◇ ◇ ◇



「………」

「………」

 広いバスルームに、これまた大きいバスタブが置かれ、その熱気で浴室は白く煙っている。
 俺とかずさはものも言わず、熱い湯に二人で浸かっていた。
 曜子さんの趣味か、日本人の性か、いずれかは知らないが、風呂があるのは喜ばしい。
 
「………今、何時かな。どっかに時計ないか?」

「…ん、そこにある………うわ、いつの間に日付変わったんだろ…」

 かずさは俺の胸に背中を預け、俺の肩を枕にぐったりと脱力している。
 時折首をひねって俺のほうを向き、背中越しにキスをねだってくる以外はほとんど動かない。
 正直、後頭部が鎖骨に当たってちょっと痛い。でも、絶頂の余韻に浸っているかずさのために我慢する。
 心地良い気だるさを感じているのは俺も同じ。何しろ先ほど、湯船の中で一回してしまったばかりだ。

「帰ってきたの、何時だったっけ。っていうか、一息ついたの何時だったっけ」

「知るか。今のあたしは時間の感覚が狂ってるんだ…お前にいじめられすぎて」

「………ごめん、自制が利かなくて」

 我ながら呆れるが、あれからずっとかずさを抱き続けて今に至る。
 調子に乗りすぎたというか、やりすぎたというか、頑張りすぎたというか…
 たしか到着が日没で18時ごろだから、そこから掃除でプラス1時間。で、今が午前0時…うえ。
 かずさは五年ぶりで、しかも俺との一回しか経験がなかったっていうのに、なんて無茶を…

「いいよ、あたしは。だって…身体中で幸せ感じられたから………あっ」

「? どうした?」

「お前の…こぼれてきた」

「そ、そうか…」

 体内から、その…俺のアレが漏れてきたようだ。
 何回出したか、実はまったく覚えていない。記憶が曖昧なのは俺も同じだった。

「………えへへ」

「〜っ!」

 淫靡な光景のはずなのに、かずさは恥ずかしがることもなく、それを見ながら嫣然と微笑む。
 童女のように無邪気な喜悦を浮かべながら、娼婦の媚態さながらの色香に満ちて。
 そのアンバランスな調和を目にして、またしても滾りと昂ぶりが俺の中心に満ちていく。
 一ヶ月以上禁欲生活を過ごしたとはいえ、俺、こんなに節操無かったのか…

「…また、大きくなった」

「い、いや、これは体が言う事聞かなくてだな…」

「いいよ、別に。悪い気なんかしないし、さ」

 そりゃバレるよな、この状態じゃ。こっちだって、かずさの尾てい骨に当たってるのわかるくらいだし。
 いい加減おとなしくなれよ、俺…もっと労らなきゃいけないのに。
 まあ、かずさが満足そうなのがせめてもの救いだけど。

 散々勿体つけてようやく繋がれた俺たちは、というか俺は、早漏の謗りを免れない真似をやらかした。
 直前まであったはずの余裕をかずさの体内に吸い取られてしまったかのように、あっという間に果ててしまった。
 だけど、そんな俺すら愛しいと言わんばかりに、かずさは悦びに呆けた笑顔で恍惚としていたりした。

 そんな表情を目の当たりにした俺の愚息は、一度暴発したにもかかわらず、より奮起して。
 それでかえって、残っていた強張りや変な義務感が緊張と共に抜け落ちて、続けざまに二度目以降へと突入した。

「なあ…春希」

「…ん?」

「あたし、もう駄目人間だ…しかも、それでいいや、とか思ってる…」

 貫くたびに嬌声をあげて悶えるかずさに、興奮が大きくなっていって。
 次第にかずさも慣れていって、加速度的に強まっていった快感に二人で溺れて。
 黙って役目を待ち続けるベッドを尻目に、高そうなカーペットを台無しにした。

「こうしていられるなら………こんなに幸せなら、人として駄目でも、全然構わない、なんてさ」

「…そりゃ、駄目人間だな」

「堕ちてく自分がさ、愛しいんだ。お前と一緒に堕落していく自分が……愛おしいなんて思っちゃってる」

「まあ、堕落しちゃったしな……色んな意味で」

 気付いた俺がやっとベッドに移動しようとして、だけどかずさはしがみついて離れなくて。
 仕方ないから繋がったまま抱えて運び、スプリングの弾力に身を預けた瞬間に再開して。
 何度も達し、かずさも何度も届かせて、獣みたいに我を忘れて導き合った。

「………好きだ。愛してる。夢みたいだ」

「話の前後が繋がってないぞ…まぁ、俺もだ」

 望まれるままに、すべてかずさの中に吐き出して、求められるままに、一度も抜かなくて。
 腰の周りが体液で大変なことになった頃、やっぱり抱えたままバスルームに赴き、ここでも始めてしまって。
 ペースと回数が異常なほどだった。何も考えてなかった。互いの存在しか考えてなかった。

「なら言葉にして言えよ。っていうか、言ってくれよ…浸りたいから」

「………好きだ。愛してる。ずっと、忘れられなかった」

「うん……あむ、ちゅ……」

 首を傾けて、かずさが俺の顎を甘く噛み、キスをねだってくる。
 慣れない動きで舌もいい加減疲れているだろうに、それでもまだ足りないか。

「もう、お前はひとりぼっちじゃない。これからは、俺がお前の傍にいる」

「………そっか、じゃ、ふたりぼっちだな」

「言葉は間違ってるけど、意味合いは間違ってないな。まぁ、それはいいとして…」

 のぼせる前にいい加減上がらないと。明日は朝一でオフィスへ行かなきゃならない。
 明日からに備えて体調を整えるために、しっかり寝て疲れを取っておかないと。
 …まあ、予定外の疲労も蓄積してしまったわけだし。反省。

「そろそろ上がって寝よう。明日からは、やることが山ほどある」

「…もうちょっといいじゃないか。明日だってゆっくり出ればいいし」

「駄目。本当なら到着した足でそのままオフィスに行くべきだったんだし」

「いきなり重要な仕事があるわけでもないだろ? 忙しくなるのだってまだ…」

「忙殺される前にって、半日でもオフをくれたお母さんの気遣い、無下にはできないよ」

「むぅ………わかった」

 むくれるなよ、これくらいで…とはいえ、素直に頷いてくれたし、突っ込むのはやめておこう。
 こいつもなんだかんだ言ったところで理解してくれてるんだ。
 明日からの俺は、正真正銘の真剣勝負だって。らしくない素直さが、そのことを無言で語っている。

 二人揃ってバスタブから出る。ざあっと音を立てて、長い髪から流れる湯が俺の体に滴り落ちる。
 本当に、切るのが面倒だから伸ばしていただなんて、とても信じられない。

「ほら、バスタオル」

「おう、ありが………って、なんで離さないんだよ」

 今度は何のつもりだ、このお姫様は。
 さては、さっき素直だったのは何か企んでいたからか?
 …うん、困った事に、すごく納得できてしまった。

「拭いて」

「………は?」

 こいつは何を…いや、え? 拭いてって、え? そういう意味?

「…お前を?」

「あたしを」

「…拭けと? 俺に?」

「そう。拭いて」

 この我が侭娘め…ここで久々に自己中モード入りやがりますか。
 相変わらず、睨んだ時の目つきの悪さと理不尽な傲慢さは他の追随を許さない奴。

「お前ね…」

「…拭いて!」

 おにぎり食わせた時と同じパターンか…態度で怒って内心甘えたいってあれ。
 これほっとくと項垂れたり拗ねたり泣いたりするんだろうなあ。
 仕方ない。是非も無し。俺はもう抗う術が無い。よし、自己弁護終了。

「はいはい…承りましたよ」

「ん…」

 いかにも不承不承、といったポーズを作って、かずさの背中に回る。
 まずは頭から。俺もお気に入りの、この長く艶やかな髪からいこう。
 かずさに少し顎を上げさせて、念入りに、しかし優しく水分を拭き取る。

 ある程度水気を落としてから、一度背中を拭き、再度髪を拭く。
 とにかく気を遣うな、これは。仕上げは流石に自分でやらせよう。

 そして、顔の周りから首へ。当てるくらいの強さでそっと。
 次は、そうだな…腕にいくか。右と左、丁寧に、強くこすり過ぎないように…と。

「よし。腕上げろ。腋の下も拭くから」

「…ん…ぅ」

 両手を上げるついでに、拭いた髪を持ち上げさせる。これだけ長いとたしかに大変だろう。
 腕の付け根の内側のくぼみにタオルをあてがい、そっと上下に動かす。
 こいつ、体毛薄いな…って、何を変態じみたこと考えてるんだ俺は。

 さて、お次は胴回り。もうだいぶ水滴は落ちてるから、撫で付けるだけで済むだろう。
 タオルを開いて手のひらにのせ、わき腹から乳房まで巻くように当てる。
 その上から両手で、まさぐるようにして拭いていく。と、いうか…

「は、ぁ…んぅ、っ…あぁ…っ、ん、あぅ…」

「…っ」

 …このボリュームのある乳房を拭くには、揉むようにして撫でざるを得ないわけで。
 結果的に愛撫のようになってしまうのであって、つまり不可抗力であって…

「はぁぁっ…っ! あ、ぁぁ、ぅん、ひあ…っ! んぅぅぅ〜っ!」

 続いて下腹部、臀部、陰部といけば、こうなるのは避けられないわけで…
 決して俺のせいではなく、女性の神秘と小宇宙の成せる必然で…
 って、し、しっかりしろ、俺! あの時一度は無事にやり遂げたじゃないか、俺!

「ひぁ…ぁ…ぅん…は…春希ぃ…」

「…っ! お、終わった、ぞ…」

 よし、もう一安心だ! 足を拭いたら終了だ! もう敏感な部位は無い!
 耐え抜いたぞ俺! 俺耐え抜いた! 終わりは終了! 言葉おかしいけど気にしない。

「はぁ…はぁ…ぅぁ…」

「ほ、ほら、終わったぞ。もう濡れてるとこないぞ。さて、俺も…」

「…はるきぃ」

「うぉ、と…!」

 何かに耐えられなくなったかずさが、こっちを向いてしなだれかかってきた。
 …何かって何だろう。本当はわかってるけど考えたらいけない気がする。

「まだ、濡れてるとこ、ある…」

「い、いや、もう終わった…」

「まだ、濡れてる…」

「終わっ…」

「春希…」

 無事に終わった。残さず拭いた。なのにこいつはまだ濡れてると言い張って。
 とうとう俺に抱きついて、耳元にそっと唇を寄せて…

「ここも…また、濡れてる…」

 まだ? また? …また。も。も?

「濡れてるよ…春希」

 …終わっていた。俺のかずさも、かずさの俺も。
 我慢するのも、お互いの理性も。本能と欲望で、終了だった。



 ◇ ◇ ◇



「………喉、渇いたな。なんかあるか?」

「ワッサーあるぞ。普通のとガス入りの。ビールもあるけど」

「ビールはやめとく。ガス入りくれ」

「じゃ、あたしビールにしよ」

 性懲りも無くまたもやらかした俺とかずさは、入浴時間を30分延長して漸く上がった。
 今度こそさっぱりしたところで、二人とも腹に何も入れていないことに気付き、こうして冷蔵庫を漁っていた。

「「………けふ」」

 炭酸入りミネラルウォーターとビールの違いはあるものの、変なことで綺麗にユニゾンする。
 それがなんだかおかしくて、互いに顔を見合わせて、くつくつと小声で笑い合う。
 こんな小さな幸せが、今はこんなに愛おしい。

「クラッカーしかない。いいか?」

「もらう。あ、俺にもジャムくれ」

「待ってろ………ほい」

「…お前はジャムでクラッカーを食うんじゃなくて、クラッカーでジャムを食うんだな」

 さくさくと音をたて、二人でささやかすぎる晩餐を楽しむ。
 盛ったジャムの量は明らかに差があるけど、感じている幸せに差は無くて。

 買い置きのクラッカーをワインジャムひと瓶ごと平らげたあとは洗面所で歯を磨く。
 今日はトラベルセットだけど、その内ちゃんとしたやつを買ってこよう。

 そして二人連れ立ってかずさの部屋へ。
 かずさは裸のまま抱き合って寝たいようだったけど、三月のウィーンはまだまだ寒い。
 エアコンを入れてあるとはいえ、新生活二日目から風邪など引きたくないので却下。

 俺はさっさとスウェットに着替えてしまった。
 かずさも渋々だが下着を身に付け、さっきのようにシャツを着た。
 …さっきと違う? そのちょっと大きめのシャツは誰の…危険信号。忘れろ俺。

「今から寝れば5時間は眠れるな…時差ボケ修正にはちょうど良かった」

「…何時に起きるつもりだよ?」

 ようやくベッドで横になった俺の隣に、当たり前のようにかずさが寄り添う。
 厚い布団を肩までかけさせ、かずさを包む。俺はこいつの抱き枕。

「もちろん6時半。俺の通常サイクルがこれなんだから諦めろ」

「で、あたしも起こすのか?」

「寝ててもいいぞ。俺は朝市で食材買って来るけど」

「いいよ、起きるから…朝飯なら食堂街に行けばいいだろ。あたしも行くよ」

「なら、そうするか。亭主の好きな赤烏帽子じゃないけど…」

 …ふと横を見て、茶化そうとした口を閉じた。かずさは目も閉じずに俺を見ていた。
 いつものような、お前寝る気ないのか、なんて野暮な突っ込みも喉の奥で留まる。

「…どうした?」

「………」

「…かずさ?」

 射干玉(ぬばたま)の瞳は真っ直ぐに俺を見つめ、現(うつつ)に夢見るような表情で。
 でも、見ているこっちが不安になるくらい真剣で。文字通りに、夢中で。

「あたしの部屋のベッドに………春希が寝てる。そしてあたしが一緒に寝てる」

「………」

「あたしがずっと夢見てた…叶いっこない願いが、叶ってる…」

「…うん」

「あたしが喋って…春希が相槌打って…」

「……叶ってるな」

「一度くらいこっちに来てくれないかな…なんて、思ったこともあって…」

「…っ、それは」

「…あったのか? お前も」

 話の前後が繋がらない、不意打ちな問いかけに動揺して。
 行こうとしたに決まってるだろ、なんて、いきおいそう答えかけて…
 結局、続く言葉を飲み込んだ。



 ◇ ◇ ◇



『冬休みの間に目標額を達成したいんです。
 貯金と合わせて20万用意しないと』

『20万って…
 ヨーロッパにでも行くつもりか?』

『よくわかりましたね。
 スペイン、イタリア、フランス8日間の旅です』

『…正解を引き当てておいてなんだけど、
 どんだけブルジョアな卒業旅行だよ』



 ◇ ◇ ◇



 思い出すのは、あの誰かさんみたいにお節介な後輩。
 鋭いはずの彼女でも、結局気付かなかった。
 当然だ。あの時の彼女は何も知らなかったから。

 よくわかりましたね、って返されたとき、一瞬ぎくっとして。
 必死に平静を装って騙しきった俺の態度に、気付くことはなかった。



 卒業までに20万なら、普通、一人暮らしの軍資金? 中古でマイカー探し?
 春までに大金が必要な状況、他に推測できる理由はいくらでもあるのに。

 20万と聞いて、ヨーロッパ行きがいきなり出てきた俺の発想の不自然さには、気付かなかった。
 動機は違えど、同じことをしようとしていた時期が俺にもあったってことには、気付かなかった。



「春希…?」

「…いや、なんでもないよ」

 言えないし、言ったところで意味は無い。
 結果を言えば、俺は結局行かなかったんだから。
 かずさの願いを叶えてあげられなかったんだから。

 …結果が、すべてなんだから。

 動機や過程なんて、苦悩や懊悩なんて…何の価値も無い。
 そこにどんな理由があったとしても、どれだけ熟考したうえでの結論でも。
 その結論に巻き込まれた人たちにとっては、塵芥(ちりあくた)に等しいものだ。

 …過程で、酌量されるべきじゃないんだ。

 仕事だってそうだ。求められるのは結果が全て。
 ミスやトラブルなんて、あって当たり前のものであるが故に、計画はそれを予め盛り込んでおくべきだ。
 どれほど途中が素晴らしかろうが、誠実であろうが。結果が酷ければ途中など評価するに値しない。

 それが人と社会における不文律であって…どれほど無念に思っても、容易には覆らない事実だから。

「…っ、く」

「春希…? どうしたんだ…?」

 俺への評価は変わらない。
 俺は飲み込まなければならない。
 俺こそは最低最悪の人間なんだって。

 ただ、俺以外の人には、逆であってほしい。

 あそこまで傷ついて、あそこまで耐え抜いた雪菜は。
 長年見守ってくれて、ずっと助けてくれた友人は。
 傍でずっと支えていた、温かい家族は。

 俺が踏みにじった人たちには、逆であってほしい。

 ここに至った過程こそ、考慮されてほしい。
 最低の結果を押し付けられたあの人たちには、過程でこそ評価されるべきだ。
 俺という悪魔に弄ばれた、あの温かい人たちこそは、これから先に幸せになってほしい…!



 どうか、どうか…! 異国の神よ、どうか!
 その為の試練をすべて俺に課して下さい! 俺に罰を下さい!
 俺はそれをこそ糧にして、生きていくから…! 俺以外のすべての人に祝福を…!



「………ふざけるな。春希の罪は…半分だ」

「っ!?」

 …なんて、俺が、吐き気を催すほど醜い、独り善がりなことを考えていたことを、見抜かれた。
 自分よりも、誰よりも、幸せであって欲しいと願っている、こいつに。

「やっぱ当たりか…痛いんだよ、お前。本当に誰でも…誰よりも、自分を追い込むんだな」

「っ、かずさ、俺は」

「喋るな馬鹿野郎。この唐変木。これは、この罪は…あたしとお前で犯した罪だ」

 いつのまにかその瞳には、こいつらしくもない強い光が宿っていて。
 体が、腕が、絡まる足が、俺を包むかずさのすべてが、俺の心を糾弾する。

「どんな事情や、理由があっても、あたしとお前の罪は等価だ。
 とてつもなく重いこの罪は、二人で犯したからこそ、こんなに重いんだ。
 辛くて、苦しくて、後ろめたい…二人で一緒に背負うべきものなんだ。」

 俺たち二人は共犯だと。教唆者は正犯者と同じだと。
 どちらがどちらか、わからないけど、どちらが先かもわからないけど。
 卵が先か、鶏が先かなんて、もうどうだっていい。

「………想像だけで…なに言ってんだよ、馬鹿。テレパシーでも使えるのか?」

「馬鹿って言うな。あたしがお前のものだからって…好き放題に扱うな」

「………っ」

「調子に乗るな、馬鹿。お前だってもう、あたしのものなんだから、な」

 肩に乗せていた頭を、俺の顔の前まで持ち上げて、かずさは、ぺろり、と、真っ赤な舌で頬を舐める。
 吸い付く音を何度も響かせて、頬に、唇に、瞼の上に、口付けの雨を降らせる。
 いつの間にか苦しげに歪んでいたらしい俺の顔に、繰り返し。

「ん…むぅぅ、ぁん…」

「あ、む…ぅぅ」

「ぷぁ、はぁ………なあ、春希」

 このキスは、契約だ。絶対的で、恒久的な契約だ。
 どんなに確かな誓約書よりも効力の強い、悪魔的な拘束力を持った空手形だ。

「お前があたしの心を護ってくれるように。
 あたしもお前の心を護ってやれるんだ、ってさ」

 ああ、そうだ。そうだった。
 そこは履き違えてはいけなかった。目を逸らしてはいけなかった。
 かずさを愛するなら、かずさの罪も愛さなければいけなかった。

「これくらいの自負なら…持たせてくれたって、いいだろ?」

「………うん。そうだな。そう、だよな」

 こいつを形作るすべてを愛する。すべてひっくるめて愛する。
 俺と一緒に歩んでいく、こいつの罪深さも愛するんだ。
 それこそを認めなければいけない。



 俺が一人で背負っちゃいけないんだ。

 かずさにも一緒に背負ってもらわなければいけないんだ。

 俺たちは、互いを頼りに歩いていくんだから、だから。だから………



「やっと納得したか、杓子定規」

「俺が悪かったよ…いや、お前も、悪かったよ」

「そうだ。あたしも悪いんだ。くく…あは…あははっ」

「…なんだよ、いきなり笑い出して」

「だってお前っ、くふ…はははっ、謝っといて、俺が悪くてお前も悪かったって、意味わかんないっ…くくっ」

 俺はもう自分ひとりで抱え込んだりしない。
 辛さや苦しさを自分の中に閉じ込めて誤魔化さない。
 俺だけの罪だなんて引きこもって、自分に逃げたりしない。

「ちぇ、ほっとけよ。もう寝るぞ」

「あはははは…はは…く、苦し」

「いつまでもツボってんじゃねーよ!」

 ああ、こいつが愛しい。世界の誰よりも。
 ああ、ふたりは罪深い。世界の誰よりも。
 ああ、世界で誰より愛深き、いと醜き咎人の恋人。

「おやすみ…はるき」

「おやすみ…かずさ」

 この日から続く、永久なるの愛の契約を果たそう。
 喜びのときも、悲しみのときも、富めるときも、貧しいときも。
 これを愛し、これを敬い、これを慰め、これを助け、その命ある限り。

 愛し、慈しみ、護り、護られ。

 願わくは、死が二人を分かつまで────



 − DAS ENDE −






作者から転載依頼
転載元
http://www.mai-net.net/
作者
火輪◆a698bdad氏
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