週に二度しか使えない第一音楽室。けれど、リーダーのとある判断によって軽音楽同好会が空中分解してしまったせいで、来週からは事実上使えなくなる。

 つまり今日が、隣の第二音楽室に住む音楽科君との最後のセッション。

 下手くそな俺のギターに窓越しでいろんな楽器で合わせて導いてくれた師匠との、最後の稽古。

「今日はこっちの趣味に付き合ってもらうからな。……なにしろ最後だし」

 ギターを出してコードを接続し、チューニングをする。息をひとつ整えてから、季節としては少し早めの曲をギターでかき鳴らす。

 俺が一番最初に練習して、最初にトチらずに弾けるようになった曲。武也には『ミーハーかつマイナー』と笑われたけど、好きなものは好きなんだから仕方ない。

――WHITE ALBUM

 十年近く前に発売され、しばらくの間、冬の定番ソングとして町を賑わせていた。

 今や、カラオケや有線でもある程度定番化されてて、これからの季節、リクエストが徐々に増えていく、地味に愛されてる曲。

「っし! ありがと、音楽科君」

 そして、そんな『ある程度有名な曲』に、第二音楽室の主は、しっかりと応えてくれた。

 初めてこの曲を聴いたのは、小さい頃、テレビの生中継で放送されていた『音楽祭』だった。

 今でもあの番組のことは鮮烈に覚えてる。

 最優秀賞は緒方理奈。今や全米チャートにでさえ顔を出す国際的アーティストは、その頃からやっぱり実力が並外れていた。

 けれどその時、俺の中に一番深く刻み込まれたのは、彼女の最優秀賞受賞曲じゃなく……堂々の優秀賞――次点を獲得した、森川由綺という新人アーティストのこの歌だった。

 その番組を見てからしばらくは、キーが合わないのを承知の上で、裏声で歌いまくり、家族やクラスメイトのひんしゅくを買いまくった。

 だから、ギターを弾くだなんて似合わないことを始めたときも、やっぱり皆のひんしゅく覚悟で、最初に挑む曲は決まっていた。

 一月早いけど、これがラストステージ。最後だけは、どうしてもこの曲で終わらせたかった。

 そして今、観客もいないギター一本とピアノ一台だけのセッションが――終わった。

「ふぅ……」

 よかった。最後もちゃんとトチらずに弾けた。これなら隣の音楽科君も満足してるだろう。

 って、全部俺の独りよがりなんだけどな。

 そしてこの十割独りよがりなセッションは今日をもって解散。明日からはもう放課後に音楽室を使う理由もないし、音楽科君との唯一の接点もこれでおしまいだ。

「……」

 でも……

「最後に挨拶くらいはしておかないとな」

 二ヶ月近くずっと俺の拙いギターに合わせてくれたんだから、今までの感謝と、……練習が無駄になってしまった謝罪を。

 それにお隣さんに興味がないって言ったら嘘になる。これまでは、姿を見たらいなくなってしまうような鶴の恩返し的な予感があったけれど、今回はちゃんと理由もあるし、どの道いなくなったとしてもこれが最後だから。

 恩を返すべきなのは俺の方だけど。

…………

「……遅いな」

 ケータイを開いて時刻を確認する。もうとっくに下校時刻は過ぎているのに、部屋から姿を見せる気配はない。……まあ、音楽室ってのはもともと防音が行き届いてるから、窓を開けていないと音が漏れても微かなものでしかないけど。

 だから俺は隣まで聞こえるように、周りに迷惑だと思いながらも窓を全開にしてたし、隣の音楽科君もきっと――

「そっか、俺はそんなことまでさせてたのか」

 今更ながら深く陳謝する。音楽科君の付き合いの良さと面倒見の良さに。雑音が入ったら練習だってままならないだろうに。

 正面の扉からカチリと鍵が開く音に体が飛び上がる。次いでドアノブが動く。俺はケータイに落としていた目線を緊張気味に戻した。

 そして、屏風の奥から現れたのは――

「……え」

 雪のように白くて美しい娘――

「冬……馬」

「北原?」

……たしかに、白くて美しい娘だった。けれど、彼女が鶴でもあり青い鳥でもあったことに、俺の思考は止まった。

 なにせそいつは、H組の音楽科君ではなく、E組で俺の隣の席でいつも寝ている――冬馬かずさだったから。

「お前……だったのか、俺のギターに合わせてくれてたのは」

 なぜか冬馬はバツの悪い顔をした。ピアノを弾いてたこと、そんなに秘密にしたかったのか。まさか無断使用してたとか。ならちゃんと俺が責任を持って説教してやらないと。

「あたしが出てくるまでずっといるつもりだったのかよ。出待ち? それともストーカー?」

「んなっ!?」

 そんな思惑を容赦ない突風が吹き飛ばす。突風のくせに俺の顔を熱く真っ赤に染め上げた。

「ち、違うって! 俺はただ、今まで付き合ってくれたやつにお礼が言いたくて、別にそんな……」

「お礼……」

 口の中で霧散してしまうような小声で冬馬が言う。

 そうだ、あまりの動揺に当初の目的を忘れていた。咳払いをして姿勢を正す。

 そして、目をぱちくりさせる冬馬に右手を差し出した。

「今まで、ありがとな。俺のギターに合わせてくれて」

「え、……ああ、うん」

 戸惑い、目を逸らす冬馬。でも握手はしてくれない。仕方なしに握手をしたあとで言おうとしていたことを慌てて口走る。

「実は同好会が解散して、もう音楽室を使う理由がなくなったんだ。だから最後に挨拶しておこうと思って」

「……」

「ごめんな。今までの苦労を水の泡にしちまって。でも一緒に演奏できたこと、すごく楽しかった。ありがとう」

「……」

「それに、冬馬には夏休みにも教えてもらったし、いい教本も教えてくれたしで、世話になりっぱなしだったな。おかげで俺、見違えるほど上達したよ」

「…………上達?」

「ああ、さっきの『WHIT ALBUM』もノーミスだったし、完璧だっただろ」

 得意げに自慢げに言ったけれど、冬馬は蔑んで鼻で一笑した。

 そして、それまで沈みかかっていた船に翼が生えたように冬馬が顔を上げる。

「お前、あんな演奏で満足してるのか?」

「え」

「あんなの、十割あたしが合わせてやってるんだぞ。お前、難しいところになるとちょっとリズム怪しいし、弾けてるようでちゃんと音が出てなかったりするし」

「いや、それは自覚してるけど、でもさっきのは」

「ふーん、あれで満足してるんだ。北原の努力も大したことないね」

「……」

 努力……を馬鹿にするやつだとは思っていたけど、そこまで言うことないだろ。俺の努力を一番知ってるの、他人ではお前しかいないんだぞ。

 その中でも一番練習して、一番自信のある曲なのも全部知ってるだろ。

……お前だけが俺のギターを認めてくれてると思っていたのに。

「じゃあ、今度こそ本気でやってやるよ」

 だから、挑発だとわかっていても乗ってしまう。

「今日はもう遅いから、次の木曜日。明後日。音楽室の使用許可はまだ残ってるから。それまでに猛練習して絶対に認めさせてやるからな」

 じゃないと、あの二ヶ月間はなんだったんだよってことになるから。

「別に、明日でもいいんじゃない?」

「え」

 そう、考えていたけれど……。

「第二音楽室ならいつでも使えるだろ。わざわざ二部屋使って窓越しでやる必要なんてないし、同じ部屋の方が音も聞き取りやすいし」

 そう考えていたのは、俺だけじゃなさそうだ。

「それとも練習時間が欲しいだけの言い訳のつもりだったのか? なら正直にそう言えばいいのに。あたしは例え三徹でも周りで戦争してても、いつだって完璧に弾けるから、どうでもいいんだけどね」

 こ、こいつ……ほんと悪口だけは一級品だな。

「じゃあ明日! 明日の放課後な! 絶対にその大口を黙らせるくらいの完璧な演奏してやるからな!」

「やれるもんならやってみな」

 冬馬は、最後まで俺の右手を取ってくれなかった。

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