曜子さんからのメールには、
この二年の間に日本で起こった出来事が詳細に綴られていた。

雪菜の事故
長く苦しい闘病生活
未だに残る後遺障害

遠く離れたウィーンにいる二人の心を抉る。

声を上げる事も出来ず、ただ涙を流すかずさを
俺は支えるだけで精一杯だった。

ビデオレターは無邪気に微笑む雪菜を映し出す。

耐えなきゃ。
俺はこれに耐えなきゃいけない。
飼い主を見失った子犬のように震えるかずさを
俺は護る為にここにいるから。

考えちゃいけない
何も考えちゃいけない
考えたら
支配されたら
俺は全てを護れなくなる

頭が回らない
強い眩暈
耳の奥底で羽虫が舞うような音がする
フラッシュバックの様に目の前が明滅する


何の為にここにいる
何の為に全て捨てた


気がつかれない様に口の中を噛み締める。
血の味が滲む。



俺は辛うじて自分を取り戻すと
かずさを強く強く抱きしめた。

大丈夫だ。
雪菜は回復している。
笑顔を見せている。

誰のせいでもない事故。
だから
だから
だから






「かずさ、泣き止むんだかずさ。俺達は泣き続けちゃいけない
この出来事を受け止めて、それでも笑顔で生きてかなきゃいけない。」

だって・・・だってっ!

「それ以上言うなっ!
引きつってでも笑顔を作れ。
雪菜の戦いを苦しみを悲しむんじゃない。
雪菜の回復だけを喜ぼう。
それが俺達に許された唯一の行動だ。

その覚悟をもう一回刻み込んで生きていくんだっ!」



自分でも感情のコントロールがおかしくなっているのは分かっている。
だって笑顔で怒鳴りながら、
俺も涙を流していたから。




その後もこの件について曜子さんと連絡を重ねた。

雪菜とその周囲は、完全な元通りを目指している事。
勿論それは再び雪菜が深く傷つく可能性を示唆している。
それでも周囲の人間は支えぬくと。
例えそれが雪菜を破壊しかねない傷であっても
必ず支え抜いてみると。
この二年間で、雪菜と周りの絆は強固で揺ぎ無い物になっていた。
共に戦い抜いた。その事実が自信と確信になっていた。


GWを目処に、俺達に会いにウィーンへくる。


戻らない記憶に与える、最後のワンピース。
それが俺達二人なのは十分に理解できる。
一緒に来るのは、朋・武也・依緒。

会うのも会わないのも貴方たちの自由よ。
曜子さんはそうは告げたが、
俺達二人は議論の余地も無く承諾した。


〜〜〜〜〜〜


なぁ、本当に大丈夫なのか、姉ちゃん?

「もう、なんでそうやって馬鹿にするかな?孝宏君は。
先生も大丈夫って言ってくれたんだよ?
過保護すぎるとお姉ちゃん早く老けちゃうよ?」

孝宏の心配は勿論姉のソレと乖離している。
小木曽家はここ数日微妙な空気に包まれている。
正直もう、あの人達の事を忘れて生きていた方が幸せだろう。
父も孝宏も同じ意見であったが、母は違っていた。

乗り越えなきゃいけない物は、乗り越えて成長して。
そうじゃないと雪菜の人生が可哀相です。
雪菜は一人じゃありません。
私達も、そして素晴らしい友人がいるんです。
大丈夫。彼女たちに託しましょう。

以外にも強固な母の主張に、男性陣は渋々承諾したが
内心は心配でたまらない。



なぁ、本当に大丈夫なのかな、依緒。

同じような会話が居酒屋でも繰り広げられていたが、
武也の場合1対2でフルボッコだった。


〜〜〜〜〜


新緑に萌えるウィーンに4人は降り立った。
海外渡航暦はそれなりに有る物の、ドイツ語圏は全員始めてである。
覚束ないドイツ語で運転手に行き先を告げる。

自分達の真意を悟られないよう、必死にテンションを揚げてきた3人であったが
やはり口数が少なくなってしまう。
朋に至っては見るからに臨戦態勢なのが恐ろしい。
気持ちは分からないでもないが。

雪菜は「遠くにいってしまっている仲間」に会いにきただけである。
それは武也達の最後の賭けであり、
雪菜自信もずっと希望してきた事であったが。
ようやく会える、その嬉しさが滲み出ている。

「北原さんとその奥さん、どんな人なんだろう?」

何となくはぐらかし続けた為か、この質問は何度目だろう。

「会えば分かるよ。」

いつも通り武也が答え、そこでその話題は終了。
いつもはそうだった。

「ねぇ、思い違いじゃないと思うんで、ごめんね。
武也君も依緒も朋も、北原さん夫婦と喧嘩してるんだよね。
なんとなく前からそう思ってたんだ。わかっちゃってたんだ。」

車内の空気が凍りつく。

「だからね、お願いがあるんだ。
仲直り出来ないかな?」

そんな事出来る訳ないっ!
瞬間に沸騰した朋を、武也も依緒も止める間は無かった。

それでも雪菜は落ち着いた口調で続ける。

「これも多分勘違いじゃないんだけど。
その喧嘩の原因って私だよね?」

沈黙が答えになってしまう。

「それならお願い。
私の昔の仲間なら、きっと良い人なんだよ。
だって私の仲間はみんな優しくて強くて。
朋や依緒や武也君を見ていたら、北原さん達が
悪い人だなんて思えないんだ。
きっと私の思い出せない所で、色んな事があったんだと思うよ。
だけど私はこうやってみんなに支えられてる。幸せに生きている。
だから大丈夫。
だから、北原さん達とも仲良く・・・急には無理かも知れないけど
それでも私はみんなが幸せになって欲しい。」

違う空気を孕んだ沈黙。

今は分かんないな。俺達にも多分今は簡単に答えられない話だよ。
だけど、雪菜ちゃんの気持ちは分かったよ。
それはきちんとここにいる全員が受け止めておく。

武也の返答に無言の抗議をする二人。
機先を制されてしまった後悔が滲むが、
武也はそれだけ言うと眼を閉じてしまった。

その後も会話は続かないまま、Taxiは目的地に到着した。



うぉ・・・



ランクの桁が違うマンション。
自称セレブの朋が歯軋りしている。
警備員に来訪目的を告げると、既に話がついていたのか
あっさりエレベーターに案内された。

最上階が点灯したエレベーター。

さっきの雪菜の言葉が頭に残っている。
いくら雪菜が望んでも、そんな簡単な問題じゃない。
だから、だけど・・・

エレベーターはあっさり止まってしまった。
ドアが静かに開く。

そこには懐かしい・・・その一言では語り尽くせない二人が
笑顔で待っていた。





出迎えた二人の気持ちは良い意味であっさり裏切られた。
紛れも無くそれは何一つ変わらない雪菜であった。
言われなければ誰もが五体満足だと思うであろう。

「初めまして…じゃないんだけど、今の私は初めまして。
北原さん・かずささん。
そしてお久し振り、小木曽雪菜です。」




事前に打ち合わせた内容。それは
敢えてその話題は雪菜に押し付けない。
二人に会って自然に思い出せなければ、それはそれ。

空気は重かったが、折角きた以上出来うる限りの収穫が欲しかった。
空回りしたって構わない。知り尽くした仲だから。
知り尽くした仲だったから。
テンションは噛み合わず話題も飛び飛び。
でもその日の雪菜は良く笑った。良く話した。




帰り際、申し訳なさそうに雪菜が謝った。

「ごめんね、思い出せなくて。
ごめんね、折角一緒に来てくれたのに。
ごめんね、時間を作ってくれたのに。」

全員、奇妙な充足感を感じていた。
正しく謝ることも、正しく糾弾する事もなかったのに。
その空気を柔らかく包み込み、雰囲気を作り上げたのは間違いなく雪菜だった。

「すっごく楽しかったんだ。
すっごく嬉しかったんだよ。
北原さんもかずささんも、やっぱり私の・・・ううん私達の仲間なんだよ!
また、みんなで来ても良いかな?
お金も時間も掛かっちゃうから、そんなに頻繁に来れないかも知れないけど。
みんなの都合もあるし。

だから・・・だからまた来ても良いかな?」

もっもちろんっ!

誰よりも早くかずさが答えた。







マンションを出てタクシーに皆が乗り込んだ後も、
雪菜は最後までマンションを見上げていた。
上ではかずさが半べそで手を振っている。

雪菜は手を振り返しながら誰にも気付かれないように。
でも誰かに語りかけるように呟いた。








春希君、かずさ
おめでとう。
今までお祝い言えなくてごめんね。



こんな嘘つきで酷い私だけど、これからも宜しくね。






あとがき

『カナリヤ』の続きになります
Jakob ◆VXgvBvozh2

このページへのコメント

vhVpeY Really appreciate you sharing this article post.Really thank you! Much obliged.

0
Posted by awesome things! 2014年01月20日(月) 18:33:31 返信

独自解釈とのことですが一応確認のために
公式で雪菜は心身ともに健康だというコメントがあるのは御存知ですか?
もしご存知でしたら申し訳有りません

0
Posted by 通りすがり 2012年09月11日(火) 23:28:04 返信

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