17日(月) 13:50:36 返信

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