冬馬オフィスでの打ち合わせからの帰路、少しばかり時間が空いたので、かずさはふと思い立って、雪菜の墓に立ち寄ることにした。
 朋の仮歌のおかげで楽曲のイメージが安定したのか、春希のギターはこの1週間で順調な仕上がりを見せた。そこで年内には三人をちゃんとスタジオに集めて、2日ほどで一気に仕上げるスケジュール調整を行った。同時に、ことここに至れば、そろそろアルバムのリリースの時期も正式にアナウンスせねばならない。「春の雪」以外はおおむね仕上がっているので、急げば年明けにもリリース可能ではあるが、CDの生産ラインの確保という問題もある――かつてのCDは今日び2020年代にはどんどん存在感が薄れつつあるが、それでもまだ現役であるし、マニアのための高品質音源を載せたDVD、BDも、音声のみのものはつい「CD」と人々は呼んでしまうのだ――し、他のタイトルとの兼ね合いもあるので、リリース時期は慎重に検討しなければならない。
 かずさはいまだにこの手の話が苦手で、基本的には工藤美代子とナイツの澤口にまかせてしまうのだが、それでも曜子の調子が必ずしもよくない今は、話だけはちゃんと聞き、結論だけは自分が出すように心がけていた。そして
「2月、14日、ね……。」
 それはもちろん、バレンタインという意味ではない。雪菜の誕生日を記念する意味で、かずさはこの日を選ぶことにした。
「春希は、何というかな?」
 さっそく電話で知らせてもよいのだが、あわてることではない。それよりも、雪菜に一言、言っておくのもいいかもしれない。――そう思って、かずさは久しぶりに、ひとりで雪菜の墓参りとしゃれ込んだ。

 ――花束を手に雪菜の――北原家の墓の前まで来てみると、先客がいたので、かずさはなんだか既視感に襲われた。
「……あれ?」
 小柄な婦人はこちらに気付くと、微笑んで会釈した。
「お久しぶりですね、かずささん……今日は、おひとり? 春希は、一緒じゃないの?」
 春希の実母だった。

 かずさはいまだに、この女性が少しばかり苦手だった――とはいっても、人付き合い全般が苦手な彼女のこと、大抵の人間が「苦手」な部類に入るので、実際はそう大した問題ではなかったのだが。ただ、せっかく雪菜が修復してくれた彼女と春希との仲をうっかり揺るがすのが嫌で、何となく距離を置いてきたことは確かである――。
(そういう距離の置き方が、本当はよくないんだけどね? ――こわがらないで。普通の人だから。っていうか、春希君のお母さんなんだよ?)
 脳裏で雪菜が叱咤してくれるが、それでもかずさの頭の中には、かつて高校時代、出会って間もない春希から、成り行きで打ち明け話をされてしまった記憶がちょっとした重荷として居座っている。
(かずさに対してどうしたらいいのかよくわからないのは、お義母さんもいっしょなんだよ? 人付き合いが下手なのは、お互い様――。)
(だから、困ってるんだろ?)
 ――それでもまあ、ビビりながらもつい「せっかくですから、お茶でも――」と誘ったのはかずさの方であるのだから、その成長を認めてやるべきなのだろう。……たとえ、向こうから誘われたときに断れずにいたたまれなくなることを回避するためだったとしても。
 しかしながら、近くのホテルのロビーのティールームに落ち着いた二人は、何となくぎごちなく、お互いどう会話の穂を継いだものか、互いに困り果てていた。
「――冬馬先生の、お加減は、いかがですか……?」
 おずおずと、春希の母が切り出した。
「え、あ、はい、おかげさまで、最近はまずまずです……。」
 当たり障りのない話――つまりは曜子や子どもたちの話で何とか切り抜けよう、とそれぞれが方針を固めたその時、
 ――!
 「時の魔法」のメロディーが流れた。ぎょっとしてかずさが周囲を見回すと、バツの悪そうな表情で春希の母が
「失礼……私です――。」
とバッグから携帯を取り出し、画面を一瞥してふと顔をしかめると、通話ボタンを押した。
「――はい。申し訳ありませんが、いま、お客様とお話をしているところで――ええ、大切なお客様なの。というより、家族です。それに、その件につきましては、既にこちらの意向はお伝えしているはずです――。いいですか、くれぐれも、あの子に直接コンタクトはなさらないでくださいよ。――今更虫のよすぎる話は、なさらないでください。……はい、どうしてもということでしたら、後程、夜にでもまたお電話ください。――こちらの意向は、変わりませんが。はい、失礼いたします。」
 硬い表情で、冷淡な切り口上で電話を終えると、春希の母は再びかずさの方に向き直り、すまなそうに一礼した。
「お見苦しいところをお見せしました――申し訳ありません。」
 かずさはあわてて、
「――い、いえ、お気になさらないでください――みっともない家庭の事情を抱えているのは、お互い様ですから――!」
とうっかり口走ってしまって、頭を抱えた。と、春希の母の表情がふっとゆるんで、柔らかい笑みが浮かんだ。
「――いいえ、これはむしろ、いい機会でしたわ……本当、天の配剤とでもいうべきかしら? ほんの思わぬ偶然で、あなたとお会いしているときに、この電話がかかってくるなんて。ご迷惑をかけないうちに、身内の恥は晒しておけ、と神様がおっしゃってるのかも。」
 急に晴れ晴れと話す春希の母に、かずさもふと緊張が解けて、
「よろしければ、お差し支えない範囲で、お聞かせ願えますか? 「あの子」って、春希……さん、のことですよね――もしかして、岡山の――?」
とたずねた。春希の母はかぶりを振った。

「北原の家のこと、どこまで春希からお聞きになっていらっしゃいます? ――この件、雪菜さんには、ご健在の頃にだいたいお話したんですが、かずささんにはまだ、何も申し上げてませんでしたね?」
「ええ、私もそんなに詳しくは。ただ春希……さんから、会って間もないころに、大雑把な話は聞いてます――岡山の「北原」って、たしかバイオ関連の会社ですよね?」
「ええ、地元ではまあ、ずいぶん偉そうにしていますよ――たしかに岡山を代表するグローバル企業、ですから……。でも、ご存じかしら、数年前に大やけどしましてね――倒産ギリギリのところにまで追い込まれて、ずいぶん不動産を処分しました。絵に描いたような同族経営の不透明性を銀行にあれこれ指摘されて、北原家の人間も、危うく背任で摘発されるところでした。何とかしのいだそうですけど、北原家の社内での存在感もずいぶん落ちてしまったようです。以前はオーナー経営者でしたけど、今は単なる筆頭株主でしかなくて、銀行や取引先に首根っこを押さえられています。」
 春希の母はおかしそうに笑った。かずさは、こういう時はどういう顔をすればいいのか、さっぱりわからず、あはは、と力なく追従笑いをした。
「それは、また、大変でしょう……。」
「いえいえ、」
と春希の母は手を振った。
「もう、春希の養育費をもらう期間も、とっくに過ぎていますし、何よりもらうものは全部現金にしてもらっていたことが幸いしましたわ。株式の形なんかでもらったりしていたら、今頃どんなことになっていたか……。」
「ずいぶん、下がったんですか?」
「らしいですけど、それより面倒なのは、株主として、経営に無理やり絡まされる羽目になることです。春希は男の子ですから、下手に縁を残しておいたら、この先どんな面倒事を持ち込まれるかしれない。そう思って一切、後腐れないように現金でもらっていたんです。正解でしたわ。そうしておいてこのありさまなら、もしちょっとでも株式をもらっていたりしたら、今頃どうなっていたか……。」
「このありさま、とおっしゃいますと?」
 われながら間抜けな問いだ、と思いつつもかずさは聞いた。春希の母は薄く笑って、
「ありていに言いますとね、北原の家では、春希に戻ってきてもらいたい、北原家、創業家一族の一員として、経営陣にはいってほしい、とそういうことなんですよ。何だか雲行きが怪しくなってきた数年前から、それとなく匂わせてはきたんですが……この1年ほど、そう、かずささんが春希と再婚してくださった頃から、急に露骨になってきましたわ。」
 いきなりの生臭い話に、かずさは軽くめまいを覚えた。――母さんなら、ケラケラ笑って根掘り葉掘り聞きだそうとするだろうが、あいにくあたしは世間知らずの上にデリケートなんだ、勘弁してくれ……と言いたいところだったが、文句をぶつけるべき相手は眼の前の春希の母ではなく、岡山の北原家であるだけに、ストレスがたまった。
(一番ストレスなのはお義母さんなんだよ、わかってるよね?)
 雪菜の声のおかげで、どうにか気力を保ちつつかずさは聞いた。
「……露骨に――と言いますと、春希に何か?」
「いえいえ、」
と春希の母はかぶりを振った。
「もちろん、本当のところは、春希に聞いてみないとわかりませんわ。それでも、もし本家に……というより春希の父親に、恥というものが残っているのであれば、それはないはずです。別れるときに私は、あの人に誓わせましたから。養育費の件を別にすれば、今後あの子の人生に対して、北原が干渉をしてくることはない、と。誓いを立てた相手は私です。ですから、もし仮に北原の家があの子に対して何らかの形でかかわりを持とうとするならば、つまりはその誓いに触れるような何事かをしようとするならば、必ず事前に、私に相談があるはずです。そして私の知る限り、少なくとも今のところは、あの人はその誓いを守っているようです――。」
「とすると、先ほどの電話は、春希……さんのお父様からの……?」
「いいえ。その代理人です。先方の顧問弁護士ですわ。」
 春希の母はさびしげに笑った。
「たぶん、あの人には、まだ恥というものが残っているんです。だからこそ、自ら私に、ストレートに頼んでくることはできない。弁護士を介して、いかにもビジネス提案であるかのように、遠回しに、しかも依頼という形をとるのではなく、あくまでも春希の「ご機嫌伺い」として、回りくどく攻めてきてるんです。――それでも、あの人たちのやっていることが、身勝手な横車であることに違いはない……他ならぬあの人自身が、そんな横車に傷つけられた当人だというのに……。」
 かずさはふと考え込んだ。
「お義母さん――さっき、「この1年ほど」とおっしゃいましたよね? 春希……さんと私が結婚してから、と。何かそこに、意味があるんでしょうか?」
 かずさの問いに、春希の母の表情が、心なしかくもった。
「――いえ、私の取り越し苦労みたいなものですから、お気になさらないでください……。」
「気にしているわけではありません。北原本家が何を言って来ようと、春希も、私も、母も、ダメなことはダメだ、とはっきり言いますから。気にするとしたら、お義母さんに何か私たちのせいでご迷惑が掛かっていないか、です。――どういうことなんでしょうか?」
 かずさとしては勇気を奮った、断乎たる発言だった。それを察してかどうかはわからないが、春希の母はしばし黙したのち、口を開いた。
「――北原は、メセナ活動にずっと力を入れてきた会社です。クラシックについても、岡山や関西で継続的に冠コンサートを続けてきました。冬馬曜子先生にも、おいでいただいたことがあったかと思いますよ。これについては、北原本家の意向が強くはたらいていたかと思います……。経営危機に際しては当然のことながら、真っ先にリストラ対象としてやり玉に挙がりましたが、それは単に金食い虫の不採算部門というだけではなく、本家の乱脈経営の言わば象徴扱いを受けたわけです。そこへもってきて、降ってわいたように北原本家と世界的ピアニスト一家との間に、姻戚関係ができた、と……。利用できるものなら利用したい、という雰囲気を、このところの弁護士さんからのお電話には感じますね。――不愉快なお話で、申し訳ありません。」
 話し終わって一息つき、小さな頭を下げる春希の母の姿に、かずさは天を振り仰いで嘆息した。
 ――ああ、この人は……。
 かずさはしばし目を閉じ、黙り込んで、脳裏の雪菜と少し言葉を交わした。それから目を開けると一息つき、残っていた冷めたコーヒーをぐいっと飲み干してから、切り出した。
「――お義母さん。お義母さんのおかげで、春希も私たちも、北原の本家や会社から、何の迷惑もこうむってはいません。私たちはその件についてまったく関知してませんから、何の不愉快な思いもしてはいません。春希のために、私たちのためにいろいろご苦労をいただいて、本当に、ありがたく思います。――でも、お義母さん。やっぱり、それを、春希に言わないのは、よくない、と思いますよ? 
 ね、お義母さん。もちろん雪菜は、2年前に亡くなっていますから、この、最近の動きなんかはもちろん全く知らないわけですよね? それでは、ここ数年の動きは――北原の会社が怪しくなってきたあたりに関しては、どうでしたか?」
 春希の母はふ、と息を呑んだ。
「そういえば、一度だけ、お電話で一言二言、「最近岡山からは、何か?」とおっしゃってたことがありましたわ。勘の良いかただ、と思いましたが、その時は、ごまかしてしまいました……。」
「――そうですか。まあ、その辺はどうでもいいことかもしれません。大事なことは、むしろ、こっちです。今のお話をもし雪菜が聞いたら、雪菜はお義母さんに、何というと思います?」
「……。」
 いつしかかずさは、微笑んでいた。
「雪菜の奴ならきっと、お義母さんに「ありがとうございます」って言って、それから「でもお義母さん、やっぱり秘密はよくないですよ」って、言うと思うんです。お義母さんは、春希のために、あたしたちのために、秘密にして、我慢していらっしゃる。でもそうやって秘密にしていらしたら、お義母さんが私たちのために頑張ってる、春希を大事に思っていることが、春希に、あたしたちに、伝わらないんです。――そうしたらお義母さんも、きっと疲れて、だんだん辛くなってきますよ。そしてそんなお義母さんに、春希の奴、気を使うからこそ余計に踏み込めずに、なおさら距離を置いて……。」
「……。」
 春希の母は、うつむいて黙っていた。かずさは続けた。
「――もし、お嫌でなければ、今日うかがったこと、簡単に春希に伝えておきます。でも、ダメだ、というなら、黙っておきます。」
「黙っていて、くださるんですか?」
 春希の母ははっと顔を上げて、反問した。かずさは微笑んで答えた。
「だって、今日こんな話を私にしてくださるんですから、いずれは何らかの形で、ちゃんと春希にも教えてくださるつもりなんでしょう? これまでは踏ん切りがつかなかったけど、今日のことがいいきっかけになった、って。……実際もうそろそろ、お一人で抱え込むのが、しんどくなってきていたんでしょう?」
 春希の母は再び嘆息すると、
「――ああ、雪菜さんといい、かずささんといい、どうしてあの子は、こんなに素晴らしい方とばかり出会えたのかしら……本当に、ありがとうございます。」
と頭を下げた。
「お義母さん、やめてください。全部、雪菜のおかげですよ。」






作者から転載依頼
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僕の頭の中では、サンヨーかな?
なんというか?こう言った社会的な背景の書き込みのリアルさが、wa2の魅力の下支えとして、それを見事に踏襲されているエピソードと思われます。

0
Posted by のむら。 2016年11月07日(月) 03:19:16 返信

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