大晦日のコンサートに向かったら 第十三話 

かずさと依緒がグッディーズから帰ってきた。
春希は二人の間に家を出る前の緊張感が無くなっていることに胸を撫で下ろすと同時に、どんな話をしていたのか気になった。

「これ、土産…」

かずさが口元を緩めながらグッディーズの袋をテーブルの上に置いた。
春希はかずさの嬉しそうな表情とバイトしていた経験からその中身がなめらかプリンだとすぐに分かった。

四人でプリンを食べる。プリンは六個入っていて、春希、武也、依緒が一つずつ、かずさは再び一人で三個食べようとしたが、依緒がさっきも三個食べていたことを話すと、春希に二個にしろと叱られた。
プリンを食べている時の話題はかずさのウィーンでの生活についてと、三年間日本であった主な出来事。
テーブルの周りを囲んで座り、普通の世間話を4人でした。
少しずつ、少しずつ、かずさ、武也、依緒は3人の距離が近づいていった。

テーブルの上に空になったプリンのカップが5つ並んでいる。
依緒はかずさにうどんの作り方、そして自分のメールアドレスを書いたメモを渡すと、武也と帰り支度を始めた。

「――あのさ、最後に言っておきたいんだけど…」

ジャケットを着ながら、言いにくそうにしている依緒。

「あたしたち、春希と冬馬さんの邪魔したりはしないよ。けどさ、雪菜に嘘を吐いたりはしたくないんだ…」

「――うん」

春希は覚悟を決めるように頷く。

「だからもし、雪菜に春希の様子を聞かれたら正直に言うよ。春希は冬馬さんと春希の部屋で一緒にいるって…」

「ああ、分かった…」

「それじゃあな、春希、お大事に。冬馬、こいつが無理しないよう看ててくれよ」

「分かってる。部長も、水沢もありがとう」

◇◇◇

武也と依緒が帰って行った、部屋が再び春希とかずさ、二人の世界に戻る。

「――春希、体調はどうだ?」

かずさはベッド脇に腰をかけた。

「かなり良くなった。体がちょっとだるいけど、話すのは全然問題ない。頭ははっきりしてるよ」

武也と二人で話してから、急に体調が良くなった。熱っぽい感じは変わらない、それでも、胸のつかえが取れたように軽くなった。三年間、ずっと取れなかったつかえが。かずさと再会しても取れなかったつかえが…

「かずさ…そばに来てくれ…」

春希は自分にかかっている布団をどけた。かずさは微笑みを浮かべながら、春希の胸に収まった。昨夜とは逆の体勢だ。春希はかずさの上から布団をかけた。

春希の体の熱と胸の鼓動がかずさに伝わってきた。やけに早い、熱のせいか、それとも…

「――あのさ、部長とどんな話をしてたんだ?」

「俺が…まだ自分の本心をかずさに伝えられていないって。どうせ嫌われるなら、本心を言ってからにしろって」

自分の本心に嘘を吐き続けてきた。それが春希を三年間苦しめてきた『つかえ』。

「本……心? それってやっぱり、お前は雪菜の方が…」

「違う」

「じゃあ、どういう…」

「俺がかずさと一緒に居たいっていうこと。たとえそれが、日本を離れる事になっても」

「――え?」

「かずさに日本に戻ってきて欲しいなんて思わない。曜子さんと一緒に居て欲しいし、ウィーンの最高の環境でピアノを学んで欲しい。
でも、俺はかずさと居たい。それなら俺がとる行動は一つだけ。かずさがウィーンでも、どこか違う国に移住することになっても、俺はついて行きたい。
これからずっと、かずさのそばに俺を居させてほしい。
それが俺の…偽りの無い…本心」

春希の言葉に、かずさが今まで積み上げてきた考えががらがらと崩れ落ちる。

春希と胸を引き裂かれるような思いをしながら別れた空港。

三年間、春希の事を想い続けながら毎日10時間弾いたピアノ。

曜子に提案された春希とのこれから。

依緒と小春に気づかされた、今の自分に出来ること。


三年間積み重なったこの春希への想いをどうまとめて、どう春希に言い出そうか迷っていた。

言い出しても、春希が受け入れてくれるか恐れていた。

――本当に、本当に迷い悩んでいたのに、今の春希の言葉が全て解決してしまった。

かずさは春希に泣いているのがバレてしまわないように、春希の胸に顔を埋めた。

「――すぐとは言えないけど、ドイツ語も勉強して、まともな職に就く自信はある。だから…」

「ちょ、ちょっと待ってくれ」

春希の言葉を遮り、かずさは春希の胸の中から離れる。ベッド脇に座り直し、服の袖で乱暴に涙を拭った。

「ぐすっ……あ、あのな……春希の職なんだけどさ、あの…一つ心あたりがあるんだけど」

「え? な、何だ? 俺は何でも…」

「――あたしの、マネージャー…」

「かずさの…マネージャー?」

かずさからの思わぬ提案に、春希は体を起こした。

「春希、寝ながら聞いてくれ、風邪をぶり返したら部長と水沢に怒られる」

「あ、ああ、そうだな…」

春希は体を横にする。かずさは再び春希の胸に頬を重ねた。

「正確には冬馬曜子オフィス、欧州支部の社員になって、あたし専属のマネージャーになるってこと…なんだけど」

「それ、かずさが考えたのか?」
三年間の時が経とうとも、かずさにこんな事務的な話ができる訳が無い、誰かの入れ知恵が…

「さっき荷物を受け取る時に母さんから提案された…前からアンサンブルの記事を読んで、お前にはあたしの事を売り出す才能があると思ってたみたい」

「アンサンブルで…」
皮肉なことに雪菜との別れを決定的にした記事が、今はこうしてかずさとの未来を築く手がかりになっている。

雪菜とのクリスマス以来あの記事を書いたことを後悔していたのだが、今はあの記事を書くことを薦めてくれた麻理を女神の様に思えてきた。

――かずさの提案に、迷う必要などどこにもない。

「――俺、かずさのマネージャーになるよ。そしてかずさにどこまでもついて行く、かずさの事…ずっと支えていく」

「――本気か? 春希、本気で言っているのか? 嘘…じゃないよな?」

「嘘なんて吐いていない。かずさに対しても…俺自身に対してもな」

「い、今のあたし…夢を見てるんじゃないよな? 春希があたしのマネージャーに、あたしとずっと一緒にいてくれるなんてさ」

かずさは春希と一緒にいられる喜びと、夢だったときの不安、その両方からくる体の震えを抑えられずにいた。

そんな様子のかずさを春希は何とか安心させてやりたいのだが…

「ごめん、それは俺も保証できない。俺も…お前とこれから一緒にいられるなんて…夢みたいだから…」

「そうか…春希もか…それなら…お互い夢かどうか確かめなきゃいけないよな…」

かずさはベッドにもたれ掛かっている春希の腰にまたがり、両腕を春希の頭の後ろに回した。

熱を出しているのは春希の方だというのに、かずさの頬の方が火照りきっていた。

かずさは顔を傾け、春希に近づいていく。

「か、かずさ…俺風邪引いて…」

「嫌ならあたしを『拒絶』しなよ」

かずさはわざと『拒絶』という言葉を使った。昨夜春希に散々言われたその仕返しに。

「そんなの…できるわけ…」

「愛してる、春希…」

かずさと春希の唇が一瞬だけ触れ合ったが、すぐにかずさの舌が春希の口内に入りこんだ。かずさの舌が春希の舌と絡まり合う。最初は若干遠慮がちだった春希だが、理性はすぐになくなった。

「…………ッ」

途端、春希の下唇に小さな痛みが走った。春希は思わずかずさから離れる。

「ッはぁはぁ…かずさ…どうして?」

かずさは春希の唇を前歯で囓った。春希の唇に小さく血が滲んでいる。

「はぁはぁ……最初に言ったろ、夢かどうか確かめるって。痛いのか、春希? じゃあ夢じゃ無いんだよ、あたしが春希にどこまでもそばにいて欲しいってのは、夢じゃあないんだ」

「そうだな…」

「春希、次はあたしだ。あたしに確かめさせてくれ、今が夢なのか…お前が一緒にいる未来が夢なのか…」

「かずさっ…」

春希はかずさの唇を奪う。再び舌を絡め合った後、優しく、かずさの唇を噛んだ。

「――ッ」

かずさは春希から離れる。

「はぁはぁはぁ…痛い、痛いよ、春希…」

「夢じゃないんだよ…俺がかずさとずっと一緒にいるってのは…夢じゃあ…ッ」

かずさが舌を絡めてきた。二人の唾液と吐息、そして唇から出た血が混じり合う。

血の味がキスに加わる。その味はどこか宗教的で何かの契約を二人が交わしているかのような印象を与えた。

まるでお互いの所有権をお互いが持つような血の味のする契約のキス。そしてその契約は二人の情熱をさらにかき立てていく…

――そんな二人のキスを止めたのはテーブルで震える春希の携帯だった。

ディスプレイには武也からのメールが通知されていた。雪菜の事が二人の頭をよぎり、春希はすぐにメールを開いた。

『春希、お前病人って事、忘れんなよ』

まるで今のキスの光景を見ていたかのようなメールだった。武也には、自分たちが部屋を出た後、自分たちが想いを伝え合った後どうなるかわかりきっていたのだろう。

雪菜に関することかと身構えていた春希とかずさは脱力し、少しだけ冷静さを取り戻した。

「あ、あのな、そういえばさ…」

かずさがベッド脇に座り直しながら話す。キスを再開したいところだが、それは春希の風邪が治ってから…

「どうした?」

「母さんが一応大学は出ておけってさ。あたしが日本で活動する事になったときに。お前の大学の肩書きってのは結構顔が利くらしい。あと一年間の間にドイツ語勉強しておけってさ」

「じゃあ俺がウィーンへ行けるのは来年の三月ってことか」

「い、嫌か?」

「かずさと一年間会えないのは辛い、本当に辛い。でも…曜子さんの言うとおり一年間しっかり勉強した方が良いって思ってしまっている」

「一年間の間に…あたしの事忘れたりしないか?」

「三年間その方法を考え続けたけど、思いつかなかったよ」

「そ、そうだったな…でも、一年の間にまたこうして日本に来れるかもしれないから」

「楽しみにしてる。俺、お前の良いところを世界中の人に知ってもらえるように頑張るよ」

「あたしの事、理解しないとな」

「結構理解できているつもりなんだけど…」

「ついさっきまで、あたしには彼氏がうんぬん言っていたのに?」

「…ごめん」

「ふふ、まぁいいよ。あと、ドイツ語の勉強頑張れよ」

「思い立ったが吉日だ。今から御宿の本屋でドイツ語の参考書買ってくる」

「おい! だから春希は今病人なんだよ!」

「ああ、そっか…」

「明日あたしが買ってきてやるよ。あたしにくれた英語の参考書の、ドイツ語版でいいか?」

「それで頼む、語学は基礎からだからな」

高校時代を思い出し、二人で微笑む。

――かずさは春希がしたように、参考書の中にどんなメッセージを書いておこうか考えていた。



大晦日のコンサートに向かったら 第13話+

「杉浦! おーい杉浦」

「あ、小木曽…」

夕日で赤みがかった町の中、孝弘は小春のぴょこぴょこ動くポニーテールを見かけ、声をかけた。

「あけましておめでとう、杉浦。今年もよろしくな。俺、初詣の帰りなんだ、杉浦もか?」

「あけましておめでとう、小木曽…あたしバイト帰りなんだ…」

普段は口うるさいぐらの小春の口調が影を潜めていた。孝弘はわざと明るく振る舞う。

「そ、そうか。やっぱり元旦とは言え外にでなきゃな、バイトはちょっと驚いたけど。ちょっと聞いてくれよ。ウチの姉ちゃん。彼氏と初詣にもいかず家に引きこもっちゃってさ…全く、弟に彼氏との関係心配される姉っていないよな」

「お姉さん…」

孝弘の姉、小木曽雪菜。クリスマスに春希とヨリを戻させようと、お節介を焼いてしまった相手。

家に引きこもっている雪菜。そして、冬馬かずさがこの町にいる、春希のそばに居る。

このことから、自分のお節介が最悪に近い結果になってしまったことを小春は悟った。

依緒から連絡はまだない。これ以上のお節介は自分の領分を明らかに越えている。

それでも、もしかずさが春希を傷つける判断をしたとしたら、春希を癒やす存在が必要になってくる。

「ねぇ小木曽…お姉さんにさ…」

もうこの一言だけ、私のお節介は、私の恋は、これで終わり…

「ん? 姉ちゃんに何か用か?」

「――水沢さんに連絡するよう伝えてもらえる?」

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