「――はい、お電話替わりました。北原です。」
「――お父さん。お久し振りです。春希です。今日は、電話で失礼します。」
「……。うん。久しぶりだ。本当に、久しぶりだ……。20年以上にもなるな――まさか、おまえの方から、わざわざ連絡をくれるとは、思ってもいなかったよ。」
「はい、本当にご無沙汰です。長い間ご挨拶の一つもせず、申し訳ありませんでした。」
「……なに、おまえ――いや、君が詫びる筋合いではない。これは何より、わたしと母さんと、二人の問題なのだ。君はそこに巻き込まれていたに過ぎない。――それにしても、わたしこそ、長い間放っておいて、済まなかった。」
「――でしたら、それはお互い様です。それが、お父さんとお母さんだけではなく、お父さんと私との、間合いの取り方だということでしょう。何にせよ、何不自由なく育てていただいて、感謝しています。」
「――いや……そんなのは小学生まで、いや百歩譲っても高校までの話だろう?」
「……。お母さんに、お聞きになっているのですか?」
「――まさか。岡山に戻って以来、わたしは、君の母さんとは直接言葉を交わしたことは一度もない。ただ、顧問弁護士の方には、母さんと定期的に連絡を取るように依頼してある。君が家を出たときも、就職したときにも、それから結婚し、子どもが生まれた際にも――前の奥さんが亡くなられた時にも、きちんと連絡は入れてもらっていたよ。――だから、君があれからどのように生きてきたか、最低限の事実関係くらいは、わたしだって把握している。」
「――どうして、ですか?」
「――どうして、って……親が子どもの行く末を気にするのに、理由がいるかね?」
「――それは、そうです。自然の情としては、もちろん、不思議ではありません。でも、私の方はそうじゃなかった。私にとってお父さんは、既に高校生の頃には、いないも同然であり、それどころかお母さんまで、一刻も早く距離を置きたい存在でしかなかった。」
「――それもまた君の言う「自然の情」だろう。君がそんなふうに感じること自体、わたしだって、少なくとも頭では理解している。――そんな風に見切られるなんて、さびしいことではあるが、我々二人の、身から出た錆でもあることだし、な。――そんなわたしたちの息子である君が、どうやら幸福な家庭を築いてくれているらしいことは、せめてもの慰めだよ……。」
「――俺……いや、私だって、そんな立派な人間ではありませんよ。――今なら、お父さんとお母さんの気持ちだって、少しは理解できるかもしれない……きちんとお話を伺えればね。」
「――聞きたい、か?」
「――いえ……お二人に、不愉快な思いをさせてまで、伺いたいとは思いませんよ。――ただ……ねえ、お父さん。ひとつだけ確認させていただきたいんです。――あなたが、妻や子供を捨ててまで、追い求めたもの、は……北原の家、だったんですか?」
「違う。――言い訳をさせてもらえば、もともとは、君と母さんを捨てるつもりもなかった。ただ、君も知っているだろう通り、母さんが、岡山に戻ること――北原の家に入ることを、肯んじなかったのだ。――とはいえもちろん、そこでわたしは、北原に戻るか、君たちと残るかを天秤にかけ、結局君たちを捨てたに変わりはない。――ただわたしが北原に戻ったのは、北原のためではなく、自分の夢のためだった――少なくとも、そのはず、だった……。」
「――その夢は、もう、潰えたのですか?」
「――そうだ。君も知っての通り、もはや北原家のものではなくなった北原で、そして開発担当役員の椅子からおろされ、取締役会でも文字通り末席を汚すに過ぎないわたしには、もう、そんな夢など、ない。兄貴や叔父さんは、まだいろいろと未練があるようだが、ね。――だが、わたし個人の利害を棚に上げて客観的に言えば、「普通の会社」になったことはおそらく、北原にとっては善いことなんだろうな、と思うよ。」
「――いつか、その夢のお話を、伺えたら、と思います……でも、お父さん。それでもあなたは、まだ、北原の人間なんですね?」
「ああ……そうだな。その通りだ。」
「暴露本を書いて溜飲を下げるような立場では、ない、と。」
「……君は編集者だったな? 君がどうしても、というのであれば、ダメな父の罪滅ぼしとして、ひとつやってやろうか? 別に自分の身がかわいくて残っているわけじゃない。辞めてしまえば何を言おうがわたしの勝手ではある。」
「――いえいえ、そんなことは望みませんよ。……むしろ、逆です。」
「――逆?」
「私の友人に、若手の経営学者がいます。彼はこのところずっと、バイオベンチャーの研究をしていて、北原のことも調べています。」
「――そのご友人の研究のために、便宜をはかれ、と?」
「いえ、違います。彼のためではなく――万人のために、北原の経験をできるだけ包み隠さず、公にしていただきたいのです。たとえば、これまでの、家族の記念アルバムみたいな社史ではなく、きちんとした、アカデミックな批判に耐えうるような社史を作れるような体制を、整えていただきたいのです。――そうすれば、いつか私もそこから、お父さんの夢、について少しは理解できるようになるかもしれない。」
「――その仕事を、君の会社で請け負う、というのでもなく?」
「――もちろん、正式にお話があれば、喜んで検討させていただきますけれど、それはいまの話の主題じゃありません。――どこの誰であれ……ジャーナリストであれ、研究者であれ、ためにする目的ではなく、純然たる知的探究心から北原を訪れる者すべてに対して、門は広く開かれていてほしい、ということです。知財や組織上の守秘義務にかかわること以外は、すべては公明正大であってほしい、と。」
「――ずいぶんな、注文だな。」
「見返りに差し出せるものなど、ありませんから、単なる要望にしかすぎませんが。」
「……わかった。努力、してみよう。どこまでやれるか、わからないが……CSRの名目で、やれることもないではない。」
「ありがとうござい、ます。」
「いやいや、約束はできないよ……。それでも、努力は、してみるよ。今日は、電話を、ありがとう。本当に、久方ぶりの、親孝行を、してもらった。」
「――いえ、とんでもありません。それでは、お父さん、お元気で。また、機会がありましたら。」
「うむ。君こそ、お元気で。お会いしたことはないが、奥様と、それから、お嬢ちゃんたちにもよろしく。」
「――伝えます。」

 春希が受話器を置くと、傍らのかずさと目が合った。かずさは軽くほほ笑んだ。
「――例の話、しなかったな……?」
「――うん……いきなりじゃ、喧嘩になりかねないし、な……。」
 そう天を仰いでつぶやいた春希の額を撫でながら、かずさは
「案外、お義父さんの差し金じゃ、ないのかもしれないぞ? お義母さんと話してるのは、顧問弁護士だけなんだろ? その弁護士が、北原本家に良かれと思って、勝手にお節介してるだけなのかも……な?」
と言葉を継いだ。
「お前……まるで雪菜みたいなこと、言うんだな?」
「そうか?」

「なんにしてもお疲れ様、春希。よく、頑張ったな。」

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 知り合いのご厚意でようやく「不倶戴天の君へ」を見ました。「かずさはやればできる子」設定はノベルで明らかでしたけど、なんだか少しうれしかったですね。




作者から転載依頼
Reproduce from http://www.mai-net.net/bbs/sst/sst.php?act=dump&ca...
http://www.mai-net.net/

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久しぶりの更新嬉しく思います。正直もう続きは読めないかもと思っていました。春希の父親との対話は自身も父親になったからこその様な気がしました。この感じだとまだ物語は続きそうですね、わがままを言わせていただけるなら次回はもう少し短い期間で更新お願いします(笑)。

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Posted by tune 2014年07月17日(木) 01:20:30 返信

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