雪菜Trueアフター「月への恋」第六話「閉幕と慟哭と」

5/16(日)『シアターモーラス』控え室、『届かない恋』公演最終日カーテンコール後
 先輩を前に、千晶はどう声をかけたものかと思案していた。

 脚本家、澤倉美咲。劇団「コーネックス二百三十度」所属の脚本家である。

 舞台の下では目立たない裏方の一人であるが、その入念な取材を下敷きとした脚本の重厚さ、構成力、それでいてその大胆な発想からくるストーリー展開はいつも目を見張るものがある。
 高校の学園祭の時の舞台「雨月山の鬼」もこの先輩の脚本を原作にしたものだ。

 千晶がこの劇団に入団したのも彼女がいるからである、と言って過言でない。
 彼女は千晶にとって尊敬する目標であり、越えるべき壁であった。

 後ろでもじもじしている後輩に声をかけたのは美咲の方からだった。

「脚本の直し、良かったわよ。平手打ち対決のシーンも金曜日からぐっと良くなってた」
「は、はい!」

 先輩から誉められて千晶は顔を明るくする。
 彼女の言う「脚本の直し」とは、今公演『届かない恋』最終日間際にラストシーンに入れた修正である。

 大きな修正ではないが、重大な修正だった。ラストシーン、幕が閉じる直前に機上の榛名の慟哭の声を入れる、それだけだった。
 自ら身を引いた榛名の未練を露わにし、後味を一気に悪くするこの修正を劇団は快諾してくれたが…この先輩にどう評価されたかまでは不安だった。

「榛名の慕情の生々しさが出てる。前のはきれいすぎ。あれでいい」
「あ、ありがとうございます!」

 千晶はほっと息をついた。
 自分のような新人の脚本が公演されるに至ったのは、実力というより「劇団に試されている」面が大きい。
 特にこの先輩の評価は怖かった。
 一人二役でやっていた大学時代の脚本を磨きなおしてはみたものの…
 あまり直接モデルに会っていない「冬木榛名」の人物描写はまだ改善の余地があるものだった。

 そんな折に目の前にひょっこり現れてしまったかずさも不運だったのだろうが…
 千晶が強引にかずさを『観察』しにかかったのはそういうわけでもあった。

「でも、最初から思いつかないあたり、あなたやっぱり『まだ』ね」
「…*※#!」
 自身のプライベートな極秘事項を言い当てられ、慌て驚く千晶。
「カラダ捧げたオトコから簡単に身を引けるなら苦労しないってこと。あんたも早く経験しときなさい」
「あはは…」
 先輩の生々しい指導に苦笑する千晶だった。言われて思い浮かべてしまうのは特定の男性。

 千晶は慌ててそのイメージを振り払って、本来伝えるべき話に戻ろうとする。
「…あの、先輩、実は今日の打ち上げちょっと…怖いヒトに呼ばれちゃって…」
「原因は冬馬かずさ?」
「!」
 またもや言い当てられ、驚く千晶に美咲は言う。
「そりゃわかるわよ。前列の方に一幕目なのに顔強ばらせた美人がいればね。あなたが呼んだんでしょ。自分の芸の肥やしに」
「は、はい」
 たじろいで答える千晶

 2年前の春希や雪菜の時のように十分に作戦を練ることなく、強引にかずさをひっかきまわしたツケは最終日の後に回ってきた。
 あの日以来―今日で3日目になる―かずさは部屋に籠って食事もとっていないらしい。
 そして、かずさを心配する周りの人間―母親である曜子や友人たち―により、千晶はひっ立てられる羽目になってしまったのだ。

「まあ、脚本の直しに貢献してくれたからいいか…って言えるのは、劇団に迷惑かけないようにしてからね」
「は、はい。そういうわけで今日は失礼します…新人の分際ですいません…」
「ちゃんとみんなもフォローするから、心配しなくても良いわよ」
「あ、ありがとうございます!」

 千晶は思った。
 本当にこの人はいい人だ。脚本家としても、先輩としても尊敬できる…
「すいません! 行ってきます」

 美咲は黙ってそれを見送ったが、少し遅れて振り向き、声をかけようとした。
「あまり他人の恋愛をひっかきまわすもんじゃないわよ…って、もう行っちゃったか」



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