雪菜Trueアフター「月への恋」第二十八話「夏と海とバンドと(1)」

8/4(月)


 雪菜と春希とかずさ、依緒と武也、小春に美穂子に亜子、早百合、孝宏の『だれとく』5名、そして千晶の総勢11名の旅行の日となった。
 東京から向かうのはかずさと春希を除いた9名。かずさと春希は前日コンサートのあった名古屋から列車で向かう。
 依緒の所属するネレウス社の保養所へは東京から車で約2時間。9人は車3台に分乗して一同は向かう。早百合だけ少し手前で降りて借りたビッグボート『ムタラース号』を保養所のあるビーチに航行する。
 保養所があるのは西伊豆の小さな穴場的ビーチのそばだ。ビーチに人が少ないのは、ビーチ自体が小さい上にやや入り江状になっていて景観で劣るからだろう。
 保養所もビーチ直結でないし景色も開けていない。しかしそれに目をつぶれば温泉もある小綺麗で悪くはない宿だった。

 無事到着し、保養所を見た千晶が言った。
「おお〜う。なかなかいいねえ。櫻田武春の歌姫奥様弁護人シリーズに出てきそうだ」
「…それって毎回温泉宿が舞台の連続殺人事件ドラマじゃ…」
「まあ11人もいるし、1人が先妻の幽霊でもおかしくないでしょ」
「どういう思考過程かわからないけど、おかしいから」
 のっけから不吉な事を言う千晶に不安を隠せない依緒であった。

「よっし。じゃ、楽器卸します。スタジオどこですか?」
「ミーティングルームなんだけどね。別棟だよ。案内するね」
 依緒が『だれとく』の皆を案内しているうちに、武也と千晶は最寄りの駅に到着予定の春希とかずさを迎えに出発した。




 『だれとく』の方は楽器を卸したら、次は夕食の船上バーベキューの食材の入ったクーラーボックスを抱えてビーチ脇の船着き場に向かい、早百合の船『ムタラース号』を待つ。

 間もなく、沖合より早百合のボートが入港してきた。
「うあ。でかいな」
「ほんと、すごいよ。早百合!」
 みな、実物を見るのは初めてだった。全長約15mの大きな船体の船央部分には2階建てのフライングブリッジがそびえ立っており、上は操舵席、下は客室のようだ。さらに船内に寝室や船長室もあると聞いている。そんな特大トラック並みの乗り物を早百合が女手一人で操船しているのだから驚かずにはいられない。
 近づくと操舵席に早百合が見えた。ふざけて敬礼のしぐさをする早百合に、『だれとく』一同は『気をつけ』をかけられたように姿勢を正し、水兵のように敬礼を返す。

「そこの桟橋の一番端に泊められるようになってるから〜。クリート止め。わかってるよね〜?」
「わかってる!」
 早百合船長の指示に従い、停泊位置についた孝宏に船からロープが投げられる。ロープワークを教わっていた孝宏がロープを桟橋の金具に結んで船を係留する。
 船がしっかり係留されると早百合が降りてきてロープの結び目を確認した。
「オッケー」
 ぱしっ
 早百合と孝宏が手を打って『ムタラース号』の係留は完了した。早速一同がクーラーボックスを担いで乗り込む。
「ね、早百合。これ、どこ置いとけばいい?」
「取りあえずサルーンの日のあたらないとこに置いといて」

「ねえ。下降りてみていい?」
「いいよ」
 小春と美穂子ははしゃぎまわって船内を探検する。
「すごい! ホテルじゃん! これ! ベッド広い!」
「トイレ2つもあるじゃん!」
「停泊中は使わないでね」
 亜子は操舵席の早百合にジュースを差し出した。
「はい、船長。航海お疲れ様」
「ありがと。………んくっ。…ぷはぁ〜」
 早百合は一気にジュースを飲み干した。早百合もこれほど大きい船を操船するのは初めてで、結構ここまで緊張したのだ。
 その苦労も、喜んではしゃぎ回る小春たちの姿やその尊敬の眼差しで報われた気分であった。




 『だれとく』が食材の船への積み込みを終え、保養所に戻った時、ちょうどかずさたちを迎えに行った組が帰ってきた。

「あ、飯塚さん。お疲れ様です」
「わあ。かずささん。はじめまして!」
「すご〜い。テレビで見るよりずっとおキレイですね!」
「あ、ああ。ありがと」
 かずさはたちまち『だれとく』一同の歓待を受ける。

「はいはい、かずさも疲れてるから早く案内してあげて」
「はーい!」
 春希の促しに応じ館内へ案内をする『だれとく』一同。しかし、質問は止まない。
「付属祭の時のDVD見ました。あと、『アンサンブル』特集号付属の『ホワイトアルバム』も。かすささんはポップもたしなまれるんですか?」
「あれ歌ってるのは雪菜さんですよね。今でも仲よろしいんですね」
「かずささん。高校の時はミス付属とか出なかったんですか?」
 代わりに春希が質問を受ける。
「かずさは何でもできるんだよ。雪菜とも親しいよ」
「ミスにはエントリーしてないよ。でも、付属祭でおれたちとステージに上がったときは結構票が入ったよ。普段おとなしかったからみんなかずさの事知らなかっただけさ」

『北原さん。冬馬さんのナイト気取りだな。…ここはひとつ…』
 そんな中、孝宏は春希の反応を伺いつつ、冗談めかして言った。
「そうなんだよね。北原さんも面食いだから最初は隣の席の冬馬さんの方が好きだったんだけど…」
「え、ええっ! た、孝宏君!? ちょ!?」
「…っ!」
 孝宏は春希の反応から『やはり北原さんは冬馬さんにまだ気があるな』と読みとり、『姉さんがいながら…なんて奴』などと思っていたが、そんな春希の反応に気を取られ、かずさの方には全く目がいってなかった。

「北原さん、冬馬さんに全然相手にされなかったから、仕方なくうちの姉ちゃんに…」
 冗談めかしてしゃべり続けていた孝宏はここでようやくかずさの異変に気がついた。
「…!? …冬馬…さん?」
 かずさは鬼のような目をしていた。
 春希と武也の顔に緊張が走った。

 孝宏は自分の勘違いを悟った。
 『5年も日本を離れており、今やちょっとした有名人の冬馬さんに対して、北原さんがまだ気があるとしたら、それは北原さんの片思いでしかありえない』と決めつけていた。
 なんてことだ。しまった。北原さんに探り入れるだけのはずが、冬馬さんの古傷をえぐってしまったのか?
 孝宏が気づいた時にはかずさの手が孝宏の襟首にのびていた。

 たしかに、わたしは春希に思いを伝えなかった。だから、春希はもう雪菜のものだ。しかし、雪菜の弟にまでそのことを言われる筋合いはない!
 かずさは孝宏の襟首をつかんで、怒りにまかせ拳をふりかざした。

 しかし、その拳が振り下ろされる前に、千晶の指がかずさのわき腹を捉えた。

 こちょこちょ
「きゃふんっ!」
 たまらず、かずさは孝宏から手を離す。

 千晶がかずさを孝宏から離すと、すかさず春希と小春が2人の間に割り込んだ。
「か、かずさ…」
「かずささん。す、すいません失礼な事…」

 千晶はかずさの前に回ると、けらけらと笑いつつ孝宏に話しかけた。
「ダメだよ。弟クン。このプレイボーイに引っかかってたコトはかずさにとって黒歴史なんだから」
「なっ?」
 プレイボーイ呼ばわりされて今度は春希がたじろぐ。

 済まないね。春希。この場を収めるためにアンタ泥かぶってよ。
 千晶はそうつぶやくと諭すように言った。
「春希も君の姉さんに更正される前は結構ヒドい男だったんだよ。でも、もう反省しているし、許してあげてよ」
「い、和泉、なにを?」
 春希の抗議じみた声を千晶は封殺する。
「実家がすぐ近くなのに小綺麗なマンション借りて一人暮らしなんかして。部屋に同じゼミの女の子泊めたのも一度や二度じゃないよね〜? あと、付属の女の子との間でトラブル起こして校門で待ち伏せされてたこともあったよねぇ…」
「………」

『同じゼミのって、お前のレポート手伝ってやったんじゃないか…』
 春希は一瞬きちんと反論するべきか悩んだが、千晶の流麗な口上回しに割り込めず黙りこくった。
「まあ、昔の話だから。今は君の姉さん一筋でいってるみたいだし、過去のことは水に流してあげなさい」
「あ、はい…」
 孝宏は誤解し、春希に冷淡な目を向けたまま『北原さんの過去を探るのはもうやめておこう』と心に誓った。

 この段階でも、小春の視線だけは千晶を睨みつけていた。一度こっぴどく騙されている上、『校門で待ち伏せした付属生』はどう考えても自分のことだ。
 その視線から逃げるように、千晶は小春の後ろに回りこみつつ孝宏に警告した。
「孝宏君が気をつけなければいけなきゃいけないのは…」
 千晶はそう言いつつ、スキを見て春希の手首を取ると、掌を小春のヒップに押し当てた。
「ひゃうっ!」
「うわっ! 和泉何を…」

「そう。気をつけるべきは、独身最後の夏のアバンチュールを欲する春希の毒牙から『だれとく』の少女たちを守ること。了解? …て、すでに何かあった子もいたような…とにかく気をつけてあげて。わかった〜?」
「りょ、了解…」
 
「ちょっと、孝宏くん! 誤解…」
 言いかける春希は自分に向けられている視線が異様に冷たいのを感じた。
 無理もない。『だれとく』の女性4名のうち1〜2名が既に春希の毒牙にかかっていたというのが『だれとく』各人の認識であったところに『かずさに手を出した疑惑』『ゼミの女の子泊めた疑惑』―――当の千晶のレポートを手伝ってやっただけだというのに―――などなどがまぶされたのである。

 嘘は言ってない。しかし、一人暮らしの理由等、千晶は自分の知る情報を隠してひとつながりの醜聞を仕立て上げた。
 さながら少ない材料で見事なデザートを作るパティシエのような、少ない持ちネタを活用した千晶の口八丁で春希はたちまち疑惑まみれの男にデコレーションされてしまった。
 先ほどのかずさの醜態は孝宏以外の頭から流され、当のかずさすら呆れ顔で春希を見ている。

 孝宏は途方に暮れる春希をよそに、かずさに向かって深々と頭を下げた。
「冗談とはいえ、大変失礼なこと申し上げてすいませんでした!」
 孝宏の深い謝罪にかずさは慌てて手のひらを見せて言った。
「いや、わたしも頭に血がのぼって悪かった。気にするな」
 小春は孝宏のフォローに入る。
「すいません。うちの者が失礼を…すぐ、お部屋に案内しますね。あ、荷物持ちますよ」
 そういうと『だれとく』一同はいそいそとかずさを連れて部屋に向かってしまった。

「………」
 抗弁できず立ち尽くす春希は、エレベーターの前で早百合が振り返ってこちらをにらんだのを見た。
 害虫を見る目だった。

 武也は肩を落とす春希に言った。
「まあ、男には女に理解してもらえない過去の一つや二つや3つ4つあるものさ」
「…俺は今ほどお前に同情されて悲しかったことはない」
 そんな春希の落ち込みようを見て、千晶が慰めるふりをする。
「まあまあ、向こうは今をときめくセレブ。春希は雪菜とアツアツの一般人。もとから扱いが違うのは仕方ないよ。っと、春希の荷物は私が持つね」
 そう言って千晶は図々しく土産の袋を手にする。
「って、これ猫柳総本家の冷やしういろうじゃん! ラッキー。
 知ってる? ういろうは滑舌の薬だから役者の必需品なんだ♪」
「…和泉にやるういろうはない…」
「なんで〜。けち〜」
 これ以上舌が回ってどうするんだ…
 全く悪びれた様子のない千晶を見て、春希は大きくため息をついた。



各部屋にて


 春希と武也が相談して決めた部屋割りは次のとおりだった。
 一番上等の部屋はかずさと千晶の部屋
 流しがある多人数向けの和洋室が『だれとく』女性陣4人
 雪菜、依緒の女2人の洋室
 春希、武也、孝宏の男3人の和室
 あと、これとは別に『だれとく』の練習のためにミーティングルームをおさえ、楽器を入れてある。

 かずさが荷物を解いていると、千晶が部屋に戻ってきた。
「ははは。かずさ、大丈夫?」
「大丈夫って、何が?」
「何がって、さっきの雪菜の弟だよ。あれは完全に知らずに言ってるんだから流してあげないと。楽しい旅行がだいなしだよ?」
 春希の評判をだいなしにしておいて千晶は言った。
「いや、大人げ無かった。反省している」
「まして、ピアニストなんだから手を大切にしないと。平手はまだしもかずさのパワーで拳で殴ったら手の骨折れるかもだよ」
「ああ…すまない。ありがとう」
「まあ、でも、お姉さん思いのかわいい弟だよね」
「お姉さん思い?」
 『春希はかずさに相手されなかったから姉と一緒になった』なんて言う弟のどこが姉思いなのか? 首をかしげるかずさに千晶は答えた。
「あの弟クン。最初から春希の浮気症を疑ってたよ。春希の顔チラ見しながらあの冗談発言で探り入れてるんだもの」
「…よくそこまで気づくな」
 かずさは少し空恐ろしいものを感じた。
「まあ、あそこまであからさまにしとけば、注意は春希の方にだけ向いてくれるでしょ。あ、それはそれでやりにくかった?」
「…何が?」
「まだ独身の春希の誘惑」
「…っ。何をっ!」
 さらりとたれ流された大問題発言にかずさは言葉を詰まらせるが、千晶は気にせずかずさの荷物に手を伸ばす。
「わ、なにこの凶悪ハイレグな水着! 男どもが前かがみになることうけあいだよ! 雪菜もこれ見ただけで怒るよ。
 凶器です。有罪です。被告の殺意は明確で〜す!」
「そ、それは母さんが…」
「わ、こっちはコ○○○ム?」
「ひっ!? 母さんそんなものまで!? 必要ないじゃ…いや、そう言う意味じゃなくて!」
「こっちは携帯ビニールシートと。あのねぇ、ちょっと歩けば人の来ない磯があるから…」
「ただの敷物にまで悪質な勘ぐりをするのはやめろ!」
 かずさは抗議の声を荒げた。




 かずさを部屋に案内し終えるやいなや、早百合は怒った声をあげた。
「何、あの北原って男! あんな人だとは思わなかった」
 そこに小春はフォローを入れ、美穂子が相槌を入れる。
「ま、まあ。あの和泉さんってヒトの話は話半分に聞いておいたほうがいいよ」
「そ、そうよね」
 そこで、孝宏が申し訳なさそうに謝る。
「悪い…杉浦も矢田も冬馬さんに会えるの楽しみにしてたのに、いきなり向こうの機嫌損ねちゃって…」
「いやいや、仕方ないよ。きっとすぐ機嫌直してくれるよ」
 小春はそう言って孝宏を慰める。かずさのことを小春は知っていたが、孝宏には黙っていたのだし、姉が結婚する孝宏に比べれば自分の方が部外者同然だ。かずさの過去に不用意に触れてしまった孝宏を責められない。

 なおも表情の暗い孝宏に、小春はからかい半分にハッパをかけた。
「ほらほら、気を落とさない。仏頂面で仕事すると料理が不味くなる、って店でも言ってるでしょ。何のためにあんた連れてきたと思ってるの。夕食は小木曽頼りなんだから」
「へいへい、どうも」
 孝宏はやや表情を取り戻して部屋に戻っていった。




 孝宏が部屋に戻ると、雪菜と依緒が、春希と武也の荷解きをそれぞれ手伝っているところだった。
「あ、孝宏。かずさの方は案内済んだ?」
「あ…うん…」
「? どうしたの? なにかあった?」
「………」
 孝宏の様子がおかしいことに気付いた雪菜は心配して問いただしたが、孝宏は答えない。
 そこで武也が事情をぼかしつつ答えた。
「…まあ、ちょっとした失敗があったが、聞いてあげない方がいい」
「? わかった…」
 雪菜は孝宏の側によると、表情をまじまじと見つめ…

 ぴしゃん

 いきなり平手打ちを一発入れた。
「!」
 これには雪菜以外の全員が驚いた。
「な、なんで?」
 春希が理由を問うと、雪菜は
「ん〜。ぶって欲しそうだったからかな?」
 と、自分でも不思議そうな表情で言った。

 ぶたれた孝宏は、
「いろいろ悪かった。ゴメン、姉ちゃん」
 と謝り、雪菜は弟を許す姉の顔で答える。
「うん、聞かない。許す」

「北原さんも悪かった。じゃ、おれ、ロビーで待ってるから」
 孝宏はケロリとして、自分のバッグを持って出てってしまった。
「………」
 事情も語られずに終了した姉弟のやりとりに春希はぽかんとした顔になる。なのに、雪菜は涼しい顔だ。
 お互い通じ合っている姉弟というのはこういうものか…春希は若干うらやましいものを感じた。

「どうしたの、春希くん? わたしの顔に何かついてる?」
 言われて春希はハッとした。いつの間にか雪菜の顔を凝視していた。
「い、いや、何も」
 春希は顔を赤らめ、目をそらす。そこに武也が茶々を入れる。
「春希もぶって欲しいってさ」
「ばっ…バカ! 何を…」
 慌てる春希に雪菜と依緒はクスクス笑いをこらえる。

 春希は、自分はそんなうらやましそうな顔をしていたのかと恥いるとともに、「いつか自分も雪菜にそこまで読みとられるようになるのか?」と、少しの恐怖と期待を同時に感じていた。



<目次><前話><次話>

コメントをかく


「http://」を含む投稿は禁止されています。

利用規約をご確認のうえご記入下さい

Menu

SSまとめ

フリーエリア

このwikiのRSSフィード:
This wiki's RSS Feed

どなたでも編集できます