大晦日のコンサートに向かったら 第十八話

1月8日 

今日、かずさがウィーンへと戻って行く。

家を出る時間ぎりぎりになってもベッドで寝続けているかずさに代わり、春希がかずさの荷造りをしていた。

かずさを起こして少しぐらい手伝わせたいところだが、昨夜ベッドでの事を考えると、仕方が無いのかもしれないと諦める。

――昨夜、伊吹町から帰ってきた春希とかずさは、三年ぶりに結ばれた。

三年前と違い、順番にシャワーを浴び、これから自分たちが何をしようとしているのか、今自分が愛しているのは誰なのか、そしてこの行為が高校の卒業式の日とは違い終わりを意味するのでは無く、未来に繋がる事を理解してから愛し合った。

初めてでは無いにしても、三年ぶり…

春希がいくら優しくかずさを愛しても、少し痛がっていた。

しかしかずさの顔から次第に苦痛の色が薄くなり、あえぎ声が大きくなってくると、春希の動きは激しくなった。

二人の体の揺れに同調するように、二人が唯一身につけているネックレスも揺れていた。

二人は同時に達し、春希はその頭を突き抜けるような快感と、相手がかずさである事の幸福に酔いしれながらベッドに倒れ込んだ。

乱れた呼吸を整えながら、情事の余韻に浸る春希。

そんな脱力しきっている春希の上に、かずさが馬乗りになってきた。挑発するような目で春希を見つめる。

先ほどの情事の中で、かずさなりに改善点を見つけてしまったようだった。

自分はどこが感じるのか、春希はどこが感じるのか。

かずさの中に眠る芸術家としての完璧主義が顔を出す。答えが見えかけているのにやめられるわけが無かった。

かずさは春希自身を口と胸で愛撫する。息絶え絶えに少し休ませてくれと懇願する春希の意志に反し、春希自身は再び固くなり、かずさはその様子を見て笑みを浮かべると半ば強引に再開した。

それから何度行為に及んだか分からない、そしてその全てがかずさ主導だった。

「精も根も尽き果てる」、この慣用句を体現するかのように脱力している春希を見下ろしながら、かずさは「師匠を傷物にした罰を与えてなかったからな」と言って笑い、ばたりと倒れて眠り込んだ。

◇◇◇

再び1月8日、かずさの荷物をトランクに詰める春希

服を畳み、トランクに隙間ができないよう詰めていく。こういうその人の生真面目さと計画力が問われるような作業は、春希の得意技だ。

――かずさの下着を畳んで入れる作業を除けば。

春希はできるだけ下着を見ないように、できるだけ手で触れる部分が小さくなるように心がけながら下着をたたんだ。

――お前、かずさのそれ以上のものを見ているじゃ無いかと語りかけてくる悪魔の声を無視して。

女性ものの下着の畳み方なんて知るわけが無いから、とりあえず形が崩れない事を祈りつつ畳んだ。

トランクにかずさの下着を詰め終わった後、春希は一息つきながら、マネージャーになったら遠征の度にかずさの下着を畳まなきゃいけないのかと、頭を抱えた。

◇◇◇

その後、寝ぼけているかずさの髪のセットで一悶着あったのだがなんとか準備を終え、二人はマンションを出た。

外にでると一瞬の冷えが襲ってくるが、空は雲一つ無い快晴だった、予報では今日はこれから暖かくなるそうだ。

曜子と美代子を乗せたハイアーが春希のマンション前にとまっていた。

前の席に美代子が、後ろに春希、かずさ、曜子の順で座る。

「かずさ、あんた起きたばっかりでしょ?」

「はぁい?」

一目でかずさの状態を見抜くとは流石は母親、というわけでは無く。かずさのどろんとした目を見れば誰だって彼女が寝不足だと言うことは分かる。

かずさは荷造り中寝ていてもまだ足りないようだった。荷造りだけで無く服もほとんど春希が着せ、櫛で髪を梳いたのも春希だ、春希は彼ができること全てをこなした、それでも一応…

「す、すみません…」

――彼が謝る。

「なぁんで春希君が謝るのよぉ…あっなるほどぉ昨日の夜は…」

「お楽しみってやつですね、社長」

「――美代子さんってもしかしてゲームとかします?」

昨夜の情事を根掘り葉掘り尋ねてくる曜子とその曜子の援護射撃をしてくる美代子の問答をなんとか躱しながら、ハイアーは空港へと向かう。

◇◇◇

ハイヤーが空港に着いた。ハイアーの中でたっぷりと寝たかずさは快調そうで、反対に曜子と美代子にからかわれ続けた春希はぐったりしていた。

春希がかずさのトランクを引きながら、四人で搭乗口へ向かう。

「雪菜が来ているはずなんだけどな…」

昨日、雪菜に明日かずさがウィーンに戻ることになったと連絡をした。急な予定だというのに雪菜は見送りに来ることを快く了承してくれた。

「――あ! 春希君、かずさ、こっちこっち!」

雪菜の声が空港に響く。一昨日とは比べものにならないくらい明るい雪菜の声。

「せつ……な?」

春希とかずさは雪菜の声のする方を向いたのだが、そこにいたのは雪菜だけではなかった。

「よーうお二人さん」

「春希、風邪治ったみたいじゃん」

武也と依緒、そして…

「あ、あの、あたし清水小百合っていいます」

「私は園田亜子です。私たち、冬馬先輩の後輩です」

峰城の制服を着ている女子生徒がかずさに詰め寄ってきた。

「――私が…呼んじゃいました。あの子たち、冬馬先輩のファンなんですよ」

小春が遠慮気味に、春希に話しかけてきた。

「迷惑でしたでしょうか?」

「いや、ありがとう、顔には出してないけど、かずさも喜んでるよ。それにこれからはちゃんとファンの対応もしてもらう」

「大学を卒業したら、冬馬先輩のマネージャーになるらしいじゃなですか」

「ああ、俺がかずさを支える」

「先輩、顔が変わりましたね」

「どういう風に?」

「顔が変わったと言うより、戻りました。あの学園祭DVDの中の表情と同じです。私、今の先輩の顔の方が、とってもいいと思いますよ」

「杉浦の言っていること、よく分からないけど、とりあえずありがとな」

「どういたしまして。一応私も冬馬先輩のサインもらっておきたいので、それでは」

小春もかずさの元に向かう。生の冬馬かずさに直接触れて、かずさを知ろう。

そして美穂子に伝えよう、春希がどれだけ素敵な人に恋をしていたかを…

そしてその恋が、三年の隙間を埋めて、叶ったことを…

◇◇◇

「…とうま…せんぱい?」

生まれて初めて『先輩』と呼ばれ、どう反応したらいいか戸惑っているかずさ。

「トラスティ国際ピアノコンクール準優勝おめでとうございます、後輩として誇りに思います。もし良かったらサインもらえませんか? 先輩の記事が載ったアンサンブルに!」

「あ、あたしもお願いします。こ、これサインペンです」

「わ、分かったよ…」

かずさがサイン攻めにあっている光景を、少し離れたところから春希と曜子が見つめている。

「賑やかな出発になったわね…」

「ええ、あそこに居る雪菜がみんなを呼んでくれたんです」

「そうあの子が…かずさもあなたも、いい友達を持ったわね…」

「友達ではありません、雪菜は…親友です」

「そう…」

曜子は雪菜の春希への気持ちを分かっていた。愛した男が自分の元を去って行く気持ちを。

かずさの父親が自分から離れていってしまった時の気持ちと同じように…

「話は変わるけどね、春希君。あの子のサイン、まだ考えてないのよね。冬、馬、か、ず、さ、ひらがなが多いからすぐ書けるけどね」

「…かずさの性格的にシンプルですぐ書けるものにした方がいいですね」

「人ごとじゃないわよ春希君、あなたがかずさのサインを書くことだってあるんだから」

「は?」

「何年前だったかしら、アンサンブルがあたしのサイン付きCDを懸賞にしたことがあってね。めんどくさかったら当時付き合ってた男に書かせたわ」

「…かずさのサイン決まったらすぐに教えてください。練習しておきます」

「頑張ってね〜」


「――もしや、そこにいらっしゃるご婦人は、ピアニスト、冬馬曜子さんでは?」

二人の後ろから声がかかった。春希も非常によく知る男の声だったが、どこか普段より低く色っぽくなっている。

「あらあらあら、若くていい男。お名前は?」

「飯塚武也です。とうま…じゃなくて、娘のかずささんと春希が出会うきっかけ、軽音楽同好会の部長をしていました」

「あら? でも、舞台の上にはいなかったわよね」

「武也は打ち込みをしてくれたんです。他にも事務的な事を色々と、部長なのに舞台には上がらず、影から支えてくれてました」

「ああそれと、女子二人の衣装を調達したのも、俺です」

「あの衣装は君が…良いセンスしてるわね〜 実はかずさを送った後、次の講演の衣装を見に行こうと思っていたんだけれど、君も一緒に来てくれるかしら?」

「え、あれ? 曜子さん?」

慌てる春希。

曜子の声が結構本気なトーンだったから。武也が曜子の衣装選びについてくるという話になっても、美代子がいつものことと言わんばかりに表情一つ変えていなかったから。

そして若干、本当に若干、武也が選んだ曜子の衣装というものを見てみたい自分がいることに気がついたから。。

「ええ、喜んでお供させてもらいます!」

「武也! お前!」

「冬馬…いえ、曜子さん、衣装を選び終わった後に一緒にお茶でもいかがですか?」

「いいわね! 衣装選びって案外神経と体力使うから甘い物が欲しくなるの。お姉さんがごちそうしてあげるわ!」

「お姉さんだと! 母さん! 自分の歳を考えろ!」

武也が守備範囲ならば、春希も守備範囲になってしまう。
曜子の男関係にかずさは口を出すつもりは無いが、さすがに春希の年齢と同じ歳の男には手を出して欲しくない。

「武也! あんた友達の母親まで手を出すの!?」
依緒が詰め寄ってくる。

「――ふふふ、かずさのお母さん、おもしろい人だね。あと、とっても綺麗」

「雪菜…」
雪菜がくすくす笑いながら、春希に近づいてきた。

「みんなに声をかけてくれて、本当にありがとう」

「かずさに知っておいてもらいたかったの。日本にはあなたを求めている人がたくさん居るって事を」

「いつか、日本で公演するために戻って来るよ」

「マネージャーさんの力の見せ所だね」

「…尽力いたします」

「その時はチケットとっておいてね。多分すぐに無くなっちゃうから。冬馬かずさ、日本凱旋公演チケット。もしかしたら、北原かずさ、日本凱旋公演チケットになっていたりして」

「そ、それは…どうだろうな」

「ふふっ春希君、顔真っ赤だよ」

「…………」

「春希君、私ね、バンドに誘われたの」

「大学のか?」

「大学とはまた別かな。昨日ね、久しぶり、本当に久しぶりに一人でカラオケに行くことができたの。

2時間歌い続けて、休憩にドリンクバーに行ったらね。柳原朋って子にいきなり話かけられたの」

「や、柳原……朋?」

春希の頭の中の人名データベースが反応する。三年前、男関係のもつれから、軽音楽同好会を空中分解に追い込んだ女子生徒の顔が浮かび上がり、背中に嫌な汗が滲む。

「そ、そうか、それで、どうしたんだ?」

「あれ? 春希君ちょっと汗かいてるよ。大丈夫?」

「大丈夫、大丈夫、続けて」

そういえば、その柳原が同好会を空中分解させなければ、かずさとも雪菜とも出会う事が無かったのかと、そんな可能性を思う春希。

「その子、高校の一学年下だったらしくて、私たちの学園祭ライブ聴いてたみたいでね。私たちの演奏にすごく感動してくれたらしくて、私に歌う気があるのなら、いいバンド紹介するって言ってくれたの」

「そうなのか…」

当時、柳原朋は打倒小木曽雪菜を掲げていたはずなのだが…あのライブが彼女の考えを変えることになったのだろうか。

「だから私、思い切ってお願いしますって言っちゃった」

「すごく、良いと思う。ライブが決まったら聴きにいく」

「チケット取っておくね。あれ? かずさの搭乗時間、そろそろだよね?」

「ん? ああ、そうだな」

春希は時計を見る。

「じゃあ、二人の時間を作ってあげますか。みんなーそろそろ帰ろう」

「時間か、それじゃあな冬馬、聞き忘れたけど、ウィーンって美人多いのか?」

「あんたはもう…日本人の印象悪くしたくないから日本から出ないでね。それじゃあね、冬馬さん、頑張って」

「ああ、色々ありがとう、水沢」


「冬馬先輩、頑張ってくださいね!」

「今度時間があったら、使ってるシャンプー教えてください」

「特にこだわりはないんだけどね…分かった、今度ね」

「来週には私もウィーンに戻るわ、私が帰ったとき、冷蔵庫に甘いものが無かったら怒るわよ」

「おっけー」

「かずささん、いつか日本公演する時を楽しみにしていますから! その時は冬馬曜子オフィス日本支部の底力を見せてあげます!」

「うん、二年以内に絶対実現してみせる、な、春希?」

「お、おう!」

「かずさ…またね、今度日本に来たときは…私の彼氏を二人に紹介できるようにする。
そして、高校の時みたいに温泉に行こう…四人で、部屋を…二つとってさ…」

「ああ…そうだな。楽しみだ、本当に…あたしも運転技術、磨いておくよ。またな、雪菜…ありがとう」

かずさと雪菜、二人は抱き合って親友との別れを惜しんだ。

そして、かずさを見送りに来てくれたみんなは手を振りながら出口へと歩いて行った。

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