最終更新:ID:I/el9ZdvCg 2014年01月17日(金) 23:49:03履歴
メールで数度のやり取りをし、その後電話によるスケジュールと条件の確認。
「KAIOH NY GLAPH、チーフエディター風岡麻理です」
「冬馬曜子オフィス欧州支部マネージャー北原春希です」
互いに、いっそ冷淡と言っていいほどビジネスライクなやり取りで。
けれど何を言っていいか分からない俺は、おそらく麻理さんも、結局それで安堵したのも事実だった。淡々とスケジュールを決め、ちょうど一週間後、前日入りした麻理さんの宿泊するホテルのロビーで落ち合うことになった。
エレベーターから降りてきた麻理さんは、エントランスホールの端で待つ俺をすぐに見つけ、力強い歩みで近づいてきた。
懐かしい、あの頃のままの立ち姿。地味なビジネススーツとパンツ。けれど彼女が身に纏えば生命力にあふれた力強いオーラを発し、風岡麻理という人物を一回りも二回りも大きく見せる。それはピアノを弾いている時のかずさにも似て…。もっともかずさの場合、それ以外はほぼダメダメなんだけど。
…いや、麻理さんもけっこうダメダメだったか。
「ひさしぶりだ…ですね、北原…さん」
電話ででもそうだったが、互いの立ち位置を掴みきれない持って回った途切れ途切れの挨拶が、実際にこうして会ってみると、なんだかちょっとおかしくて、逆に俺の心をほぐす結果となった。
「お久しぶりです。昔通り、北原と呼び捨ててください。俺も麻理さんと呼ばせて頂いていいですか?」
数瞬の躊躇いの後、麻理さんはほっとため息を付いた。
「助かる。正直、どう接していいか、ちょっと考えすぎてた」
「俺も同じです」
互いに苦笑するしかなかった。
「荷物はそれだけですか?」
麻理さんが持っていたのは、大きめのビジネスバッグが一つだけ。
「ああ、もう一泊する予定でな。着替えとか他の荷物はホテルに預かってもらってる」
「なにか他に仕事でも?」
出張を秒単位で無駄にしないのが風岡流というものだった。
「フリューゲル氏にアポを取った。明日の午前中にお会いする予定だ。午後は君らが常箱にしているホールのスタッフに話を聞く予定になっている。それからナイト・ユーロでフランクフルトへ行く。これは別件だけどな」
なんというか…まさに風岡麻理の真骨頂というべきか。
「さすが…ですね」
「冬馬かずさという人物に迫るのに、本人からのインタビューだけでは足りないからな。複数の視点がより多くのことを浮かび上がらせるさ。本来なら、何日か密着して話を聞きたいところだが…。もっとも北原がアンサンブルでやった特集、あれ以上のものになるとはとても思えんが…。まああれからの時間経過分の変化を聞き出せれば、というところかな」
「なるほど…」
かずさについて書いた一つの記事と密着取材での特集号。それはあの世界への置き土産のようなものだった。
「できれば北原にも話を聞きたいところだが…」
「行き帰りの車中でなら。足りない部分はメールなりで質問状でもいただければ…。もちろん答えられる範囲で、ですけど」
「帰りも送ってもらえるとはありがたい。が、いいのか?」
「構いませんよ。最初からそのつもりですから」
「ここからは遠いのか?」
「デープリングのはずれですがたいした距離じゃありません。この時間帯ならさほど時間もかからないと思います」
「デーブリング……第19区か。ウイーンの北端にある高級住宅街だな」
「ご存知なんですか?」
「一応調べた」
「はは…」
かずさとウイーンの地理がどんな関係があるのか分からないけれど、この人の仕事に対する用意周到さというのは、俺でさえ呆れるレベルだ。
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歴史地区という世界遺産を持つ都市といえど、中心街を抜けると徐々に寂しくなる郊外が続く。車窓から覗くこの辺りの寒々しさは日本ともあまり変わらない。
「こういう風景は、世界中どこでも一緒だな…」
「そうですね。中世風の景色が永遠に続くってわけでもないんですよね」
作りかけの造成地や住宅も目立ち、人の流れも少なくなっていた。
「しかし、北原が冬馬かずさのマネージャーになっていたとは…な」
「驚きましたか?」
「驚かなかったといえば嘘になるが…まあある程度予測はしていた。鈴木たちに聞いても事情はわからないというし、となると、あの北原が口を噤んだまま会社をやめる理由はそれぐらいしか思いつかなかった」
「…怒って…ますか?」
「人生の事情は人それぞれだ。北原がそう決断したなら、私がどうこう言うことはないよ。それに、責任の一端は私にもありそうな気がするしな…」
「そんなことは…」
もちろん、そんな責任が麻理さんにあるはずはない。ただ、今から3年半前、付属の卒業式での別れから3年の月日が過ぎたあの日、バイトの身でありながらかずさの記事を書く事になった時、俺は自分の中にいるかずさの大きさを、あらためて思い知らされたのも事実だった。それから2年後、俺は最後の決断をした…。
「なあ北原」
「なんです?」
「お前、結婚は?」
「…唐突ですね」
「一応確認しておきたくてな」
まさかこういう切り口で来るとは思わなかった。おそるべし風岡麻理。なんだろうか。
「半年前に。…まあその後ちょっと揉めてますけど」
「揉めてる?」
「かずさが北原姓を名乗りたがって。けどビジネス戦略上、冬馬の姓は外せませんから」
「なるほど」
こちらに来てはじめてわかったことが一つ。確かにすごい人だとは思っていたけれど、想像以上に冬馬曜子というネームバリューは凄まじい物だった。彼女が敷いた下地と支援がなければ、今頃俺とかずさは間違いなく路頭に迷っていただろう。
「ちなみに麻…」
「私に余計なことを聞いたら腕立て3000回だ」
どんな体育会ですか。
「なにも言ってません。聞いてません」
「よろしい。まあ、ご結婚、おめでとう。遅ればせながら、だけどな」
「ありがとう…ございます」
はあ…と麻理さんの口から、どこか残念そうな、苦笑とも嘆息とも取れる息が漏れた。
「あーあ、こんなことなら、もっと早く、お前にやっとけばよかった」
「やっとけ…って、なにを…です?」
「内緒だ、一生教えてやらん」
「は…あ…」
もしかして、あの不気味キーホルダーシリーズか。
「私はこの企画にケリが付いたら、日本に帰ることになっている」
「そう…なんですか…。おめでとうございます、でいいんですよね」
ふとよぎる、懐かしいというには未だ熱冷めやらぬ風景と人々の顔。
彼ら彼女らは、元気なんだろうか…
「ま、一応出世コースだから祝辞は受け取っておくよ。…ほんとうはお前と一緒に、いつか会社を乗っ取るのが夢だったんだけどな…。まあ、それはもうかなわない夢になってしまったが…」
「それは…」
この人のもとで、この人とともに会社の…社会の階段を登っていく。それはおそろしく魅力的な可能性の一つだった。けれどその世界にかずさはいない。俺のすべての道は、結局そこへ帰結する。かずさを手に入れられない世界など、今の俺には考えられなかった。
「いつか私がトップに立ったら、祝電の一つも寄こせ。約束だぞ」
「はい、必ず」
風岡麻理ならやり遂げるだろう。いやそれどころか、ふさわしい権限さえ手に入れれば、大手にだって負けないほど会社を急成長させてしまうかもしれない。あふれる生命力と行動力、カリスマ性。抜群にキレる頭脳と広い視野。強烈な上昇志向。
考えてみれば、麻理さんは、かずさよりも、ある意味、曜子さんに近いのかもしれない。もっとも、麻理さんがエースなら曜子さんはジョーカーといったところか。奔放さと懐の深さにおいて、冬馬曜子の右に出るものはちょっといない。
「ところで…まさか直接取材を受けてくれるとは思わなかった。冬馬かずさの取材嫌いは有名だし、だめもとで申し込んでみたんだが。まさか昔なじみだったからとか?」
「今回のことは、俺じゃなくてかずさが自分から言い出したんです」
「それは…なにか理由でも?」
「まあ、あるようなないような…」
結局は俺のため。俺と麻理さんを再会させるため、なんだけど。ただ、奥底でいろいろ複雑な感情が渦巻いているのは間違いなかった。
「ま、まあ、あいつが外に向かって心を開くのは悪いことではないと思うので」
「彼女は内向的な人なのか?」
「というか、他人に興味がないというか…」
「北原以外?」
「…!」
こういうところで核心をついてくるのが麻理さんなんだよなあ。
「日本公演以来、彼女の音が劇的に変わった。という話もある」
答えにくいことを畳み掛けるように。
「ご期待に添えるような答えは俺の口からは出てきませんよ」
「ほう。私がどんな答えを期待していると思うんだ、北原は」
こういうカウンターも昔から何一つ変わらない。
「…俺が彼女に何らかの影響を与えているってのは、否定しません」
いや、否定できないというべきだろうな…。
かずさをして「ピアノより春希のほうが大事」と言わしめたのもまた事実で。だから俺の影響を否定することは、かずさの想いを否定することにも繋がってしまう。
「恐れ多くて怖くもなりますけど…。ですが今の彼女の名声は、彼女のたゆまぬ努力の結果です。それは間違いありません」
「冬馬かずさを単なる天才と切り捨てるのを極端に嫌うんだな。前の記事でもそうだった」
「事実ですから。悩んで…苦しんで…もがいて…それでもピアノに向かい続けたんです。もちろん、かずさの才能を疑うことはありません。でもそれだけで彼女を語る奴がいたら俺が説教しに行きます」
麻理さんが思わず吹き出してしまった。
「ぷっ…お前に説教されるやつに同情するよ。ま、うまくはぐらかされたが、ここは乗っておいてやろう」
「はぐらかしてなんか…」
まあ通用しないよな。こういう論点のすり替えなんて。
「なんにせよ、今回のインタビューは楽しみだ」
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