大晦日のコンサートに向かったら 第十一話

グッディーズ南末次店

「いらっしゃいませ、お二人様で…あ?」

ウェイターの言葉が詰まった。ネームプレートに『杉浦』と書かれていたそのウェイターは、今入店した二人の姿を見て固まってしまった。

「あっとやば…」

依緒は失念していた。かずさとの話し合いには何となく自分が居慣れた場所が良いと思い、このグッディーズを選らんだ。

頭に血が昇っていた事もあり、この場所に小春が居ることを忘れていた。

「――こ、この人…」

小春はかずさが誰だか分かってしまった。DVDで雪菜の左側に写っていた黒髪の美女。春希が三年間苦しむことになった原因。

「――後で事情は話すから、今は普通に接客して」

依緒は小春にそっと耳打ちをした。

「……はい、分かりました。どうぞ、こちらの席に…」

かずさはなめらかプリンを三つ頼み、依緒はコーヒーを頼んだ。

時間のかかる品ではないので、小春はすぐにトレーに乗せて持ってきた。

もう慣れたはずのトレー、しかし手が震えるのを抑えるのに苦労した。

小春はかずさの前に三つのなめらかプリンを置きながら、ちらちらとかずさの方を見た。

女性から見ても憧れてしまう艶やかな黒髪、そして雪のように白い肌。切れ長の瞳。

外見だけでも、男を引きつけるのに十分すぎる容姿。

それでも春希を三年間も引きずらせるには、容姿とピアノの他にも春希を掴んで離さないモノがある、それはきっと自分にはないものなのだろうと、小春は自分に言い聞かせるように考えていた。

「――ご注文は以上でよろしいでしょうか?」

震えそうになる声を抑えながら話す。

春希に教わった接客で、失敗はしたくなかった。

「――うん」

依緒が小春の方を見ずに答え、かずさも頷く。

「では、ごゆっくり召し上がりください」

注文に関する一連の動作が終わる。あとは礼をしてバックに戻るだけだった。

――でも

自分にそんなこと言える資格があるなんて思ってない。

でもこれだけは言いたい。

北原春希を好きになってしまった女の一人としてこれだけは言っておきたい。

冬馬かずさが春希の事をまだ好きだったとしても、好きでは無かったとしても、

これだけは言っておきたい…

小春は目にあふれそうな涙を貯めたながら…

「――もう、北原先輩の事を…楽にしてあげてください」

「え?」

全く関係の無いと思っていた人間からの言葉にかずさは目を丸くする。

小春は、勢いよく頭を下げると、そのまま二人に顔を見せる事無く小走りでスタッフルームに向かっていった。そして慌てたように、『佐藤』というネームプレートを付けた小男がホールで接客を始めた。

「い、今のウェイター、知り合い?」

「春希、ここでバイトしているのよ。その関係で知り合ったの。そして私たちの高校の後輩でもあるわよ」

「へぇ、ここで…」

「あの子は共犯でもあるわね。クリスマスに春希と雪菜をくっつけようとした」

「なっ…どうして…あの子が?」

「最初はね、あの子春希の事大嫌いだったのよ。あの子の友達をひどい振り方したり、必要以上に他人を遠ざけようとする態度が気に食わなかったらしくてね」
かずさには、春希がその女の子に『ひどい振り方』をする姿を想像する事ができなかった。

「どうしてそんな態度をとるのか探るうちに、あんたたち三人の関係を知った。そして彼女にはどうしてもその関係が納得できなかった。」

「あたしと武也と杉浦さん。三人で、春希と雪菜のヨリを戻そうとクリスマスにお膳立てをした。冬馬さん、あなたの事を忘れる努力できる環境を作ろうとした。その結果が…」
まぁこんなことになったんだけどね…と苦笑いしながら、依緒はコーヒーを口に運んだ。

「――あのさ…水沢は…あたしと春希の事どう思ってるんだ?」

「あたしはね、さっき小春ちゃんが言っていたのと同じ、春希の事を楽にしてあげて欲しいんだ」

「それってどういう意味?」

「きっちり振ってやるか、きっちり恋人同士になるか、きちんと決めてってこと。同じところをぐるぐる回ってるのをやめさせてあげてってこと」

「あ、あたしには…春希を振るなんてできないよ。あたしも三年間春希を忘れようとしたけど、できなかった。ずっと、春希を好きなままだった…」

「そっか…」

三年間も離ればなれになっていた男だけど、ずっと好きでした。

普通だったら依緒はその言葉を信じていなかっただろう。

しかし依緒は知っていた、今目の前にいる冬馬かずさという女の子、いや女は、男に振られたからとウィーンに行ってしまうような『イタい』女だということを。

普通の女とは違う、とても真剣な愛情を一人の男に向けることが出来る女だということを。

かずさは三年間、春希を愛し続け、春希も三年間、かずさを愛し続けた。

そのことをふまえ、依緒は言葉を続ける。

「あたしはね、雪菜の友達なんだ。そして春希の友達でもあるんだ。だから今、クリスマスにあたしの友達の春希を傷つけた雪菜が許せないでいる」

「…………」

「雪菜が振り払った春希の手を、今こうして冬馬さんが握ってる。春希はクリスマスの時から、いや三年前から苦しんでいる。そして春希の苦しみを癒やせるのは、もうあなたしかいないよ」

「そ、そうなのかな……うん……」

「ねぇ、冬馬さん。あなたこれからどうするの? 春希の事好きなんでしょ? 

数日間は居られるって話だけど、そのあとはどうなるの? 

また春希をおいてウィーンに行ってしまうの? 

春希を苦しめつづけるの?」

「…………」

「今あたし、雪菜に対して怒ってるよ。でもね、すぐに仲直りする自信があるんだ、友達だもん。
そして仲直りした後、あたしはまた春希と雪菜が元通りになるよう頑張ると思う。春希と雪菜が冬馬さんを忘れられるよう頑張るんだよ」

「そ、それはっ!」

「でもね、もし冬馬さんが春希をこれ以上傷つけないのなら、春希の傷を癒やそうとしてくれるのなら。あたしは無理に春希と雪菜をくっつけようとはしない」

「え!?」

「冬馬さんが春希を癒やしてくれるのなら、これ以上傷つけないのなら。あたしはそれを見守るだけ」

依緒は毅然とした姿勢を崩さまいと必死だった。

春希が完全に自分の手を離れたと知った雪菜の事を考えて、今にも泣き出してしまいそうだったから。

かずさは依緒のそんな必死で誠実でフェアな態度に、同じ態度で向き合わなければいけないと思った。

「これからのことについて…あたしも考えてることがある…
三年前みたいに、春希と離ればなれになるのはもう嫌だ…
春希が他の女のものになってしまうのが嫌なんだ…
春希とずっと一緒に居たい。その方法も、心当たりがある。
でもどうやって伝えればいいかまとまってなくて… 
まとまったとしても、すごい大きな話で…春希がどう思うか分からないし…」

空になったプリンの容器をスプーンでいじりながら、要領を得ない受け答えをするかずさ。

春希をマネージャーにするという曜子からの提案。

自分と違って海外が身近では無い家庭で育った彼に、海外で自分と暮らしてくれということに、抵抗が生まれないわけが無かった。

そしてもし、断られてしまったときのショックを考えると、体が震えた。

「じゃあこれからの事について、冬馬さんなりに考えがあるってことでいいのね?」

「――うん」

「冬馬さんの考えがどんなもんかは分からないけど。今の春希なら全部肯定しちゃいそうね…」

「そ、そうかな」

かずさにとって、今の依緒の言葉は本当に嬉しかった。

「正直言って、春希が冬馬さんにここまで惚れてるとは誤算だったわ。それに冬馬さんが応えられる用意があるって言うなら、もうあたし達の出る幕じゃないね…」

依緒はどこか諦めの表情を浮かべながらフゥとため息を吐き、ぐいっとコーヒーを飲み干した。

「そろそろ春希の部屋に戻る?」

「そうする、あと…」

「何?」

「――なめらかプリンおみやげにして持って帰る…」

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