最終更新: sharpbeard 2013年05月04日(土) 18:28:18履歴
6/27(金)「開桜グラフ」編集部
浜田さんがニコニコしながら話しかけて来たときから、新手の厄介な仕事の話だということは春希にはわかっていた。
「よう! 北原」
「何ですか? 浜田さん?」
「お前、冬馬かずさのチケット欲しがってただろ? 喜べ。こんなにまわってきたぞ」
そう言って浜田が見せたチケットは十数枚はある。春希はため息混じりに答えた。
「ツアー先での取材って、招聘した地元紙や企画広報から受けるもんじゃ…」
要するに、かずさの夏ツアーで特集記事を組むことになった。またもや担当春希の独占取材、ということだ。アンサンブルにも記事提供する。
「冬馬かずさのマスコミ嫌いは来日当初からよく知られているしな。ただ、最近は女性誌の取材を受けてたりと、だいぶ丸くなってはいるようだが」
「先々週のシャンディの記事ですね。鈴木さんから聞きました」
「ともあれ、あちらさんも記者の前で下手こいて評判に傷付く事態は避けたいんだろ」
春希は年始のかずさの報道を思い出した。来日当初マスコミを毛嫌いした彼女は「傲慢で冷淡な女性」として報道された苦い記憶がある。
「かの増刊号の大成功もあって、先方さんはお前を身内扱いだ。友人だろ?」
断る理由はない。春希は粛々と請けた。
「取材中の宿泊は経理調達だ。前にやった事はあるよな?」
「ええ。やり方は昨年末木崎さんから教わりました」
短期・突発的な取材なら出張費も領収書処理だが、海外や長期・計画的な取材なら経費節減のため総務の経理課を通しての調達になる。週刊のグラフでは領収書処理が一般的で、入社2年目の春希も経理課の利用経験は2、3回だけだった。
だから、ここに罠が仕込むことができようとは、この時点の春希は当然気づきようもなかった。
同日晩、春希のマンション
その日の晩、雪菜は春希からツアー独占取材の話を聞き、一人むくれた。
「ええ〜っ? ってことは、夏の間の週末、春希君かずさ尽くしじゃん。いいな〜。うらやましい〜」
かずさの夏ツアーは全国の政令指定都市を、県重複してる所を除き全て回る。それで十五ヶ所。さらに一ヶ所、福島でのチャリティコンサートを足して計十六ヶ所を回る。ほとんど土日開催なので春希の7〜8月の週末はほぼ完璧にコンサートの取材で潰れる事になる。
「ゴメン、雪菜…。でも、代わりに平日の休みは考慮して貰えるから…」
レコード会社の広報の雪菜も、春希に負けず劣らず土日勤務が多い。逆に春希と休みを合わせ易くなった訳でもある。
「ふふふ…。今年の夏はいっぱい春希君と一緒だね。でも、お仕事も頑張ってね。私たちのかずさなんだから」
「ああ。でも、今日仕事請けた時にすぐ電話したんだけど、あいつ、いまいちモチベーション低いみたいなんだよなぁ…」
特に、最初のツアー先である福島はチャリティコンサートということもあり、かずさは気乗りしない様子だった。春希はかずさとの電話の内容を雪菜にも話した。
『ああ、聞いてる。また独占取材だってな。頼むよ。雪菜にも宜しく言っておいてくれ』
『母さんが組んだとおりやるだけさ…最初はチャリティだし、慣らしにはいいか』
『母さんはチャリティでイメージアップ図るのも仕事のうちって言ってるけど、正直偽善だよな…まあ、叩かれない程度にやるさ』
そんなかずさの様子を伝えると、雪菜は不安そうな顔をした。
「むう…かずさの言うこともわかるけど…なんとかしてあげられないかなぁ?」
そう言って雪菜は少し考えると、電話を掛け始めた。
「誰に電話かけているんだ?」
「バンドの知り合い。知恵貸してくれるかも…あ、もしもし? やすこちゃん?」
雪菜は知り合いを通じて誰かに連絡しているようだった。
返答が返ってきたのは暫く後のことだった。
「…はい。もしもし。ナイツレコードの小木曽です。…はい。おりますが…ええ、でしたら替わります」
そう言うと、雪菜は携帯を春希に渡そうとした。春希は受け取る前に相手が誰か聞いた。
「だれ?」
「松川さんって人」
そう聞いても思い出せるようで思い出せない。春希はとりあえず電話をとることにした。
「はい。替わりました。開桜グラフの北原です」
「北原君。久しぶりだね。…ギターの腕は相変わらずのようだが」
声には聞き覚えあるものの、やはり思い出せない。
「? ええと、すいません松川さん。どちらでお目にかかりましたでしょうか?」
電話の向こうからため息がもれる。
「君はバンドに誘い損ねた尊大な男のことなど忘れてしまっただろうが、あいにく僕の方は大した腕もないくせに人をお遊びバンドに誘った無遠慮な男の事は忘れていない」
「あっ…君は…」
7/4(金)福島市内のレッスンスタジオ
レッスンスタジオで待っている春希のところにかずさがやってきた。
「遅いぞ、かずさ。20分の遅刻」
かずさは飄々と答える。
「ああ、生意気な記者とのインタビュー時間を40分削れば何も問題ない」
かずさはピアノに腰かけると、鍵盤を端から端までひと通り叩き、そばにいた長身の調律師に指でOKサインを作った。
「ところで、インタビューに人を交えるんだって? くだらんマスコミや口うるさい評論家じゃないだろうな」
そう問うかずさに春希は苦笑しながら答えた。
「ああ、マスコミや評論家じゃないよ」
そこにいきなり調律師が話に割り込んできた。
「だが、残念だな。口うるさい上にくだらん男だ」
「!?」
驚くかずさに春希が代わって答える。
「紹介する。松川さん。仙台市在住のピアノ調律師で…」
「いや…知ってる…」
かずさが遮り、聞き返した。
「付属の松川…か?」
長身の調律師は大きく頷いた。
かずさは微妙な表情を繕って言った。
「久しぶり…かな?」
かずさがギクシャクするのも無理はない。
峰城大付属高時代のかずさはクラスメイトとはほとんど話さず、3年進級時点で音楽科から普通科に転科した。
さすがに少人数の音楽科で同じピアノ専攻だったので、聞けば名前や顔は思い出せるが、親しく話したことなど一度もなかった。
「久しぶりだね。冬馬かずさ。改めて自己紹介しよう。調律師の松川博久だ。ここのピアノもそうだが、君が明日、明後日弾くピアノの修繕、調律もやらせてもらっている。…父と共にだがね」
「そうか、松川はお父さんの跡を継いだのか…」
やりにくそうな表情を隠せないままかずさが話をつなぐ。
「ああ、跡を継いだ。父も僕もお互い望んでなかった道ではあったがね」
「? それはどういう事だ?…あっ!」
かずさは聞いてから自分の失言に気づいた。
「父は息子を調律師にするために音大まで進学させたわけでなく、息子も父の夢見たピアニストの道を目指したが夢破れたわけだ。全く親不孝な息子さ」
「あ、いや…聞いてすまなかった」
「気にすることはない。よくある話だ。あと稼業上の事情もあった。
音大1年の時に父が患ってね。いつまでもうだつのあがらない息子を音大に行かせているわけにもいかなくなった」
「そ、そうか。大変だったな」
「すぐ調律師の勉強を始めて2年、ようやく調律師のヒヨッコになれたところで、君のトラスティコンクールでの活躍を聞いた。
嬉しかったよ。峰城付属のクラスメイトでピアノ専攻組の久々の明るい話題だったからね」
「え? それはどういう…」
かずさはまた不躾な事を聞きかけた。松川は構わず答える。
「クラスのピアノ専攻の6人のうち、僕は調律師に。竹井は一般大に進学。梅本と秋山は同じ短大の音楽科と幼児教育科で、どちらも幼稚園勤めに。
もうあの時点でピアニスト目指していた奴は君と夏川しかいなかったからな」
夏川は他の生徒と違い、不真面目な自分にも比較的優しく接してくれた女生徒だった。かずさの方から突き放してしまってはいたが…
「夏川さんか…あの子はピアノの腕もなかなか良かったしな。今もどこかで頑張ってるのかなぁ…」
「…まぁ、君は2年までしか見ていなかったから知らないか…」
「?」
「彼女、腱鞘炎持ちだったろ? 2年の時でもかなり酷かったぞ。君、『湿布クサいから寄んな』なんて言ってたじゃないか」
「う…。そうだったな…」
「音大の進学も周りの反対押し切って。
音大の4年も腱鞘炎との闘いだったらしいが、なんとか卒業はできた。
ただ、ピアニストの道は諦め、ピアノ教師の道に進んだ」
「そうだったのか…」
「と、いうわけで峰城付属のわれらがクラスでピアニストという道を歩いてるのはもはや君だけだ。大変だが頑張って欲しい」
「ああ、ありがとう」
「僕ができるのは、こうして君が弾くピアノを調律することだけだ」
「感謝するよ。松川も頑張ってくれ」
かずさが珍しく感謝の言葉を口にする。
話が一段落したところで、春希が松川に話を振る。
「松川さん。明日、かずさが弾くピアノについて教えていただけますか?」
「おいおい、そんなありきたりなお涙頂戴話を僕にさせようというのか?」
そう言って松川はかずさの方をちらと見るが、知らない様子に溜め息をつき、口を開いた。
「2年前、僕がそのピアノを初めて見たとき『ああ、これは酷いな』と思った。
波に浸かったのは脚だけだったが、飛沫であちこちの弦にサビがきていたし、鍵盤もいくつか取れていた。」
「え? ああ、そういうことか」
2年前、東北地方を襲った東日本大震災。その際被災したピアノは500台を超えると言われている。
「『このピアノもうダメかな?』って言ったらオヤジにぶん殴られたよ。『このピアノをここまで持ってきた人の気持ち考えろ』ってね。
まぁ、もっと酷い状態のピアノ…中に海水どころか砂まで入ったやつがたくさんあったし、そういったピアノの中にも修理されたやつがある。
よそで直されたやつだけど、紅白歌合戦で紹介、使用されたような被災ピアノもあるし、そっちは有名な話だな。
明日のピアノも部品の調達、修理で結構苦労したよ」
「そうか…」
「このピアノが修理受けている間にも何回か見に来た男の子がいたな。
被災3日前に中学生のピアノコンクールがあったがそこで優勝した子の彼氏だった子だった。かなり仲の良い子だったらしい」
「はは、わたしが中学生の頃はピアノばかりで彼氏なんていなかったよ。最近の子はマセてるなあ」
春希がちょっと眉をひそめる。松川も少し表情を固くし、メガネを少し上げつつ言った。
「彼氏『だった』子、と言ったが」
「? 振られたの?」
気づいていない様子のかずさに松川が言う。
「そのコンクールの晴れ舞台が、彼が彼女を見た最後だった」
「…っ!」
「やはり、付属の時から変わらず他人に興味ないようだね。君は」
少し呆れ口調の松川に、春希がフォローを入れる。
「あ、記事ではテキトーに編集するんで、もっとツっこんであげてください。松川さん」
「は、春希ぃ…」
かずさは情けない声をあげる。
松川はやりにくそうに続ける。
「まあ、僕なぞがいろいろ言うのはおこがましいな。僕はもうピアニストであることから脱落してしまった男だ。
人それぞれ事情はあるが、ピアニストになろうとしてなれなかった者は、みな舞台の上にいる者に期待している。
ピアノもそうだ。修理されて弾いてもらえるピアノは幸運で、ほとんどの被災ピアノは廃棄されてしまった…みなピアノどころではなかったからな」
「あ、ああ…」
かずさが恥いるように下を向く。
「市民会館も損傷と耐震性の問題で長らくコンサートはなかった。かずさのようなピアニストに復活を祝えてもらえて嬉しいよ」
松川は軽く笑顔を見せて言った。
「…ありがとう…あと、今思い出したけど、松川も今年始めのコンサート来ていたよな?」
「ああ、一番最初のな」
「そうか…」
全くデキの良くないコンサートだった。
「君はメンタルがピアノに出てしまうタイプだね。
しかし、僕を含めピアニストを目指していた皆も、僕が直したピアノも君の演奏を待ちわびている。明日はよろしくお願いするよ」
「わかった。ありがとう」
かずさの目はスタジオに入って来た時と違う輝きに満ちていた。
そこで春希は茶々を入れ、締めにかかる。
「『そのピアノに込められた思いを、そしてそのピアノをこの地で弾くことの意味を、冬馬かずさは改めて深く感じとった様子であった』っと。
ありがとう、松川さん。かずさ。いい記事になりそうだよ」
「おいおい、春希」
強引な締めに抗議じみた声を出すかずさに、春希は時計とスタジオのドアを指差す。
もう時間が少し過ぎている。かずさの師もドアの外で待っていた。
「お前もいい性格してるよなぁ、北原。ま、また何かあれば言ってくれ、僕で力になれるとは限らんがな」
そう言うと松川は仕事道具を持って出ていった。
「松川さん。またおねがいします」
「ああ、松川…またな」
「春希、お前はズルい奴だ」
かずさは恥ずかしそうに春希から目を逸らしつつ言った。
「わたしなんて相槌打たされていただけなのに。あんな対談をもとにお涙頂戴記事書かれたら恥ずかしくて演奏に手を抜くわけにいかないじゃないか」
いつもながら不器用な言葉で感謝の意を述べるかずさに春希は笑顔を見せる。
「というわけで練習だ。お前は邪魔…先生。お願いします」
気合いを入れ直した様子のかずさを見て、春希は満足げにホテルに戻った。
<目次>/<前話>/<次話>
浜田さんがニコニコしながら話しかけて来たときから、新手の厄介な仕事の話だということは春希にはわかっていた。
「よう! 北原」
「何ですか? 浜田さん?」
「お前、冬馬かずさのチケット欲しがってただろ? 喜べ。こんなにまわってきたぞ」
そう言って浜田が見せたチケットは十数枚はある。春希はため息混じりに答えた。
「ツアー先での取材って、招聘した地元紙や企画広報から受けるもんじゃ…」
要するに、かずさの夏ツアーで特集記事を組むことになった。またもや担当春希の独占取材、ということだ。アンサンブルにも記事提供する。
「冬馬かずさのマスコミ嫌いは来日当初からよく知られているしな。ただ、最近は女性誌の取材を受けてたりと、だいぶ丸くなってはいるようだが」
「先々週のシャンディの記事ですね。鈴木さんから聞きました」
「ともあれ、あちらさんも記者の前で下手こいて評判に傷付く事態は避けたいんだろ」
春希は年始のかずさの報道を思い出した。来日当初マスコミを毛嫌いした彼女は「傲慢で冷淡な女性」として報道された苦い記憶がある。
「かの増刊号の大成功もあって、先方さんはお前を身内扱いだ。友人だろ?」
断る理由はない。春希は粛々と請けた。
「取材中の宿泊は経理調達だ。前にやった事はあるよな?」
「ええ。やり方は昨年末木崎さんから教わりました」
短期・突発的な取材なら出張費も領収書処理だが、海外や長期・計画的な取材なら経費節減のため総務の経理課を通しての調達になる。週刊のグラフでは領収書処理が一般的で、入社2年目の春希も経理課の利用経験は2、3回だけだった。
だから、ここに罠が仕込むことができようとは、この時点の春希は当然気づきようもなかった。
同日晩、春希のマンション
その日の晩、雪菜は春希からツアー独占取材の話を聞き、一人むくれた。
「ええ〜っ? ってことは、夏の間の週末、春希君かずさ尽くしじゃん。いいな〜。うらやましい〜」
かずさの夏ツアーは全国の政令指定都市を、県重複してる所を除き全て回る。それで十五ヶ所。さらに一ヶ所、福島でのチャリティコンサートを足して計十六ヶ所を回る。ほとんど土日開催なので春希の7〜8月の週末はほぼ完璧にコンサートの取材で潰れる事になる。
「ゴメン、雪菜…。でも、代わりに平日の休みは考慮して貰えるから…」
レコード会社の広報の雪菜も、春希に負けず劣らず土日勤務が多い。逆に春希と休みを合わせ易くなった訳でもある。
「ふふふ…。今年の夏はいっぱい春希君と一緒だね。でも、お仕事も頑張ってね。私たちのかずさなんだから」
「ああ。でも、今日仕事請けた時にすぐ電話したんだけど、あいつ、いまいちモチベーション低いみたいなんだよなぁ…」
特に、最初のツアー先である福島はチャリティコンサートということもあり、かずさは気乗りしない様子だった。春希はかずさとの電話の内容を雪菜にも話した。
『ああ、聞いてる。また独占取材だってな。頼むよ。雪菜にも宜しく言っておいてくれ』
『母さんが組んだとおりやるだけさ…最初はチャリティだし、慣らしにはいいか』
『母さんはチャリティでイメージアップ図るのも仕事のうちって言ってるけど、正直偽善だよな…まあ、叩かれない程度にやるさ』
そんなかずさの様子を伝えると、雪菜は不安そうな顔をした。
「むう…かずさの言うこともわかるけど…なんとかしてあげられないかなぁ?」
そう言って雪菜は少し考えると、電話を掛け始めた。
「誰に電話かけているんだ?」
「バンドの知り合い。知恵貸してくれるかも…あ、もしもし? やすこちゃん?」
雪菜は知り合いを通じて誰かに連絡しているようだった。
返答が返ってきたのは暫く後のことだった。
「…はい。もしもし。ナイツレコードの小木曽です。…はい。おりますが…ええ、でしたら替わります」
そう言うと、雪菜は携帯を春希に渡そうとした。春希は受け取る前に相手が誰か聞いた。
「だれ?」
「松川さんって人」
そう聞いても思い出せるようで思い出せない。春希はとりあえず電話をとることにした。
「はい。替わりました。開桜グラフの北原です」
「北原君。久しぶりだね。…ギターの腕は相変わらずのようだが」
声には聞き覚えあるものの、やはり思い出せない。
「? ええと、すいません松川さん。どちらでお目にかかりましたでしょうか?」
電話の向こうからため息がもれる。
「君はバンドに誘い損ねた尊大な男のことなど忘れてしまっただろうが、あいにく僕の方は大した腕もないくせに人をお遊びバンドに誘った無遠慮な男の事は忘れていない」
「あっ…君は…」
7/4(金)福島市内のレッスンスタジオ
レッスンスタジオで待っている春希のところにかずさがやってきた。
「遅いぞ、かずさ。20分の遅刻」
かずさは飄々と答える。
「ああ、生意気な記者とのインタビュー時間を40分削れば何も問題ない」
かずさはピアノに腰かけると、鍵盤を端から端までひと通り叩き、そばにいた長身の調律師に指でOKサインを作った。
「ところで、インタビューに人を交えるんだって? くだらんマスコミや口うるさい評論家じゃないだろうな」
そう問うかずさに春希は苦笑しながら答えた。
「ああ、マスコミや評論家じゃないよ」
そこにいきなり調律師が話に割り込んできた。
「だが、残念だな。口うるさい上にくだらん男だ」
「!?」
驚くかずさに春希が代わって答える。
「紹介する。松川さん。仙台市在住のピアノ調律師で…」
「いや…知ってる…」
かずさが遮り、聞き返した。
「付属の松川…か?」
長身の調律師は大きく頷いた。
かずさは微妙な表情を繕って言った。
「久しぶり…かな?」
かずさがギクシャクするのも無理はない。
峰城大付属高時代のかずさはクラスメイトとはほとんど話さず、3年進級時点で音楽科から普通科に転科した。
さすがに少人数の音楽科で同じピアノ専攻だったので、聞けば名前や顔は思い出せるが、親しく話したことなど一度もなかった。
「久しぶりだね。冬馬かずさ。改めて自己紹介しよう。調律師の松川博久だ。ここのピアノもそうだが、君が明日、明後日弾くピアノの修繕、調律もやらせてもらっている。…父と共にだがね」
「そうか、松川はお父さんの跡を継いだのか…」
やりにくそうな表情を隠せないままかずさが話をつなぐ。
「ああ、跡を継いだ。父も僕もお互い望んでなかった道ではあったがね」
「? それはどういう事だ?…あっ!」
かずさは聞いてから自分の失言に気づいた。
「父は息子を調律師にするために音大まで進学させたわけでなく、息子も父の夢見たピアニストの道を目指したが夢破れたわけだ。全く親不孝な息子さ」
「あ、いや…聞いてすまなかった」
「気にすることはない。よくある話だ。あと稼業上の事情もあった。
音大1年の時に父が患ってね。いつまでもうだつのあがらない息子を音大に行かせているわけにもいかなくなった」
「そ、そうか。大変だったな」
「すぐ調律師の勉強を始めて2年、ようやく調律師のヒヨッコになれたところで、君のトラスティコンクールでの活躍を聞いた。
嬉しかったよ。峰城付属のクラスメイトでピアノ専攻組の久々の明るい話題だったからね」
「え? それはどういう…」
かずさはまた不躾な事を聞きかけた。松川は構わず答える。
「クラスのピアノ専攻の6人のうち、僕は調律師に。竹井は一般大に進学。梅本と秋山は同じ短大の音楽科と幼児教育科で、どちらも幼稚園勤めに。
もうあの時点でピアニスト目指していた奴は君と夏川しかいなかったからな」
夏川は他の生徒と違い、不真面目な自分にも比較的優しく接してくれた女生徒だった。かずさの方から突き放してしまってはいたが…
「夏川さんか…あの子はピアノの腕もなかなか良かったしな。今もどこかで頑張ってるのかなぁ…」
「…まぁ、君は2年までしか見ていなかったから知らないか…」
「?」
「彼女、腱鞘炎持ちだったろ? 2年の時でもかなり酷かったぞ。君、『湿布クサいから寄んな』なんて言ってたじゃないか」
「う…。そうだったな…」
「音大の進学も周りの反対押し切って。
音大の4年も腱鞘炎との闘いだったらしいが、なんとか卒業はできた。
ただ、ピアニストの道は諦め、ピアノ教師の道に進んだ」
「そうだったのか…」
「と、いうわけで峰城付属のわれらがクラスでピアニストという道を歩いてるのはもはや君だけだ。大変だが頑張って欲しい」
「ああ、ありがとう」
「僕ができるのは、こうして君が弾くピアノを調律することだけだ」
「感謝するよ。松川も頑張ってくれ」
かずさが珍しく感謝の言葉を口にする。
話が一段落したところで、春希が松川に話を振る。
「松川さん。明日、かずさが弾くピアノについて教えていただけますか?」
「おいおい、そんなありきたりなお涙頂戴話を僕にさせようというのか?」
そう言って松川はかずさの方をちらと見るが、知らない様子に溜め息をつき、口を開いた。
「2年前、僕がそのピアノを初めて見たとき『ああ、これは酷いな』と思った。
波に浸かったのは脚だけだったが、飛沫であちこちの弦にサビがきていたし、鍵盤もいくつか取れていた。」
「え? ああ、そういうことか」
2年前、東北地方を襲った東日本大震災。その際被災したピアノは500台を超えると言われている。
「『このピアノもうダメかな?』って言ったらオヤジにぶん殴られたよ。『このピアノをここまで持ってきた人の気持ち考えろ』ってね。
まぁ、もっと酷い状態のピアノ…中に海水どころか砂まで入ったやつがたくさんあったし、そういったピアノの中にも修理されたやつがある。
よそで直されたやつだけど、紅白歌合戦で紹介、使用されたような被災ピアノもあるし、そっちは有名な話だな。
明日のピアノも部品の調達、修理で結構苦労したよ」
「そうか…」
「このピアノが修理受けている間にも何回か見に来た男の子がいたな。
被災3日前に中学生のピアノコンクールがあったがそこで優勝した子の彼氏だった子だった。かなり仲の良い子だったらしい」
「はは、わたしが中学生の頃はピアノばかりで彼氏なんていなかったよ。最近の子はマセてるなあ」
春希がちょっと眉をひそめる。松川も少し表情を固くし、メガネを少し上げつつ言った。
「彼氏『だった』子、と言ったが」
「? 振られたの?」
気づいていない様子のかずさに松川が言う。
「そのコンクールの晴れ舞台が、彼が彼女を見た最後だった」
「…っ!」
「やはり、付属の時から変わらず他人に興味ないようだね。君は」
少し呆れ口調の松川に、春希がフォローを入れる。
「あ、記事ではテキトーに編集するんで、もっとツっこんであげてください。松川さん」
「は、春希ぃ…」
かずさは情けない声をあげる。
松川はやりにくそうに続ける。
「まあ、僕なぞがいろいろ言うのはおこがましいな。僕はもうピアニストであることから脱落してしまった男だ。
人それぞれ事情はあるが、ピアニストになろうとしてなれなかった者は、みな舞台の上にいる者に期待している。
ピアノもそうだ。修理されて弾いてもらえるピアノは幸運で、ほとんどの被災ピアノは廃棄されてしまった…みなピアノどころではなかったからな」
「あ、ああ…」
かずさが恥いるように下を向く。
「市民会館も損傷と耐震性の問題で長らくコンサートはなかった。かずさのようなピアニストに復活を祝えてもらえて嬉しいよ」
松川は軽く笑顔を見せて言った。
「…ありがとう…あと、今思い出したけど、松川も今年始めのコンサート来ていたよな?」
「ああ、一番最初のな」
「そうか…」
全くデキの良くないコンサートだった。
「君はメンタルがピアノに出てしまうタイプだね。
しかし、僕を含めピアニストを目指していた皆も、僕が直したピアノも君の演奏を待ちわびている。明日はよろしくお願いするよ」
「わかった。ありがとう」
かずさの目はスタジオに入って来た時と違う輝きに満ちていた。
そこで春希は茶々を入れ、締めにかかる。
「『そのピアノに込められた思いを、そしてそのピアノをこの地で弾くことの意味を、冬馬かずさは改めて深く感じとった様子であった』っと。
ありがとう、松川さん。かずさ。いい記事になりそうだよ」
「おいおい、春希」
強引な締めに抗議じみた声を出すかずさに、春希は時計とスタジオのドアを指差す。
もう時間が少し過ぎている。かずさの師もドアの外で待っていた。
「お前もいい性格してるよなぁ、北原。ま、また何かあれば言ってくれ、僕で力になれるとは限らんがな」
そう言うと松川は仕事道具を持って出ていった。
「松川さん。またおねがいします」
「ああ、松川…またな」
「春希、お前はズルい奴だ」
かずさは恥ずかしそうに春希から目を逸らしつつ言った。
「わたしなんて相槌打たされていただけなのに。あんな対談をもとにお涙頂戴記事書かれたら恥ずかしくて演奏に手を抜くわけにいかないじゃないか」
いつもながら不器用な言葉で感謝の意を述べるかずさに春希は笑顔を見せる。
「というわけで練習だ。お前は邪魔…先生。お願いします」
気合いを入れ直した様子のかずさを見て、春希は満足げにホテルに戻った。
<目次>/<前話>/<次話>
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