2013年12月23日(火)某旅行会社 資料室

 小春はクリスマスイブ前日のこの日、某旅行代理店の資料室にいた。
 麻理から紹介された友人のコネで利用させてもらっているこの資料室で、小春は先日、開桜社の人事担当者から言われたことを反芻していた。

『夢はトラベルライター、って言うのは簡単だけど〜。実際はこれだけ口コミの得られるようになったこの時代に最初から旅行記事だけでやってけているライターなんてまずいないわよ〜』
『他に生活基盤があって旅道楽三昧の記事書いてるような例外中の例外は置いといて、旅行会社と提携して記事書けるようなトラベルライターなんて、才能あってもなかなか最初からは、ね』
『我が社のオススメとしては、まずはウチで経験積んでいっぱしのライターになることかな〜。もちろん、他にも色々道はあると思うわよ〜。旅行会社に入ってツアコンになるとか〜』
『でも、まだ若いんだし、まずは色々経験積んだ方がいいわよ〜。学生のウチしかできないコトなんて山ほどあるし〜。それがどんな道を歩むにせよ、あなたの武器になるわよ〜』
 間延びのする声ではあったが、親身なアドバイスだった。

「今しかできない経験、かぁ…」
 小春は山と積まれた資料を前にため息を吐いた。
 学生のうちに色々と海外、国内と旅行には行った。バイトで稼いだ金のほとんどを旅行に費やした。綿密な計画を立てて美穂子たちいつもの4人で行くこともあれば、ふらりと気ままな一人旅を楽しんだ事もあった。
 海外はヨーロッパが最も多かったが、北米、南米、南アジアにオーストラリアも回った。
 しかし、特段変わった旅行をしたわけではない。
 もっと沢山の国を巡った者もいれば、変わった国を巡った者、もっと長い長い旅をした者もいる。
 そして、そんな者たちの旅行記が世の中には溢れている。そんな中、どうやったら世の中の皆に読んでもらえるような旅行記が書けるだろう?

『学生のうちに誰もがやったことのないような旅行をし、それを本にしてみせる』
 それが、トラベルライターを目指す小春が選んだ目標であった。

 しかし、目の前に山と積まれた資料も――こう言ってしまっては「ウチに入社してくれるかも知れない学生だから」ということで資料室を貸してくれる旅行会社の人にはたいへん申し訳ないが――他の誰かの旅行記であり、旅行プランだ。
 見た事も聞いた事もない、今しかできない自分だけの旅行。小春はそれを血眼になって探し求めていた。
 その熱心さたるや、旅行会社の社員からすら「若い女のコがクリスマス前のこの時期に…」と苦笑いされるほどだった。
 もっとも小春がそれほど熱を入れているのは、結婚式の手伝いまでして自らの想いを断ち切ろうとした小春にとって、この新たな目標こそが行き場のない情念の消費先でもあったからかもしれないが。
 
 そんな小春の意気込みが天に通じたか、ちょっと一風変わった運命が小春の元に舞い込んできた。

 こんこん、がちゃり
「杉浦ちゃん。いる?」
 ドアを開けて入ってきたのは、この資料室を貸してくれている旅行会社の社員、麻理の友人の雨宮佐和子だった。
「あ、雨宮さん。どうも」
 ぺこりと頭を下げる小春に雨宮はニヤニヤ笑いつつ話しかける。
「ふふふ、杉浦ちゃん〜。誰もやったことのないような旅行がしたいって言ってたよね? 面白い人がいるよ。会ってみない?」
 面白い人? よくわからないが、とりあえず会ってみないことには始まらない。小春は首を縦に振る。
「オッケー。いいわよ。早坂さん」
 佐和子がドアの向こうに声をかけると、一人の男が入って来た。
「あれ? 早坂さんって…?」
 小春はその男に面識があった。そして、その男もまた小春のことを知っていた。
「あらら? アンタ、こないだ1.5次会の司会しとったコやないか!?」

 すっとんきょうな関西弁のこの男、春希の友人の早坂親志であった。



応接室


「いや、驚いたわね。2人が知り合いだったなんてね」
 佐和子は小春と親志に紅茶を注ぎつつそう言った。
「いやいや、こないだちょっと会っただけやよ。北原の結婚式で司会しとったの、この子やったから。…そっか。アンタ今年のミス峰城やったんやなぁ…」
 親志はそう言って感心したように小春を見た。小春は少し眉をひそめた。ミス峰城の話は小春にとってあまり触れられたくない話題だった。
「確か、北原先輩の高校の時のご友人でしたよね。早坂さんは。文化交流のお仕事をされてるとか」
「そうそう。改めまして。これ、ワイの名刺。これないと誰もワイの職場覚えてくれんのよ。長すぎて」

 親志が差し出した名刺には『国際交流協会・オーストリア日本文化交流センター』とあった。

 オーストリア…その国から小春が思いついたのはある女性ピアニストだったが、小春はその顔を頭から振り払った。今はあの人の事を考えたくはない。今、小春にとってその女性は憧れであると同時に嫌悪の対象でもあった。主に同族嫌悪の。

「オーストリア旅行のオススメですか?」
 そう聞かれて親志はノートパソコンを取り出した。
「まあ、とりあえずこの動画見てや。これはあくまで一例やけどな」
 ノートパソコンからクラシックの調べとともに映ったのは歴史を感じさせる荘厳かつ煌びやかなホールだった。絵本から飛び出してきたようなロマンチックな光景、それは…
「舞踏会…?」
 ウィーンと言えば「音楽の都」だが、もう少しウィーンを知る者が連想する2つ目の肩書は「舞踏会の都」だ。
「そや。これは去年のオペラ座舞踏会、オーパンバル。毎年2月か3月にやる。場所はウィーン国立歌劇場やで」
 舞踏会。セレブの社交場。小春がまだ足を踏み入れた事のないおとぎ話のような世界だ。
「敷居が高そうですね」
「そうでもないよ。こういう舞踏会に参加するために必要なんは4つだけ。しつらえの良い正装、簡単な礼儀作法、左回りのウィンナーワルツ、そしてちょっとした紹介。それだけや」
 指折り数えつつ説明する親志に小春はつっこむ。
「後ろの二つは難度高そうですが」
「そこも舞踏会によってピンキリ」
「…あ! ちょっと待ってください! ちょっとこれ、すごくないですか」
 小春の目を奪ったのは何十人もの若い男女のペアだった。男は燕尾服、女は美しい拵えの純白のイブニングドレスに身を包み、列になって会場に入ってくる。
 その女性たちの頭は美しいティアラで飾られ、まるで花嫁であった。数百の観客の視線を受けて会場に入ってきた彼女たちの佳麗なダンスに小春は目を奪われ、ため息しか出ない。
「はあぁ…」
 そして、圧巻は女性たちが会場の集まって披露したフォーメーションダンス。雲上の天女の舞さながらのその光景に小春の魂は宙を彷徨った。

 動画が終わり、やっと我に返った小春が親志に尋ねる。
「これ…何ですか?」
 親志は小春の反応に満足しつつ答える。
「『デビュタント』。平たく言えば初めて社交場に出る女性たちの御披露目式やな。18〜20才くらいの若い独身女性が生涯一度だけ参加できる。どや、綺麗やろ?」
「これ、日本人でも参加したいと言ったら、参加できるんですか!?」
 これこそ小春が求めていたものだ。こんな体験ができれば…しかし、親志は首を横に振る。
「コレは正式な『デビュタントボール』やからな。選考もメチャ厳しくて今年の秋からウィーンでダンスや礼儀作法のテストやっとるヤツやし、さすがに今からは無理や。
 参加しとる奴も超々セレブやで。ここに映ってるコ、これ、カナダの首相の孫娘さん。隣のコはスウェーデンの王家のお姫さんやな。で、こっちのコはハリウッドスターのお嬢様。
 過去に日本人参加者いなかったワケやないけど、基本マジもんの『雲の上の人』やな」
「そうですか…」

 落胆する小春に親志は悪戯っぽく言う。
「まあ、待てや。『デビュタントボール』は正式なヤツやけど、それとは別に『プライベートデビュタント』つーのがあるんや」
 再び真剣に目を光らせる小春に親志は続ける。
「『プライベートデビュタント』は公式やない御披露目式全部そう呼ぶから、コレもピンキリ。個人のお屋敷で行われるコトもあれば…」
 小春が話に完全にのめり込んでいるのを見取り、親志はちょっともったいぶってみせた。
「ちょっとした舞踏会で『デビュタントボール』とおんなじように踊るのもあるわけや」

「もったいぶらないで教えてください! 一体どんなお話なんですか!? わたしにオススメと言うのは!?」
 もはや掴みかからんばかりの態度の小春に気圧され、親志はあわてて真面目に答える。
「まあまあ…。慌てるなや。
 同じ会場、ウィーン国立歌劇場でオーパンバルの翌日に行われる『ボンボンバル』って舞踏会がある。直訳すると『飴玉の舞踏会』やな。
 これは菓子業界が主催する舞踏会で、オーパンバルに比べればずっとくだけた舞踏会やけど、ここでもプライベートデビュタントをやる。参加条件も17〜25才で既婚者も可と緩い。必須条件は『お菓子が大好きであること』や。
 さすがにオーパンバルのようなスワロフスキーのティアラやないけど、コレつけて踊る。可愛いやろ?」
 そう言って親志が取り出したのはキャンディのデコパーツで飾られたティアラだった。まだ幼さの残る小春にはこちらの方が似合うかもしれない。

「どや? ウチの協会の推薦で参加してみいへん?
 ダンスやのレッスンはウチが用意するし、レッスンのお代も半分は協会が出す。
 流石に渡航費は出んけど、参加費や衣装も用意する。
 最低10日前に現地入りやけど、ウィーンでの宿はウチのゲストハウスを一部屋タダで空けるで。ちょいボロやけどな。
 舞踏会では、デビュタント以外にちょこちょこイベントに参加なりお手伝いなりしてもらう。お金出してくれるスポンサーさんのお菓子配ったりな。それ以外の時間はセレブの雰囲気を楽しんでってーや。
 どうや? 悪くない話やろ?」
「一つだけ質問が」
「なんや?」
「なんで、わたしにそんな話を?」

 親志が頭を掻きつつ白状する。
「ま、正直に言うてまうわ。
 この『ボンボンバル』でも『ミスボンボンバルコンテスト』つうミスコンやるねん。これの参加も頼むわ。
 向こうの主催者の一人のラスカルゆうハゲオヤジに頼まれてんねん。『日本人の別嬪さんも連れてこい』てな。
 かと言うて、そこらへんのモデルさん雇うわけにもいかへんやん。余興のミスコンのためにプロのモデルさん雇うなんてひんしゅくモノやし、2週間近く拘束するギャラも出せへん。
 かと言って、素人さんにエントリーしてもらうにせよそれなりの肩書き持ったコやないとな。んで、『それなりの肩書き』持った可愛コちゃん探してたねん。なあ『2013ミス峰城大』さん」



<目次><前話><次話>

このページへのコメント

女性では冬馬曜子と和泉千晶、男性では早坂親志が使い勝手が良い人物かなと思います。
今回の様な曜子さんや千晶が関わりにくい話の時には新しい人物を登場させるより彼を出した方が良い意味でのサプライズも出て良いですね。
次回も楽しみにしています。

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Posted by tune 2015年01月20日(火) 17:45:40 返信

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