「……そして、最後となりましたが、本書のもとになった連載をさせてくださった開桜社『アンサンブル』編集部の皆様、そして連載から単行本までの二人三脚をお付き合いいただきました北原春希様に、この場をお借りして、深甚な感謝をささげたいと思います。とりわけ本賞は「出版文化賞」であり、著者たる私のみならず、編集者、出版社、本書を世に送るにあたってご尽力くださったすべての方々への賞である、と理解しております。私からもお礼を申し上げさせてください。皆様、ありがとうございました。」
 画面上の橋本健二が笑顔で一礼してほどなく、スクリーンは暗くなった。司会席の横でパソコンをいじっていた春希は、ふっ、と息をつき、司会者からマイクを受け取って顔を上げた。
「――以上、『ピアノという近代』著者、橋本健二様より受賞のご挨拶、です。現在アメリカは××大学で客員研究員として滞在中の橋本様からのビデオレターをご覧いただきました。
 改めまして、担当編集者の私からも、そして開桜社からも、審査員の先生方、本賞主催の○○新聞社に、お礼申し上げます。光栄ある賞をありがとうございました。そして改めまして著者、橋本健二様にお礼申し上げます。新しい書き手を世に送り出すことは、私どもの使命と心得ております。音楽家、演奏家としての橋本さんの令名はつとに高いですが、書き手としての橋本さんの最初の作品をこうして世に送り出すお手伝いができて、私ども、大変光栄に存じます。素晴らしい本をありがとうございました。」

 春希が挨拶を終えると、受賞会場から拍手が沸き上がった。春希はもう一度大きく息をついて、マイクを司会者に返した。授賞式はそろそろしめくくりで、パーティーの準備が始まっていた。ホテルのスタッフたちが出席者のグラスを満たして回る中をかき分け、春希は会場で待っている社の同僚たち、そして家族の元に戻っていった。
「お疲れ様でした。」
 『アンサンブル』編集長にポンと肩をたたかれ、春希は苦笑した。
「いや、主役不在での代理受賞ですから、さすがに緊張しました……。」
「いや、ビデオとは言え橋本さん立派なスピーチだったし、北原さんの挨拶も堂に入ってましたよ。……とにかく、ありがとう。――それから冬馬曜子先生も、かずささんも、わざわざお運びいただき、ありがとうございます……しかし、本当によろしいんですか? こんなところで……?」
 編集長の気遣いに、地味目のドレスをまとった曜子が、グラスに半分ほどのシャンパンをくゆらして笑みを浮かべた。
「もちろんですわ。本来なら主役の橋本君が出てこなきゃならないところがこの通りですから、まあ師匠筋の私がそのしりぬぐいをするというのは、当たり前のことです。お父様、お母様も、健二さんの代役は、私どもがつとめさせていただきます。」
と「ドヤ顔」をして見せる曜子に、橋本健二の両親は大いに畏まって、
「いえいえ、冬馬先生に「代役」などとは恐れ多い……息子も大いに喜んでおります。役不足とは存じますが、どうかよろしくお願いいたします。」
と最敬礼した。それを横目に、やはり地味目のドレスのかずさはため息をついて、
「当たり前でもなんでもないだろ……自分がやりたかっただけだろ! ――しかし、こんなところで「復帰」だなんて、もうあれこれ言うのはあきらめたけど、逆に橋本さん、悔しがるだろうな……せっかくの母さんのプレイに立ち会えなくて。」
と肩をすくめた。
「――何言ってんのよ他人事みたいに。あんたも弾くんでしょ。ま、連弾だしね、本格的な「復帰」にはほど遠いわ。だからこういう祝い事の、いわば「お遊び」の席で肩慣らしをしておきたい、ってこと。」
「わかってるよ。これが母さんにしちゃ最大限気を使って慎重にやってる、ってことくらい。付き合ってやるから無理するんじゃないぞ?」
 肩慣らしのように軽口をたたき合う義祖母と義母を見上げて、こちらはフリフリにドレスアップした雪音が、ワクワクを抑えきれない様子で尋ねた。
「ほんとに今日、おばあちゃん、ピアノ弾くの?」
 薄笑みから大きく破顔して曜子は雪音の顔を覗き込んだ。
「そおよお。おばあちゃん、やっと病気がよくなってきたから、そろそろまたピアノ弾こうかなー、って練習してたの、雪ちゃんも知ってるわよね。まあ今日はママと一緒に、一曲だけだから、これも練習みたいなものだけどね。――でも今日はほんと、何年振りかで、「ピアニスト」として弾くからね。雪ちゃんたちには初めてよね。楽しんでね!」
「うん!」
 雪音は大きくかぶりを振った。雪音よりはおとなしめに、子どもなりにシックに決めた春華も、
「おばあちゃん、がんばってね!」
と激励した。

 橋本健二の『ピアノという近代』はテレビ効果もあってか、まずまずの売れ行きを見せ、秋の賞レースにおいてもいくつかの賞に候補作としてエントリーし、結果として老舗新聞社主催の○○出版文化賞を、大御所哲学者の大著と分け合う形で受賞した。新人への授賞はこの賞としては比較的異例のことでもあり、年末にかけて更に増刷することができて、会社として、そして春希としてもまずは満足のいく成果だった。
 ただ残念なことに橋本自身は滞米中であり、滞在延長の権利と引き換えに講義を持ち、演奏の機会も定期的に得られたばかりの身としては。正直、授賞式のためだけに戻ってくることことは、金銭的なことを別にしても(増刷もかかったことだし、それくらいは開桜社の方で持てなくもなかった)、少々負担だった。そこで今回は授賞式には会社とご家族の代理出席で、橋本の挨拶はビデオレターで、と落ち着いた。ただそこに割って入ったのが、橋本の師匠筋の一人にあたると同時に、担当編集者の義理の母である冬馬曜子だった。
 橋本の書き手としての処女作がちょっとでも余計に売れないか、と販促戦略に(もうベテランだというのにやや浮足立ち気味に)心を砕いていた春希とかずさをやんわりとたしなめつつも、自分でも何やら一枚噛むチャンスを狙っていたらしい。しかしそれがよりにもよって「主役の代わりに一席」だとは、夢にも思わなかった。
(でもお義母さん、「5年生存率3割切った」って言ってたの、たしか去年? いや一昨年?)
 春希は頭を振った。曜子の健康の急激な回復は、むろん喜ばしいこととはいえ、納得がいかないという気持ちもあった。とはいえ、「完全寛解」宣言には至らぬとも(そのあたり高柳先生は慎重居士だった)、ここ一年での血球のほぼ健常者並みの回復、その他腫瘍マーカーの類の著しい改善といった数値は疑いようもなかった。だが、それがすべてではあるまい。何か曜子のモチベーションを劇的に上げるような出来事が、どこかで起こっていた可能性が高い。だがそれが具体的にはいったい何なのか、となると、かずさも春希も、首をひねるばかりだった。
 授賞式パーティーでの一曲だけの演奏など、むろん本格的な復帰というにはほど遠い。しかし練習とか身内の席でとかいうのではなく、公の場での演奏を冬馬曜子がするなど、それこそこの十年近くなかったことである。しかも白血病のカムアウト自体、ほんの2,3年前のことだ。ここで「冬馬曜子カムバック!」ともなれば大ニュースである。
 しかしながら今回、曜子とかずさはがっちりと緘口令を敷き、今回の授賞パーティーで曜子が演奏することを前もって知っているのは、開桜社とナイツのごく少数にとどまり、賞やホテルの関係者にも「かずさともう一人が一曲だけ連弾する」としか伝えていない。
「サプライズのつもりなら、趣味が悪いぞ? というか、橋本さんにはもう教えてあるんじゃないか。」
と最初に話を聞いたかずさは文句をつけたが、
「そりゃそうよ、今回の曲は橋本君のやつなんだから。」
と曜子はしれっとしていた。
「それじゃあなんで? 母さんの復帰、ともなればちょっとした騒ぎになるぜ?」
「だからよ。今回の主役は不在とは言え、あくまで橋本君だもの。私の演奏のことを公にしちゃったら、主役を食っちゃうことになるわ?」
「それなら、最初からやんなきゃいいのに……。」
「あら、主役不在のパーティーなんて、寂しいものよ? だったらせめて少しでも盛り上げないと……。」
「主役不在って、正確に言えば、受賞者は二人いるんだけど……。」
と家族会議での抵抗もむなしく、あっさり曜子の悪巧みは実現の運びとなった。

「乾杯も済んだし、それじゃあ、そろそろ準備に入らないとね。かずさ、行くわよ?」
グラスを空けてひらひらさせる曜子にかずさは、
「わかってる。――それじゃ春希、行ってくる。子どもたちを頼むな。春華、雪音、今日はやっとおばあちゃんのカッコいいとこ見せてあげられるからな。しっかり聞いとくんだよ?」
と、母には渋面で、夫と子供たちには極上の笑顔で応えた。そして親子二人は、手に手を取って雛段へと向かっていく。
 今日ここにはプレス関係者は、ごく当たり前の数、主要各紙の学芸部とか、文芸誌、その他出版関係者くらいしか来ていない。芸能関係者やテレビは皆無だった。その辺はまあ、曜子の狙い通りである。しかし明日ともなればちょっとした騒ぎになるだろうことは予想がついた。
 そこに、
「先輩? おめでとうございます。」
とやってきたのは杉浦小春だった。
「おや、杉浦さん、来てたのか。」
「ええ、会社の方に招待状来てましたから。今日は鴻からは私と、あと編集長も来ています。あとでご紹介しますよ?」
「ああ、それはぜひお願い……それにしても今日は杉浦さん、ラッキーだったよ。」
「ラッキー?」
と、そろそろ雛段周辺から、ざわめきが始まっていた。もとよりグランドピアノは最初から会場に出動しており、招待客たちの多くはそれなりに予想はしていたかもしれない。ただ、まさかここで冬馬曜子が出てくるとは、という驚きが、ゆっくりと広がりつつあった。
 しかしそれを知ってか知らずか、小春は春希を見つめた。
「それと、これは先輩にも「おめでとう」なのかな。残念ながら「連弾」、最終選考には落ちました。それでも選外佳作二篇のうち一篇にはなりましたので、講評もつきますし、いずれ本誌に掲載できるかと思います。それも併せて、編集長から後ほどご挨拶を……なに?」
 ざわめきの高まりに小春は怪訝な顔をした。一方思わぬ吉報を聞いた春希は、存外平静な気分でいる自分に少し驚いていた。
(後になったら気分も変わってくるのかもしれないが、いまの段階では、やっぱり、自分の作品が評価されたことより、橋本さんのこの授賞の方がうれしく感じる、というのは、なんだろうな、俺は編集者頭だってことなんだろうか……今日日編集者兼作家ってあたりまえのことなんだが……。)




作者から転載依頼
Reproduce from http://www.mai-net.net/bbs/sst/sst.php?act=dump&ca...
http://www.mai-net.net/

このページへのコメント

最近見つけて一気読みしました。
続き待ってます!

0
Posted by 名無し(ID:L9xPvfKaBw) 2018年09月20日(木) 07:20:12 返信

再開ありがとうございます
頑張ってください
楽しみにしています^^

0
Posted by 太子 2018年02月02日(金) 05:44:59 返信

一年ぶりの再開ですね、お楽しみにしています。

0
Posted by NC 2018年01月30日(火) 21:15:52 返信

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