雪菜Trueアフター「月への恋」第七話「閉じた世界、開く世界」

5/16(日)夜、冬馬宅にて


「かずささん! 開けてください! …せめて何か食べてください…」
 これで丸3日、自室に籠もりきりのかずさの身を心配して美代子が扉を叩く。最早かずさが冬馬曜子オフィスの唯一の稼ぎ手なわけだが、来週末に公演を控えた彼女がこの状態。美代子の心中穏やかならざることいかばかりか、である。

 そこへ曜子が帰宅してきた。
「ふう…毎度の事ながらわが娘にも困ったものね…でも、今日は助っ人を連れてきたわよ…」

「こ、こんばんは…ははは…」
「…お邪魔します…」
「ばんわ〜っ」
「失礼します。お邪魔させていただきます」
 かずさの友人の武也、依緒、そして、彼らに首根っこを摘ままれるようにして現れたのは千晶。最後は板倉記者であった。

 あの劇の日の翌朝、レッスンに行こうとしないかずさに当惑する冬馬曜子オフィスに板倉記者から電話があった。
「お電話失礼します。東邦出版の板倉です。…ええ、その節はどうも
 …いえいえ…いえ、今回は取材ではなくて
 …はい、実は昨晩、かずささんと元御学友の方との間でトラブルがありまして
 …はい、私もその場にいたのですが、その後もかずささんのご様子が尋常ではなかったので、ご自宅まで送らせていただいたのですが
 …はい、その後問題ございませんでしたかと老婆心ながら
 …はい。はい?…はい、東邦出版の板倉と申しますが、
 …トラブルの内容につきましてはお電話では何かと伝えにく…え、冬馬曜子様!?
 はい!、はい、すぐタクシーでそちらに向かいます!」

 自室に籠城するかずさの元に、曜子、美代子、板倉の3人が到着したのが2時間後。以来、3日にかけて天の岩戸を開けるべく説得が続けられた。

「お〜いっ。お前のお母さんは泣いているぞ〜」
「………」

 全く効き目の無い曜子の説得に業を煮やした美代子は、かずさの友人達を頼ることにした。

 そして呼ばれたのが武也と依緒。春希と雪菜では却って刺激してしまうと恐れ、まだ知らせていない。

 また、主犯である千晶も来た。正確には武也と曜子が、プライバシー侵害、名誉毀損から楽曲「届かない恋」無断使用による訴訟までちらつかせ、劇の最終日が終わるやいなや連行してきたのだ。

 今回の説得の口火を切ったのは依緒であった。
「冬馬さん…食事くらい食べたら?」
「…いい。…食欲ない…」
 その後もかずさの身体を気遣う依緒だが、かずさには聞き入れられなかった。

 続いて武也が話しかける。
「…冬馬…春希が聞いたら心配するぞ…」
「っ!…おねがいだよぉ…やめてくれよぉ…こんな…こんな情けないわたしを春希に見せないでくれよぉ…」
 かずさの声が泣きそうなほど弱るのを聞き、これは逆効果と悟る武也。

 曜子は次の説得相手を見繕ったが…美代子も板倉記者も効果は望めない…と、なればこの千晶という、今回の件の主犯格と言える怪しい新人女優しかいない。

「…あなたが説得できなかったら、コンサート中止の賠償金を払って貰おうかな?」

 軽く脅しを入れる曜子に、千晶が口を開く。
「え〜。お言葉ですがお母さん」
「はい? 何よ?」
「今年頭の来日時に〜、春希を指名してかずさの密着取材仕向けた上に〜、春希の隣の部屋を押さえてかずささんに半同棲生活強要なんて、『それなんてコロンビーナ文庫?』なマネしちゃったお母さんにも、かずささんが失恋の傷こじらせた原因あるんじゃないかと」

「…っ!」
 曜子は毒づいた。痛い所を突かれたからではない。千晶は曜子と武也、依緒の切り崩しを図ったのだ。現に、武也は僅かながら、依緒は露骨に『そんな事していたのか』と疑念の視線を曜子に向けた。不利な状況に置かれながらも徐々にその場の主導権を掴む為の手を選ぶ。文字の意味以上に千晶は『役者』であった。

 曜子は眉をよせつつ、
「…うちの娘泣かせた分くらいは働きなさい」
 と、千晶に説得を促した。

「…ん」
 促されてドアの前に立つ千晶。しばし考え込むも、やがて何か諦めたように首を振り、たどだしく口を開いた。

「…あのさ、冬馬さん。あれからずっと考えてはみたんだけど…」
 ドアの向こうからは返事はない。しかし、千晶は構わず続ける。まるで自分自身にきかせるように。
「…結局、榛名が和希と結ばれて幸せになるエンディングは思い浮かばなかった…」

 『結ばれるエンディングも構想していたが、ボツしただけ』という嘘が至極簡単なのは百も承知であったが、千晶の脚本書きとしてのプライドがそれを許さなかった。
 ドアの向こうから僅かにため息が漏れたのが感じられた。
「榛名は…自分が傷つくことにも他人を傷つけることにも、ピアノを捨てることにも、三人の中で一番臆病で一番不器用で…人と交わることも一番苦手なキャラだから…わたしがそういうキャラに作ったから…和希と幸せに結ばれるように動いてくれないんだ」

 ドアの向こうから何も返らないが、千晶は滔々と語り続ける。
「…でもさ、榛名はエンディングがどうとか、そんなこと考えて生きちゃいないんだよ」
 もう、千晶はドアの向こうの反応を伺うのをやめていた。
「誰だってそうだろ? 和希だって雪音だってそうだ。いや、例え意地悪な神が後味最悪のエンディングをちらつかせても、やつらは恋も友情も音楽も、そうして支え傷つき傷つけあうことをやめない。幕が下りるまで、舞台の上で演じ続けるんだ」

 千晶の独白が続くが、曜子たちもそれを見守っている。
「エンディングが予想できる? だから脚本がつまらない、観たくないなんて言う観客は馬鹿だ。演じたくないなんていう役者がいたら大馬鹿だ。結果が、エンディングが劇なんじゃない。エンディングに向かうまでが劇なんだ」

 ここまで言った後、千晶は少し惨めそうな表情になった。
「榛名は孤独だけど、お前は孤独じゃないだろう? こんな、ちょっとしょげただけで、親友達5人駆けつけてくれるなんて、普通ないぞ? あたしが去年夏風邪こじらせて寝込んだ時なんて、3日目に親からようやくお見舞いメール一件『治った?』たった4文字だけだったんだぞぉ…」

 もはや、説得しているんだか自分がいじけているんだか千晶本人も解っていない。
「お前の来週のコンサートなんてなぁ、お前ひとりにS席5500円だぞ? わたしはビンボーだからC席2500円しか買えなかったんだぞ! ウチの劇団のチケットなんて、役者から裏方さんまで束になってかかってやっと一枚5000円なんだぞ! しかも、チケットタダであげたのに来てくれない奴もいるんだぞ!」
 もはや、ただの駄々っ子だ。

 ここまでで、ようやく千晶の愚痴が終わった。当然ながらというか、ドアは開かない。

 少し息を荒くしつつ、千晶は考えた。
『やっぱりこの手しかないか…』
 千晶は落ち着いて、心を研ぎ澄ました。
 イメージするのは春希。説得の成功率が一番高そうな人物だ。もちろん、リスクもある。第一、自分が演じているのはバレバレなのだから、すぐ反感を買うだろう。

 しかし、自分の才能にかけて失敗したくはない。自分の演技力を駆使して、一瞬だけでもかずさの心に春希を映してみせる。千晶はそう決意した。

 すうっ

 呼吸一つであたりの空気が舞台の上のそれとなり、緊張感が走る。曜子たちはただならぬ気配を感じつつも、気圧されて立ち尽くす。

『チャンスは一瞬。ひとセリフで決めてやる…』
 瀬之内晶の役者としての血が彼女の全身をめぐると、肩のつきや胸のはり、腰の伸び、そして目の輝きがまるで男性の、いや特定の男性の『型』を為しつつあった。

 曜子や武也たちが息を呑んで見守る中、瀬之内晶の最後の変化が始まる。
 わたしは、誰だ? …おれは…北村春希…かずさが泣いていたら…何が何でも…何を犠牲にしても助けたいと思うだろう… できるか? …やる。 おれは…

 しばらくの後、瀬之内晶の体に錬成された春希の魂が憑依する。そして、一瞬の魂の叫びを以てかずさを救うべく、ドアへ一歩踏み出した。

 春希を象られた口が言葉を発するために開かれる。その刹那だった。

 バタンっ、ごんっ!
「かづっ#@&!※@#!」
 勢い良く開けられたらドアに、千晶はしたたかに顔を打ち、言葉にならぬ悲鳴とともに尻餅をついた。

「…母さん、美代子さん、ごめんなさいっ!」
 籠城戦の集結を告げる謝罪の声の大きさに安堵の表情になる曜子や武也たち。

「…部長も依緒もありがとう。迷惑、かけたな…。この埋め合わせはきっとさせてもらうよ…」
「いやいや。いいって、いいって。いいってことよ〜へへへ」
「よかった、冬馬ぁ…」
「板倉さんもいろいろありがとうございます」
「い〜え〜。どう致しまして」
 と、ひととおり礼を言ってまわるかずさを、千晶は尻をついたまま鼻を押さえて涙目で恨みがましく睨みつける。

 そんな千晶にやっと気づいたように、かずさが声をかける。
「瀬能さん許してちょんまげ」
「…※@#※&!」
 痛みでまだ声が出ない千晶は、声にならない怒声と共に中指を立てた。

 かずさは礼を言い終わると、
「みんな悪いけど、すぐにカンを取り戻したいんだ。下のスタジオに行くから。あ、美代子さん、さっきのサンドイッチ持って来て」
 そう告げて慌ただしく階下に降りてしまった。美代子はかずさの回復ぶりに嬉々として後を追う。

「…っあぁ。あいたたた…もう、これ腫れちゃうよぉ…最終日の後でよかった…すいません、洗面所借ります…」
 ようやく声が出るようになった千晶が、立ち上がりよろよろと洗面所に向かった。

「ほんと、我が娘は…」
 残された曜子が詫びともつかない呟きをもらす。武也も呆れ顔で言う。
「完全復活…ですね」

 板倉と依緒も、かずさの回復を喜びつつ、何か釈然としない表情であった。
「あれは…瀬之内さんの説得が効を奏したのでしょうか?」
「…なんで? どこが?」

 翌日、レッスンに来たかずさのピアノを聞いた彼女の師、ベレンガリア・吉松は呆れたようにこう語った。
 なんで、レッスン休んでおいて完璧に仕上がってるの、と。


<目次><前話><次話>

コメントをかく


「http://」を含む投稿は禁止されています。

利用規約をご確認のうえご記入下さい

Menu

SSまとめ

フリーエリア

このwikiのRSSフィード:
This wiki's RSS Feed

どなたでも編集できます